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速報・現地リポート

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世界卓球 ドルトムントむんむん速報

乗り継ぎ

2012/03/25

11時間かけてデンマークのコペンハーゲンに到着。「これがコペンハーゲンか」と感慨に浸るが、空港で何が分かるというのか。

乗り継ぎでドイツのデュッセルドルフに約1時間のフライトだったが、雲が異様に綺麗だった。どうみても地面に積もった雪に見える。宇宙人が着たら陸だと思って着陸しそうだ。

席はガラガラ

2012/03/25

私は4人がけの席だったが、両端にひとりづつしかおらず、それぞれ2席分づつ使えた。

モニターの地図の「前橋」というのがちょっと違和感があるが、都市名で書くのが標準であればいたしかたない。

機内食

2012/03/25

スカンジナビア航空の機内食に興味がある人のために一応載せておく。
選択式ではなく問答無用でこの写真のメニューだった。味は普通。途中、サンドウィッチかおにぎりかの選択で軽食が出たがそれは省略。

時差ぼけ

2012/03/25

成田空港に来て、外国の独特の香水の臭いやら出発ロビーの景色を見ると、条件反射でなんだかボーっとしてきて時差ボケ状態になるというか、時差ボケ状態を思い出すというか。とにかく眠くなる。
朝、仙台を発って成田に着いた。出発ゲートに備え付けのパソコンで書いている。100円硬貨を入れると10分使えるのだ。

これからスカンジナビア航空の飛行機に乗ってコペンハーゲン経由してデュッセルドルフに行く。デュッセルドルフからは電車でドルトムントまで50分だそうだ。編集部の連中もまったく同じ経路で昨日発ったので今頃はホテルに着いていることだろう。

いつできたのかわからないが、京成上野から成田まで「京成スカイライナー」というのができていて、なんと成田まで44分だった。さらに感心したのは、車内の英語のアナウンスで駅名を言うときに、いかにも英語風に「ナリ(↑)ーター」とは言わずに容赦なく完全な日本語だった。We will soon alive at 成田空港。という感じで「日本にきたら日本語を理解しろ。これが分からないようなら乗る必要なし」という感じですがすがしかった。一方で、なぜか中国語だか朝鮮語のアナウンスのときは「ナリタ(↑)アー」というように訛っていた。

観客の性質

2012/03/23

先日、今野編集長に聞いたところによると、ヨーロッパでも卓球の世界選手権の観客は土地によってかなり違うらしい。その中でもドルトムントの観客は熱狂的で、1989年の大会では男子ダブルスでドイツのペアが優勝したことで会場は興奮の坩堝だったという。鳴り物は鳴り響くし、おまけに「妙に揃った足踏み」がまるでナチスを思い出すほどで、「こいつら、この調子で全員で悪い方向に進んだら大変なことになるだろうな」と思ったそうだ(完全に偏見)。同じドイツでも2006年ブレーメン大会はぜんぜん静かで、期待外れだったという。

確かに観客の差は大きい。2008年広州は凄かったが、2009年横浜、2010年モスクワはそれほどでもなかった。今回はなにしろドルトムントである。しかもボル様がいらっしゃる。前回の団体ではドイツは決勝に進んでボル様が1点獲っている。

日本選手が活躍するのが一番だが、次の望みはどこが勝ってもいいから大会が盛り上がることだ。

歴史ある会場

2012/03/23

今回会場となる「Westfalenhallen Dortmund」は、過去に2回の世界卓球選手権が開催されている。

最初は1959年で、日本男子が5連覇を決めた大会だが、男子シングルスで中国の容国団が優勝し、卓球王国・中国の幕開けとなった。

2回目は1989年で、男子団体でスウェーデンが中国の5連覇を阻んで優勝し、男子シングルスではスウェーデンのワルドナーがチームメイトのパーソンを決勝で下して優勝し、男子ダブルスでは地元ドイツのロスコフ/フェッツナー組が優勝して90年代のヨーロッパ全盛時代の幕開けとなった。

つまり、この会場で行われた過去2大会とも時代の大きな転換期となった大会なのだ。

ということは・・・と、期待がいやがうえにも高まる。私は編集部とは1日遅れで明日成田を発つが、気分はもう完全に世界戦だ。これまでも現地から速報を3回行ったが、いずれも大会後半だけであり、初日から会場入りするのは今回が初めてだ。震災を経験したおかげで「せっかく生き残ったので後のことは考えずやれることはやっておこう」という心境になったためかもしれない。
結局他に良い案も浮かばず、こんなタイトルになってしまった。2008年広州大会のときの「ぶるるん日記」よりマシだが。

それはともかく、トップページに貼られているバナーが傑作だ。私が過去にブログに載せた写真を使ってスタッフが見事にアニメーションを作ってくれたのだ。2009年のモスクワ大会のときのバナーも面白かったが、今回のはそれ以上だ。敬意を表して使われた写真を載せておく。

震災直後で復興作業中の私と、絵が苦手な友人たちが記憶だけを頼りに描いたアルマジロの絵だ。つくづくひどい絵だ。