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世界卓球 パリからジュテーム速報
~伊藤条太のお前にトリコロール!~

私はバラフライのブースでボルのフィギュアとキーホルダーを買った。ボルと書いていなければわからないほどさっぱり似ていないが、日本では売っていないと聞いてすぐに買った。
さすがTSPだ。
アディダスでは宣伝にかなり金をかけていた。
畳ぐらいの大きさのタッチパネルが立ててあり、指で押すと製品の情報やら宣伝映像が流れるようになっていた。
面白かったのはティバーのブースでラケットケースを見つけたときだ。
なんと10センチぐらいの厚みの製品がおいてあり「これはいい!」と祐が狂喜した。ラケットマニアだけあって、常時ラケットを4本は持ち歩きたいがそういうラケットケースがなく(当たり前だ)困っていたというのだ。

ところが開けてみると、スポンジが敷き詰めてあってラケットは1本しか入らないことがわかり、落胆する祐であった。
試合がなくて暇なうちに売店を回ることになった。

まっ先に行ったのは希代の用具マニア、佐藤祐だ。この男、持っているラケットは120本、ラバーは数え切れずだ。だいたいどのラバーも30分以上は使ったことがないという(これで実力は想像がつくと思う)。先日はエルサルバドルに使い古しの卓球用具を贈る機会があって、70枚送ったという。

カメラマンとして出張に来たはずだが、そのゼッケンを着けたまま用具あさりに余念が無い。TPSのブースで、ヨーロッパで先行発売されたばかりのラバーを手に取り2枚ゲット。ラケットを選ぶときの鬼気迫る様子はちょっと見物で、独特の姿勢で表面をくまなくチェックした後で、指でラケットを叩いて音を聞いていた。しかも両面。なにやら医師が患者を診察しているかのようであった。

ラバーのパッケージの宣伝文句が1文字減ったことすら彼の鋭い眼は見逃さない。彼ほどの用具マニアが日本にあと何人いるだろうか。卓球王国は得がたい人材を得た(しかも、卓球の仕事なら給料なくてもやると言っているらしい)。
今日からいよいよ試合が始まった。予選リーグなので、日本選手の出番はないので、ゆったりと速報していきたいと思う(矛盾しているが)。

観客席にはやたらと子供たちがいる。賑やかしのために学校か施設単位で集められたと思われるが、こういう努力が大切だ。何でもいいから騒がしい会場が楽しい。このようにして10年前のパリ大会は史上最高に盛り上がったのだろう。こういう中で、中国勢をなぎ倒してシュラガーと朱世赫が決勝を争ったのだからその興奮はいかばかりだっただろう。

しかし我々がこの子供たちの近くを通ると、いかにも珍しそうに我々の顔を見て声を出して友達となにやら批評をしている。パリでは日本人など掃いて捨てるほどいるはずなのに、何が珍しいのだろうか。
目を守るためサングラスをかけてターミネーターと化した星野さんと、そのお供をする友。
全日本選手権7回優勝、ソウル五輪ベスト4の星野さんに対して粗相のないよう気をつけてもらいたい。
レストランにはニッタクの社員である沼田さんも一緒に入っていただいた。沼田さんは今野さんの2歳上で、今野さんと一緒に青卓会で荻村伊智朗にしぼられた仲だそうだ。沼田さんは30歳になるまで荻村伊智朗の下にいたが、誉められた事は2回しかないそうだ。1回は、中学1年のときに荻村伊智朗が教えてくれたフォアクロスのロングサービスを応用してストレートに出したときに「よく考えた」と言われたとき。もうひとつは荻村伊智朗の事務所の窓ガラスを掃除したときに掃除が上手いと言われたことだという。30歳になるまでそれしかないというのが凄い。

一方、今野さんも荻村に誉められたことが2回だけあり、卓球では「お前はバックショートが上手いからフォアのボールもすべてバックショートをしろ」と言われたとき(それは誉められたのではなくてフォアを貶されたんだと思う)、もう1回はTSPトピックスのときに車椅子卓球の王者、岡選手を取り上げたときだという。

写真右から、2回誉められた今野さんと沼田さん、荻村の母校である都立大出身のくせに荻村伊智朗に興味がない渡辺友だ。
夕食は昨日に続いて魚介類のレストランに入った。
絶望的な迫力の盛り合わせやら肉が出てきてたっぷりと食べた。明日からはカップヌードルだけになるので今のうちに食べろということらしいが、そう決め付けなくてもよさそうなものだが。
日本チームの練習が終わって、あとはすることがないので体育館を後にし、ノートルダム大聖堂に行くことになった。

1320年頃に建てられたものだという。重機がない時代にこれだけバカでかいものを建ててしまう人間の力と、それを可能にした宗教というものの恐ろしさにいつもながら暗澹たる気持ちになる。

館内に、貴重な宝という展示があったのだが、そこに日本語が書かれていて「秘宝」「珍宝」と書かれていた。意味は間違っていないが、すでにある種の色がついてしまったこれらの言葉を選ぶセンスが面白い。翻訳は、単に意味が合っていればよいというものではないことの良い例だ。


と、書いたら「珍宝は中国語ではないか」とお二人の方からコメントをいただいた。そうですね。日本語が二つも書いてある必要ないですね。失礼しました。