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卓球と恋愛

今日もまたすこし、暗殺者のような目をしたSくんの話をしますね。(前回のSくんのお話)

元々怠惰の日本代表みたいな生き方をしていた彼ですが、卓球に目覚めてからというものの、生活習慣や身体つきがみるみる変わっていきました。(前回の彼のお話)

ただ、彼曰く生活習慣や身体つきが変わっていったことなんていうのはもはやどうでもいいことらしく、逆に彼にとって最も大きく重要な変化は何だったのかと聞かれれば、それは何と言ってもやはり、彼に彼女ができた事らしいんですね。

卓球をすごく頑張りはじめてから、不思議と色々なことがうまくいくようになったという話はちょこちょこ聞かされていましたが、まさか彼女ができるなんて思ってもいませんでした。

ぼくは、昔彼がその意中の相手に猛烈なアプローチをしていた時期を知っているのですが、この時は本当にかわいそうになるくらい相手にされていませんでした。

↑これはSくん本人も言っていたくらいなのですが、当の本人は相手にされていないことなんて全く気にしている様子もなく、『ストーカーストーカーって言うけどね、落としてしまえばスナイパーだから。

と、うまいんだかうまくないんだかよく分からないことをドヤ顔で言い張っていました。
しかもそう話す彼のテンションの高さが尋常じゃないんです。バカなのかな?って思ってました。

ぼくは彼のそんな時期を知っているからこそ、その意中の相手と付き合う事になったという報告を受けた時、驚きのあまり目玉が飛び出て顎が外れて地面につきそうになるくらいの衝撃を受けました。

 

彼は卓球を頑張りだして、ランニングまではじめましたから体型も変わり、ほぼ毎日練習も頑張ってました。

そんな彼を見て、『まあいいかもな』って思っちゃったんですかね。

まああの、その彼女の気持ちも分からなくはないのです。
何かを頑張ってる人って、なんかかっこよく見えません?(ぼくだけですかね)

 

少し前に卓球選手からボディメイクのトレーナーになることに挑戦した子がいましたが、その人は非常に頑張っていました。

それを見て、ぼくは口にこそ出しませんでしたが心の中で『素敵(ハート)』と連日密かに連呼していました。

何かに挑戦している人は、美しいと思います。
自分も、そうあり続けたいものです。

 

そして今のSくんはというと、『今は卓球に片思いしている』ということらしいです。

そして、全然振り向いてくれる気がしない(うまくなれる気がしない)とのことです。

まあ、振り向いてくれるからどうかはやってみないとわからないし、やるだけやってみなよ、と。

そんな言葉をたまーにかけてあげながら、彼を見守っています。

激変した男

少し前に、暗殺者のような目をしているSくんという友達から

『どうやら最近テイラースウィフトが俺に惚れてるっぽくてウザい。』

という旨のLINEが送られてきた事がありました。

彼は都内に住んでいる普通のサラリーマンで、もちろんテイラーが彼のことを知っているわけはなく、そもそも彼から来るこの手のメールは『暇だよ。かまっておくれよ。』という旨のメッセージなんですね。

しかもLINEが送られてきたのは日付がそろそろ変わろうとしているような時刻だったので、もうなんなのという感じと、何かあったのかなという感じと、色々思いめぐらせながら結局かれこれ30分くらいやりとりしてしまいました。笑

そもそもSくんという人は、もともとは怠惰の日本代表みたいな人で、辞書で『怠惰』という意味を調べたら 『まるでSのようなさまであること』という一文が出てきてもおかしくないくらい、何に対しても後ろ向きでダラダラしている人でした。

もし仮にテイラーがその頃の彼の自堕落な生活を見ていたら、Sくんなんてきっと人として見てもらえなかったと思います。

ハッキリ言ってそれくらい終わっていました。
常々、ぼくは彼に半分冗談半分本気で『なんかやった方がいいんじゃない?あとご飯くらいちゃんと食べた方がいいよ。脳みそ腐ってんじゃないの?』
とお節介を焼いていたのですが、久しぶりにやった卓球が楽しすぎたようで、今では生活習慣を改め、筋トレやランニングを始め、鬼のように練習をしはじめたそうです。もちろん試合に勝つために、です。

最初、その変容っぷりに周りからはかなり気持ち悪がられたようですが、今ではこちらが感心するくらい張り切って卓球に取り組んでいます。

 

がんばるとか、諦めないとか、やり切るとか、そういうのって教えられるものじゃないんですね、自分で作っていかないといけないんだと思いました。

あとそれを継続していくこともまた、教えてなんとかできるものでもないんでしょうねきっと。

だっておれ、あれだけ言ってたのに、全部無視だったもの。笑
人間変わるもんだなぁと、しみじみ思う今日この頃なのであります。

 

もしも、テイラーが今の彼を見たら、

『あなたは、ちゃんと人よ。』

と言ってくれると思います。何かを始めるのに、遅いなんてことはないのかもしれませんね。

 

完全に忘れました。

小学校のとき、国語の授業中にみんなの前で「困った様子」を

 

「こまったざます」

 

と読んだことがある、森下です。

最近、のっぴきならないレベルの悩みがありまして、何かというと、どうやらぼく、自分の卓球を完全に忘れてしまったようなんですね。

以前嫁と少しだけ卓球をした時にふと思ったのですが、『ツッツキに対して』、とか、『ドライブされたものに対して』、とか、そういう細かいところの対処の仕方が全くわからないんです。

むかし自分がどんなプレーをしていたのかというのも、引退してから8年(?)くらい経ってますから思い出せず、『あれ、こういうボール、もっと強く打ってなかったっけ?』とか、『球の軌道はもっとこんな感じじゃなかったっけ?』というふうに、なんというか、いちいち気になっちゃうの。

現役の時のビデオなんてものもちょっとだけ動画で残ってたんで見てみたんですが、動きも振りも異常に速くて、なんなのこれ何の参考にもならんわという感じでして。。だって、そんな動き今絶対にできないもの。

というわけで嫁に、現役時代のぼくはどんな練習をしていたかねということを試しに聞いてみたのですが、『ミスした時に謎の奇声を発していたことだけは覚えているわ』ということでして、それこそなんの参考にもならんわ。なにそれどゆこと?

昔、卓球王国でのインタビュー記事で誰かが『私の課題は「変わり続けること」』と言っていたのを思い出したのですが、

まったくその通りだなと思いまして、それこそ歳をとった今だからこそ僕もプレースタイルくらい変えていかなきゃいけないんじゃないのかなと思ったわけです。

モリアンガと呼ばれていた昔みたいに、あんなにブンブン振れないよ、腕とれちゃうよと。

 

しかし、まあ、やっぱり忘れてしまうものなんですね。あれだけ徹底的に練習をして身体に覚えさせたつもりでも、少し離れると、その感覚もだんだん薄れていってしまうんだなと思いましたね。

今は人工知能みたいなものがものすごく発達して、それによっていろいろなものが変わっていくと言われていているけど、

機械だったら、一度覚えたものは忘れないんだろうな。

 

まあ、いやなことはすぐ忘れたいけど「よかったこと」は、忘れたくないよね。

まあまあ大事な話をします。

みなさん、最近いかがお過ごしでしょうか。コロナウイルスの影響で、いろいろな大会が無くなったり練習もできなかったりと、悶々としていた人は多いのではと思います。

かくいうぼくはも、毎年唯一出場する全国大会であるところのクラブ選手権が無くなったので、言ってしまえば今年の大きな目標的なものが消滅したんですね。

そんな感じで卓球に携われる機会が例年よりも少なくなってしまったので『じゃあもう今年は全日本でも見に行ってスカッとしようか!』なんて話を妻としたところ『でも観客席からコートはちょっと遠いから見えにくいんだよねー』という話の流れになりました。そしてこのタイミングで妻が、ドヤ顔でこう言いはなったんですね。

 

じゃーあれ持っていけばいいじゃん、顕微鏡。

 

これには開いた口がふさがらないレベルを超えたっていうか、もういよいよ意味がわからない。何を見に行くんだと。

微生物見に行くんじゃねえんだよと。エキサイティングな、卓球の、試合を見に行くんだろうがと、子供と2人で突っ込みました。

 

しかしそんなことはどうでもいいんです。

今日はまあまあ大事な話をします。
おそらく興味のない人にとってはもの凄く眠たくなる話になりますが、しかし、まだまだオレは強くなりたい、私はこんなものじゃないんだと心の底で思っている人達にとっては結構大事な話になるので、耳の穴かっぽじってよく聞け。

昔(1990年以降)から、様々な分野で天才と呼ばれる人たちを対象にした研究というのが、世界中の色々な大学でされていまして、何年か前からその研究結果がボチボチ出はじめてきています。

これは、各分野で大きな結果を出している人達に対して行われたもので、『彼らに共通している能力はあるのか、あるとしたらそれは何か』といった類のものです。

当時天才と呼ばれた人の追跡調査とかもしているので、研究期間としては結構長くて、開始から25年以上が経って、やっといろんな結果が報告されてきているわけです。

意外とこの分野、たくさんの大学がたくさんのお金をかけて研究をしているみたいなんですよね。

「天才達に共通した力は何か」これがわかれば、それを会得することで彼らに近づけるわけで、多くの国では自分たちの国や大学から優秀な人をたくさん輩出したいと思っていますから、こういう研究ってけっこう激しい予算がおちるみたいなんですよね。

 

でいきなり結論なんですけど、ほとんどの先進国の大学がこぞって研究を続けたのですが、一流と呼ばれる人達に『特殊な才能』は発見できなかったようです。『ええ~。。』ですよね。

生まれつき何かがあるはずだっていうバイアスがかかっている科学者が調べたんですけど、事前に思われていたような特殊な才能みたいなものが1個も出てこないんです。(ある群には出てくるものはあるんだけどその他の群には出てこなかったりして、全ての群に共通するものはないと。)

 

ただその代わり彼ら彼女らには、際立った「特徴」が出てきました。これはアスリート、音楽家、画家、学者、FBIやCIAのような機関の突出した人物に至るまで、あらゆる分野で共通する因数でした。その特徴は2つあります。

1つ目は時間です。そのことに取り組んだ総時間数ですね。対象のスポーツや音楽にどれだけの時間をつぎ込んだかです。

まあ、これに関しては巷でもよく言われていることなので、『まあそうだろうな』と思う人も多いと思います。

 

ただ2つ目はあまり聞きなれないものだと思います。(心理学の分野では昔から言われていたようですけど)

それは『そのうち、対象にどれだけ「1人で」打ち込んでいるか。』というものでした。この2つが世界中の大学で研究された結果でてきた、共通の因数です。

 

一番有名なところでいいですと、ヨーロッパの世界一と呼ばれるの音楽学校がありまして、そこの生徒たちを調べたものがあります。

ここの学校に入れば、間違いなく世界トップの仲間入りと認めらえるような、世界一の音楽学校。ここの生徒たちを学校内の成績順に最上位、中くらい、下位の3群に分けて色々と調査をしたものです。

まずは音楽に費やした総時間を比べてみると、3群とも基本的に音楽を始めた時期はほぼ一緒で、大体4歳~遅くても8歳くらいまでには音楽を始めていました。

プロになろうと決めた時期もほぼ一緒で、中学生(14歳)くらいにはプロになろう!と決めていたようです。

 

で、1週間の間に行っている練習時間についてはそこまで大きく変わらない。3群とも50時間以上の練習時間でした。

で、で、18歳までにその楽器に打ち込んだ総時間なんですが、ここで少し差が出てきます。1番上の群の人たちは7500時間くらいやっていたのに対して、2番目以降のグループの人たちは5000時間くらいしかやってなかったみたいです。まあ、それでも相当凄くねえかって話ですけど。

 

ただ決定的に違ったのは、「そのうち1人で練習を行ってる時間」の量でした。トップグループは一週間の練習のうちの半分くらい(20時間くらい)を、一人での練習に費やしている。

2番目以降のグループは週に10時間も行われておらず、殆どが誰かと一緒にやる練習で占められているそうです。

 

今のところ研究結果としてはこれくらいしかわかっていないんです。先進国といわれるほとんどの国の大学が何十億円とか使って行った研究なのに、ある意味最高につまらない結果しか出なかったんですね。

水谷君が「どうやったら全国でランクに入れますか」という質問に対して「誰よりも練習してください」といった回答をしているのを聞いて、「ですよね。」と思わずスマホに向かってはっきりと口に出して言ってしまいましたが、トップオブトップもそう言っているように、結論、やっぱここなんです。

そしてまあ、卓球の場合は全て1人ではできませんけど、たった一人で行うトレーニングなどは、孤独に耐えて超えていく力が無いといけません。

音楽学校の例でいうと、やっぱりグループレッスンとかだと雑談が入ったり何となくの時間が流れてしまったりするわけです。

これ、言うのは凄く簡単ですし、そもそもぼくなんかが言うのはちゃんちゃらおかしい話なんですが殆どの人はできないと思う。

こんな何千時間も一つの事に時間を使って、しかもそのうち多くの時間を独りぼっちでやるわけですから。だからこそ、殆どの人はそのトップのレベルまではいけないわけですが。

でも俺はトップオブトップにいきたいんだ、という人のために、何をどうしたらこういうこと↑ができるようになるんだという研究も並列で行われてはいるんですけど、ここについては話し始めたら夜が明けちゃうのでやめとくね。

 

「成功者は、凡人が寝ている間に必死に努力していただけである」という言葉もありますが、今日書きたかったのはこれです。

王者という存在は、誰も知らないところで必死にもがいていたりするんですね。いや、むしろ王者だからこそ、誰よりも必死に努力しているはずです。やっぱり、この点に例外はありません。

天才や王者になる器の人間というのは、努力を努力と思わず、 また自然と誰よりも頑張れるのです。

そら誰だってたまには家でポッキーポリポリしながらゴロゴロしてたいとか思うことはあると思いますけどね。

彼らが絶対に負けないという事実は、誰よりも正しく努力をしているという事実から生まれます。だから、どんな挑戦者が現れたところで、余裕なのです。

自分が誰よりも努力している自信があるから、悠然と構え、 受け、そして王者で居続けることができる。

この話を知って、自分ももうちょい頑張ろうということをあの燦々と輝く太陽に誓おうと思ったのですがあいにく夜だったので、家の近くでチカチカしていたその辺の街灯に誓っておきました。

センス

例えば卓球の指導者で、選手を見ればすぐに

「この子はここをこうすればもっと良くなる」

「この子はここをこう変えればずっと強くなる」

みたいな感じで、選手をパッと見ただけで、その人の課題やクセみたいなものをすぐに見抜いてしまう人っているじゃないですか。

 

ぼくは、何の苦もなくそういうことができてしまう人たちに

「何ですぐにわかっちゃうんですか?」

といったようなことを、幾度となく聞いたことがあります。

ただ意外にも、それに対する答えはどれもフワフワしていてよく分からないことが多いんですね。ほとんどの人が『だってわかるでしょ?』みたいなこと言う。いやわかんねーよっていう。

これはおそらくですが、その人が今まで経験してきたこと、そこで培われてきたであろう勘とかに支えられている感覚的なものだから、言葉で正確に、厳密に伝えるのは中々難しいことではあるんだろうなあとは思っているわけですが、それにしたってぼくには中々分からん感覚だなあと頭を抱えています。

経験を重ねればわかってくるもんなんでしょうかね、こういうの。

 

ぼくは、こういうことが一瞬にしてわかってしまう彼らは、常人は持っていないいわゆる「何かを嗅ぎ分けられる鼻」のようなものを持っているということなんだと思っています。

例えばドラゴンボールでいうところのスカウター的なもの。いや、スカウターは戦闘力だけしか分からんか。じゃスカウターを激しく超えた戦闘力以外のステータスも解るスカウター的なもの(能力)。

そういう力を持っているからこそ、その選手の苦手なところや得意なところ、どうすればもっと強くなって、逆にどう攻められると失点につながるのかみたいなものが、まるで嗅覚で感じられるように、感覚的につかみ取れてしまうんじゃないかということです。

だから、その人たちに『その匂いって、どうやったら嗅げるんですかね?』と聞いたところで、『え?だってそういう匂いするでしょ?』としか言えないのだと思います。

鼻、ついてるでしょ?嗅げば全然わかるでしょ? むしろその穴は飾りものですか?フシ穴なんですか?そういう感覚なんだと思います。

でもね、ぼくらみたいな一般の平々凡々の鼻しかもってない凡百な人間は、いくらクンクンクンクンしてもわからんわけですよ。

 

随分前に時吉と練習したときも、この「感覚」的なものについて打ちのめされたことがありました。

彼はぼくと練習するときに、やたらと横入れ(ネットの横からボールを入れるアレです)をバンバン決めてくるわけですが、ぼくはいくら挑戦しても全くと言っていいほどできないわけです。

だから「ねえ、なんでそんな簡単に横入れできるの?」と聞いてみたところ、彼は「むしろ何でできないの?」と逆に質問してきたのです。

だから!それを聞いてんだろうがよ!・・・っていう、まあ、それだけなんですけどネ。わかりますかね、このじれったい、というかもはや腹立たしささえ覚える、この感じ。誰に腹立ててるかという事でもないんですけど、強いて言うなら、世界に対して、ですかね。。

 

まあこういういわゆる「感覚的なも」というのは、本当にむずかしい。何って、体得するのも、それを誰かに伝えるのも。

『感覚をうつす(マネする)』作業というのは、ひたすら練習して研究して、考えてまた練習してということを繰り返すことでしか得られないんだと思っていますが

あまり力みすぎず、力をストーンって抜いた感じでやってみるといいかもしれません。

で、『あ、なんか掴めそうかも!』ってなってきたらそこで止めずに、一気にやり抜いてしまう。

それを繰り返していくと、少しずつではあるけども、自分がほしいと思っている感覚的なものが、ちょっとずつ身についてきますよきっと。

習慣

むかーし、アメリカのジョン・デューイっていう人が、こんなようなことを言ったそうです。

 

『習慣て、ほんまに大事なんやで。』

 

ああ、うんうん。それは、なんとなくわかる気がします。

 

だってほらさ、超ハードな練習とかトレーニングとかでも、

それが習慣になってしまえば最初はキツいかもしれないけど、

でもいい結果には限りなく近づけたりするわけで。

 

もちろん、ある一定以上(世界トップレベルとか)にいけるのは本当にごく一部の人達だけかもしれないけど

それでも、少なくとも『常人』ではないところまでは行けると思う。

 

まあ、『常人』と『そうでない人』の境界はこの際置いておいて。

 

前のブログにもちょっと書いたんですけどね、どうやら『天才』と呼ばれるような人達は

側から見たらちょっと頭おかしいレベルのハードな練習や習慣を、

日常的にこなしているそうです。

 

しかも、こういう人たちが日々やっている変態的な努力や習慣というのは、

不思議なことに周りからはあまり見えないようになっています。

 

これはあれですね、水面に浮かんでいる水鳥が、

水の下ではものすごい勢いで水をかいているやつ。

優雅に見えて、実は凄いことしている、あのパターンのやつ。

それでいて、『いやいや、そんな、ふつうですよ』的に謙虚にしてる、あのパターンのやつ。

 

きっと、年齢性別国籍関係なく日本や世界のトップを走っている選手(チーム)は、だいたいそうなんじゃないかなあと思ってます。

 

例えばですけど、ラグビーのオールブラックスの選手にグラウンドの四つ角に置かれたカラーコーンのまわりをランニングさせると、

走った後の足跡が、カラーコーンのかなーり外側にいっぱいついているそうです。

他の国のチームにやらせると、たまにカラーコーンの内側とかに足跡ができてたりする。

 

なんだかそういう習慣というか自己規律みたいなものが、トップ選手には高いレベルで備わっているんですよね。

 

たぶん、多くの人が気づいていると思いますが、一流と呼ばれる人達は『当たり前』の基準が、異常に高いです。

 

世の中で大きな結果を出している人は、アスリートであれビジネスマンであれクリエイターであれ、

自由そうに見えてこういう『自分に課しているもの』のレベルが、狂ってるんじゃないかしらと思うくらい高い。

 

ああそれともう一つですね、習慣といえば、知人から聞いた話にこんなのがありました。

その人はイタリア人のおじいちゃんと2人でディナーへ出かけたらしいのですが、

そのおじいちゃんがトイレの為に席を離れてからというものの、長時間のあいだ全く席に戻ってこなかったそうなのですね。

 

でさ、さすがにちょと心配になって後ろを振り返ってみところ、店にいた女の子全員を口説きながら戻ってきていたみたいで

そのせいで席に戻ってくるまでにあり得ないほどの時間がかかってたそうです。

 

彼は一応この件(ナンパしまくりの件)についておじいちゃんに尋ねてみたところ

イタリアの男性にとっては女性に声かけたり口説いたりするのは特別なことでもなんでもないということだったらしいです。

だから例え女の子に冷たくされても全く凹む事なくニコニコしながら帰ってくる。

 

まあ、ぼくみたいなチキン野郎にとっては知らない人にいきなり声をかけてニコニコワイワイおしゃべりするなんて、

この2階から飛び降りて尻で着地しろって言ってんのと同じことなんだけど。

 

そして冷たくなんてされようものなら脳髄が溶けて鼻から垂れそうになるくらいヘコむと思います。

その日、おじいちゃんはすっごい片言の日本語と、すっごいぎこちない英語と、ものっっすごい流暢なイタリア語で女の子を口説きまくってたそうです。

 

卓球でも、ちょっとしんどめのトレーニングや練習、ものすごい集中力の高い勉強とかを当たり前の習慣にできたとしたら

これはかなりの実力者になれそうな気がしますね。

 

ぼくなんかは年間で数えても、出場する試合はほんと数回しかないのですが

そういう習慣の積み重ねが、もしかしたら大事な試合の9-9の1本とかに出るかもしれないですし

毎日の『いい習慣』をつくって欠かさずこなすようにしてみようかななんて。

 

まあ、ここまで散々ズラズラ書いてきたんですけどね、最終的にはやっぱ思うの。

『毎日続けること』が、実は一番難しいんですよね。