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中国リポート

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 8月20日、中国卓球協会は11〜14歳の男女選手で構成された「国家卓球青少年トレーニングチーム(集訓隊)」と、7〜10歳の男女選手で構成された「国家卓球少年トレーニングチーム」を2020年末に発足させることを発表した。この14歳以下の選手による中国ナショナルチームは、男子16名・女子16名、合計32名の選手によって構成され、毎年2回、夏休みと冬休みに集合訓練を実施。選手たちの参加費や必要な器材の経費などは中国卓球協会が負担する。

 それぞれのトレーニングチームの選手選考については、まず9月から中国全土で、省・自治区・直轄市の卓球協会の主催で一次選考会を実施。さらに中国卓球協会の主催で二次選考会が行われ、それぞれのチームの選手を決定する。ちなみに「ペンホルダー」「カット」「粒高攻守」などの「特殊打法」の選手枠もあり、これらのスタイルの選手が選考会を通過しなかった場合、最大2名までチームに加えることができる。プレースタイルの多様性を確保するのが狙いだ。
 14歳以下の年代の国家チームについては、これまでも中国卓球協会の劉国梁会長が結成の重要性について繰り返し述べてきた。昨年12月の中国卓球協会の統括会議では、次のように語っている。
 
 「青少年の選手育成という点については、日本は常に優れた仕事をしており、中国もさらに強化を進める必要がある。青少年と少年のトレーニングチームを作ることで、彼らの学業を妨げない範囲内で集合訓練を行い、子どもたちには国家チームとしての栄誉を感じてもらい、より積極的にこのスポーツに取り組んでもらいたい」(劉国梁会長)。

 U12(12歳以下)のホープスナショナルチームに加え、U7(7歳以下)選手の育成事業にも着手している日本。劉国梁会長は早期の選手強化については、一貫して日本を評価しており、昨年8月には日本卓球協会と協力して中日ジュニア卓球チャレンジ大会を実施。大会は7〜8歳・9〜10歳・11〜12歳の3つのカテゴリーで行われ、将来的には世界規模でのU12大会の開催を視野に入れている。

 これから選手選考が行われる、14歳以下のふたつのナショナルチーム。実際には年2回の集合訓練が強化の決め手になるとは言い難く、強化の中心となるのはあくまでも体育学校や卓球学校など、それぞれの母体での練習。子どもたちの卓球へのモチベーションを高めるための、シンボル的な存在だろう。
 それでも、他国の優れた点に学び、積極的に取り入れる姿勢を示した中国。15年ジャパンオープンで来日した際、インタビューで劉国梁会長(当時:国家チーム総監督)が語った自らの指導哲学を思い出す。「満足しないこと、常に挑戦すること、そして新しいものを求めていくこと」。最強軍団は、まだまだその歩みを止めようとはしない。
  • 中国卓球界の知恵袋、現状に満足することを知らない劉国梁会長

  • オープンな国家チームの結成は、子どもたちの意欲を高めるか(写真はイメージです)

 8月16日から男女団体戦がスタートした、東京五輪・卓球競技と同じ種目・日程で行われる『備戦東京』エキシビションマッチ。昨日18日に男子団体は準々決勝、女子団体は準決勝第1戦まで終了した。団体戦の試合方式は4シングルス1ダブルスで、東京五輪の試合方式と同じ「1番ダブルス」で行われる。
 試合結果については終了後に詳報をお伝えするとして、男女団体の登録メンバーを先に紹介しよう。男子は男子一団から十六団まで、国家1軍・2軍チーム、すでに国家チームを引退したベテランを総動員。主力選手の欠場が相次いだ女子は、女子一団から十四団までの構成となった。登録メンバーは下記のとおり。

〈男子団体・登録メンバー〉
一団:馬龍・許シン・樊振東
二団:林高遠・梁靖崑・王楚欽
三団:閻安・周啓豪・劉丁碩
四団:周雨・趙子豪・馬特(※徐晨皓は欠場)
五団:方博・于子洋・薛飛
六団:周愷・孫聞・張煜東
七団:鄭培峰・向鵬・徐海東
八団:任浩・趙釗彦・徐瑛彬
九団:曹巍・于何一・賽林威
十団:劉夜泊・全開源・梁国棟
十一団:厳昇・楊碩・袁励岑
十二団:曹彦涛・牛冠凱・高陽
十三団:梁儼苧・謝聡凡・宋卓恒
十四団:林詩棟・陳垣宇・曽ベイ勲・胡東申
十五団:陶育暢・孫佳逸・熊夢陽
十六団:張超・侯英超・崔慶磊

〈女子団体・登録メンバー〉
一団:陳夢・孫穎莎・王曼昱
二団:陳幸同・顧玉ティン・孫銘陽
三団:劉斐・王芸迪・銭天一
四団:張瑞・何卓佳・陳可
五団:李佳イ・劉㬢・胡麗梅
六団:車暁㬢・楊惠菁・木子
七団:范思チィ・武楊・張薔
八団:馮亜蘭・劉ウェイ珊・石洵瑶
九団:クァイ曼・王暁トン・郭雨涵
十団:陳イ・斉菲・臧小桐
十一団:李雅可・張繽月・呉洋晨
十二団:黄頴チィ・冷雨桐・李雨チィ
十三団:袁媛・楊屹韻・徐奕
十四団:穆静毓・孫芸禎・王添芸
 
 男女とも二団から八団くらいまでは、主要なライバル国を想定した仮想チームなので、誰がどの外国選手の役をやっているのか、想像してみると面白い。たとえば男子の二団は水谷隼(林高遠)・張本智和(梁靖崑)・丹羽孝希(王楚欽)の「仮想・日本チーム」であり、陳建安(林高遠)・荘智淵(梁靖崑)・林昀儒(王楚欽)の「仮想・チャイニーズタイペイチーム」でもある。ちなみにダブルスは林高遠と梁靖崑の左右ペアで組んでいる。
 
 閻安・周啓豪・劉丁碩という右シェークドライブ3人の「三団」は、李尚洙・鄭栄植・張禹珍と右シェークドライブが揃う韓国を想定したチームか。中国男子の秦志戬監督は、同じく右シェーク3人の「六団」についても「競技レベルや戦術・技術面においても、非常に韓国チームによく似ている」とコメント。仮想・韓国がいわゆる「六軍」とは、中国恐るべしだ。

 「四団」はシングルスで負傷した徐晨皓が欠場したが、左右のシェークドライブにペンドライブ、カットという多彩なスタイルの構成。バックハンドが強い徐晨皓は普段から仮想・ヨーロッパ選手になることが多く、徐晨皓がオフチャロフかフランチスカ、左シェークドライブの周雨がボル、右ペンドライブの趙子豪がチウ・ダン、右シェークカットの馬特がフィルス、という仮想ドイツチームなのか。黄鎮廷と同じ右ペンドライブ型の薛飛がいる五団は香港のようでもあり、左シェークドライブ2人(任浩・趙釗彦)に右シェークドライブ型の徐瑛彬がいる八団はポルトガルのようでもあり……。

 一方、女子は二団が明確に日本を想定している。陳幸同(平野美宇)・顧玉ティン(石川佳純)・孫銘陽(伊藤美誠)という顔ぶれだ。陳幸同と顧玉ティンは以前から平野・石川という両選手の「模倣対手(コピー選手)」だったが、以前は張瑞や木子が務めていた「伊藤美誠役」は、最近では孫銘陽が専門だ。続く三団と四団については、中国女子の李隼監督が「三団は韓国、四団は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を想定している」とコメント。三団は徐孝元(劉斐)・梁夏銀 or 申裕斌(王芸迪)・田志希(銭天一)という想定で、右シェークバック表の張瑞と何卓佳がいる四団は、異質型の多い北朝鮮を想定したメンバーだ。

 ワールドツアーなどの国際大会では、基本的に次に対戦する選手と同じプレースタイルの選手に練習相手を頼む。同じチームにいればその選手に頼むし、違う国の選手に頼むことも少なくない。しかし、これだけの規模で、ライバルチームを想定した仮想チームが並ぶ『備戦東京』は、団体戦も個人戦も常に「ワンチーム」で戦う中国ならでは。もちろん二団以下の選手たちも、自ら進んで他国の選手の役などやりたくはないだろう。それでも、次回以降の五輪代表の座に少しでも近づこうと、全力で一団の選手たちにぶつかっていくのだ。
  • 左腕のライバル選手が多い中、左腕の王楚欽が果たす役割は大きい(写真提供:『ピンパン世界』)

 来年の東京五輪・卓球競技と全く同じ種目・タイムテーブルで行われる、『備戦東京』エキシビションマッチ。女子シングルスは故障を抱えた丁寧・劉詩ウェンと、体調不良の朱雨玲が欠場し、大きな波乱のないままラウンドが進む中、決勝で孫穎莎と王曼昱が激突。1ゲーム目に孫穎莎が1−6、4−8、8−10のビハインドから逆転すると、王曼昱も後のないゲームカウント0−3から2ゲームを返し、6ゲーム目には8−10から孫穎莎のマッチポイントを4回も跳ね返す。最終ゲームも中盤まで一進一退だったが、最後に抜け出した孫穎莎が混合ダブルスとの2冠を達成した。

 孫穎莎と王曼昱。宿命のライバル同士による女子シングルス決勝は、「全弾撃ち尽くす」と形容したくなる、目を疑うほどの打撃戦。中国に行くのが困難な状況とはいえ、この試合を映像でしか見られないのが残念だ。男子シングルス決勝の梁靖崑対王楚欽戦は、激しい打撃戦の中にも梁靖崑の戦術のうまさが光っていたが、女子シングルス決勝はまさにノーガードの打ち合い。互いにチキータと長いツッツキから、両ハンドの剛球を打ちまくった。2017年の世界ジュニア選手権決勝で、やはり孫穎莎と王曼昱によるジュニアレベルを超越したラリー戦に息を呑んだが、今回の両選手のプレーはその数段上を行く。

 この女子シングルス決勝では、プレーする孫穎莎以上にベンチから声を出していた、孫穎莎の担当コーチ・黄海城もちょっとした話題になった。黄海城コーチはもともと広東省チームの選手で、国家チームでプレーした経験はない。広東省女子チームの監督時代に指導した劉詩ウェンの国家2軍チーム入りとともに、国家チームの指導陣に加わった。もともと担当していた陳夢に加え、孫穎莎の担当コーチだった張琴が昨年国家チームを離れたことで、現在は陳夢と孫穎莎という中国女子のキープレーヤーふたりを担当している。一方、王曼昱のベンチに入ったのは、男子チームのコーチ時代に張継科を担当していた肖戦だ。

 ちなみに今回の『備戦東京』は、集合訓練でのエキシビションマッチとして開催されており、集合訓練前に母体の省チームに戻った選手たちは、新型コロナウイルス対策のためにホテルで1週間の隔離期間を置いてから合流している。これは取材するメディアも同じで、取材するためには1週間の隔離期間が必要だという。数少ない取材者のひとりで、大会の写真を送ってくれる雑誌『ピンパン世界』の辺玉翔カメラマン曰く、「こういう状況だからしかたないけど、さすがに取材するメディアはほとんどいない」とのこと。一方、試合の模様はCCTV(中国中央電視台)の公式サイトで配信されており、中国国内ではリアルタイムで視聴することができる。図らずも、エキシビションマッチの新しいスタイルとなった。

●女子シングルス・予選グループ(順位のみ/1位の選手は決勝トーナメント進出)
A:1.李雅可 2.楊惠菁 3.徐奕
B:1.王添芸 2.陳イ 3.李雨チィ
C:1.斉菲 2.王暁トン 3.穆静毓
D:1.石洵瑶 2.臧小桐 3.呉洋晨
E:1.孫芸禎 2.陳可 3.クァイ曼
F:1.黄頴チィ 2.楊屹韻 3.冷雨桐
G:1.郭雨涵 2.袁媛 3.張繽月
●予選第2ステージ(グループ2位の選手によるトーナメント)
王暁トン 4−3 楊屹韻  陳イ 4−0 張繽月
楊惠菁 4−1 臧小桐   陳可 4−0 袁媛
※王暁トン、陳イ、楊惠菁、陳可は決勝トーナメント進出

●女子シングルス・決勝トーナメント1回戦
陳夢 −10、7、−8、5、5、8 李雅可
斉菲 −9、14、−7、10、−11、9、10 李佳イ
范思チィ 11、12、7、7 木子
銭天一 −8、10、9、−8、12、8 陳可
顧玉ティン 10、5、4、−4、−8、8 王添芸
劉ウェイ珊 8、5、8、6 黄頴チィ
王曼昱 8、7、11、5 劉㬢
孫銘陽 9、−7、4、9、10 車暁㬢
石洵瑶 −6、10、9、5、4 馮亜蘭
王芸迪 −7、5、4、−11、7、4 胡麗梅
陳幸同 −9、3、7、10、9 孫芸禎
張瑞 8、−7、9、−6、6、8 楊惠菁
何卓佳 3、11、2、8 郭雨涵
劉斐 6、9、5、−12、−10、−9、9 王暁トン
孫穎莎 8、8、4、9 武楊
陳イ −10、8、9、10、−11、−7、8 張薔

●2回戦
陳夢 −7、−7、5、8、5、8 范思チィ
銭天一 5、7、−8、6、6 斉菲
王曼昱 6、−9、8、10、7 孫銘陽
顧玉ティン 8、−13、7、8、5 劉ウェイ珊
王芸迪 4、11、11、5 石洵瑶 
陳幸同 3、11、7、11 張瑞
孫穎莎 9、−12、7、5、8 陳イ
劉斐 −6、−6、7、6、−3、8、9 何卓佳

●準々決勝
陳夢 3、5、5、7 銭天一 
王曼昱 3、2、8、−9、−8、8 顧玉ティン
王芸迪 −8、8、7、−9、7、10 陳幸同
孫穎莎 7、7、6、2 劉斐
●準決勝
王曼昱 7、−11、8、−8、8、6 陳夢
孫穎莎 9、9、7、−4、7 王芸迪
●3位決定戦 王芸迪 −11、7、−1、12、−7、6、9 陳夢
●決勝 孫穎莎 10、9、12、−6、−8、−13、6 王曼昱

※写真提供:『ピンパン世界』
  • 女子単決勝、0−3から追いつかれながらも最後まで打ち切った孫穎莎

  • 小柄ながら、すさまじいフォアのパワードライブを連発

  • 孫穎莎と王曼昱(手前)、これからも数多くの名勝負を繰り広げるだろう

 海南省陵水で行われている、来年の東京五輪・卓球競技と全く同じ種目・タイムテーブルで行われる『備戦東京』エキシビションマッチ。8月14日に男子シングルス決勝が行われ、梁靖崑が王楚欽との接戦を4−2で制して頂点に立った(記録はページの一番下に掲載)。
 
 男子シングルス決勝トーナメントに出場したのは32名。東京五輪・卓球競技の男子シングルスに出場できるのは64名で、実際の人数の半分しかいないが、シード獲得が確実な中国選手は、五輪本番でも3回戦からの出場。3回戦を戦う人数は32名なので、このエキシビションマッチも32名の出場で問題ない。国家1軍チームの選手に予選グループを勝ち上がった11名を加え、さらに国家チームを引退した崔慶磊・張超・侯英超といったベテラン勢も招集。崔慶磊は31歳、張超は35歳、侯英超はなんと40歳だ。

 このベテラン勢の招集が、予想外の波乱を起こす。北京チームの先輩でもあるカットの侯英超戦を前に、「しっかり準備をしようと思った」という第2シードの馬龍が、試合前のウォーミングアップ中に首を傷めてまさかの棄権。樊振東・許シンとチームを組む男子団体でコートに復帰した馬龍だが、さすがに寄る年波を感じずにはいられない。

 さらに準々決勝では、優勝候補の許シンがダークホース・徐晨皓にストレートで敗れる波乱。徐晨皓といえば、塩野真人のカットをまったく打てずに敗れ去った2013年ジャパンオープン決勝をご記憶の方もいるかもしれない。体つきはやや鈍重、バックは強いがフォアで下回転ボールを打たされると苦しくなる徐晨皓は、レシーブ+3球目を得意のバックハンドでカバーし、上回転のラリーに持ち込んでから両ハンドを強振した。徹底して長所を生かす戦術を見せた徐晨皓だが、準決勝はストレートで敗れ、3位決定戦は首と肩の痛みを訴えて棄権。ハイレベルな同士討ちの7ゲームスマッチは、相当な身体的負担を強いるのだろう。

 優勝した梁靖崑は、昨年の世界選手権個人戦で勝利した樊振東に、準決勝で再び勝利。王楚欽との決勝は「肉を切らせて骨を断つ」強烈な打撃戦となったが、相手に打たせて狙う「後の先」の戦術に一日の長を見せた梁靖崑が勝利を収めた。五輪の代表争いが混沌とする女子に対し、男子は馬龍・樊振東・許シンというトップ3に割って入るのは難しい状況だが、Pカード(負傷時の代替出場選手)に選ばれるのは恐らく梁靖崑ではないか。

●男子シングルス・予選グループ(順位のみ/1位の選手は決勝トーナメント進出)
A:1.薛飛 2.牛冠凱 3.楊碩 4.于何一
B:1.梁儼苧 2.馬特 3.劉夜泊
C:1.全開源 2.劉丁碩 3.高楊 4.謝聡凡
D:1.周愷 2.曹巍 3.宋卓衡 4.熊夢陽
E:1.趙釗彦 2.孫佳逸 3.厳昇 4.陶育暢
F:1.張煜東 2.胡東申 3.曹彦涛
G:1.袁励岑 2.陳垣宇 3.林詩棟 4.曽ベイ勲
H:1.賽林威 2.任浩 3.梁国棟
●予選第2ステージ・準々決勝(グループ2位の選手のトーナメント)
任浩 4−1 馬特    牛冠凱 4−0 孫佳逸
劉丁碩 4−0 陳垣宇  曹巍 4−0 胡東申
●準決勝 
牛冠凱 9、5、−13、5、6 任浩
劉丁碩 9、6、9、5 曹巍
●3位決定戦 任浩 −10、7、5、8、8 曹巍
※牛冠凱、劉丁碩、任浩は決勝トーナメント進出

●男子シングルス・決勝トーナメント1回戦
樊振東 3、6、10、4 張超
梁靖昆 −4、6、−8、5、5、8 薛飛
于子洋 −10、7、8、9、−6、9 方博
周雨 8、7、9、−8、10 徐瑛彬
孫聞 7、14、−8、−7、0、7 梁儼苧
趙子豪 6、8、8、9 趙釗彦
林高遠 6、7、10、8 牛冠凱
徐海東 8、−8、10、9、−5、7 崔慶磊
閻安 9、−5、9、−10、8、7 任浩
王楚欽 2、−7、4、6、8 張煜東
鄭培峰 6、9、10、−10、−7、−5、7 劉丁碩
徐晨皓 7、−7、8、7、−9、11 袁励岑
周啓豪 −7、8、5、−4、−9、7、13 賽林威
許シン 6、9、8、−6、−8、8 周愷
全開源 8、3、6、11 向鵬
侯英超 キケン 馬龍

●2回戦
樊振東 7、−7、−8、6、4、8 周雨
于子洋 5、4、9、−8、7 趙子豪
梁靖崑 7、3、6、8 孫聞
林高遠 −9、12、−9、6、5、5 徐海東
王楚欽 −6、7、8、−7、2、9 鄭培峰
徐晨皓 −8、7、−6、9、7、5 周啓豪
許シン −7、9、2、5、4 全開源
閻安 −8、9、−5、8、8、−5、11 侯英超

●準々決勝
梁靖崑 −5、8、5、−4、5、9 林高遠
樊振東 6、−8、8、6、1、2 于子洋
王楚欽 4、6、7、2 閻安
徐晨皓 4、8、8、7 許シン
●準決勝
梁靖崑 10、5、10、−5、−7、7 樊振東
王楚欽 9、8、7、5 徐晨皓
●3位決定戦 樊振東 キケン 徐晨皓
●決勝 梁靖崑 −9、10、8、6、−7、10 王楚欽

※写真提供:ピンパン世界
  • プレーに緻密さが加わった梁靖崑、林高遠・樊振東・王楚欽を連破

  • ハイレベルな打撃戦となった男子シングルス決勝

  • 20歳の若武者・王楚欽は準優勝

  • 長所を生かすプレーで波乱を起こした徐晨皓

  • 許シンはベスト8。残る男子団体で2冠を狙う

 8月8日から中国・海南省陵水では、延期になった東京オリンピック・卓球競技と全く同じ開催種目・日程で行われる『備戦東京(ベイジャントンジン)・2020中国卓球チーム・オリンピックエキシビションマッチ』がスタートしている。お伝えするのが遅くなってしまいましたが、8月10日には16ペアが出場した混合ダブルスが決勝まで行われ、最初の金メダルペアが誕生した。

 すでに男女シングルスなどもスタートしているが、まず混合ダブルスの結果からお伝えしましょう。東京五輪出場がほぼ確実視されていた馬龍・許シン・樊振東をはじめ、主力選手が勢揃いした男子に対し、女子は丁寧と劉詩ウェンが故障の影響で欠場、朱雨玲も開幕直前に体調不良によって欠場が発表された。そのため、混合ダブルスの世界チャンピオンペア、許シン/劉詩ウェンは出場できず、許シンのパートナーに選ばれたのは孫穎莎。劉詩ウェンは6月に右ひじの手術を受け、リハビリは順調と伝えられていたが、まだ万全とは言えないようだ。混合ダブルス1回戦から決勝までの結果は下記のとおり。

●混合ダブルス1回戦
樊振東/陳夢 6、−11、7、8、7 曹巍/張瑞
梁靖崑/顧玉ティン −10、7、6、3、−12、8 張煜東/李佳イ
徐晨皓/王芸迪 6、−8、4、−8、12、10 方博/張薔
王楚欽/王曼昱 8、−6、7、10、6 于子洋/木子
許シン/孫穎莎 7、7、−6、6、3 周雨/馮亜蘭
林高遠/孫銘陽 5、1、−8、−11、−9、4、9 劉丁碩/銭天一
薛飛/劉煒珊 −10、−7、4、12、4、7 侯英超/劉斐
周啓豪/陳可 −8、6、7、12、7 趙子豪/陳幸同

●準々決勝
樊振東/陳夢 6、−11、8、4、−7、7 梁靖崑/顧玉ティン
王楚欽/王曼昱 −9、8、8、−4、−1、9、6 徐晨皓/王芸迪
林高遠/孫銘陽 5、−8、−7、8、4、11 周啓豪/陳可
許シン/孫穎莎 −9、5、8、−7、−4、4、4 薛飛/劉煒珊

●準決勝
王楚欽/王曼昱 4、−7、−9、8、8、8 樊振東/陳夢
許シン/孫穎莎 10、−7、6、9、−12、−13、6 林高遠/孫銘陽

●銅メダル決定戦
林高遠/孫銘陽 −4、−2、7、1、13、9 樊振東/陳夢
●決勝
許シン/孫穎莎 −9、6、−8、8、10、9 王楚欽/王曼昱

 優勝したのは許シン/孫穎莎。ほぼ11歳の年の差があるふたりが、苦戦の連続を見事に乗り切った。許シンは「決勝では互いにミスも出たけれど、ぼくと孫穎莎のほうがコミュニケーションを取り、互いに励まし合う場面が多かった。コンビネーションという点でぼくらのほうがより優れていた」とコメントし、ペアリングの良さを認めている。劉詩ウェンに比べると孫穎莎はプレー領域がやや中陣寄りで、ラリーが続きやすいが、男子選手のプレーへの対応力という点では劉詩ウェンを上回るか。

 ちなみに出場した16ペアは、中国代表として東京オリンピックに出場する可能性がある許シン/孫穎莎、樊振東/陳夢を除くと、ほぼすべてのペアが海外の強豪ペアを想定している。公表されていないが、下記のような想定になるだろう。

●右シェーク男子×左シェーク女子(仮想:李尚洙/田志希、フランチスカ/ゾルヤ)
梁靖崑/顧玉ティン、劉丁碩/銭天一、周啓豪/陳可
●左シェーク男子×右シェーク異質女子(仮想:水谷隼/伊藤美誠)
林高遠/孫銘陽、于子洋/木子、曹巍/張瑞
●左シェーク男子×右シェーク女子(仮想:林昀儒/鄭怡静)
王楚欽/王曼昱、周雨/馮亜蘭
●右ペン男子×右シェーク女子(仮想:黄鎮廷/杜凱琹)
趙子豪/陳幸同、薛飛/劉煒珊

 李尚洙/田志希を想定したペアには、李尚洙のような強打者タイプの梁靖崑や劉丁碩、周啓豪を組み合わせ、仮想:水谷隼はテクニックがあって中陣でもプレーできる林高遠や于子洋。なかなかよく考えられている。そして日本ペアを想定した林高遠/孫銘陽が、3位決定戦で樊振東/陳夢を破って銅メダルと、本家に違わぬ実力を見せた。男女シングルス・団体の結果も、引き続きお伝えします。
(写真提供:『ピンパン世界』)
  • 許シンがいればどのペアでも勝てる? 許シン/孫穎莎が優勝

  • 11歳の歳の差ペアを、許シンがリードした

  • 王楚欽/王曼昱は樊振東/陳夢を下して準優勝

  • 「仮想・水谷/伊藤」の林高遠/孫銘陽は大健闘の3位

  • 大型選手の孫銘陽だが、ずっと見ていると美誠ちゃんに……見えてくる?

◎北京市出身の女子選手
李莉・李隽(羽佳純子/日本)・王晨(ワン・チェン/アメリカ)・郭炎・張怡寧・劉佳(リュウ・ジャ/オーストリア)・李佳薇(リ・ジャウェイ/シンガポール)・呉雪(ウー・シュエ/ドミニカ共和国)・張雪玲(チャン・シュエリン/シンガポール)


 北京市出身の主な女子選手を、上記のようにピックアップしてみた。
 これらの選手を紹介するうえで、触れないわけにはいかないのが北京市にあるスポーツ選手の「虎の穴」、北京市什刹海(シーチャーハイ)体育運動学校だ(以下:什刹海体校)。上記の選手もそのほとんどが同校の卒業生。先に紹介した男子選手でも范長茂・滕義・王涛がOBであり、現在の北京市男女チームのエースである馬龍と丁寧も、それぞれ遼寧省と黒龍江省から北京市に来て什刹海体校に入学し、頭角を現していった。

 什刹海体校は1958年に創立された、国家クラスの重点スポーツ中等専門学校。全国トップレベルのスポーツ選手の養成基地で、卓球以外にもバドミントンやバレーボール、テコンドーなど9つの種目のトレーニングコースがあり、数多くのオリンピックや世界選手権の金メダリストを輩出してきた。日本をはじめ、海外からの留学生も多く受け入れており、日本代表として活躍した岸田聡子さん(現・日本生命レッドエルフ監督)も中学卒業後に留学して腕を磨いた。

 1990年10月、9歳の少女が父親に連れられ、什刹海体校の門を叩く。2004・2008年オリンピック女子シングルス2連覇の張怡寧だ。当時の什刹海体校には才能あふれる選手が揃っており、呉雪(ウー・シュエ/08年北京五輪ベスト8)・李佳薇(リ・ジャウェイ/08年北京五輪女子団体2位)・劉佳(リュウ・ジャ/05年ヨーロッパ選手権優勝)の3人と張怡寧で「北京四姉妹」と称されたが、張怡寧以外はいずれも海外でのプレーを選択。それだけ張怡寧の才能がずば抜けていたということだろう。リュウ・ジャは38歳になった今も現役でプレーを続けている。

 北京市チーム時代から張怡寧を指導し、国家チームでも担当コーチだった李隼(現・中国女子チーム監督)がかつてテレビ番組で語ったことがあるが、95年に国家2軍チームに入った当時の張怡寧は、目立った特徴のない選手だったという。そこで李隼コーチは一計を案じた。国家チームの冬の軍事訓練、その最終日の交歓会の席上で、国家女子チーム監督(当時)の陸元盛に「張怡寧は小山ちれとプレースタイルがよく似ている。1軍チームに呼んでトレーナーをやらせましょう」と猛アピール。中国女子の最大のライバルだった小山選手の名前を出し、張怡寧を1軍に引き上げることに成功した。
 
 01年全中国運動会では苛立ちからラケットを台に叩きつけたり、決勝の王楠戦で敗れた際の無気力なプレーが国家体育総局の李富栄副局長(当時)の逆鱗に触れ、3カ月の国際大会出場停止の処分を受けるなど、若手の頃には精神的なもろさも見せていた張怡寧。しかし、「(漢方系の)睡眠薬を服用しなければ眠れなくなった」というほど精神的に追い詰められた04年アテネ五輪で金メダルを獲得し、翌05年の世界選手権でもチャンピオンになったことで、女王としての貫禄を備えていく。08年北京五輪では開会式での選手宣誓という大役を担い、見事に女子団体・シングルスの2種目で優勝。翌09年に21歳も年上の香港の実業家・徐威と結婚した後、二児を授かっている。

 張怡寧は中国卓球クラブスーパーリーグでも北京市チームのエースとして活躍。2003-2004(北京海菲泰)、2006・2007(北京首創/2連覇)、2009(北京時博国際)と4シーズンで優勝を飾っている。特に2連覇した2006・2007シーズンは張怡寧・郭炎・丁寧という分厚い戦力で、抜群の強さを誇った。チームの監督は優勝請負人と言われた周樹森。1981年から2008年まで、実に28年に渡って北京市女子チームの監督を務め、その後はシンガポール女子チームを2010年世界選手権団体戦で優勝に導き、「モスクワの奇跡」の立役者となった。

 スーパーリーグの2018ー2019シーズンでは、丁寧・武楊の二枚看板に加えて3番手の李佳原が奮闘し、7位という成績だった北京首鋼。女王の系譜を継ぐ、大型新人の登場が待たれるところだ。

◎北京市女子明星隊 WOMEN’S BEIJING ALL STARS
先鋒 李佳薇(リ・ジャウェイ)
次鋒 王晨(ワン・チェン)
中堅 李莉
副将 郭炎
大将 張怡寧

・張怡寧は文句なしに大将。右シェークフォア表の李佳薇、右シェークバック表の王晨という表ソフト使用の大型攻撃選手に、先鋒・次鋒に入ってもらった。副将の郭炎は、「チョーッ!」の雄叫びと迫力満点の両ハンドドライブが印象的だ。日本で「超」大盛りのカップ麺のCMに出演したことを、ご記憶の方もいるのでは?
  • 張怡寧のプレーは、「男性化」前夜の中国女子が到達した、ひとつの頂点だった

  • 中国・アメリカ両国で代表として活躍した王晨。08年北京五輪でベスト8

  • こちらも北京五輪ベスト8。左ペンドラのテクニシャン、呉雪

  • フォア表ソフトの強打が鮮烈な印象を残したリ・ジャウェイ

  • リュウ・ジャは未だ現役でプレーを続ける

  • 燃える闘魂・郭炎。現在は国家女子チームで丁寧の担当コーチ

  • 中国と日本で世界卓球メダリスト、今も両国の架け橋として活躍する羽佳純子さん

 6月29日、広州体育技術学院でおよそ5カ月に及んだ集合訓練を解散した国家チーム。選手たちに与えられた「休暇」はわずか2週間で、7月15日に再び集合訓練の地である海南省陵水に集結した。この休暇期間中も、国家チームの主力選手たちはそれぞれ所属する省チーム、市チームで調整練習を行っていたという。
 海南省は海南島「中国のハワイ」とも言われるリゾート地。集合訓練が行われる陵水にもラッフルズやカペラなどの高級リゾートホテルが立ち並ぶ。

 国家チームのコーチや選手たちは、まず新型コロナウイルス感染症のPCR検査を受けた後、結果が陰性ならば、7日間の隔離期間の後で訓練基地に入ることができる。

 五輪代表は馬龍・許シン・樊振東の3選手でほぼ確定の男子に対し、中国女子は李隼監督が「チーム内での競争をリスタートさせる」と宣言。中国は五輪代表の選考では経験を重視しており、女子代表は「丁寧・劉詩ウェン・陳夢」の3選手が濃厚と見られていたが、劉詩ウェンの右ひじの故障が長引いているために状況は変化している。猛烈な追い上げを見せるのは孫穎莎だ。

 「競争は非常に残酷なものだが、オリンピックの強烈なプレッシャーの中で、誰がベストの状態でプレーできるかを見ていく。それがオリンピックでプレーするうえで、重要なカギになるからだ」と語る李隼監督。さらに中国卓球協会の劉国梁会長は、日程や試合方式、ドローなどをすべてオリンピックと同様に行う「模擬マッチ」を8月上旬に開催する構想を明かしている。どの選手も実戦からしばらく遠ざかっており、チーム首脳陣の前でのプレーは本番同様のプレッシャーがかかりそうだ。
  • 劉詩ウェン、右ひじの故障の状態はどうか

●北京市出身の男子選手
盧啓偉・王大勇・楊玉華・范長茂・滕義・陳志斌・張雷・王涛・熊柯・楊子(ヤン・ツー/シンガポール)・唐鵬(香港)・侯英超・閻安
※荘則棟(5歳で江蘇省揚州市から転居)


 北京市出身の主な男子選手は、上記のような顔ぶれになる。北京市卓球チームが発足したのは1956年。国家体育運動委員会(現在の国家体育総局)の初代主任である賀竜元帥が、全国から優秀な卓球選手を集めてチームが発足。実質的には国家チームと言っていい顔ぶれで、発足から10年あまりは全国大会でも無類の強さを誇った。

 そして北京市チームが生んだ伝説のチャンピオンが、1961・63・65年世界選手権優勝の荘則棟だ。出生地は江蘇省揚州市だが、両親とともに5歳で北京市に移住。揚州市で卓球を始めたわけではないので、北京市出身とさせていただこう。幼い頃は体が弱く、5歳の時でも15kgしかない痩せた子どもだったというが、15歳で北京市のジュニアチャンピオンに輝き、1958年に国家ジュニアチーム入り。フォアの攻撃とバックショートという「左推右攻(左押し・右打ち)」の中国式ペン速攻とは違う、「両面攻(両ハンド攻撃)」スタイルを独自の工夫で磨いていく。
 
 荘則棟は61年北京大会で男子団体・シングルスの2冠を制して国民的英雄となり、63・65年大会も制して3連覇を達成。65年大会決勝の李富栄戦については、「上層部から『荘則棟が勝つ』という命令が下りました。いろいろな人から3回目の優勝は『李富栄が負けてくれた』と指摘されましたが、それは事実です」と自ら語っているが(卓球王国2003年8月号)、それまで荘則棟は李富栄に対して圧倒的に分が良かった。公平な条件で対戦しても3連覇の可能性は高かっただろう。外国選手に手の内を見せないように、あるいは強いチャンピオンを誕生させて中国の国力を示すように、上層部が中国選手同士の勝敗を決める「勝利者操作」が日常的に行われていた時代だ。

 2013年2月に亡くなった荘則棟の激動の人生については、ここではとても書ききれない。1974年に国家体育運動委員会(現:国家体育総局)のトップ(主任)にまで上り詰めながら失脚し、80年から山西省チームで指導するようになった時、発した名言。「練習をナショナルチームの2倍することです」と荘則棟が提案した時、「私たちはいつ寝るんですか?」と驚く選手たちに彼はこう言った。「生きている時にずっと寝ていたら、あなたがたは死んだ時に何をするんですか」。大企業の管理職が言ったら猛烈なパワハラになりそうだが、何という迫力だろうか。卓球王国編集部でも未だに(冗談で)よく使われている。

 それから少し下の世代では、『幻惑の縦回転サービス』でもお馴染みの楊玉華(日本名:大倉峰雄)は、83年世界選手権東京大会の男子複銅メダリスト。東北福祉大に留学後、全日本学生4連覇と圧倒的な強さを見せた。楊玉華から3〜4歳年下の范長茂と滕義も、いずれも中国代表で活躍。右ペン表ソフトの范長茂は83年東京大会の男子団体優勝メンバーで、後にドイツ・ブンデスリーガでもプレーし、現在はもともとの母体である八一解放軍チームの男子監督を務める。右シェークフォア表ソフトの滕義は、85・87年世界選手権男子シングルス3位、87年男子ワールドカップ優勝。ぎこちないバックハンドと、長身を屈めるようにして打つフォア表ソフトの強打が印象的な、天才肌のプレーヤーだった。

 近年の選手では、96年アトランタ五輪銀メダリストの王涛がいる。「パンダ」の愛称で親しまれ、小柄で太鼓腹の体躯でありながら、打球センスは抜群。バック面の表ソフトから繰り出す「七色のバックハンド」と、左腕独特のシュートドライブで世界の頂点に迫った。劉偉と組んだ混合ダブルスでは世界選手権3連覇を達成しているが、同一ペアでの混合ダブルス3連覇は世界卓球で唯一の記録。長身で美人の劉偉の横で、少々遠慮した様子で立っていたのを思い出す。現在は八一解放軍チームの総監督で、軍人としても少将の要職にある。

 昨年、全中国選手権で39歳にして「19年ぶりの優勝」を飾った侯英超は、Tリーグでは木下マイスター東京の守護神。中国スーパーリーグでは2006年まで北京銅牛でプレーした。馬龍も所属していたクラブで、ちなみに当時監督だった閻永国の息子さんが閻安だ。北京銅牛はこのシーズンを最後に甲Aリーグに降格し、現在に至るまでスーパーリーグには北京市のクラブは登録されていない。2018年から中国卓球協会の副会長を務める張雷(93年世界選手権男子団体・ダブルス2位)のお膝元だけに、北京市をスーパーリーグの檜舞台に戻せる、地元出身のチャンピオンの登場が待たれるところだ。

◎北京市男子明星隊 MEN’S BEIJING ALL STARS
先鋒 侯英超
次鋒 范長茂
中堅 滕義
副将 王涛
大将 荘則棟


・数多くの名選手がいる中で、あえて全員「正胶(表ソフト)」の使い手を選ばせてもらった。右シェークバック表ソフトカットの侯英超、右シェークフォア表ソフト速攻の滕義と左シェークバック表ソフト速攻の王涛、そして右ペン表ソフト速攻の范長茂と荘則棟。速さとテクニックを兼ね備えた強豪チームだ。
  • 1960年代に中国の国民的英雄となった荘則棟。まさに不世出のチャンピオン

  • フリーハンドを体に巻きつけるような独特のスイング。真似した人も多かった

  • 右シェークフォア表ソフト速攻の滕義。世界選手権は2大会連続3位

  • 15年スーパーリーグプレーオフで、解放軍チームのベンチに入った范長茂

  • 95年世界選手権での王涛(左)/劉偉のプレー。この大会で3連覇達成

  • 張雷は中国卓球協会の副会長。選手時代は日本のサンリツでもプレー

  • 今も現役バリバリの侯英超。3位に入った06年ITTF・WT・グランドファイナルでのプレー

  • 08年北京五輪で、故郷に錦を飾ったヤン・ツー

 中国卓球人国記は黒龍江省・吉林省・遼寧省という「中国東北部」を離れ、今回は首都である北京市を紹介する。出身選手について紹介していく前に、まずは北京市と卓球というスポーツの関わりについて取り上げたい。……小難しい長文になってしまいますが、しばしお付き合いを願います。

 この北京市の中心部にある世界遺産「天壇公園」の東側に、体育館路という一本の道路がある。800mほどの短い道路だが、その両側には国家体育総局、中国オリンピック委員会など、中国のスポーツ機構の中枢が集まっている。国家卓球チームが練習する国家体育総局・訓練局(ナショナルトレーニングセンター)の卓球場や、選手たちが暮らす国家チーム専用の選手寮『天壇公寓』もここにあり、中国代表選手の練習拠点として機能している。中国卓球協会の広報誌『ピンパン世界』も、国家体育総局の下部組織である中国体育報業総社のビルにオフィスを構えている。

 様々なスポーツのトレーニングセンター、スポーツ用品店やスポーツに関する書籍を扱う書店が立ち並ぶ体育館路。筆者もずいぶん昔、邱鐘恵さんが創業した『邱鐘恵体育用品商店』を訪れるため、この体育館路に足を運んだことがある。邱鐘恵さんは1961年に北京市で行われた第26回世界卓球選手権北京大会で、中国女子初のシングルスチャンピオンとなった中国卓球界のレジェンド。そして北京市と卓球の関わりを振り返る時、欠かせないのがこの世界選手権北京大会だ。

 北京大会が行われる7年前、建国から間もない1954年にIOC(国際オリンピック委員会)に加盟した中国。オリンピックを中国の威信を示す「国威発揚」の舞台にするため、国内大会では陸上や重量挙げの世界記録が次々に更新され、各競技で強化が進められた。しかし、中国(中華人民共和国)と同時に台湾(中華民国)もIOCに加盟したことで、いわゆる「ふたつの中国問題」が発生。台湾の除名を求める中国に対し、IOCのアベリー・ブランテージ会長は「オリンピックは政治を語る場ではない」と要求を拒否し、中国は加盟からわずか4年後の1958年にIOCを脱退。陸上・水泳・サッカーなど8つの国際競技連盟、そしてアジア卓球連盟からも脱退し、国際スポーツ界から孤立していく。

 中国が加盟を続けた国際競技連盟は、卓球・バレーボール・アイスホッケー・スケートの4つのみ。ITTF(国際卓球連盟)ではイギリスの共産党員でもあったアイボア・モンタギュ初代会長が中国と密接に連絡を取り、台湾(中華民国)からの度重なる加盟申請を否決していたため、「ふたつの中国問題」が発生しなかった(現在はチャイニーズタイペイとしてIOCやITTFに加盟)。

 陽の光が差すほうへ芽が伸びていくように、中国は卓球というスポーツで成績を伸ばしていく。先に国際大会で成績を残していた香港から、52年世界男子団体3位の傅其芳・姜永寧、さらに容国団を中国に招聘。容国団は59年世界選手権ドルトムント大会の男子シングルスを制し、中国に初の世界タイトルをもたらした。中国はソ連(ソビエト連邦)との「中ソ対立」によって、スポーツ大国であるソ連との「ソ連ルート」が下火になっていたが、卓球では「香港ルート」が大いに活用された。

 そして59年ドルトムント大会でのITTF総会で、1961年第26回世界卓球選手権の北京市での開催が決定。建国以来、初の世界的なスポーツイベントの開催に向け、中国全土で集合訓練と選抜リーグが行われ、1960年12月に108人の選手を初代国家チームメンバー(108将)として北京市に集めた。当時、中国は毛沢東による急進的な社会主義政策「大躍進政策」の失敗により、数千万人の餓死者を出す未曾有の国難に見舞われていたが、国家チームの選手たちには十分な食糧が与えられた。邱鐘恵が合宿所から外出した際、飢えた市民たちが食糧の代わりに木の葉を摘んでいるのを見つけ、「木の葉が食べられるの?」と尋ねて笑われたという逸話を自伝に記している。

 突貫工事で建てられた北京工人体育館(収容人員15,000人)は、観客を2回入れ替えながら連日超満員。毎日4万5千人の観客が入ったことになる。中国チームは観客の大声援をバックに、男子団体と女子シングルスで初優勝するなど、7種目中3種目を制した。先日亡くなられた星野展弥さんの連続ロビングを、徐寅生が連続強打でついに打ち抜いた「十二大板」など、数多くの名勝負や逸話が生まれ、国威発揚の最高の舞台となった。中国の現代スポーツ史において、61年世界選手権北京大会は重要なトピックスのひとつだ。

 世界選手権北京大会から10年後、第31回世界選手権名古屋大会で展開された中国とアメリカの「ピンポン外交」では、翌72年にアメリカ選手団が北京市を訪問。中国の建国後、初のアメリカ人による公式訪問となった。それに前後する形で、中国は国連への復帰(71年)、IOCへの再加盟(79年)など国際社会への扉を次々に開いていった。

 世界選手権北京大会とピンポン外交は、卓球が中国の「国球(国技)」と呼ばれるようになった二大要因と言っても過言ではない。競技スポーツに「為外交服務(外交に奉仕する)」と「為祖国争光(祖国のために栄光を勝ち取る)」というふたつの任務が課せられている中国。首都であり、政治の中心である北京市は、卓球というスポーツを通じて国際政治の檜舞台となる「宿命」を背負っていたのだ。
  • 1961年世界選手権北京大会の舞台となった北京工人体育館

  • 中国女子初の世界チャンピオンとなった邱鐘恵

  • 松崎キミ代さんと歓談する中国の周恩来総理(左端)

 6月23日、創設記念日の「オリンピックデー」を迎えたIOC(国際オリンピック委員会)は、オンラインで世界のトップアスリートがリレーを繋ぐ「トレーニング教室」を実施。卓球からはウーゴ・カルデラノ(ブラジル)が参加し、様々なトレーニングメニューで自慢の身体能力を披露した。

 中国オリンピック委員会も同日、「保持強大(stay strong)」をテーマとして、中国が生んだオリンピアンたちによるオンラインイベントを開催した。中国チームからは劉国梁・中国卓球協会会長と馬龍・丁寧が3人揃って登場。さらに引退したレジェンド枠として、五輪・世界選手権・ワールドカップでの優勝という「大満貫」を達成した伝説の女王、鄧亜萍・王楠・張怡寧が元気な姿を見せた。ちなみに劉国梁・馬龍・丁寧の3人も大満貫を達成しており、最強軍団・中国ならではの豪華メンバーだ。

 劉国梁会長は東京五輪が1年延期されたことについて、「ポジティブに考えれば、2024年のパリ五輪までの3年で二度のオリンピックに出場できるということであり、これはひとつのチャンス。どんな時も積極的な姿勢と自信を保つことで、本当に強い選手になれるのだ」とコメントした。

 一方、3人の女王も後輩たちへエールを送った。92・96年五輪優勝の鄧亜萍は日本女子チームの急速な進化に触れ、「中国チームもさらに進化を速めなければいけない」と警鐘を鳴らした。2000年五輪優勝の王楠は「試合のリズムをコントロールする能力をより高めてほしい」とコメント。08年五輪優勝の張怡寧は中国最大のライバル・伊藤美誠選手に対し、「伊藤(美誠)のバックハンドは非常に速く、中国ではあのようなスタイルの仮想選手(トレーナー)を見つけるのは難しい。普段どおりのプレーだけでは対応できないし、時には非合理なプレーも必要」と語っている。

 現在、中国選手団は3月中旬から集合訓練を行っていた中国・マカオを離れ、広東省広州市の広州体育職業技術学院で練習しながら、2週間の隔離期間を取っている。かつて劉詩ウェンや樊振東、周啓豪らが腕を磨いた体育学校だ。その後、チームの選手たちは久々にそれぞれの母体のチームへと戻り、7月下旬から再び集合訓練をスタートさせるという。
  • 「ピンチをチャンスに」と劉国梁会長(19年男子ワールドカップ時)。……後ろのパンダちゃんが気になりますね