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中国リポート

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 前編でお伝えした「陪練」の選手たちの中には、中国の主要なライバルとなる選手を模倣した選手が存在する。いわゆる「仮想選手」「コピー選手」と呼ばれる選手たちだ。
 仮想選手が初めて登場したのは、1960年代初頭にまでさかのぼる。仮想選手の歴史が、そのまま国家チームの歴史と言っても過言ではない。

 有名・無名と仮想選手が数多くいる中で、その初代として有名なのは、1950年代後半からプレーヤーとして活躍していた薛偉初と胡柄権だろう。
 1961年の世界選手権北京大会を前に、すでにベテラン選手だった薛偉初と胡柄権は、日本男子チームの秘密兵器「フォアドライブ」を徹底的に練習し、仮想・日本選手として荘則棟や李富栄ら若手選手の練習相手を務めた。そのため、ヨーロッパのカット選手を完璧に攻略した日本選手のドライブも、中国にはそれほどの効果を発揮し得なかった。この薛偉初と胡柄権が、中国卓球チームの初代「陪練」であり、また初代の「仮想選手」でもある。
 続いて、同じくドライブを習得した8人の選手の中から、さらに特定の日本選手をコピーした選手が登場する。木村興治の仮想選手として有名な余長春、三木圭一の仮想選手である廖文挺だ。余長春は北京大会での木村のプレーを収めたビデオを数えきれないほど観たという話が残っているが、65年世界選手権の男子ダブルスでも3位に入るほどの実力者。すでに中国卓球には、仮想選手をそれだけのレベルに育成できる力があったことになる。

 その後も、中国チームに新たなライバルが現れるたび、中国チームは若手選手の中から仮想選手を作り出してきた。79年世界選手権・男子団体決勝でハンガリーに完敗を喫すると、ハンガリーの主力選手と同じ戦型で、背格好が似ている若手選手を全国から選抜した。そしてクランパの仮想選手として成応華、ゲルゲリーの仮想選手として黄統生、ヨニエルの仮想選手として李奇を招集し、徹底的にプレーを模倣させた。その結果、81・83年と世界選手権・団体戦で中国はハンガリーを完璧に破った。

  91年の世界選手権千葉大会・女子団体決勝では、エースのトウ亜萍が右シェーク異質速攻のユ・スンボク(統一コリア)に敗れた。そこで国家チームは、同じ異質速攻型の男子選手である王志軍を河北省チームから招集し、韓国・北朝鮮に多かった異質速攻型の仮想選手として、トウ亜萍や女子チームと練習させた。この王志軍、94年にアジア競技大会で右シェーク両面裏ソフトの小山ちれが優勝すると、今度はバック面を裏ソフトに変えたというのだから徹底している。

 もちろん現在の中国チームにも仮想選手は存在する。国家隊の名もなき英雄たち-後編では、彼らの現状について紹介していこう。(本文敬称略)

Photo:中国卓球チームの虎の穴、河北省にある正定国家卓球訓練基地