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エスプレッソと卓球

こないだ妻とカフェにいきまして、ぼくは先に注文して席についていたのですが

席で待っていたところ、ちょっとあとから妻が身体を上下にくねくねさせて爆笑しながらこっちにむかって歩いてきたんです。

 

正直その姿がホントに気持ち悪くて若干引いちゃったのですが、まずは、まずはね、彼女が席に座って落ち着いて、ちゃんと話ができそうになるまで待ってたんですのよ。そしたら

『ねえ、見て?』

って笑いながら持ってるカップの中身を見せてくれたんです。

そしたら普通の大きさのカップに対して中身が

 

これだけしか入ってなかったんですけど、それをぼくに見せながら

『こんなことって、ある?』

って、ゲラゲラ笑いなから言うんですよ。

 

どうやら、彼女はエスプレッソを頼んだみたいなんですが、この姿のエスプレッソは今まで見たことがなかったらしく、やたらツボってたんですね。

たまにあるじゃないですか、この『ギューって凝縮されてる苦いエスプレッソ』。

 

きっとコンビニとかによくある、あのカップのエスプレッソを想像して頼んだんだろうなあ。

それなのに、注文したらあんな姿のものが出てきちゃったもんだからおかしくなっちゃったんだろうなあ。

 

まあ、でもほら、見た目はこんなだけど美味しいかどうかは飲んでみなけりゃわからないじゃないかと。もしかしたらすごくおいしいかもしれないじゃないかと。妻はそう思ってそれを一口ごくりと飲んでみたところ、すごい顔をしながら

『にっが。』

って呟いていました。

 

結局彼女はそのあとそのエスプレッソを店員さんに持っていって

『これにお湯、入れてくれませんか。』

ってお願いしてたんですが、そのとてつもなく苦い液体にお湯を加えて薄めた飲みものは、普通に美味しかったみたいです。

ぼくもそれを飲んでみたんですが、普通に美味しかったです。
というか普通のコーヒーでした。

 

彼女はきちんとした(失礼)カフェでエスプレッソを頼んだのは初めてだったらしいのですが、こういう姿のエスプレッソがあるということを、今回頼んでみて初めて知ったんだそうです。

で、これって卓球もそうだなって思ったんです。

 

 

かつて荻村伊智朗さんはこんなことを言っていたそうですよ。

『たとえその技術や戦術自体を人に教えることができたとしても、それを使う人の気持ちまでを理解できる人は少ない。』

 

例えば9-9でフォアにロングサーブを出せばいいとわかってはいても、それを出すのがどれだけ怖いか。

団体戦のラスト、セットオール10-10のレシーブをフリックすればいいとわかってはいても、それをするのがどれだけ勇気のいることか。

いくら中国代表の球質が異常だと聞いていても、どれくらい異次元なボールなのか。

それらは、やっぱり実際に経験したことのある人じゃないとわからないわけです。

 

世界のトップにながいこと君臨し続けている、あの水谷くんでさえ『国際大会初出場』という時代があったんだろうし、

そしてそういう『はじめての経験』から失敗やら痛いことやら、もちろんうまくいったことやらもろもろを重ねてようやく今あの場所に立っているのだと思います。

その1つ1つの経験が、失敗と成功が、悩みや葛藤が、苦悩や努力の全てが、エスプレッソみたいに濃く凝縮されて彼の強さをささえ、彼に結果をもたらしいているのではないだろうかと。

 

そんなことをあの日、苦いコーヒーを飲みながら考えていたんです。

 

・・・だんだん何書いてるかわかんなくなってきました。

 

どうやらだいぶ疲れがたまっているようですね。