彼(彼女)は生まれながらにして才能がある。
あの人は天才ですから。
よく、超一流とよばれるアスリートだとかアーティスト、すばらしい実績をのこしてきた人達に対してぼくたちは、
こんな表現をしていたりするんじゃないかなあと思います。
たぶん多くの場合はその人たちに対する感嘆の念と一緒に
『とてもじゃないけど自分たちには真似できないよアハハ~』
的な想いも入りまじっているんじゃないかなぁと思ってはいるんですが、
この『才能』というやつは、後天的に身につけることはできないんだろうか
ということが昔からずっと疑問だったんですね。
で、実はその「『天才』とか『才能』の類は後天的につくることはできるのか」みたいなことが書いてある本に、こないだたまたま出会うことができたので
今日はその内容について、ぼちぼち書いていけたらなと思っています。
で、で、この本に書かれている結論をいいますと、ちゃんとやることやれば、
後天的に得られないものは「ない」ということらしいのです。わーお。
スポーツでいえばテクニック、筋力、戦術、フィギュアスケートなどでいう表現力とかね、
そういうものはいくらでも後天的に伸ばしていくことが可能なんだということなのであります。
(ただ、歳をとるごとに骨格とかはどうしても固まってしまうので、そういう身体的なところはしょうがないらしいです。)
これはもう「OMG(オーマイゴッド)」以外のなにものでもありません。
で、で、で、よく天才が生まれる音楽とか芸術の世界では、
才能うんぬんよりもいかに練習をデザインできるかが肝心なようですね。
あ、そういえば、張本くんはナショナルチームの合宿では誰よりも多く練習しているんだという話を、
同じ合宿に参加した後輩に聞いたことがあります。
昼休みになってみんなが休憩に入っても、
彼だけは1人残ってお父さんとマンツーで多球練習をひたすらこなしているらしいのです。
それが終わってから昼休みに入ると。
そういう日々の練習の積み重ねが、彼という天才をつくったんですね。
で、で、で、で、その本では『いかに練習するか』『いかに限界的練習を作ることができるか』みたいなことが、
超一流をつくりだすカギなんだと結論付けていたわけでありますが、
きっと大事なことは『いかに限界に挑み続けられるか』ということと、
そうすることで超一流(天才)はつくれる『かもしれない』ということですよね。
よくPractice makes perfectともいわれますけど、
その練習もただ漠然とやればいいってもんでもないみたいで。
特に「練習の目的を明確に意識してやる」のか「漫然と練習する」のかでは大きく違うそうです。
何かに挑戦するのは大変だし失敗もしまくると思うんですけどね、
超一流といわれる人たちに共通する特徴が、「限界に挑むこと」とか「一日何時間は練習するぞ」という日課的なものが、
すでに生活に組み込まれていることなんだと思います。
どんなに超人的で変態的な技能をもっているひとでも、
見えないところにたくさんの頑張りがあってのことなんだなあと。
このことは、覚えておこうと思った次第であります。