残念です。

10月に開催予定だったクラブ選手権が中止になってしまいましたね。

いやー、少し前までそのクラブ選手権に向けてボチボチ練習をしていたのですが、無念です、、。

さてさて、実はその練習をしていた時にほぼ毎回のように感じていたことがありまして、
なんならそれはボクにとっての結構な悩みの種になっていたことでもあったのですが、この悩みは当然ながら、まだ解決していません。

それは何かというと、『身体が思うように動かなくなってきた。』ということなんですね。

『あーはいはい、あるあるーわかるー』って軽く反応する人もいると思うんですが、何というか、これがもうビックリするくらい動かないんです。

『自分が打ったボールが返ってくるまでに戻ることができずに返ってきた球が自分の身体に当たる。』

という現象も頻発するぐらいで、この現象に初めて遭遇した時、ぼくは自分の目を疑いました。

いや、目だけじゃない、ぼくは世界の全てを疑いました。すべて狐に包まれたような顔で、目をこすりながら

『んんんんんん???』

ですよ。

自分で言うのもどうなのかなとは思うんですが、ぼくが打つ球って結構速いので、返ってくるスピードも半端ないんですね。だからもう全然間に合わない。

打った瞬間にもうボールが目の前に来てるもんだから、ひーって言って、ひき殺されたサルみたいな声を発して痙攣のような動きをしてテンパるしかないんですね。

 

これにはさすがのボクも悩みまして、この動きの遅さは筋力の衰えによるものか、関節が硬くなってきたからか、勘のようなものが衰えているからなのか、それとも単純に技術的なものなのか、来る日も来る日も悶々と考え続けました。

しかし遂にわからず、とりあえず時吉にも相談しながら更に考えた結果、結局原因は上に書いたもの

全部

という結論に至りました。

 

これはもうしょうがないと。関節は硬くなるし反射神経だって年々遅くなるんだから、それに合わせてプレーも変えなきゃいけないねと。
(じゃあボル様とかどうなってんの?って話なんですが。)

というわけで、まずは用具やら台からの距離やら色々なことを変えていきたいと思います、、

 

こんな悩みを持ちながら日々悶々としていたわけですが、先日水泳をやっているとある50代の方とお話しする機会がありました。

聞くと彼は『僕は80歳でマスターズの世界記録を出したいんだ』と言っていました。もう本当にすごいなと。涙が出ますよ。

まだ30代で『体が動かんわ』とかいって死んだ魚みたいな目になっているなんて、ちゃんちゃらおかしいわと。

妻にはこの人の話をした後に、『ぼくは80歳で世界チャンピオンになるよ』と笑い混じりでいってみたところ

『そうね。期待してるわ。』

と軽く返されたわけですが、いくつになって目標をもって挑戦する姿勢は、失いたくないものですね。

感動してしまいました

オリンピックが終わりましたね。卓球競技は男女シングルス、ミックス、団体と素晴らしいプレーが満載でしたが、とりわけ水谷選手と伊藤選手のミックス金メダルは、本当に感動しましたね。もしかしたら、この試合で涙を流した人もいるんじゃないかと思います。

かくいうぼくもうるうるしてしまいました。
中国を倒して日本のペアが世界の頂点に立ったということがどれだけのことか。これまでの全ての苦悩、葛藤、努力、それらが報われたんだと隣にいる妻に散々説いたリアクションは、

 

「そうね。」

 

のたった3文字でしたが、それでも珍しく妻も感動していました。
今回のオリンピックは地元開催、卓球競技での金メダル獲得もろもろ、色んな意味で特別なオリンピックになった気がします。

 

さてぼくはというと、今回はじめてオリンピックの事前合宿にて、大会に出場する選手と練習させて頂く経験をさせて頂きました。

地元の千葉県流山市がオランダのホストタウンということで、オリンピック卓球競技の事前合宿の地になったわけですね。

そこで、流山市から「事前合宿での練習相手しゃす。」と依頼があり、女子オランダ代表のエーラントさんの練習相手を、少しですがする経験をさせて頂きました。

 

最初お会いした日(日本に到着した日)、エーラントさんは長旅の疲れもある中なのにすごくニコニコしながら挨拶をしてくれまして、「あらなんて素敵な方なのかしら。」と思い、ご挨拶はじめコミュニケーションをとらせて頂きました。

ただ、ぼく自身がビックリするくらい英語が喋れなくて、頬を染めながらしどろもどろになり、すっごいカタコトの英語とものすごい流暢な日本語とジェスチャー、そして優しい通訳さんの配慮でどうにかこうにかコミュニケーションをとったわけです。

まあそれより何より、一緒に来ていたスキンヘッドのコーチが190センチ100キロくらいあるような方で、その人の存在にとりあえずビビりました。(話してみると冗談好きで優しい方でしたけど、最初「あれ?卓球のコーチの人じゃないですよね、会場間違えてません?」って思いましたよね。)

 

さて、肝心な練習の方はというと、最初は緊張のあまりやけに力も入っている状態で、それに加えて体育館の温度も湿度も結構高くてもう酸欠で死にかけました。

しかし、ここで倒れたりしんどそうなそぶりでも見せたらそれこそスキンヘッドのコーチにぶっ飛ばされて首がもげるぞと自分に言い聞かせながら(ウソです)、なんとか全力でやり切らせて頂きました。

もうきっとこういう機会も無いと思います。地元開催で、選手の練習相手できるなんてさ、多分ないでしょう、もう。ほんとうに筆舌にしがたい経験でした。

 

今回のオリンピックは事前合宿から(もっと言えば海外の選手は日本の空港に到着した時から)、いろんな制約がある中でのTOKYOの日々だったかと思います。

「自分の人生をかけて挑むものがある」ということがどういうことか、それがどれだけのことか、この経験を通して改めて考えさせてもらえました。

オリンピックに関わった全ての皆さん、お疲れ様でした!
よし、こっからはパラリンピックだ!

卓球と恋愛

今日もまたすこし、暗殺者のような目をしたSくんの話をしますね。(前回のSくんのお話)

元々怠惰の日本代表みたいな生き方をしていた彼ですが、卓球に目覚めてからというものの、生活習慣や身体つきがみるみる変わっていきました。(前回の彼のお話)

ただ、彼曰く生活習慣や身体つきが変わっていったことなんていうのはもはやどうでもいいことらしく、逆に彼にとって最も大きく重要な変化は何だったのかと聞かれれば、それは何と言ってもやはり、彼に彼女ができた事らしいんですね。

卓球をすごく頑張りはじめてから、不思議と色々なことがうまくいくようになったという話はちょこちょこ聞かされていましたが、まさか彼女ができるなんて思ってもいませんでした。

ぼくは、昔彼がその意中の相手に猛烈なアプローチをしていた時期を知っているのですが、この時は本当にかわいそうになるくらい相手にされていませんでした。

↑これはSくん本人も言っていたくらいなのですが、当の本人は相手にされていないことなんて全く気にしている様子もなく、『ストーカーストーカーって言うけどね、落としてしまえばスナイパーだから。

と、うまいんだかうまくないんだかよく分からないことをドヤ顔で言い張っていました。
しかもそう話す彼のテンションの高さが尋常じゃないんです。バカなのかな?って思ってました。

ぼくは彼のそんな時期を知っているからこそ、その意中の相手と付き合う事になったという報告を受けた時、驚きのあまり目玉が飛び出て顎が外れて地面につきそうになるくらいの衝撃を受けました。

 

彼は卓球を頑張りだして、ランニングまではじめましたから体型も変わり、ほぼ毎日練習も頑張ってました。

そんな彼を見て、『まあいいかもな』って思っちゃったんですかね。

まああの、その彼女の気持ちも分からなくはないのです。
何かを頑張ってる人って、なんかかっこよく見えません?(ぼくだけですかね)

 

少し前に卓球選手からボディメイクのトレーナーになることに挑戦した子がいましたが、その人は非常に頑張っていました。

それを見て、ぼくは口にこそ出しませんでしたが心の中で『素敵(ハート)』と連日密かに連呼していました。

何かに挑戦している人は、美しいと思います。
自分も、そうあり続けたいものです。

 

そして今のSくんはというと、『今は卓球に片思いしている』ということらしいです。

そして、全然振り向いてくれる気がしない(うまくなれる気がしない)とのことです。

まあ、振り向いてくれるからどうかはやってみないとわからないし、やるだけやってみなよ、と。

そんな言葉をたまーにかけてあげながら、彼を見守っています。

激変した男

少し前に、暗殺者のような目をしているSくんという友達から

『どうやら最近テイラースウィフトが俺に惚れてるっぽくてウザい。』

という旨のLINEが送られてきた事がありました。

彼は都内に住んでいる普通のサラリーマンで、もちろんテイラーが彼のことを知っているわけはなく、そもそも彼から来るこの手のメールは『暇だよ。かまっておくれよ。』という旨のメッセージなんですね。

しかもLINEが送られてきたのは日付がそろそろ変わろうとしているような時刻だったので、もうなんなのという感じと、何かあったのかなという感じと、色々思いめぐらせながら結局かれこれ30分くらいやりとりしてしまいました。笑

そもそもSくんという人は、もともとは怠惰の日本代表みたいな人で、辞書で『怠惰』という意味を調べたら 『まるでSのようなさまであること』という一文が出てきてもおかしくないくらい、何に対しても後ろ向きでダラダラしている人でした。

もし仮にテイラーがその頃の彼の自堕落な生活を見ていたら、Sくんなんてきっと人として見てもらえなかったと思います。

ハッキリ言ってそれくらい終わっていました。
常々、ぼくは彼に半分冗談半分本気で『なんかやった方がいいんじゃない?あとご飯くらいちゃんと食べた方がいいよ。脳みそ腐ってんじゃないの?』
とお節介を焼いていたのですが、久しぶりにやった卓球が楽しすぎたようで、今では生活習慣を改め、筋トレやランニングを始め、鬼のように練習をしはじめたそうです。もちろん試合に勝つために、です。

最初、その変容っぷりに周りからはかなり気持ち悪がられたようですが、今ではこちらが感心するくらい張り切って卓球に取り組んでいます。

 

がんばるとか、諦めないとか、やり切るとか、そういうのって教えられるものじゃないんですね、自分で作っていかないといけないんだと思いました。

あとそれを継続していくこともまた、教えてなんとかできるものでもないんでしょうねきっと。

だっておれ、あれだけ言ってたのに、全部無視だったもの。笑
人間変わるもんだなぁと、しみじみ思う今日この頃なのであります。

 

もしも、テイラーが今の彼を見たら、

『あなたは、ちゃんと人よ。』

と言ってくれると思います。何かを始めるのに、遅いなんてことはないのかもしれませんね。

 

完全に忘れました。

小学校のとき、国語の授業中にみんなの前で「困った様子」を

 

「こまったざます」

 

と読んだことがある、森下です。

最近、のっぴきならないレベルの悩みがありまして、何かというと、どうやらぼく、自分の卓球を完全に忘れてしまったようなんですね。

以前嫁と少しだけ卓球をした時にふと思ったのですが、『ツッツキに対して』、とか、『ドライブされたものに対して』、とか、そういう細かいところの対処の仕方が全くわからないんです。

むかし自分がどんなプレーをしていたのかというのも、引退してから8年(?)くらい経ってますから思い出せず、『あれ、こういうボール、もっと強く打ってなかったっけ?』とか、『球の軌道はもっとこんな感じじゃなかったっけ?』というふうに、なんというか、いちいち気になっちゃうの。

現役の時のビデオなんてものもちょっとだけ動画で残ってたんで見てみたんですが、動きも振りも異常に速くて、なんなのこれ何の参考にもならんわという感じでして。。だって、そんな動き今絶対にできないもの。

というわけで嫁に、現役時代のぼくはどんな練習をしていたかねということを試しに聞いてみたのですが、『ミスした時に謎の奇声を発していたことだけは覚えているわ』ということでして、それこそなんの参考にもならんわ。なにそれどゆこと?

昔、卓球王国でのインタビュー記事で誰かが『私の課題は「変わり続けること」』と言っていたのを思い出したのですが、

まったくその通りだなと思いまして、それこそ歳をとった今だからこそ僕もプレースタイルくらい変えていかなきゃいけないんじゃないのかなと思ったわけです。

モリアンガと呼ばれていた昔みたいに、あんなにブンブン振れないよ、腕とれちゃうよと。

 

しかし、まあ、やっぱり忘れてしまうものなんですね。あれだけ徹底的に練習をして身体に覚えさせたつもりでも、少し離れると、その感覚もだんだん薄れていってしまうんだなと思いましたね。

今は人工知能みたいなものがものすごく発達して、それによっていろいろなものが変わっていくと言われていているけど、

機械だったら、一度覚えたものは忘れないんだろうな。

 

まあ、いやなことはすぐ忘れたいけど「よかったこと」は、忘れたくないよね。

まあまあ大事な話をします。

みなさん、最近いかがお過ごしでしょうか。コロナウイルスの影響で、いろいろな大会が無くなったり練習もできなかったりと、悶々としていた人は多いのではと思います。

かくいうぼくはも、毎年唯一出場する全国大会であるところのクラブ選手権が無くなったので、言ってしまえば今年の大きな目標的なものが消滅したんですね。

そんな感じで卓球に携われる機会が例年よりも少なくなってしまったので『じゃあもう今年は全日本でも見に行ってスカッとしようか!』なんて話を妻としたところ『でも観客席からコートはちょっと遠いから見えにくいんだよねー』という話の流れになりました。そしてこのタイミングで妻が、ドヤ顔でこう言いはなったんですね。

 

じゃーあれ持っていけばいいじゃん、顕微鏡。

 

これには開いた口がふさがらないレベルを超えたっていうか、もういよいよ意味がわからない。何を見に行くんだと。

微生物見に行くんじゃねえんだよと。エキサイティングな、卓球の、試合を見に行くんだろうがと、子供と2人で突っ込みました。

 

しかしそんなことはどうでもいいんです。

今日はまあまあ大事な話をします。
おそらく興味のない人にとってはもの凄く眠たくなる話になりますが、しかし、まだまだオレは強くなりたい、私はこんなものじゃないんだと心の底で思っている人達にとっては結構大事な話になるので、耳の穴かっぽじってよく聞け。

昔(1990年以降)から、様々な分野で天才と呼ばれる人たちを対象にした研究というのが、世界中の色々な大学でされていまして、何年か前からその研究結果がボチボチ出はじめてきています。

これは、各分野で大きな結果を出している人達に対して行われたもので、『彼らに共通している能力はあるのか、あるとしたらそれは何か』といった類のものです。

当時天才と呼ばれた人の追跡調査とかもしているので、研究期間としては結構長くて、開始から25年以上が経って、やっといろんな結果が報告されてきているわけです。

意外とこの分野、たくさんの大学がたくさんのお金をかけて研究をしているみたいなんですよね。

「天才達に共通した力は何か」これがわかれば、それを会得することで彼らに近づけるわけで、多くの国では自分たちの国や大学から優秀な人をたくさん輩出したいと思っていますから、こういう研究ってけっこう激しい予算がおちるみたいなんですよね。

 

でいきなり結論なんですけど、ほとんどの先進国の大学がこぞって研究を続けたのですが、一流と呼ばれる人達に『特殊な才能』は発見できなかったようです。『ええ~。。』ですよね。

生まれつき何かがあるはずだっていうバイアスがかかっている科学者が調べたんですけど、事前に思われていたような特殊な才能みたいなものが1個も出てこないんです。(ある群には出てくるものはあるんだけどその他の群には出てこなかったりして、全ての群に共通するものはないと。)

 

ただその代わり彼ら彼女らには、際立った「特徴」が出てきました。これはアスリート、音楽家、画家、学者、FBIやCIAのような機関の突出した人物に至るまで、あらゆる分野で共通する因数でした。その特徴は2つあります。

1つ目は時間です。そのことに取り組んだ総時間数ですね。対象のスポーツや音楽にどれだけの時間をつぎ込んだかです。

まあ、これに関しては巷でもよく言われていることなので、『まあそうだろうな』と思う人も多いと思います。

 

ただ2つ目はあまり聞きなれないものだと思います。(心理学の分野では昔から言われていたようですけど)

それは『そのうち、対象にどれだけ「1人で」打ち込んでいるか。』というものでした。この2つが世界中の大学で研究された結果でてきた、共通の因数です。

 

一番有名なところでいいですと、ヨーロッパの世界一と呼ばれるの音楽学校がありまして、そこの生徒たちを調べたものがあります。

ここの学校に入れば、間違いなく世界トップの仲間入りと認めらえるような、世界一の音楽学校。ここの生徒たちを学校内の成績順に最上位、中くらい、下位の3群に分けて色々と調査をしたものです。

まずは音楽に費やした総時間を比べてみると、3群とも基本的に音楽を始めた時期はほぼ一緒で、大体4歳~遅くても8歳くらいまでには音楽を始めていました。

プロになろうと決めた時期もほぼ一緒で、中学生(14歳)くらいにはプロになろう!と決めていたようです。

 

で、1週間の間に行っている練習時間についてはそこまで大きく変わらない。3群とも50時間以上の練習時間でした。

で、で、18歳までにその楽器に打ち込んだ総時間なんですが、ここで少し差が出てきます。1番上の群の人たちは7500時間くらいやっていたのに対して、2番目以降のグループの人たちは5000時間くらいしかやってなかったみたいです。まあ、それでも相当凄くねえかって話ですけど。

 

ただ決定的に違ったのは、「そのうち1人で練習を行ってる時間」の量でした。トップグループは一週間の練習のうちの半分くらい(20時間くらい)を、一人での練習に費やしている。

2番目以降のグループは週に10時間も行われておらず、殆どが誰かと一緒にやる練習で占められているそうです。

 

今のところ研究結果としてはこれくらいしかわかっていないんです。先進国といわれるほとんどの国の大学が何十億円とか使って行った研究なのに、ある意味最高につまらない結果しか出なかったんですね。

水谷君が「どうやったら全国でランクに入れますか」という質問に対して「誰よりも練習してください」といった回答をしているのを聞いて、「ですよね。」と思わずスマホに向かってはっきりと口に出して言ってしまいましたが、トップオブトップもそう言っているように、結論、やっぱここなんです。

そしてまあ、卓球の場合は全て1人ではできませんけど、たった一人で行うトレーニングなどは、孤独に耐えて超えていく力が無いといけません。

音楽学校の例でいうと、やっぱりグループレッスンとかだと雑談が入ったり何となくの時間が流れてしまったりするわけです。

これ、言うのは凄く簡単ですし、そもそもぼくなんかが言うのはちゃんちゃらおかしい話なんですが殆どの人はできないと思う。

こんな何千時間も一つの事に時間を使って、しかもそのうち多くの時間を独りぼっちでやるわけですから。だからこそ、殆どの人はそのトップのレベルまではいけないわけですが。

でも俺はトップオブトップにいきたいんだ、という人のために、何をどうしたらこういうこと↑ができるようになるんだという研究も並列で行われてはいるんですけど、ここについては話し始めたら夜が明けちゃうのでやめとくね。

 

「成功者は、凡人が寝ている間に必死に努力していただけである」という言葉もありますが、今日書きたかったのはこれです。

王者という存在は、誰も知らないところで必死にもがいていたりするんですね。いや、むしろ王者だからこそ、誰よりも必死に努力しているはずです。やっぱり、この点に例外はありません。

天才や王者になる器の人間というのは、努力を努力と思わず、 また自然と誰よりも頑張れるのです。

そら誰だってたまには家でポッキーポリポリしながらゴロゴロしてたいとか思うことはあると思いますけどね。

彼らが絶対に負けないという事実は、誰よりも正しく努力をしているという事実から生まれます。だから、どんな挑戦者が現れたところで、余裕なのです。

自分が誰よりも努力している自信があるから、悠然と構え、 受け、そして王者で居続けることができる。

この話を知って、自分ももうちょい頑張ろうということをあの燦々と輝く太陽に誓おうと思ったのですがあいにく夜だったので、家の近くでチカチカしていたその辺の街灯に誓っておきました。

センス

例えば卓球の指導者で、選手を見ればすぐに

「この子はここをこうすればもっと良くなる」

「この子はここをこう変えればずっと強くなる」

みたいな感じで、選手をパッと見ただけで、その人の課題やクセみたいなものをすぐに見抜いてしまう人っているじゃないですか。

 

ぼくは、何の苦もなくそういうことができてしまう人たちに

「何ですぐにわかっちゃうんですか?」

といったようなことを、幾度となく聞いたことがあります。

ただ意外にも、それに対する答えはどれもフワフワしていてよく分からないことが多いんですね。ほとんどの人が『だってわかるでしょ?』みたいなこと言う。いやわかんねーよっていう。

これはおそらくですが、その人が今まで経験してきたこと、そこで培われてきたであろう勘とかに支えられている感覚的なものだから、言葉で正確に、厳密に伝えるのは中々難しいことではあるんだろうなあとは思っているわけですが、それにしたってぼくには中々分からん感覚だなあと頭を抱えています。

経験を重ねればわかってくるもんなんでしょうかね、こういうの。

 

ぼくは、こういうことが一瞬にしてわかってしまう彼らは、常人は持っていないいわゆる「何かを嗅ぎ分けられる鼻」のようなものを持っているということなんだと思っています。

例えばドラゴンボールでいうところのスカウター的なもの。いや、スカウターは戦闘力だけしか分からんか。じゃスカウターを激しく超えた戦闘力以外のステータスも解るスカウター的なもの(能力)。

そういう力を持っているからこそ、その選手の苦手なところや得意なところ、どうすればもっと強くなって、逆にどう攻められると失点につながるのかみたいなものが、まるで嗅覚で感じられるように、感覚的につかみ取れてしまうんじゃないかということです。

だから、その人たちに『その匂いって、どうやったら嗅げるんですかね?』と聞いたところで、『え?だってそういう匂いするでしょ?』としか言えないのだと思います。

鼻、ついてるでしょ?嗅げば全然わかるでしょ? むしろその穴は飾りものですか?フシ穴なんですか?そういう感覚なんだと思います。

でもね、ぼくらみたいな一般の平々凡々の鼻しかもってない凡百な人間は、いくらクンクンクンクンしてもわからんわけですよ。

 

随分前に時吉と練習したときも、この「感覚」的なものについて打ちのめされたことがありました。

彼はぼくと練習するときに、やたらと横入れ(ネットの横からボールを入れるアレです)をバンバン決めてくるわけですが、ぼくはいくら挑戦しても全くと言っていいほどできないわけです。

だから「ねえ、なんでそんな簡単に横入れできるの?」と聞いてみたところ、彼は「むしろ何でできないの?」と逆に質問してきたのです。

だから!それを聞いてんだろうがよ!・・・っていう、まあ、それだけなんですけどネ。わかりますかね、このじれったい、というかもはや腹立たしささえ覚える、この感じ。誰に腹立ててるかという事でもないんですけど、強いて言うなら、世界に対して、ですかね。。

 

まあこういういわゆる「感覚的なも」というのは、本当にむずかしい。何って、体得するのも、それを誰かに伝えるのも。

『感覚をうつす(マネする)』作業というのは、ひたすら練習して研究して、考えてまた練習してということを繰り返すことでしか得られないんだと思っていますが

あまり力みすぎず、力をストーンって抜いた感じでやってみるといいかもしれません。

で、『あ、なんか掴めそうかも!』ってなってきたらそこで止めずに、一気にやり抜いてしまう。

それを繰り返していくと、少しずつではあるけども、自分がほしいと思っている感覚的なものが、ちょっとずつ身についてきますよきっと。

習慣

むかーし、アメリカのジョン・デューイっていう人が、こんなようなことを言ったそうです。

 

『習慣て、ほんまに大事なんやで。』

 

ああ、うんうん。それは、なんとなくわかる気がします。

 

だってほらさ、超ハードな練習とかトレーニングとかでも、

それが習慣になってしまえば最初はキツいかもしれないけど、

でもいい結果には限りなく近づけたりするわけで。

 

もちろん、ある一定以上(世界トップレベルとか)にいけるのは本当にごく一部の人達だけかもしれないけど

それでも、少なくとも『常人』ではないところまでは行けると思う。

 

まあ、『常人』と『そうでない人』の境界はこの際置いておいて。

 

前のブログにもちょっと書いたんですけどね、どうやら『天才』と呼ばれるような人達は

側から見たらちょっと頭おかしいレベルのハードな練習や習慣を、

日常的にこなしているそうです。

 

しかも、こういう人たちが日々やっている変態的な努力や習慣というのは、

不思議なことに周りからはあまり見えないようになっています。

 

これはあれですね、水面に浮かんでいる水鳥が、

水の下ではものすごい勢いで水をかいているやつ。

優雅に見えて、実は凄いことしている、あのパターンのやつ。

それでいて、『いやいや、そんな、ふつうですよ』的に謙虚にしてる、あのパターンのやつ。

 

きっと、年齢性別国籍関係なく日本や世界のトップを走っている選手(チーム)は、だいたいそうなんじゃないかなあと思ってます。

 

例えばですけど、ラグビーのオールブラックスの選手にグラウンドの四つ角に置かれたカラーコーンのまわりをランニングさせると、

走った後の足跡が、カラーコーンのかなーり外側にいっぱいついているそうです。

他の国のチームにやらせると、たまにカラーコーンの内側とかに足跡ができてたりする。

 

なんだかそういう習慣というか自己規律みたいなものが、トップ選手には高いレベルで備わっているんですよね。

 

たぶん、多くの人が気づいていると思いますが、一流と呼ばれる人達は『当たり前』の基準が、異常に高いです。

 

世の中で大きな結果を出している人は、アスリートであれビジネスマンであれクリエイターであれ、

自由そうに見えてこういう『自分に課しているもの』のレベルが、狂ってるんじゃないかしらと思うくらい高い。

 

ああそれともう一つですね、習慣といえば、知人から聞いた話にこんなのがありました。

その人はイタリア人のおじいちゃんと2人でディナーへ出かけたらしいのですが、

そのおじいちゃんがトイレの為に席を離れてからというものの、長時間のあいだ全く席に戻ってこなかったそうなのですね。

 

でさ、さすがにちょと心配になって後ろを振り返ってみところ、店にいた女の子全員を口説きながら戻ってきていたみたいで

そのせいで席に戻ってくるまでにあり得ないほどの時間がかかってたそうです。

 

彼は一応この件(ナンパしまくりの件)についておじいちゃんに尋ねてみたところ

イタリアの男性にとっては女性に声かけたり口説いたりするのは特別なことでもなんでもないということだったらしいです。

だから例え女の子に冷たくされても全く凹む事なくニコニコしながら帰ってくる。

 

まあ、ぼくみたいなチキン野郎にとっては知らない人にいきなり声をかけてニコニコワイワイおしゃべりするなんて、

この2階から飛び降りて尻で着地しろって言ってんのと同じことなんだけど。

 

そして冷たくなんてされようものなら脳髄が溶けて鼻から垂れそうになるくらいヘコむと思います。

その日、おじいちゃんはすっごい片言の日本語と、すっごいぎこちない英語と、ものっっすごい流暢なイタリア語で女の子を口説きまくってたそうです。

 

卓球でも、ちょっとしんどめのトレーニングや練習、ものすごい集中力の高い勉強とかを当たり前の習慣にできたとしたら

これはかなりの実力者になれそうな気がしますね。

 

ぼくなんかは年間で数えても、出場する試合はほんと数回しかないのですが

そういう習慣の積み重ねが、もしかしたら大事な試合の9-9の1本とかに出るかもしれないですし

毎日の『いい習慣』をつくって欠かさずこなすようにしてみようかななんて。

 

まあ、ここまで散々ズラズラ書いてきたんですけどね、最終的にはやっぱ思うの。

『毎日続けること』が、実は一番難しいんですよね。

わからないこと

小学校低学年だった頃、国語の時間にみんなの前で読み上げていた教科書の中で「困った様子」という文章があったのですが、これを全力で

 

「困ったざます」

 

と読んだことがある、森下です。

 

 

 

ずいぶん前になるけれど、卓球を教えていた小学生の男の子で、卓球の技術はもちろんトレーニング方法、

メンタルトレーニングのやり方や種類、卓球メーカーや日本卓球協会のこと、

オリンピックのことやらラケットやラバーの種類と特性などなど、やたらとマニアックな質問を結構な頻度でぼくにしてくる子がいました。

 

今まで彼にはずいぶん色々な質問をされましたけど、その中でぼくが最も困り果てた質問がこれです。

『チキータをとる時のラケット角度って何度ですか?』

 

知らんよ。

って素早く答えてました。思わず。

いえ、厳密に測ればもちろんラケット角度は導き出せたと思うのですが、それ相手の回転によらない?と思い敢えてその質問はスルーしました。

結局その子には質問の答えとして『ちゃんとチキータを取れるようになるまでいっぱい練習しようね』とマッスルな解決方法を提案しましたが、

『何かを疑問に思うこと』という事に関しては、最近すごく思うところがあるのであります。

 

それは、もしわからないことがあったとしても、『それはわからないままにしておいてもいいんじゃないかな。』ということは、意外とあるような気がするということです。

 

ほら、くまのプーさんやムーミンだって、大人が見ても結構難しいと思うところって、いっぱいあるじゃないですか。

 

ぼくは未だにプーさんがピグレットに『何をしているの?』と聞かれて、『何もしていないという事をしているんだ』と言っていたこの意味がよくわかりません。

でも、完ぺきに理解できないからこそ『なんかいいわぁ』『なんかおもしろいわぁ』となるのであって、知ることが全てではないような気もするんです。

 

技術的にさ、ドライブの打ち方がわからない、レシーブの仕方がわからない、サーブの出し方がわからない、飛びつき方がわからない、試合の勝ち方がわからないというのは、

結構多くの人が思ってることかもしれないと思うのですが、でもものすごく厳密に言えば

世界のトップ選手だって分からない部分は沢山あるんです。

 

ぼくだって『ねぇ今の打ち方でなんでミスるん?』と火垂るの墓の節子の口調で自分に質問していることなんてしょっちゅうですからね。

 

でもわからないから練習するし教えを請うし、上手い人の動画を見て勉強とかするんです。

『このチキータ激しく萌えますね。』

とか言いながら。

 

卓球はどんなにうまくなっても、できないことがたくさんある。分からないこともいっぱいある。

だから楽しいのですねぇ。きっと。

 

オーバーワークと過剰摂取

以前、ある場所に行く途中で道に迷ってしまったので、道行くお姉さんにiPhoneで地図を見せながら

『すみません、この場所に行きたいんですけども』

と道を訊いたところ

「あ、じゃあ、その地図を見ながら行ったら着きますよ」

って教えてくれました。悲しい。

 

さて、実はぼく、昔から観葉植物が大すきなのですね。

しかしなぜか、ぼくが植物を育てるとすぐにみんな枯れてしまうので、とても残念がっていたりしてました。

でも、妻はぼくとは正反対に植物を育てるのがとても上手で、みるみる新しい芽が出ては大きくなっていくものですから

それを横目で見ながら『なんでだろうなあ』っていつも首を傾げていたんですけど

こないだたまたま彼女が植物に水をあげているところを目撃する機会があったんです。

 

そうしたら、これはさすがに植物さん餓死するんじゃないですかねっていうくらい、本当にちょこっとしか水をあげてなかったんですよ。

 

それに比べてしまうと、僕なんかはまるで大洪水のように水をぶっかけてる状態で

そういえば枯れてしまった子達はみんな根腐れしてしまっていたなぁなんて事を思い出しまして

という事はすぐに枯れてしまうのは単純に水のあげすぎが原因だという事がわかりました。

 

食事でも水でも酸素でも、なんでも大量摂取しすぎると毒になるというのは聞いた事があります。
(もしかしたら練習もそうなのかもしれません)

なので、『大量摂取かあ。。そんな事をしたりさせたりする人はホントにいるんだろうか。全く残念極まりないわ。』

などと言ってはいたものの

 

ホントに残念なことしてた人が一番身近にいたことに、自分でもビックリですよね。

 

練習の場合だと、例えば怪我した時とか大変なスランプに陥った時は

変に意地になって膨大な練習を繰り返すとかじゃなくて、一度勇気を持って少しだけ休んでみた方がいいというのが、ぼくが思うところであります。

じゃないと、もっと怖くなることがあるから。

なので、そういうときは無理に練習をせずにほんの少しでいいから休むことを、やっぱりだいじにしてほしいです。

 

どんな練習をいつ、どれくらいするのか。どんなものをどれくらい食べて身体をどんな状態にしておくのか。

トレーニングはいつどんなものをして、それは身体にどんな変化が出るまで続けるのか。その状態を維持する為にはどんなことをどれくらいしていけばいいのか。

試合前はどんな事を考えてどんなアップをどのタイミングでして、心拍数はどれくらい上げておけばいいのか。

そんなように考えることはいっぱいあるけど、過剰になりすぎず手を抜きすぎず、

先人に聞いたり自分自身の身体に聞いたりしながら、一番いい量と質をしていくことが、やっぱり理想なんだと思うのであります。

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