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世界選手権横浜大会(世界卓球 ブルーライト横浜速報 伊藤条太の机上の空論 web express)

気を鎮めてやすらかな眠りにつくため、昔の写真でもアップしよう。
1955年のユトレヒト大会決勝、田中利明対ドリナーだ。

田中の猛攻があまりにも激しくて、試合はわずか15分で終わり、テレビ局が間に合わなかったという逸話を持つ、例のアノ試合だ。

右はそのドリナーのグリップ。ペンホルダーだ。ヨーロッパはみんなシェークハンドだと思っている人がいると思うが、それは誤解だ。初代男子世界チャンピオンのヤコビ、女子のメドニアンスキーもペンホルダーだ。よく卓球指導書などに、ペンホルダーがアジアで発展した理由が「箸を使うから」というのがあるが、違和感を感じる。ペンホルダーとは名のとおりペンを持つように握るのであって、箸とは関係がない。そしてペンはヨーロッパ人でも持つし、事実、ヨーロッパでも初期はペンホルダーがいたのだ。

ますます興奮してきた。眠れない・・。
日本ではついに世界戦が始まった。
予選リーグに出場するのは日本人では丹羽だけだという。

何時からやるのだろうか。時間もスコアもわからないのでアメリカからは実況のしようもない。ただジタバタするだけだ。それどころか、こっちはこれから寝なくてはならないのだ。丹羽が試合をしているときに寝なくてはならないのだ。

ああ、つらい。

人生

2009/04/27

藤井さんほどの人でもいつか亡くなる時がくる。つくづく人生ははかないものだ。

広州の世界選手権のとき、プレス席で「もう人生は半分以上きているんですね」としみじみと言うと、今野編集長が「当ったり前じゃない!伊藤さん、いったい何歳まで生きる気なの?」と言われた。そうか。それが当たり前だとはそのときまで考えたことはなかった。いつのまにかそういう歳になったのだ。でも今野さんはだいぶ年上だからいっしょにされても困るな。
24日、藤井基男さんがご逝去された。76歳だった。しかたがないこととはいえ、残念でならない。横浜大会を見たかっただろうに。

藤井さんは、1956年の世界選手権東京大会で混合ダブルスで世界3位になっている。荻村伊智朗によれば、バーグマンら当時の世界最高レベルのカットマンと同等の実力をもっていて、日本代表が欧州勢を破るため、階段を上れなくなるほど練習相手をしてくれたそうだ。

選手引退後は、タマスに入社して卓球レポートの編集長をし、その後、サウジアラビアのナショナルチームのコーチ、日本代表の強化、世界選手権の実行委員、日本卓球協会の専務理事を務め、卓球王国から単行本を何冊も発行した。つまり、日本卓球界の主要な部分をすべて経験してきた人なのだ。今月発売のニッタクニュース5月号でも『この人のこの言葉』第67回が載っているし、さらに世界選手権の特集を52ページも執筆している。亡くなる直前まで全身卓球家だった。

約10年前、ニッタクニュース編集部をとおして藤井さん宛てに古い卓球の本を送ったところとても喜ばれ、わざわざ仙台まで返しに来てくれた。下はそのときの写真と葉書だ。藤井さんはインターネットはやらないので、お会いするときの待ち合わせも、何日か前に葉書で「○月○日の11時に改札口で」という具合だった。葉書もいつも万年筆なので、雨が降ると字が滲んで届いたのも良い思い出だ。

荻村伊智朗がなくなったとき、テレビの特集で荻村のお父さんが「素男」という名前で、藤井さんと同じ読みであることを発見して手紙に書いた。すると「自分も荻村さんのお墓に行ったときに知って、因縁を感じた」と返事がきた。しかも、もともとは字も同じ「素男」で、小学校時代に何かの理由で今の名前に変えられたのだという。

その後、胃癌を患われたが手術で克服されたはずだった。しかし2、3年前に癌は再発し、昨年、成田空港でお会いしたとき、出された冷やしうどんをほとんど汁しか召し上がらなかった。

藤井さんが後押ししてくれなかったら卓球王国で記事を書くこともなかった。藤井さんは私の最大の恩人だ。本当に残念だ。

卓球にささげた人生、本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。心からご冥福をお祈りします。
私も日本選手のキャッチフレーズを考えてみた。

水谷隼   → 夜回り先生
韓陽    → 羊かん
吉田海偉  → 殺人ドライブ
大矢英俊  → ベトベト船長(広州で手がベトベトだったことから)
松平賢二  → 石っこ賢さん
松平健太  → 健太の大冒険
丹羽孝希  → ニワニワニワハニワがいる
岸川聖也  → しっかりセイヤ
上田仁   → 青森上田
田勢邦史  → 田植え踊り

さ、才能ない・・・
田勢夫妻の混合ダブルスのときにはやっぱり
「ニッポンの若旦那、熱血!豪腕妻」と表示されるのだろうか。
アナウンサーも「豪腕妻が若旦那に上手くつなぎましたねー」などというのだろうか。
プレーに影響がないとはいえあんまりなような気がする。

たしかに若旦那っぽくはあるが。

それにしても「女子大生カットマン」ってのはどうにも・・・。
ブレーメンのときのロシアンカッター1号、2号とどっちがいいだろうか。
例によってテレビ東京が日本選手ひとりづつにキャッチフレーズをつけた。http://www.tv-tokyo.co.jp/takkyu_09/profile.html

以下に紹介しよう。

【男子】
水谷隼   → 若き至宝
韓陽    → 卓球台風(タイフーン)
吉田海偉  → 攻撃龍(アタックドラゴン)
大矢英俊  → 吠える剛球
松平賢二  → 全力アニキ
松平健太  → 孤高の天才
丹羽孝希  → 超速の神童
岸川聖也  → 沈黙の仕事人
上田仁   → 日本の切り札
田勢邦史  → ニッポンの若旦那

【女子】
福原愛   → 日本のエース
平野早矢香 → 卓球無双
石川佳純  → 革命天使
福岡春菜  → 世界最高の七色王子サーブ
藤沼亜衣  → 静かなる闘将
田勢美貴江 → 熱血!豪腕妻
石垣優香  → 女子大生カットマン
森薗美咲  → 17歳の秘密兵器
樋浦令子  → 小さな韋駄天
藤井寛子  → 流星バックドライブ
若宮三紗子 → 光速のサウスポー


堅い卓球ファンはバカバカしいと思うかもしれないが、メジャーになるためにはこういうことも必要なのだ(たぶんね)。俺も考えてみよっと。

読者からメールがきた。横浜にラケットを持っていって、試合観戦の後、知人とゲームセンターかボーリング場で卓球をする予定なのだという。

楽しそうだが一方で、直前に見た試合との落差に絶望的になることも考えられる。

日本の卓球ファンたちがこのように浮き足立っているのだろう。運転をしている人は、くれぐれも事故など起こさぬよう落ち着いて欲しい。試合を見るまでは。

試合が近い!

2009/04/26

世界卓球の開幕が近い。試合は28日(火)からだが、私が会場入りできるのは一回戦が始まる30日(木)の午後からだ。月曜、火曜と仕事をしてから日本に発つのだが、この二日間はもう仕事にならないだろう(いや、ブログならではの楽しい誇張ですよ)。テレビ東京は予選から放送するということで、日本卓球界にとって本当に未曾有の事態だ。だいたい、卓球が民放で放送されるなんてことはテレビ東京の前には91年頃のIOC会長杯のときに長野放送が一度やった以外には一度もないのだ(71年の名古屋大会は知らないけど)。

今回の観戦スケジュールについては、限られた滞在期間をどこに当てるかで悩んだ。結果、5/4まで観戦し、最終日の5/5は見ないで成田に向かうことになった。日本選手の実力から考えて、決勝に行く可能性は極めて低いと考えたからだ。しかし、79年ピョンヤン大会の小野誠治の例もあるし、可能性がないわけではない。男子では珍しいしゃがみこみサービスが異様に効いて松平健太が強豪を次々と連破、なんてことがありうるのが卓球なのだ。

もし日本選手が最終日まで残ったらどうするか。そうなったら私は絶叫しながら機上の人となろう。見られないことの悔しさよりも、決勝に残ることの嬉しさの方がずっと大きいので、そのときはそれでいい。

ともかく、30日(木)午後まで一人でも多く勝ち残っていることを祈るばかりだ。
2001年大阪大会でのスポーツ科学会議の思い出を綴って見たい。
会議の目玉は、世界チャンピオンとのパネルディスカッションおよび、夜の懇親会だった。当時は、私が一流選手に会える機会などなかったから、参加料さえ払えば長谷川信彦や河野満、松崎キミ代といった伝説的な人たちと話すことができるのがなんとも魅力的だった(ITTF用具委員長のラフォード・ハリソンとさえ話せたのだ!)。大人数の立食パーティーだったので、残念ながら突っ込んだ話もできず、話した内容をほとんど覚えていないのが残念だ。

今、思い出したが、たしか会場に行く途中でMDレコーダーを買って胸ポケットにしのばせ、ピンマイクで会話をすべて録音したのだった。しかし一度も聞いてない。意外に貴重な会話が残っていたりして。でも、途中で静岡大学の吉田和人さんにマイクに気づかれて「何ですかそれ」と指摘されて恥ずかしい思いをしたことも思い出した。

ああ、我ながら挙動不審だ。