小学校低学年だった頃、国語の時間にみんなの前で読み上げていた教科書の中で「困った様子」という文章があったのですが、これを全力で
「困ったざます」
と読んだことがある、森下です。
ずいぶん前になるけれど、卓球を教えていた小学生の男の子で、卓球の技術はもちろんトレーニング方法、
メンタルトレーニングのやり方や種類、卓球メーカーや日本卓球協会のこと、
オリンピックのことやらラケットやラバーの種類と特性などなど、やたらとマニアックな質問を結構な頻度でぼくにしてくる子がいました。
今まで彼にはずいぶん色々な質問をされましたけど、その中でぼくが最も困り果てた質問がこれです。
『チキータをとる時のラケット角度って何度ですか?』
知らんよ。
って素早く答えてました。思わず。
いえ、厳密に測ればもちろんラケット角度は導き出せたと思うのですが、それ相手の回転によらない?と思い敢えてその質問はスルーしました。
結局その子には質問の答えとして『ちゃんとチキータを取れるようになるまでいっぱい練習しようね』とマッスルな解決方法を提案しましたが、
『何かを疑問に思うこと』という事に関しては、最近すごく思うところがあるのであります。
それは、もしわからないことがあったとしても、『それはわからないままにしておいてもいいんじゃないかな。』ということは、意外とあるような気がするということです。
ほら、くまのプーさんやムーミンだって、大人が見ても結構難しいと思うところって、いっぱいあるじゃないですか。
ぼくは未だにプーさんがピグレットに『何をしているの?』と聞かれて、『何もしていないという事をしているんだ』と言っていたこの意味がよくわかりません。
でも、完ぺきに理解できないからこそ『なんかいいわぁ』『なんかおもしろいわぁ』となるのであって、知ることが全てではないような気もするんです。
技術的にさ、ドライブの打ち方がわからない、レシーブの仕方がわからない、サーブの出し方がわからない、飛びつき方がわからない、試合の勝ち方がわからないというのは、
結構多くの人が思ってることかもしれないと思うのですが、でもものすごく厳密に言えば
世界のトップ選手だって分からない部分は沢山あるんです。
ぼくだって『ねぇ今の打ち方でなんでミスるん?』と火垂るの墓の節子の口調で自分に質問していることなんてしょっちゅうですからね。
でもわからないから練習するし教えを請うし、上手い人の動画を見て勉強とかするんです。
『このチキータ激しく萌えますね。』
とか言いながら。
卓球はどんなにうまくなっても、できないことがたくさんある。分からないこともいっぱいある。
だから楽しいのですねぇ。きっと。