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中国リポート

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 香港女子チームのエースとして、長く世界で活躍している帖雅娜(ティエ・ヤナ)が、同じく香港男子チームの唐鵬(タン・パン)と今年12月に結婚することを、スポーツサイトの「新浪体育」が伝えた。
 香港では12月2~7日まで、東アジア競技大会・卓球競技が行われる。地元開催の大会に対し、帖雅娜も「東アジア競技大会に出るのは初めて。もちろん良いプレーをしたいし、メダルを獲得して気分良く入籍したい」とやる気満々だ。東アジア競技大会後に入籍するふたりだが、結婚披露宴は来年11月に中国・広州でアジア競技大会が行われるため、かなり先になってしまうとのこと。

 本誌編集長も、昨年の北京五輪の際にふたりで談笑する姿を目撃していた(!)という帖雅娜と唐鵬。実は今年7月、テレビのスポーツチャンネルの取材に対して「私のボーイフレンドは唐鵬。ふたりでいる時はとても仲が良いし、とても幸せ」と発言し、両者の関係は公然のものとなっていた。2005年に香港に移住し、言葉の問題などで孤独を抱えていた唐鵬を、同じ経験をした帖雅娜がいろいろと面倒を見たことが交際のきっかけになったという。帖雅娜は1979年5月13日生まれの30歳、唐鵬は1981年2月4日生まれの28歳で、年齢は帖雅娜のほうが2歳年上。…唐鵬も、姉さん女房には頭が上がらなくなりそうだ。

 帖雅娜のことは、これまでにも中国リポートでもたびたびお伝えしているが、ここで少し唐鵬のことを紹介したい。バック表ソフトの連打と、俊敏な動きから放つキレのあるフォアドライブで活躍する唐鵬は、北京市の出身。94年に北京市チーム、97年に国家2軍チームに入り、01年の第9回全中国運動会で、同年の世界選手権大阪大会で「国家の英雄」となった劉国正をストレートで破って一躍注目を浴びた。05年の第10回全中国運動会の後に香港へ移籍。今シーズンの超級リーグでは、北京市チームの後輩である馬龍とともに寧波北侖海天でプレーし、決勝第3戦では4番で馬琳を破ってチームの優勝を決めている。

 それにしても、こうなると気になるのは帖雅娜の引退の時期。今シーズンは5月の世界選手権横浜大会・2回戦で、当時世界ランキング99位の石川佳純に大逆転負けを喫し、10月のチームカップでも世界ランキング82位のロバシュ(ハンガリー)にストレート負け。全中国運動会では直前に腰を痛め、棄権を余儀なくされている。抱える故障は多く、またプレーヤーとしてややピークを過ぎてきた感もある。ただ、本人は「まだすぐに引退することは考えていない」と発言しており、もうしばらくは試合中にも笑顔を交えた、リラックスしたプレーを観ることができそうだ。

Photo上:日本にもファンが多かった帖雅娜。結婚にガッカリしている方も多い?(卓球王国2007年5月号より)
Photo中:06年世界団体選手権、決勝で郭躍に3-1で勝利してこの笑顔。第4ゲームは22-20という大激戦だった
Photo:09年世界選手権横浜大会ではベスト16に入った唐鵬
 11月7日、湖北省武漢市にある武漢広場ショッピングモールで、王励勤のサイン会が行われた。王励勤がイメージキャラクターを務めるスポーツブランド「李寧」が主催したものだ。武漢はかつては陳静や喬紅、最近では劉国正、饒静文、馮亜蘭らを輩出した卓球の盛んな街。会場はたくさんの「ピンパン球迷(卓球ファン)」で賑わった。

 この会場を取材に訪れた報道陣に、王励勤は興味深い発言をしている。「球不能打一輩子」、つまり「一生現役でプレーすることはできない」と言うのだ。全中国運動会では「次回(2013年)大会にも出場したい」とコメントするなど、これまで引退をほのめかすような発言はなかったが、引退がそう遠い先の話ではないことを、この発言は物語っている。
 10月末に行われたイングランドオープン1回戦で、アポローニャ(ポルトガル)にまさかの敗戦を喫した王励勤。かつては「ガラスの心臓」と言われていたものの、ここ数年は海外選手に金星を献上することはほとんどなかった。しかも敗れた相手は、世界ランキング70位のヨーロッパの若手選手。王励勤にとっても、精神的ショックはかなり大きかったのかもしれない。

  中国男子チームのエースとして長くプレーしながら、唯一取り残した五輪シングルスの金メダル。「2012年のロンドン五輪までプレーしますか?」という質問に対しては、「国家チームは優秀な新人選手も多いし、ベテランとしてこの先もプレーを続けていくのは、かなり大変なことだね。ただ、選手は常に自分の限界を乗り越えて行くことで、より良い成績を収められる。自分の夢に向かって努力を続けていきたい」(出典:武漢晨報)と何とも微妙な発言だ。もっとも、ロンドン五輪代表を目指すことの難しさは、誰よりも王励勤自身がよくわかっているだろう。王励勤とともに、中国卓球界の龍虎として活躍した馬琳も、『ピンパン世界』2009年11月号では「自分が勝てなくなって、若い選手たちに道を譲ったあとの準備を進めている」と発言。今年31歳の王励勤に、もうすぐ30歳になる馬琳。中国選手としては異例なほど長くピークを保ってきたふたりだが、「新・王馬時代(王皓と馬龍)」の幕は、もう半分以上開いている。

 それにしても王励勤、五輪には縁がなかった。00年シドニー五輪のダブルスで金メダルを獲得したものの、世界選手権のシングルスで優勝3回・準優勝1回の男が、五輪のシングルスでは銅メダル2枚。00年シドニー五輪のシングルス予選では、中国卓球協会の選手選考の思惑(おもわく)に翻弄されて予選敗退。04年アテネ五輪準決勝では、先に決勝進出を決めていた柳承敏(韓国)に分の良い王皓へ勝利を譲り、銅メダルに甘んじた。そしてすでにピークを過ぎつつあった08年北京五輪でも、準決勝で馬琳にわずかなラバーの破損を指摘され、スペアラケットでの善戦むなしく敗れ去った。北京五輪の敗戦は自分にも非があるが、何とも不運な印象がある。
 中国卓球界の鉄人がラケットを置くのは、一体いつの日になるのか?

Photo上:「手抜き試合を余儀なくされた王励勤は、ゼッケンを逆さまにつけ、ささやかな抵抗を示した」(卓球王国2000年5月号P.60)。00年シドニー五輪予選では無念の4位敗退
Photo中:04年アテネ五輪の表彰式。シングルスの初のメダル獲得も笑顔はない
Photo下:08年北京五輪では、馬琳との宿命のライバル対決に敗れた
 今月16~22日、アジアの25の国と地域が参加する第19回アジア卓球選手権が、インド・ラクナウで開催される。前回の07年揚州大会で、メンバーを落とした混合ダブルスを除く6種目で優勝した中国は、以下の男子5名・女子7名の代表メンバーで臨む。

★中国
〈男子〉 王励勤・馬龍・張継科・許シン・呉ハオ
〈女子〉 郭躍・李暁霞・劉詩ウェン・丁寧・范瑛・武楊・常晨晨

 男子チームは王皓と馬琳、女子チームは結婚したばかりの張怡寧をメンバーから外しているが、特に女子はほぼベストメンバーに近い。この中で目を引くのは、男子では左シェークドライブ型の呉ハオ。身体能力が高くパワーもあり、全中国運動会では山東チームの準決勝進出に大きく貢献した。超級リーグではダブルスで好成績を残していることから、中国としては陳杞の後を継ぐダブルスのスペシャリストとして育成する計画か? 女子は范瑛・武楊と珍しくカット主戦型が2名メンバーに入った。武楊はシングルスに出場すれば、思わぬダークホースになる可能性もある。
 その他の主な強豪国の代表メンバーは、以下のとおり。韓国男子はフルメンバーの女子とは対照的に、若手メンバーのみのエントリーだ。

★日本
〈男子〉 水谷隼・岸川聖也・吉田海偉・松平健太・丹羽孝希
〈女子〉 福原愛・平野早矢香・石垣優香・樋浦令子・石川佳純・森薗美咲

★韓国
〈男子〉 李鎮権・徐賢徳・鄭栄植・丁祥恩・趙志燻・趙彦来
〈女子〉 金キョン娥・朴美英・唐イェ序・石賀浄・李恩姫・朴英淑

★香港
〈男子〉 張ユク・李静・江天一・唐鵬・高礼澤
〈女子〉 姜華君・帖雅娜・林菱・柳絮飛・于国詩

★シンガポール
〈男子〉 ガオ・ニン、ヤン・ツー、ツァイ・シャオリー、パン・シュエジエ
〈女子〉 馮天薇、王越古、スン・ベイベイ、ユ・モンユ、シム・カイシン

★チャイニーズタイペイ
〈男子〉 荘智淵・蒋澎龍・江宏傑・呉志祺・黄聖盛
〈女子〉 黄怡樺・鄭怡静・李依真・林佳慧・潘俐君


 …また、12月2~7日に香港で行われる東アジア競技大会・卓球競技の中国代表メンバー、男女12名もすでに発表されている。

★中国
〈男子〉 王皓・ハオ帥・雷振華・許シン・張継科・劉イ(火×4)
〈女子〉 曹臻・姚彦・文佳・饒静文・楊楊・侯暁旭

 男子では、今季プロツアーへの出場が少なく、プロツアーグランドファイナルには出場できない王皓が出場。アジア選手権に続いて出場する張継科と許シンが団体戦の主力メンバーになりそうだ。6番手の劉イは河北男子チームに所属するカット主戦型。全中国運動会・団体戦では準々決勝で馬龍と対戦。スコア的には完敗だったが、馬龍の強烈なドライブを何本も返球していた。
 女子は完全に主力選手を温存しているが、若手育成というよりも「アジア選手権の居残り組」という感じだ。侮れないメンバーではあるが、福原愛、平野早矢香、石川佳純らがエントリーする日本女子にもチャンスはある。
 東アジア競技大会は、日本オリンピック委員会(JOC)による開催提案をきっかけに、93年から行われるようになった東アジア地域の総合競技大会。第5回大会となる今回の香港大会で、卓球は初めて競技種目に入った。他に新しく加入した7競技、ボディービルディング、スヌーカーなどの顔ぶれを見ると、これまで卓球が競技種目ではなかったのが不思議なくらいだが、香港がメダルを狙える競技だったことが大きいのだろう。もちろん香港は男女チームともフルメンバー、必勝態勢だ。

Photo上:アジア選手権代表に抜擢された左シェークドライブ型の呉ハオ
Photo中:東アジア競技大会代表の侯暁旭は、全中国運動会で郭躍と組んで女子ダブルス優勝。荒削りだが一発の強打が魅力
Photo下:同じく東アジア競技大会代表の劉イ。名前の「イ(yi)」は火が4つ。燃えてます!
 10月22~25日まで、オーストリア・リンツで行われた「2009ワールドチームカップ」。準々決勝からオールストレートで優勝を決めた中国男子に、なんとも珍しいヒーローが誕生した。世界ランキング41位の邱貽可(チウ・イカ)だ。
 故障で欠場した陳杞の替わりに急きょ出場が決まった邱貽可。中国男子が3試合とも馬龍・張継科・許シンの3名でオーダーを組んだため、なんと出場機会ゼロで「ワールドチームカップ王者」の称号を得てしまった。しかも驚くべきことに、1959年に世界選手権で優勝し、中国人初の世界チャンピオンとなった容国団から数えて「100人目の世界チャンピオン」なのだという。本人が喜んでいるかどうかは定かではないが、ここまでラッキーな男も珍しい。

 日本の卓球ファンにはやや認知度が低いワールドカップ、そしてワールドチームカップだが、中国では五輪と世界選手権に加え、両大会の優勝者も「世界チャンピオン」のひとりとしてカウントする。今回のワールドチームカップでは、邱貽可の他にも張継科と許シン、そして女子の丁寧の4人が世界チャンピオンの仲間入り。年齢順で言えば、邱貽可が97人目の世界チャンピオンでもおかしくないのだが、一度も出場機会がないのでは、後輩たちの後塵を拝しても文句は言えない。そして、結果的にはそれが「100人目の世界チャンピオン」という、思わぬラッキー(?)を呼んだことになる。
 ちなみに100人の世界チャンピオンたちの内訳は、男子52名、女子48名とほぼ半々。邱貽可と同じワールドチームカップのみ優勝の選手は、男子では91年第2回大会優勝の張雷・謝超杰や、94年第3回大会優勝の林志剛などがいる。最多のタイトルホルダーは王楠の24個、男子では馬琳の15個だ。

 2004年2月発表の世界ランキングでは、自己最高位の18位まで順位を上げた邱貽可。王皓や陳杞、張超とともに「六小龍」と称される中国男子のホープであり、03年世界選手権パリ大会ではボル(ドイツ)を破ってベスト8。陳衛星(オーストリア)に敗れ、ベスト16に終わった王皓を成績では上回っていた。その後、門限破りや試合での暴言でたびたび処分を受け、自らチャンスを逃してしまった感があるが、そのプレースタイルは豪快そのもの。叩き付けるようなカウンターのバック強打とフォアのパワードライブで、時に王励勤や馬琳らトップクラスの選手を呑み込むほどの当たりを見せた。07年女子ワールドカップで行われたITTFファッションコンテストで、女子の彭陸洋とともにモデルを務めるなど、ルックスも人気があっただけに惜しまれる。

 現在は超級リーグの四川全興、そして2007-2008ヨーロッパチャンピオンズリーグの優勝チームであるニーダー・オーストリアの助っ人選手としてプレーする邱貽可。2009-2010ヨーロッパチャンピオンズリーグでは、10月10日に行われた予選グループ第3戦で、昨シーズンの準優勝チームであるオクセンハオゼン(ドイツ)のエース、荘智淵(チャイニーズタイペイ)を11-6、11-5、11-3と一方的なスコアで打ちのめしている。
 国家チームの問題児は、なぜか記憶に残るプレーヤーのひとりでもある。

Photo上:09年全中国運動会での邱貽可のプレー。王建軍と組んだダブルスで嬉しい3位入賞
Photo下:06年女子ワールドカップでのひとコマ
其の八. 恐怖の階段と薄暗い体育館

 中国に到着した9月26日、晩餐券(夕食のチケット)を手に、中国で初めての食事に向かう卓球王国編集部チームを、思わぬ洗礼が待ち受けていた。
 地下の食堂へ下りる階段の最後で、親切にも私たちを食堂まで案内してくれた、解放日報(上海)の女性記者・秦東頴さんが、急に「ここ気をつけて!」とひと言。その直後、我々全員が「うおっ!」という声を上げた。なんと、階段の最後の一段だけが、段差が10cm以上大きかったのだ。幸い、秦さんの注意のおかげで転ばずに済んだが、知らずに突っ込んでいたら、取材を始める前に名誉の負傷ということになっていたかもしれない。全体の設計がガタガタな建物は怖いが、一カ所だけおかしい建物というのも、どんな工事が行われたのか分からない不気味さがある。その階段をマジマジと見つめると、落成からまだ半年の青島体育センター体育館が急に危なっかしく見えた。
 今回の全中国運動会では卓球の他にスピードスケートやフィギュアスケート、バドミントンなどが行われ、賑わった青島体育センター体育館だが、全中国運動会のためだけの巨大なステージだったのか。今後も有効利用されるかどうか、少々心配ではある。

 また、日中の体育館内は試合が行われている時以外、ほとんど照明をつけない。だから体育館の中は昼間でも真っ暗になってしまう。通路の部分も照明が入るのは午後6時くらいからで、夕方になると通路に配置された警備員たちが、居眠りをしたり携帯をいじったりする姿が夕陽に点々と映し出された。館内には食堂やレストランもなく、軽食やスナック菓子を売る売店が数カ所と、弁当を売る店がひとつあるだけ。この弁当を一度食べてみたが、ご飯の上に具材を乗せ、蓋をして紐(ひも)を引くと石灰が発熱してホカホカになるタイプ。日本でも時々見かけるが、もうもうと湯気を噴き上げ、熱くて手で持てないほどだった。店のおばちゃんが親切にも段ボールのテーブルとイスを用意してくれたが、味のほうは…。

其の九. 「国球」の未来は?

  世界選手権をしのぐほどのレベルの高さに驚かされた全中国運動会。大会の模様はCCTV(中国中央電視台)のスポーツチャンネルを始め、各テレビ局で連日中継されていた。しかし、どの家庭でも数十チャンネルが視聴できる中国では、卓球はそれほど魅力的なコンテンツではないようだ。今年5月の世界選手権横浜大会の男女シングルス決勝も、中国では1%の視聴率さえ取ることができなかった。街に出てみると屋外の卓球場でプレーに興じているのはお年寄りばかりで、若者はバスケットボールやフットサルのコートに群がっていた。スポーツショップが立ち並ぶ「体育街」でも卓球用品が片隅に追いやられている店がいくつかあった。
 「圧倒的な強さを誇る中国の存在が、世界的に卓球の人気低迷を招いている」という意見は少なくない。どうしても中国に向けられる視線は冷ややかなものになりがちだ。しかし、中国卓球協会の蔡振華会長もたびたび指摘しているとおり、そのあまりの強さゆえに、中国国内でも卓球の人気は低迷している。
 また、卓球は1970年代まで禁止されていたゴルフやテニスとは違い、59年世界選手権ドルトムント大会での容国団の優勝、61年北京大会の熱狂、そして71年名古屋大会でのピンポン外交と、常に国の歩みとともにあったスポーツだ。特別な存在意義を持つと同時に、かつての栄光の歴史が卓球に「かび臭い」イメージを与えてしまう危険がある。生まれた時からヨーロッパのサッカーやアメリカのNBA(バスケットボール)が身近にあった若者たちが、「あまりに中国的なスポーツ」である卓球を敬遠してしまうとしたら、何とも皮肉な事態と言うほかない。実際に中国で尋ねてみても、卓球のイメージはそれほど芳(かんば)しくないようだ。

 もちろん、全中国運動会でも選手の出入り口にファンが群がり、王励勤を乗せた車がファンに囲まれ、なかなか発進できないような光景もあった。若くして国家体育総局の副局長まで上り詰めた蔡振華や、ケンブリッジ大学を卒業して政界でも精力的な活動を続けるトウ亜萍など、卓球界の枠を超えて活躍している優秀な人材も多い。まだまだ底力は健在と見たが、果たして10年後、20年後も卓球は中国にとって、「国球」であり続けるのか。一抹の不安を抱かずにはいられない。

 全中国雑記、長々と書き連ねてしまいましたが、次回から本来の中国リポートに戻ります…。

Photo上:薄暗いというより、真っ暗な体育館内。これでなんと午後2時11分
Photo中:湯気を吹き上げ、ふたりの日本人を驚かせたホカホカ弁当
Photo下:スポーツショップが立ち並ぶ「市北体育街」で、店番をしていました…
其の六. 不可解な香港選手の戦いぶり

 今回の全中国運動会には、男女シングルスとも5名の香港選手がエントリー。いずれも世界ランキング上位の実力者ばかりだったが、早いラウンドで姿を消した。
 まず団体戦では、男女ともグループ3位であっさり予選敗退。男子シングルスではエースの李静が棄権し、江天一と唐鵬、梁柱恩は初戦となる2回戦で敗退。ただひとりベスト16に残った張ユクも3回戦で張継科に完敗した。01年仙頭大会では3人(李静・高礼澤・梁柱恩)がベスト8に入って香港旋風を巻き起こしたが、今大会に限っては完全に他の選手の「踏み台」状態だった。女子シングルスでも帖雅娜が棄権、柳絮飛が1回戦敗退、林菱と張瑞はともに2回戦でストレート負け。世界ランキング9位の姜華君が3回戦に進出したが、格下と思われた饒静文に2-4で敗れ、前回のベスト8から一歩後退した。
 大会直前、団体戦に予選免除での参戦が決まり、物議をかもした香港だが、今大会でのプレーにはまったくモチベーションが感じられなかった。「(勝ち進まないように)何らかの圧力がかかっているのでは?」と感じさせたほどだ。大会終盤になると、香港選手が出ていたのかどうかさえ、定かには思い出せないという有り様だった。

 昨年9月から選手の他協会への移籍には、年齢に応じて様々な制限が設けられた。現行のルールに当てはめてみると、香港代表の選手のうち李静・高礼澤・帖雅娜は「21歳以上の移住選手」であるため代表になれず、中国代表として国際大会に出場した江天一・張瑞・林菱・姜華君は「他協会の代表経験がある移住選手」なので、やはり代表の資格がない。今後、18歳未満の選手が中国から香港へ移籍する可能性はあるが、90年代後半からの香港への大物選手の流入はひとつの区切りを迎えている。香港の黄金時代を支えた選手たちの多くは、すでにプレーヤーとしてのピークを過ぎ、引退はもう間近だ。
 香港も地元選手の育成に力を入れ、「香港の天才少年」と言われる趙頌熙など有望な若手も育ってきているが、地元選手だけで世界のトップに返り咲くのは容易ではないだろう。まだしばらくは現行の代表メンバーが頑張るだろうが、遠からぬ「香港の落日」を感じさせる、今大会の戦いぶりだった。

其の七. 寂しかった観客席。演出に一考の余地あり

 第11回全中国運動会・卓球競技の会場となったのは、青島体育センター体育館。銀色の多面体のようなドーム型体育館(別名「ダイヤモンド体育館」)で、今年2月に落成したばかりなのだが、青島市街からのアクセスがかなり悪い。日本でも国体用に建設された体育館が、山の中にポツリとあるのを見かけることがあるが、その巨大なものという感じだ。青島市街の外れにあるホテルからでも、バスで15分くらいはかかってしまう。シャトルバスの運行はあったようだが、観客たちがどこからやって来て、どうやって帰っていくのか、全くもって不思議だった。
 8千人近くは収容できる観客席は、最も埋まった大会最終日でも全体の7割程度の入り。前回の無錫大会に続き、観客動員という点ではやや寂しい。フロアのレイアウトは大会最終日になっても9台の卓球台を出したままだったし、本選と順位決定戦が同時に行われる時間帯も多く、レベルの高い熱戦が続いただけにもったいなく感じられた。試合の合間にちびっ子たちの社交ダンスや若手ダンスチームのブレイクダンスなど、ファンサービスも随所に見られたが、何よりも試合そのものの迫力がすごいのだから、それをきっちり演出すればいい。男子シングルス決勝の試合内容なら、少しくらい入場料が高くても観たい卓球ファンがたくさんいるはずだ。

 …もっとも、観客の入りが少なくても、そこはさすが中国。観客は10人いれば日本人150人分くらいの声量があるので、空席の多さを感じさせなかった。マナー違反の応援もないわけではないが、やはり応援があったほうが大会は盛り上がる。声援が目立っていたのは、女子で活躍が光った湖北省チーム。30人いるかどうかの応援団が、「湖北隊、加油!」の大声援で会場を揺るがした。また、メディアシートの真後ろに、日に灼けた屈強の男たちが数人入ってきたと思ったら、地の底から響いてくるような低音で「唐偉!加油!内蒙古(内モンゴル)隊!加油!」。内モンゴル自治区の応援団は見た目も声もワイルドでした。

Photo上:女子シングルス1回戦で敗れた柳絮飛(香港)。結婚後も国際大会に出場、甲Aリーグでもプレーしている
Photo中:女子団体表彰式の準備中に行われた、ちびっ子たちの卓球ダンス。たどたどしく素振りするだけです…
Photo下:寂しかった観客席だが、さすがに最終日の男子シングルス決勝は盛り上がった。王皓に大声援を送った解放軍の応援団
其の五. 劉詩ウェンの未来は…?

 今大会、女子シングルスでベスト4に入った劉詩ウェン。準決勝で女王・張怡寧を敗戦の瀬戸際まで追いつめた一戦は、今大会の女子のベストゲームと言っても過言ではない。前陣で互いに締め付けあうような両ハンドのラリー戦が、時には20往復以上も続いた。
 今年の4月に18歳になったばかりの劉詩ウェン。まだあどけなさの残るルックスで、李暁霞や郭炎、張怡寧と対戦していると、中学生の選手が一般の試合に出ているように見えるが、その強さはすでにトップクラスだ。今大会で改めて気づかされたのは、彼女の基本姿勢への戻りが抜群に早いこと。中国では「小トウ亜萍」の異名を持つ彼女。「単に身長が低いから?」と思っていた筆者は浅はかだった。彼女の打球ピッチの早さと抜群の打球センスは、確かにトウ亜萍を彷彿とさせるものがある。フォアサイドに飛びついてフォアドライブを打っても、すぐにバックサイドに戻ることができ、バックハンドはループドライブを使って緩急をつけ、またフォアドライブにつなげていく。体がちぎれんばかりに振り回すフォアドライブを見ていると、最後まで体力が持つのか心配になったが、見事に16試合を戦い抜いた。

 それにしても不運だったのは、準決勝の張怡寧戦。ゲームカウント3-2の第6ゲーム、9-9から張怡寧の放ったボールがネットを弾き、エッジをかすめたかどうか微妙な感じでフロアに落ちた。副審は最初劉詩ウェンにポイントを入れながら、張怡寧のアピールによって張怡寧の得点に訂正。本来は有り得ないことだが、今大会では他にもトップ選手からのアピールによって、カウントが訂正されるシーンを何度か目にした。一番近くで見ており、サイドかエッジか判定を行う副審がすぐにカウンターをめくったことを考えると、疑惑が残る一球ではある。劉詩ウェンは審判長も呼んで必死に抗議したが、結局認められず。もしマッチポイントを取っていれば、劉詩ウェンが勝利していた可能性も十分にある。最終ゲームは張怡寧がフォアのループドライブを混ぜた老かいな戦いぶりで、劉詩ウェンを退けた。

 大会後に行われた女子ワールドカップで、主要な大会では初めて郭躍を破り、ビッグタイトルを獲得した劉詩ウェン。近年やや精彩を欠いている郭躍を一気に抜き去る勢いだ。しかし、今大会では中国女子の「四強」である張怡寧・郭躍・李暁霞・郭炎にいずれも黒星を喫し、団体予選リーグでは右ペン表速攻型の王大琴(上海)に金星を献上している。同年代の丁寧と違い、カット主戦型には抜群に強いのだが、中陣から回転量の多いドライブで攻めてくるタイプにやや弱い面がある。
 常に真っ向勝負、正面突破のプレースタイルで、一気に世界選手権3位まで駆け上がってきた劉詩ウェン。張怡寧や李暁霞に比べ、体格的には決して恵まれていない彼女が、これからピッチの早い両ハンドドライブにどのような個性を加えていくのか。彼女が目標としているトウ亜萍は「魔術師」と形容されるほどの巧みな変化サービス、バック面のツブ高ラバーでの緩急があり、スマッシュも打つことができた。年齢的なことを考えると仕方ないが、劉詩ウェンのプレーはまだ勢いに任せている部分もあり、一本調子だ。すでに何カ所か故障を抱えているのも気になるところ。福原愛に憧れていた早熟な天才少女は、一体どれくらいの可能性を秘めているのか。2010年の広州でのアジア競技大会、そして2011年世界選手権ロッテルダム大会でのプレーが楽しみだ。

Photo上:準決勝の張怡寧戦の最終ゲーム、厳しい表情を見せる劉詩ウェン
Photo中:疑惑の判定に猛抗議。表情ははんなりしてますが、語気は鋭いのです
Photo下:準決勝で敗れ、涙を拭いながらコートを去る
其の参. 中国男子、若手は人材不足か

 王励勤・馬琳が引退しても、現在25歳の王皓と陳杞に加え、21歳の張継科と馬龍、19歳の許シンと層の厚さで他を圧倒する中国男子。しかし、許シンの下になると、有望な若手は思うように育っていないようだ。
 振り返ってみると、中国男子は世界ジュニア選手権で、第3回リンツ大会から4大会連続でシングルスのタイトルを逃している。また、アジアジュニア選手権も08・09年と韓国にタイトルをさらわれた。世界ジュニアに関しては、北京市ジュニアチームの単独メンバーで臨んだリンツ大会のようなケースもあるため、「中国は世界ジュニアをあまり重視していない」と思っていたのだが、近年では「ベストメンバーでもタイトルが獲れない」というのが実情かもしれない。06年世界ジュニア決勝で松平健太に敗れた徐克は、今大会の混合ダブルスでベスト4に入ったものの、体格・技術レベルともさほど伸びていない印象を受けた。
 強いて期待できる選手を挙げると、男子シングルスでベスト16に入り、3回戦で馬琳をあと一歩まで追いつめた閻安と、山東男子チームの団体4位入賞の立て役者となった方博。閻安は体格も恵まれており、踏み込んで打つパワードライブは破壊力十分だが、世界のトップに育って行くような強烈な個性、スケールの大きさはまだ感じられない。方博は男子シングルスでは、1回戦で変則タイプの左ペン表速攻型・孫建に完敗し、地元ファンの期待を裏切ってしまった。

 今大会ベスト4の許シンは06年アジアジュニア選手権では3位止まりで、そこから一気に伸びて行った。今後も急激に強くなる選手や、変則タイプの隠し玉の選手など、有望な若手が出現してくる可能性は十分あるが、現時点では中国のジュニア男子チームは人材不足。一人っ子政策の国・中国。競争が激しく、リスクの大きいスポーツ選手よりも、良い大学に入って良い会社に就職してほしいと願う親が多く、どのスポーツでもジュニアの競技人口が減っているようだ。

其の四. ポップフライとストライク

 全中国運動会を観ていて、不思議と印象に残った点がふたつある。
 ひとつは、ボールを上に吹っ飛ばすミスをする選手が多く見られたこと。ボールがラケットのエッジに当たり、高々と20m近く吹っ飛んでいく。早い打球点と鋭いスイングスピードで、水平に振り抜くため、相手の回転に押されたり、インパクトのタイミングがずれるとラケットのエッジに当たってしまうのだ。全日本選手権などでもあまり見られないミスであり、中国選手の打球点の厳しさ、回転量の多さを見せつけられ、背筋がゾッとする思いであった。
 また、その高々と上がったボールが他のコートに入った時、そのコートの選手から打ち返されるボールのコントロールが完璧なのだ。日本のトップクラスの大会でも、相手の選手を動かさずにボールを打ち返すコントロールの良さには感心したが、中国はまたひとつその上を行く。相手を動かさないだけでなく、打ち上げたボールは百発百中のコントロールで、糸を引くように相手の胸元へ収まっていく。基礎技術のレベルの高さが成せる業か…。

Photo上:カウンタースマッシュなど、中国選手には珍しく時おりミート系の打法を混ぜる閻安
Photo下:馬龍がボールを吹っ飛ばした決定的瞬間。ボールのブレがスピードを物語る
其の弐. 中国卓球界の「龍虎」、引退の時期は明言せず

 31歳(王励勤)と29歳(馬琳)という年齢で第11回全中国運動会を迎えた中国卓球界の龍虎、王励勤と馬琳。王励勤には「今大会で現役引退か」という情報もあり、今後の去就に関する発言があるのでは、と注目が集まった。
 しかし、王励勤は男子シングルス3位決定戦後の取材に対し、「今大会は上海市チームにとって貴重な経験になったと思う。若手選手にアドバイスを与えることはあるが、今は自分も現役の選手として、自分を育ててくれた上海市チームのために試合に出て貢献したい。4年後の次回大会にも出場したい」と前向きなコメント。全中国運動会の終了後、上海卓球・バドミントン管理センターの主任補佐に就任した際にも、「これが引退を意味するということはない」とコメントしている。2010年のアジア競技大会広州大会で引退との報道もあったが、真偽のほどは定かではない。今後プロツアーへの出場機会は減っていくにしても、鉄人プレーヤーのゴールはもう少し先になりそうだ。その絞り込まれた体つきは、20代前半の頃とほとんど変わりないように見える。

 一方、馬琳はとても去就について語るどころではない騒ぎになってしまった。2004年に女優の張寧益(チャン・ニンイ)と極秘結婚、そして現在離婚の調停中という報道が、大会の開始と相前後して一斉に流れたためだ。張寧益の以前の芸名は張一、中国リポートでも2007/07/04『馬琳のフィアンセは女演員?』で「馬琳と張一は2004年に友人の紹介で知り合い、すでに婚約している」とお伝えしていたが、その直後に結婚していたようだ。同じ04年1月に、国家チーム内で馬琳と交際していた白楊が河北省チームに戻されており、交際半年あまりでのスピード結婚、そして5年目での離婚ということになる。
 当然、全中国運動会でも馬琳には離婚に関する質問が集中したが、馬琳はその事実を認めながらも、「詳しいことは大会終了後に話す」とコメントを保留。そしてシングルスでベスト8に終わった後、馬琳は質問した記者に睨(にら)みを利かせ、ひと言もコメントを発することはなかった。張怡寧の結婚式のニュースが駆け巡るまで、中国の卓球ニュースはこの馬琳の一件でもちきりで、ふたりの両親まで登場しての中傷合戦が展開。今大会、モチベーションがあまり感じられなかった馬琳だが、大会に集中できるような状態ではなかったのかもしれない。

 来年5月23~30日にロシア・モスクワで行われる世界卓球選手権。前回の広州大会のメンバーは王励勤・馬琳・王皓・馬龍・陳杞だった。モスクワ大会の中国男子チームのメンバーで、確定と言って良いのは王皓・馬龍のふたりだけ。残る3つのイスを、王励勤・馬琳の両ベテランと、若手の許シン・張継科、この4人が争うことになりそうだ。陳杞は男子ワールドカップでも決勝でサムソノフ(ベラルーシ)に敗れ、中国代表としてはかなり苦しい立場に追い込まれている。

Photo上:男子ダブルスで優勝し、全中国運動会で3枚目の金メダルを獲得した王励勤
Photo下:男子団体では準決勝で馬龍、決勝トップでは王皓を撃破。その強さを見せつけた馬琳だったが、結局タイトルは団体の銀メダルのみとなった
 10月18日、女子世界ランキング1位の張怡寧(28歳)が北京で結婚式を挙げた。全中国運動会の前に、一部のマスコミで「張怡寧は10月18日に結婚式を挙げる」という報道が流れ、全中国運動会の期間中には、北京女子チームの周樹森監督が「張怡寧は大会後に結婚する」とコメントしていた。しかし、新郎について、また結婚式の日取りについて、張怡寧の口からは何も語られないままだった。まさに「電撃婚」だったのだ。わずかに訪れた報道陣も、会場からはシャットアウト。周囲は数十人のガードマンで固められた。

 結婚式の会場となったのは、北京の繁華街・王府井にあるグランドハイアット北京(東方君悦大酒店)。中国でも最高クラスの5つ星ホテルだ。張怡寧は10月16日に行われた全中国運動会の開幕式(卓球競技はすでに終了)で、北京選手団の旗手を務め、その日のうちに帰京。慌ただしい挙式となったが、式には元国際卓球連盟会長の徐寅生氏、国家体育総局の蔡振華副局長、元中国女子卓球チーム監督の陸元盛氏ら、中国卓球界の重鎮を始め、世界最高のフィギィアスケートペアと言われる申雪/趙宏博、シドニー五輪女子体操(平均台)金メダリストの劉シュアン(王+旋)など、中国のスポーツ界を代表する招待客が出席。もちろん、トウ亜萍や王楠、郭炎など、国家チームや北京チームのチームメイトたちも顔を揃えた。結婚式の司会は、CCTV(中国中央電視台)の名司会者である崔永元氏が務めた。

 これまで謎に包まれた存在であり、「ビジネスマンで、かなりのお金持ちらしい」と噂されていた新郎も、ついに公(おおやけ)の場に登場。クールな女王が選んだその人の名前は徐威(シュ・ウェイ)さん。北京出身で、海外留学を経て香港の金融界で成功を収め、多くの会社を経営する大富豪。温厚と誠実を感じさせる風貌と、180cmを超えるスラリとした長身の持ち主だ。大の卓球ファンで、スポーツブランド「李寧」の李寧会長の紹介で、1年ほど前に張怡寧と知り合ったとのこと。

 徐威さんの年齢は正式に公表されていないが、48歳という報道が多く、張怡寧とは20歳近い年の差婚。昨年9月に結婚式を挙げた王楠の結婚相手・郭斌さんも8歳年上の不動産王だったし、女子水泳・飛込み競技の女王と言われた伏明霞が、26歳年上の梁錦松(元香港財政司司長)と結婚した例もある。彼女たちには並の富豪では追いつかないくらいの収入があるはずだが、「年上で経済力のある男性」という選択はなかなかシビアだ。
 「結婚しても現役は続行する」と明言している張怡寧。来年の世界団体選手権モスクワ大会でも、中国女子チームの不動のエースとして活躍するだろう。そして現役生活のフィナーレを飾る舞台は、卓球競技初の大会3連覇がかかる2012年ロンドン五輪、ということになりそうだ。

張怡寧と徐威さんの写真はこちら

『新浪体育』
http://sports.sina.com.cn/o/2009-10-18/17094642188.shtml

Photo:あらゆるタイトルを独占し、私生活も充実の張怡寧。ネットでは「陳杞とつき合っている」という根強い噂があったが、作り話だった模様…

※全中国運動会雑記は、明日より再開いたします