年別アーカイブ: 2021

残念です。

10月に開催予定だったクラブ選手権が中止になってしまいましたね。

いやー、少し前までそのクラブ選手権に向けてボチボチ練習をしていたのですが、無念です、、。

さてさて、実はその練習をしていた時にほぼ毎回のように感じていたことがありまして、
なんならそれはボクにとっての結構な悩みの種になっていたことでもあったのですが、この悩みは当然ながら、まだ解決していません。

それは何かというと、『身体が思うように動かなくなってきた。』ということなんですね。

『あーはいはい、あるあるーわかるー』って軽く反応する人もいると思うんですが、何というか、これがもうビックリするくらい動かないんです。

『自分が打ったボールが返ってくるまでに戻ることができずに返ってきた球が自分の身体に当たる。』

という現象も頻発するぐらいで、この現象に初めて遭遇した時、ぼくは自分の目を疑いました。

いや、目だけじゃない、ぼくは世界の全てを疑いました。すべて狐に包まれたような顔で、目をこすりながら

『んんんんんん???』

ですよ。

自分で言うのもどうなのかなとは思うんですが、ぼくが打つ球って結構速いので、返ってくるスピードも半端ないんですね。だからもう全然間に合わない。

打った瞬間にもうボールが目の前に来てるもんだから、ひーって言って、ひき殺されたサルみたいな声を発して痙攣のような動きをしてテンパるしかないんですね。

 

これにはさすがのボクも悩みまして、この動きの遅さは筋力の衰えによるものか、関節が硬くなってきたからか、勘のようなものが衰えているからなのか、それとも単純に技術的なものなのか、来る日も来る日も悶々と考え続けました。

しかし遂にわからず、とりあえず時吉にも相談しながら更に考えた結果、結局原因は上に書いたもの

全部

という結論に至りました。

 

これはもうしょうがないと。関節は硬くなるし反射神経だって年々遅くなるんだから、それに合わせてプレーも変えなきゃいけないねと。
(じゃあボル様とかどうなってんの?って話なんですが。)

というわけで、まずは用具やら台からの距離やら色々なことを変えていきたいと思います、、

 

こんな悩みを持ちながら日々悶々としていたわけですが、先日水泳をやっているとある50代の方とお話しする機会がありました。

聞くと彼は『僕は80歳でマスターズの世界記録を出したいんだ』と言っていました。もう本当にすごいなと。涙が出ますよ。

まだ30代で『体が動かんわ』とかいって死んだ魚みたいな目になっているなんて、ちゃんちゃらおかしいわと。

妻にはこの人の話をした後に、『ぼくは80歳で世界チャンピオンになるよ』と笑い混じりでいってみたところ

『そうね。期待してるわ。』

と軽く返されたわけですが、いくつになって目標をもって挑戦する姿勢は、失いたくないものですね。

感動してしまいました

オリンピックが終わりましたね。卓球競技は男女シングルス、ミックス、団体と素晴らしいプレーが満載でしたが、とりわけ水谷選手と伊藤選手のミックス金メダルは、本当に感動しましたね。もしかしたら、この試合で涙を流した人もいるんじゃないかと思います。

かくいうぼくもうるうるしてしまいました。
中国を倒して日本のペアが世界の頂点に立ったということがどれだけのことか。これまでの全ての苦悩、葛藤、努力、それらが報われたんだと隣にいる妻に散々説いたリアクションは、

 

「そうね。」

 

のたった3文字でしたが、それでも珍しく妻も感動していました。
今回のオリンピックは地元開催、卓球競技での金メダル獲得もろもろ、色んな意味で特別なオリンピックになった気がします。

 

さてぼくはというと、今回はじめてオリンピックの事前合宿にて、大会に出場する選手と練習させて頂く経験をさせて頂きました。

地元の千葉県流山市がオランダのホストタウンということで、オリンピック卓球競技の事前合宿の地になったわけですね。

そこで、流山市から「事前合宿での練習相手しゃす。」と依頼があり、女子オランダ代表のエーラントさんの練習相手を、少しですがする経験をさせて頂きました。

 

最初お会いした日(日本に到着した日)、エーラントさんは長旅の疲れもある中なのにすごくニコニコしながら挨拶をしてくれまして、「あらなんて素敵な方なのかしら。」と思い、ご挨拶はじめコミュニケーションをとらせて頂きました。

ただ、ぼく自身がビックリするくらい英語が喋れなくて、頬を染めながらしどろもどろになり、すっごいカタコトの英語とものすごい流暢な日本語とジェスチャー、そして優しい通訳さんの配慮でどうにかこうにかコミュニケーションをとったわけです。

まあそれより何より、一緒に来ていたスキンヘッドのコーチが190センチ100キロくらいあるような方で、その人の存在にとりあえずビビりました。(話してみると冗談好きで優しい方でしたけど、最初「あれ?卓球のコーチの人じゃないですよね、会場間違えてません?」って思いましたよね。)

 

さて、肝心な練習の方はというと、最初は緊張のあまりやけに力も入っている状態で、それに加えて体育館の温度も湿度も結構高くてもう酸欠で死にかけました。

しかし、ここで倒れたりしんどそうなそぶりでも見せたらそれこそスキンヘッドのコーチにぶっ飛ばされて首がもげるぞと自分に言い聞かせながら(ウソです)、なんとか全力でやり切らせて頂きました。

もうきっとこういう機会も無いと思います。地元開催で、選手の練習相手できるなんてさ、多分ないでしょう、もう。ほんとうに筆舌にしがたい経験でした。

 

今回のオリンピックは事前合宿から(もっと言えば海外の選手は日本の空港に到着した時から)、いろんな制約がある中でのTOKYOの日々だったかと思います。

「自分の人生をかけて挑むものがある」ということがどういうことか、それがどれだけのことか、この経験を通して改めて考えさせてもらえました。

オリンピックに関わった全ての皆さん、お疲れ様でした!
よし、こっからはパラリンピックだ!