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中国リポート

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◎遼寧省出身の女子選手(再掲載)
[瀋陽市]張瑞・于夢雨(ユ・モンユ/シンガポール)・侯美玲(フー・メレク/トルコ)・周シントン・周一涵(ジョウ・イーハン/シンガポール)・陳幸同
[鞍山市]王越古(シンガポール)・韓莹(ハン・イン/ドイツ)・單暁娜(シャン・シャオナ/ドイツ)・李暁霞・郭躍・常晨晨・石磊(石賀浄/韓国)・曹麗思・王芸迪
[撫順市]王楠・湯媛媛(張莉梓/日本)・木子・劉詩ウェン
[丹東市]文佳
[錦州市]胡玉蘭・李佳・李佳イ   
[本渓市]朱香雲


 数多の女子世界チャンピオンを輩出してきた遼寧省。その2回目では、地元を離れて成功した選手たちにスポットライトを当ててみたい。

 2012年ロンドン五輪金メダリスト、13年世界選手権優勝の李暁霞は鞍山市の出身。7歳で卓球を始めてたちまち虜(とりこ)となり、母親の姜艶さんは李暁霞の練習のため、家に卓球台を買い込んだ。その後、何度か遼寧省ジュニアチームの集合訓練にも呼ばれた李暁霞だが、同い年の郭躍に比べると俊敏性のない地味なプレーに映り、ジュニアチームに残ることはできなかった。

 李暁霞はその後、「啓蒙教練(初期のコーチ)」である石雪梅に連れられて参加した山東省での大会で、山東省チームのコーチに才能を見出され、10歳にして山東省へ移籍してプロ選手の道を歩み始めた。あまりに選手層が厚いため、優秀な人材が次々に流出し、結果的には人材の「空洞化」を招いてしまったというのが、「王者の揺籃」遼寧省のもうひとつの側面でもある。

 李暁霞はその後、02年全中国選手権を14歳で制して国家1軍チーム入り。世界選手権では07・11年と女子シングルス決勝で悔しい敗戦を喫したが、12年ロンドン五輪で初出場・初優勝。13年には世界選手権と地元・鞍山市での全中国運動会を制し、いわゆる「全満貫」を達成した。「李暁霞時代」は決して長くはなかったが、バックサイドを厳しく切るバックドライブから、回り込んで両サイドへ一撃のフォアドライブで打ち抜くコンビネーションは抜群。長身を利した、李暁霞ならではの「勝利の方程式」だった。

 遼寧省を去ったもうひとりの世界女王は、劉詩ウェン。出身は王楠と同じく、古くから炭鉱の街として知られた撫順市。母親の王麗風さんはかつて遼寧省チームでプレーした卓球選手で、娘が5歳の時には卓球を始めさせた。劉詩ウェンを教えていたのは、かつて王楠も指導した「啓蒙教練」の張晶清コーチ。後に張コーチは広東省広州市で指導するようになり、王麗風さんはわずか7歳の娘を張コーチに託し、撫順市から遠く離れた広州市へ送り込んだ。

 最初はホームシックにかかって毎日泣いていたという劉詩ウェンだが、次第にその天賦の才を発揮して、05年に国家1軍チーム入り。世界選手権では09年横浜大会から3位・3位・2位・2位・3位と頂点を目前に足踏みが続いたが、19年世界選手権で初優勝を飾り、10年越しの悲願達成となった。現在は右ひじの故障が長引き、マカオでの集合訓練中に行われている部内対抗戦も3回連続で欠場するなど、その状態が懸念されているが、有終の美を飾ることはできるだろうか。

 その他の選手では、海外への移籍組の多さが目を引く。シンガポール女子チームの主力となった王越古・于夢雨(ユ・モンユ)・周一涵(ジョウ・イーハン)、ドイツ女子チームのツインエースである韓莹(ハン・イン)・單暁娜(シャン・シャオナ)など、帰化選手が主軸の強豪国を支えてきたのは遼寧省出身の選手たちだ。福原愛さんの専属コーチとなり、強い絆で結ばれた湯媛媛コーチ(日本名・張莉梓)も遼寧省出身。福原さんも小学生時代から遼寧省チームで練習を行って世界のトップ選手に成長し、後に中国スーパーリーグの遼寧本鋼とも契約した。

◎遼寧省女子明星隊 WOMEN’S LIAONING ALL STARS
先鋒 郭躍
次鋒 胡玉蘭
中堅 劉詩ウェン
副将 李暁霞
大将 王楠


・「出身地主義」で編成しているこのオールスターチーム。なんと遼寧省女子は5人全員がシングルスの世界チャンピオン。まさに空前絶後の「女王軍団」だ。カミソリ左腕の郭躍、オールラウンダーの胡玉蘭、史上最速と言われる両ハンド速攻の劉詩ウェンに重量級ドライブの李暁霞、そして両ハンドの圧倒的な安定性を誇った王楠。個性あふれるスタープレーヤーが顔を揃えた。
  • 13年世界選手権で優勝、「パリの女王」となった李暁霞

  • 劉詩ウェンは19年世界選手権で悲願の初V。故障の回復が待たれる

  • 非常に勝負強かった王越古。日本リーグの十六銀行でもプレーした

  • 16年リオ五輪で日本の前に立ちはだかり、ドイツに銀メダルをもたらしたハン・イン

  • こちらはちょっと懐かしい顔。トルコに帰化したフー・メレク

◎遼寧省出身の女子選手
[瀋陽市]張瑞・于夢雨(ユ・モンユ/シンガポール)・侯美玲(フー・メレク/トルコ)・周シントン・周一涵(ジョウ・イーハン/シンガポール)・陳幸同
[鞍山市]王越古(シンガポール)・韓莹(ハン・イン/ドイツ)・單暁娜(シャン・シャオナ/ドイツ)・李暁霞・郭躍・常晨晨・石磊(石賀浄/韓国)・曹麗思・王芸迪
[撫順市]王楠・木子・劉詩ウェン
[丹東市]文佳
[錦州市]胡玉蘭・李佳・李佳イ
[本渓市]朱香雲


 実に5人の女子世界チャンピオンを輩出している遼寧省。1973年世界選手権サラエボ大会優勝の胡玉蘭は、男女を通じて中国初のシェーク攻撃型の世界チャンピオンだ。もともとカット型だった胡玉蘭だが、カット型の先輩である林慧卿・鄭敏之を超えるのは難しいと、71年名古屋大会後に担当コーチの梁友能とともに攻撃型への転向を決断。73年サラエボ大会ではカットも交えるオールラウンドプレーで初優勝した。

 胡玉蘭と梁友能には、中国卓球界では有名な「錦嚢妙計」の故事がある。サラエボ大会の際、梁友能は中国選手団に加わることができず、愛弟子に二通の封筒を授けて言った。「すぐに開けてはいけない。大会で困難に遭遇した時はひとつ目の封筒を開け、再び困難に見舞われたら、ふたつ目の封筒を開けなさい」。

 女子団体決勝リーグで韓国に敗れ、優勝を逃して落胆に沈む胡玉蘭がひとつ目の封筒を開けると、こう書いてあった。「林慧卿に学べ、名古屋大会の団体戦で敗れても、そこから教訓を学び、盛り返して個人戦で3つの世界タイトルを奪取したのだ」。ふたつ目の封筒を開けたのは、準々決勝のロドベリ(スウェーデン)戦でのベンチ。左腕を傷め、敗色濃厚な胡玉蘭が開いた手紙には、「勝つか負けるかは、ここでの頑張りに懸かっている。奇跡は往々にして、あと少しの努力の先に生まれる」とあった。奮起した胡玉蘭は逆転勝ちし、頂点へと駆け上がった。

 師弟の絆と、絶対的な信頼関係がもたらしたタイトル。56年世界選手権東京大会で、「大会が終わるまで開けてはいけない」と渡された封筒に「優勝おめでとう」と書かれていた、大川とみ(56年世界女王)と矢尾板弘の逸話を想起させる。胡玉蘭は現役引退後、国家チームのコーチを務めた後に1987年にフランスに渡り、フランス女子チームの監督としても多くの選手を育てた。

 また、遼寧省の女子選手のひとつの特徴として、1990年代から2000年代にかけて、サウスポーの選手が多かったことが挙げられる。世界選手権3連覇(99・01・03年)の王楠を筆頭に、中国スーパーリーグの遼寧鞍鋼で王楠とツインエースを張った郭躍(07年世界選手権優勝)、04年世界ジュニア決勝で劉詩ウェンを破って優勝した常晨晨、「王楠2世」と呼ばれた08年前中国チャンピオンの文佳など、枚挙にいとまがない。ただし、プレースタイルはそれぞれに個性的であり、王楠と郭躍というふたりの世界女王を比べても、スタイルは全く違う。

 両ハンドの安定性と守備力が抜群だった王楠は、中国女子が「男性化」に突き進む前夜に生まれた「不敗の女王」だ。2008年北京五輪で女子団体優勝を果たして現役を引退し、世界選手権・オリンピック・ワールドカップで獲得したタイトルは実に「24」に達した。北京五輪の翌月には実業家の郭斌さんと盛大な船上結婚式を挙げ、「実業界に転身か?」と話題になったが、実際には09年に「共青団(中国共産主義青年団)」の一員となり、政界入り。19年には中国共産党中央宣伝部のレクリエーション・スポーツ部門の部長という要職に就いている。

 一方、王楠の10歳年下である郭躍は、史上最年少の11歳で国家2軍チームのメンバーとなり、2004年の世界選手権団体戦で早くも世界チャンピオンとなった早熟なプレーヤー。ボーイッシュなルックスで、抜群のスイングスピードから放つカミソリドライブが武器だった。

 2007年世界選手権で19歳にして初優勝を飾り、12年ロンドン五輪では団体金メダリストとなった郭躍。しかし、後に首の故障に苦しみ、生まれ故郷の鞍山市で行われた13年全中国運動会でも首を傷めて団体とシングルスを棄権。翌年の世界代表選考会「直通東京」のさなか、練習態度や卓球へのモチベーションの低下を指摘されて国家チームを外され、そのままラケットを置いた。国家チームの引退式典にも出席せず、天才少女の去り際はあまりにも寂しかった。

 その後、金融財務のMBA(経営学修士)を取得した郭躍だが、現在の肩書きはいわば「タレント」。知名度を生かしてテレビのバラエティ番組や話題のネット動画に登場し、社会奉仕の活動なども行っている。現役時代より大幅に減量し、メイクをバッチリ決めた姿には、かつての「假小子(おてんば娘)」の面影はない。
 ……ここで紙幅(紙じゃないですけど)が尽きました。遼寧省・女子編その2に続きます。
  • 中国初のシェーク攻撃型のチャンピオン・胡玉蘭

  • 世界選手権3連覇の王楠は、現在は政界でも活躍

  • 05年に岡山県総社市で行われたスーパリーグ開幕戦、笑顔を見せる福原愛さん(右)と王楠

  • 史上最年少記録を次々に塗り替えた郭躍(07年世界女王)

  • 04年世界ジュニア優勝の常晨晨。日本リーグの日本生命でもプレー

  • 王楠によく似たプレースタイルだった文佳

  • この人も遼寧省出身。13年全中国運動会ベスト8のペン粒高・周シントン

◎遼寧省出身の主な男子選手
[瀋陽市]李鵬・王俊・王会元・于沈潼・馬琳・譚瑞午・韓陽(日本)・雷振華・周斌
[鞍山市]張超・馬龍・尹航
[撫順市]徐輝・王建軍・呉家驥(ウ・ジアジィ/ドミニカ共和国)・孫聞・徐海東
[錦州市]翟一鳴


 中国でも指折りの「人材輩出省」である遼寧省。男子の馬琳、馬龍、女子の胡玉蘭、王楠、郭躍、李暁霞、劉詩ウェンと7人の五輪・世界チャンピオンの出身地で、そのうち馬龍、郭躍、李暁霞の3人が鞍山市の出身だ。「鉄鋼の街」として知られる鞍山市は、もともと手軽に楽しめるスポーツとして卓球が人気だった。その街を「卓球の街」にした立役者のひとりが、白清漢という人物だ。

 1961年の世界選手権北京大会での中国チームの健闘に感銘を受けた白清漢は、卓球台もない小学校で「地面に卓球台を描いて子どもたちに打たせる」ところから指導をスタート。3人の子どもたちも選手を経て指導者となり、長男の白暁東は妻の石海梅とともに馬龍、李暁霞、郭躍、王越古、石磊(石賀浄)らの「啓蒙教練(初期のコーチ)」として、「金メダル夫妻」の異名を取った。白清漢は孫の白石・白鶴もプレーヤーとして活躍し、「白家三代」で卓球界に名を馳せている。

 また、馬龍・郭躍・李暁霞が生まれた1988年には、国家体育総局が鞍山市を卓球の強化・普及を進める重点都市に選出。遼寧省チームよりも立派な卓球のトレーニングセンターが建設され、強化に役立ったことも大きい。

 2013年、この鞍山市で第12回全中国運動会・卓球競技が開催。ライバルの張継科の後塵を拝していた馬龍が、男子シングルスで初優勝を果たし、ここから「絶対王者」への道を歩んでいった。選手として育ったのは、13歳の時に入学した北京市の什刹海体育運動学校だが、故郷・鞍山に錦を飾ったことが選手としての大きな転機だった。
 フォアのパワードライブが印象的な馬龍だが、遼寧省チーム時代に指導していた王俊(77年世界団体優勝メンバー)によれば、意外にも「ボールセンスに優れた選手だったが、チームに入った頃はバックハンドが強く、フォアハンドはあまり得意ではなかった」という。チームの誰よりも真面目に練習するその姿勢が、フォアの剛剣を磨き上げたのだ。

 もうひとりの「馬」、馬龍より8歳年上の馬琳は省都・瀋陽市の出身。遼寧省ジュニアチームの一員だったが、13歳の時にチームメイトの譚瑞午(後にクロアチアに国籍を変更)とともに広東・仙頭市卓球学校に引き抜かれた。劉国正(01年世界男子団体優勝)や張ユク(元香港代表)もこの時に仙頭市卓球学校に入学したひとりだ。その直後に14歳で全国青少年選手権で優勝し、国家チーム入り。プレーヤーとしての経歴は山あり谷ありで、世界選手権では三度決勝に進出していずれも敗れているが、08年北京五輪金メダリストの称号は燦然と輝く。

 1980年代に活躍した選手では、左シェーク異質攻撃型の王会元がいる。フォアのパワードライブと多彩な回転を操るバック表ソフトのテクニックを駆使し、シングルスでは83年世界選手権の3位が最高成績だが、その実力は今も高く評価されている。国家チームを引退後、日本の龍谷大学に留学し、長く龍谷大学卓球部監督を務めている。

 89年世界選手権3位、馬文革と組んだペアで92年バルセロナ五輪ベスト8の于沈潼は左ペン表速攻型。24歳で国家チームを引退し、こちらは日本リーグの住金物流(当時)でプレー。奥さんの趙多多(日本名:東童多英子)は日本に帰化し、96年アトランタ五輪に日本代表として出場したが、于沈潼は後に中国に戻り、遼寧省男子チームの監督を務めた。男子チーム監督の座は、2014年に李暁霞の夫であるジャイ一鳴に引き継がれ、女子チーム監督に就任したのは08年北京五輪日本代表の韓陽。中国から来日した卓球選手・コーチには、遼寧省出身の人が非常に多いのだ。載せ切れなかった皆さん、スミマセン。

◎遼寧省男子明星隊 MEN’S LIAONING ALL STARS
先鋒 張超
次鋒 于沈潼
中堅 王会元
副将 馬琳
大将 馬龍


・遼寧省出身の男子選手のオールスターメンバーは、多彩なプレースタイルが揃った。一撃のパワードライブが武器の「角刈りアニキ」、張超は団体戦に強かったナイスガイ。張超・馬琳が広東省チーム、馬龍が北京市チームに移籍し、地元を離れてしまったが、各省のオールスターチームと比べても顔ぶれは豪華。時空を超えて対抗戦をやれば、有力な優勝候補になるだろう。
  • 実力は間違いなく世界王者クラス、左シェーク異質の王会元

  • 左ペン表速攻の于沈潼は、日本リーグでもプレーした

  • 08年北京五輪のゴールドメダリスト、馬琳は瀋陽市出身

  • 馬琳と広東・仙頭市卓球学校でチームメイトになった譚瑞午

  • 08年北京五輪に日本代表として出場した韓陽は、現在は遼寧省チーム女子監督

  • 2013年全中国運動会で、故郷に錦を飾った馬龍

  • 右ペンドライブの徐輝、中国スーパーリーグでは地元の錦州銀行でプレー

  • 2018年世界ジュニア王者の徐海東(右)。左のオバさまは…地元の方です

●吉林省出身の男女選手
[長春市]■王皓 □唐娜(唐イェ序/韓国)
[白山市]■許紹発
[吉林市]■王楚欽 □李佳原
[延辺自治州]■丁祥恩(韓国)

※■=男子選手/□=女子選手


 1965年の第2回全中国運動会では、男女団体ともベスト8に入った吉林省。この年に吉林省チームから国家チームに入った許紹発が、1973年世界選手権で投げ上げサービスを披露して話題となり、75年世界選手権では男子団体優勝に貢献した。
 許紹発はその後、国家チーム男子監督や総監督(1985〜1992)を歴任。中国チーム、特に男子は成績が伸び悩んだ時期だが、孔令輝や劉国梁を早くから抜擢して若手の育成に務める一方、蔡振華の指導力を見抜いてイタリアから呼び戻すなど、先を見据えた人材の発掘で90年代後半の中国男子復活の礎を築いた。日本の卓球ファンにはシームレスボールで知られる卓球ブランド『XuShaofa』を起業したり、中国への大会誘致やマッチメイクに奔走したり、指導書も出版するなど、八面六臂の活躍を見せてきた卓球人だ。

 一方、吉林省チームはその後、長い低迷期に入り、出身の選手たちはより良い練習環境を求めて新天地に旅立った。輩出した選手の代表格は王皓、そして若手のホープである王楚欽だ。

 幼い頃はあまりにやんちゃで、両親がおとなしくさせるために女の子の格好をさせたという逸話を持つ王皓は、12歳で名門・人民解放軍チームのメンバーとなった。彼の代名詞といえばやはり「直拍横打(ペンホルダーの裏面打法)」。後に「王皓2世」と呼ばれた若手ペンホルダーは数知れず、そして未だ誰ひとりとして王皓を超えられない。オリンピックでは3大会連続銀メダルと頂点にあと一歩だったが、09年世界選手権横浜大会で見せた圧巻の強さ、決勝の王励勤戦で優勝を決めた瞬間のガッツポーズは忘れられない。

 2013年に舞踏家の閻博雅さんと結婚した際は、地元・長春市で盛大な結婚式を行い、2017年10月には長春市がスタートさせた小学生の課外教育プログラムの一環として、その名を冠した『吉林省星皓卓球学校』を創立した。故郷を離れて久しいが、王皓はやはり吉林人なのだ。

 体が弱かったことから、運動で体を鍛えるために7歳で卓球を始めた王楚欽は、地元の有名なコーチである温立彬の指導を受け、10歳で親元を離れて北京市チームの一員となった。2014年世界ジュニアで初めて彼のプレーを見た時、感じたのは「世界チャンピオンになれる選手だ」ということ。それまでの中国の左腕選手はダブルス要員の印象が強く、バックが弱かったり、プレーが荒削りな選手が多かったが、王楚欽は柔らかいボールタッチと威力あるバックハンドを備えていたからだ。2020年5月11日に20歳になったばかりで、樊振東とともに中国男子の次代を担う選手だ。

 その他の選手では、07年世界ジュニア男子チャンピオンの丁祥恩(韓国)は、北朝鮮との国境沿いにある延辺朝鮮族自治州出身で、「朝鮮族」と言われる朝鮮系中国人。韓国に渡って世界ジュニア王者となった後、長く故障に苦しんだが、17年アジア選手権で準優勝するなど見事に復活した。長春市出身の唐娜(韓国名・唐イェ序)もやはり朝鮮族で、05年全中国運動会に天津市代表として出場した後、韓国の実業団・大韓航空でプレー。07年に韓国国籍を取得し、08年北京五輪で女子団体銅メダルを獲得している。
  • 投げ上げサービスから王道の速攻プレーを見せた許紹発(卓球ジャーナル73年1月号より転載)

  • 09年世界選手権で頂点に立った王皓

  • 小柄ながら一発のパワードライブを放つ丁祥恩

  • 現在は北京市チーム所属の王楚欽。中国男子の次代を担う選手

  • 吉林省から天津市、そして韓国へと活躍の場を求めた唐娜(唐イェ序)

◎黒龍江省出身の女子選手
[ハルピン市]韓玉珍・王輝(日本)・張瀟玉・馮天薇(シンガポール)・王シュアン(王+旋)・顧若辰
[チチハル市]王曼昱
[大慶市]丁寧・車暁曦
[伊春市]焦志敏


 黒龍江省出身の選手で、最初に世界で活躍したのは韓玉珍だ。1961年の全中国選手権で黒龍江省を初の女子団体優勝に導き、李富栄とのペアで混合ダブルス優勝。1961年世界選手権北京大会では混合ダブルス2位、女子ダブルス3位の好成績を収めた。
 この時まだ19歳。将来を嘱望(しょくぼう)された選手だったが、「周囲より良い成績を」というプレッシャーがあまりにも大きかった。62年に日本に遠征した際、「侵入者に襲われた」と狂言の自傷行為をしたり、チームメイトのラケットを水洗トイレのタンクに捨てるなどの問題行為が発覚。その後は中国代表に返り咲くことなく、79年に38歳の若さで病死している。

 黒龍江省出身の女子選手、その特徴のひとつが恵まれた体格だ。実は黒龍江省は中国全土でも「平均身長の高い省」のひとつで、各省の平均身長ランキングでは男女とも3位(2018年調べ)。女子は平均165.25cmに達する。

 その特徴が最もよく現れているプレーヤーが丁寧だろう。かつて「工業は大慶に学べ」と言われた工業都市・大慶市の出身だが、丁寧が腕を磨いたのは北京市。早くから抜群の身体能力を発揮していた丁寧は、9歳の時に「まだ幼すぎる」という理由で黒龍江省のジュニアチーム入りを断られてしまう。その後、北京市の名門・什刹海体育学校の関係者に才能を見出され、母親の高風梅さんは丁寧を連れて北京へ。北京市女子チームの周樹森監督との運命的な出会いがあり、学費も全額免除で迎えられた。

 黒龍江省チームとしては大魚を逃した形だが、地元に残っていたら、後の五輪女王も生まれていなかったかもしれない。中国の卓球選手はこのように、より良い練習環境や活躍の場を求め、早ければ8〜9歳で地元を離れ、名門の卓球学校に進むケースが多い。丁寧も出身は黒龍江省だが、所属チームはあくまでも北京市。卓球人国記をやるうえでは難しい面もあるが、出身地として明記しておきたい。

 丁寧の他にも、88年ソウル五輪3位のサウスポー・焦志敏、シンガポール女子チームの絶対的エースとして君臨し続ける馮天薇、男子顔負けの豪快なパワードライブを放つ車暁㬢など、攻撃力のある女子のシェークドライブ型が多く育っている黒龍江省。そして今、黒龍江省出身の選手で最も期待を集めているのが、176cmの長身を誇る王曼昱だ。母方の叔母の勧めで5歳で卓球を始め、13年全国青年選手権で優勝して国家2軍チーム入り。14・15年世界ジュニアでは史上初の2連覇を達成した。昨年は不調に苦しみ、ライバルの孫穎莎に先行を許した感もあるが、精神面も含めてまだまだ伸びしろはある。

 もうひとり、黒龍江省の女子選手で印象に残るのは右シェークバック表・攻守型の王シュアン。国家チームでは長く福原愛選手のコピー選手を務め、「隠れた英雄」としてチームを支えた。17年全中国運動会で、30歳という年齢を感じさせないハッスルプレーを見せ、ベンチで大粒の涙を流した姿が忘れられない。王シュアンとダブルスを組み、美女プレーヤーの呼び声高かった右ペンドライブ型・張瀟玉も懐かしい選手だ。

□黒龍江省・女子明星隊
WOMEN’S HEILONGJIANG ALL STARS
先鋒 馮天薇
次鋒 王輝
中堅 王曼昱
副将 焦志敏
大将 丁寧


・出身地重視で、丁寧はあえて黒龍江省チームの大将に入ってもらった。王曼昱・焦志敏・丁寧という中堅〜大将の平均身長はゆうに170cmを超える攻撃的なチーム。日本に帰化し、全日本女王に輝いたナックルカットの名手・王輝が華を添えている。
  • 右ペン攻撃型の韓玉珍はハルピン市の出身

  • 2014年アジア競技大会での焦志敏。安宰亨(韓国)と国際結婚した

  • 2000年世界団体優勝メンバーの王輝(右から2番目)

  • 17年世界選手権で3回目の優勝を果たした丁寧

  • 今も世界のトップを維持し続ける馮天薇

  • 巧みなバックショートを武器に、国家チームでもプレーした張瀟玉

  • 2017全中国運動会で、女子団体決勝進出に貢献した王シュアン

  • 車暁㬢の一発のパワードライブはすごい破壊力

 中国卓球ファンの皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
 3月13日にカタール・ドーハから中国・マカオに帰国した中国チームは、現在も練習拠点である北京市に戻ることはできず、マカオで集合訓練を行っている。北京に戻れる日はそう遠くないはずだが、報道陣も選手にはほとんど接触することができない。5月23日に部内対抗戦が行われ、男子は樊振東、女子は王芸迪が優勝しているが、伝わってくる情報は限られている。

 中国リポートも(ますます)休眠状態に陥ってしまうので、渋めの企画を始めたいと思います。中国の主だった省や直轄市ごとに出身選手を取り上げ、その歴史や特徴を紹介する、題して『中国卓球人国記』。最新のニュースを挟みながら、不定期で連載していきます。第1回は中国で最も北に位置する黒龍江省、男子選手編からスタートしましょう……。

中国卓球人国記01「大器を育む黒龍江省-男子編」

◎黒龍江省出身の男子選手
[ハルピン市]孔令輝・王永剛(吉富永剛)
[綏化市]姜海洋・李洋
※不明 王飛・徐瑛彬

 黒龍江省が生んだ最大のスターは、なんと言っても2000年シドニー五輪金メダリスト、1995年世界チャンピオンの孔令輝。「精密機械」と称された正確無比なプレーで数々のビッグタイトルを獲得し、中国でも絶大な人気を誇った。中国のシェークドライブ型を一気に「世界標準」まで引き上げた、卓球史に名を残す偉大なチャンピオンだ。彼を育てた父・孔祥智さんもかつては黒龍江省男子チームでプレーし、引退後は黒龍江省男子チームの監督を長く務めた。

 黒龍江省男子チームは1991年の全中国選手権で、孔令輝、日本で長くプレーして日本国籍も取得した王永剛(93年世界選手権ベスト8/日本名:吉富永剛)、そして中国の「裏面打法・第一世代」である右ペンドライブ型の王飛(現・黒龍江省チーム総監督)らを主軸に男子団体優勝。中国超級リーグの全身である「全国卓球クラブリーグ」では1995年(黒龍江雅豊)・1997年(黒龍江金太陽明星)大会で優勝し、中国卓球クラブ超級リーグがスタートした1999年シーズンにも優勝を果たすなど、一時代を築いた。
 しかし、2005年にスポンサー企業を失ったことで、資金難に陥った男子チームは甲Aリーグへ降格。エースの孔令輝は山東魯能へ移籍し、長い低迷期に入ってしまった。

 そして孔令輝が17年世界選手権個人戦の開幕直前、カジノでの借金スキャンダルが持ち上がり、中国女子チーム監督の座を追われたのはまだ記憶に新しい。劉国梁が中国卓球協会の会長として完全復活した今、孔令輝は一連の権力闘争に巻き込まれ、「割を喰った」という印象が強い。カジノでの金銭問題など、その気になればいくらでも内部で処理できるからだ。

 孔令輝は2020年2月、新型コロナウイルス感染症の影響拡大を受け、「加油! 武漢」というメッセージをSNS上で発信。久々に元気な姿を見せたが、かつての国民的ヒーローが卓球界の表舞台に返り咲く日は来るのだろうか。

★黒龍江省・男子明星隊 MEN’S HEILONGJIANG ALL STARS
先鋒 徐瑛彬
次鋒 李洋
中堅 王飛
副将 王永剛
大将 孔令輝

 黒龍江省出身の男子選手で、オールスターズを結成してみた。先鋒や次鋒というのは武道の団体戦の試合方式ですが、ご容赦くださいませ。若手のホープ、世界ジュニア代表の徐瑛彬を先鋒として、左シェークドライブ型の李洋(07年アジアジュニア優勝)、右ペンドライブ型の王飛、右ペン表の王永剛、そして右シェークドライブの孔令輝。戦型のレパートリーに富む、なかなか魅力的なチームですね。
  • 95年男子世界チャンピオンの孔令輝。そのプレーは実に美しかった

  • 懐かしい孔令輝の逆横バックサービス。チームメイトの王飛も裏面から出していた

  • 93年世界選手権ベスト8の王永剛。現在は指導者として活躍

  • 現在、黒龍江省チームの総監督を務める王飛。現役時代は細かった

  • 2006年世界ジュニア男子複優勝の右ペン表・姜海洋(右)。左はパートナーの呉ハオ

 ITTFワールドツアープラチナ・カタールオープンの終了後もカタールに留まり、受け入れ先を探していた中国チーム。3月12日の中国リポート『中国チーム、カタールオープンの獲得賞金を全額寄付』では、まだ受け入れ先は未定とお伝えしていたが、その直後にマカオが受け入れ先となることが伝えられた。そして13日、中国チームはカタールから香港に飛び、陸路でマカオ入りした。

 マカオは1999年にポルトガルから中国へ返還された特別行政区で、「カジノの街」として有名。2月には新型コロナウイルスの感染拡大で、そのカジノも2周間の営業停止となり、閑散とした街の様子が伝えられていた。しかし、この40日ほどは新規患者はゼロ。その安全性が評価され、中国チームの合宿先として白羽の矢が立ったというわけだ。

 ちなみに中国チームはマカオに入ってから14日間は、選手たちはホテルと体育館の往復のみで、毎日の体温測定が必須。人が集まる公共活動などにも参加できない。「旅先」のカタールよりストレスはずっと少ないものの、選手たちの日常はまだ戻ってこない。

 ITTF(国際卓球連盟)はすでに4月末まで、主催大会を一時的に中断することを発表。5月開催の香港オープンや中国オープンについては、今日16日に緊急会議を行い、開催の可否については今後発表される。中国は香港や深セン(中国オープンの開催地)に近いマカオで集合訓練を行い、ワールドツアー2大会に向けて調整していくが、大会が開催されるかどうかは微妙な状況だ。
 3月3〜8日にカタール・ドーハで行われたITTFワールドツアープラチナ・カタールオープンで、樊振東が男子シングルス優勝、陳夢が女子シングルス優勝など、5種目中4種目を制した中国チーム。男子シングルスで許シンがピッチフォード(イングランド)、林高遠(中国)がサムソノフ(ベラルーシ)に敗れ、女子シングルスでは丁寧が伊藤美誠(スターツ)に完敗を喫するなど、主力選手の敗戦もあったものの、25回目を迎えたカタールオープンで男女シングルスのタイトルは死守した。

 2月上旬からスタートしたドーハでの集合訓練は1カ月に及び、卓球用品も不足。当初は多球練習用のボールさえ地元のクラブから借りたほどだ。もともとドイツオープン後に帰国する予定だった選手たちも、中国から持ってきた用具が少なく、悪戦苦闘。樊振東は卓球シューズを2足しか持ってきておらず、1足は大会用にキープして残り1足を穴が空いても履き続けたと報道されている。

 中国チームはカタールオープンの開幕直前、「カタールオープンでの獲得賞金は、すべて湖北省武漢市での防疫活動に寄付する」と発表。その言葉どおり、男女シングルスの優勝賞金44000ドル(約460万円)をはじめとするすべての獲得賞金を寄付。さらに右ひじの故障により、カタールオープンを欠場した劉詩ウェンも、女子シングルスの優勝賞金と同じ額を寄付したという。寄付金の総額は24万6900ドル、日本円にして約2570万円に達した。

 カタールオープンの終了後、帰国してもともと2月に集合訓練を行う予定だった海南島に入るという報道もあった中国チーム。しかし、実際には今もまだカタールに滞在している。中国卓球協会の機関紙である『ピンパン世界』に今後の見通しを聞いてみたところ、「集合訓練を行う場所はまだ未定で、全力を尽くして要件を満たす場所を探している。帰国するのはまだ難しいかもしれない」という。

 彼らが滞在しているカタールでさえ感染が広がりつつある中、総勢40名を超える中国チームの受け入れ先を見つけるのは容易ではない。帰国できない選手たちのストレスはいかばかりか……。
  • カタールオープンの男子シングルスを制した樊振東(提供:ITTF)

 1月28日〜2月2日に行われたITTFワールドツアー・ドイツオープンで、男子ダブルスを除く5種目中4種目で優勝した中国。
 本来なら大会後、帰国して世界選手権団体戦・釜山大会に向けた集合訓練に入る予定だったが、現在中国では新型コロナウイルスの感染症が猛威を振るっており、首都・北京でも住民の移動制限などの措置が取られている。そのため、国家男女チームの主力選手29名は帰国せず、カタール・ドーハに移動。3月3〜8日に行われるITTFワールドツアー・カタールオープンまで、同大会の会場となるアスパイアドームで集合訓練を行っている。

 今回のドーハでの集合訓練が決まった経緯について、ITTFのスティーブ・デイントンCEOは以下のようにコメントしている(youtubeの『オフィシャルITTFチャンネル』より)。

 「現在、中国がコロナウイルスの感染拡大で難しい状況にあることは、誰もが認めるところだ。そして先週、中国オリンピック委員会は各競技のナショナルチームに対し、一時的に国外に練習拠点を置くなどの解決策を模索するよう、通達を出した。そのニュースを聞いて我々は中国卓球協会の劉国梁会長とともに、解決策を見出すために話し合いの場を持った。

 非常に短い期間ではあったが、我々は世界中の多くの人々と、問題解決のために全力を尽くした。そして来月上旬に行われるカタールオープンを前に、ITTFのカリル・アル-モハンナディ副会長と話し合った際、『1日以内に解決策を見つけることができるだろう』と言われた。その素晴らしいニュースを我々は中国卓球協会に伝え、中国側も非常に喜んでくれた。多くの条件をチェックしたが、中国チームにとっても滞在に適した場所だろうと感じている。加盟協会が困難な状況にある時、ITTFはいつでも手を差し伸べる用意ができている」


 監督やコーチ、トレーナーも含めると40名ほどの中国選手団だが、カタール卓球協会はドイツオープンの閉幕からわずか1日で、15台の卓球台を並べたトレーニングホールとホテルなどの住環境を用意した。国家チームはカタールオープンの閉幕後、韓国に飛び、韓国チームと合同合宿を行って世界選手権に備えるという。結果的に、中国には2カ月以上帰国できないことになる。

 「中国でのコロナウイルスの感染症発生のニュースを聞いて、私が心配したのは中国チームが国際大会に出場できないことだ。今年のカタールオープンは25回目の節目となる大会。私にとって、中国のいないカタールオープンや世界選手権など考えられない。私は友人である劉国梁氏に連絡し、必要とあらばいつでもカタールに来てもらって良いと伝えた」。
 カタール卓球協会会長でもあるITTFのカリル・アル-モハンナディ副会長は、そう語っている(『オフィシャルITTFチャンネル』より)。

 これまでも昨年6月のジャパンオープンや、11月のチームワールドカップの前に日本で1週間程度の合宿を行ったことがある国家チーム。しかし、これほど長期の集合訓練を海外で行うのは異例だ。中国卓球協会の劉国梁会長は、こんなコメントを発表している。
 「我々はずっと国内の(感染症の)状況を気にかけている。こんな時に我々にできることは、さらに練習への努力を重ねることだけだ。そして大会のフロアに中国国旗を掲げ、国歌を響かせて、国民の我々に対する期待に応えたい」。


 2月28日〜3月1日に海南省で行われる予定だったアジアカップは延期となり、2〜3月に中国卓球協会が開催予定だった大会もすべて延期となった中国。今回のドーハでの集合訓練は、いわば世界選手権団体戦に出場するための大掛かりな「隔離」措置だ。このまま事態が好転しなければ、釜山大会が厳戒態勢の中で行われる大会になることは間違いない。4月のジャパンオープン、5月の香港オープンや中国オープンにも影響を与えるのは必至の情勢だ。
  •  中国卓球協会の劉国梁会長(右)とITTFのカリル・アル-モハンナディ副会長

 少しお伝えするのが遅くなってしまいましたが、1月20日、中国卓球協会は世界選手権団体戦(3月22〜29日/韓国・釜山)にエントリーする中国男女チームのメンバー、各5名を発表した。メンバーは下記のとおり。

■中国男子チーム
◎秦志戩監督
馬龍・許シン・樊振東・梁靖崑・王楚欽
■中国女子チーム
◎李隼監督
劉詩ウェン・陳夢・孫穎莎・丁寧・朱雨玲

 中国男子は林高遠をエントリーから外し、オーストリアオープンでの「ラケット投げ事件」で昨年11月13日〜今年2月13日まで3カ月の出場停止処分を受けていた王楚欽をエントリー。団体の5番手、出場機会は恐らく1回という立場だが、このエントリー変更は意外だ。

 中国男子の秦志戩監督は王楚欽の選出に関して、こうコメントしている。「昨年、王楚欽は初めて世界選手権個人戦に出場し、馬龍とともに男子ダブルスで優勝。昨年の後半もシングルスで活躍を見せた。その技術は先進的で、シングルス・ダブルスとも能力が高く、我々としては彼の将来性を重視した」。

 一方、エントリーから外れた林高遠に対しては「昨年の世界選手権以降、林高遠は技術面、またビッグゲームでのメンタル面においてひとつの壁にぶつかっており、我々はずっと彼をサポートしてきた。ITTFの規定では、(開幕直前の)3月21日までメンバーの変更は可能だ。それまでの期間内に、すべての選手たちに世界選手権出場を目標として努力してもらいたい」。

 それにしても、今回の「落選」は林高遠にとってショックが大きいだろう。世界ジュニアでは3大会連続で失意の銀メダル。その後、雌伏の時を経て世界代表の座をつかみ、馬龍・許シンの引退後は主力選手のひとりになると目されてきた林高遠。3月に25歳という年齢を迎え、まさにこれからという時に代表落ちを味わうとは……。

 ともに左腕の林高遠と王楚欽を比較すると、フォアハンドでの攻めの速さと破壊力は、やはり王楚欽が上。そして感じずにはいられないのは、長く中国のライバルとなるであろう、ひとりの男の存在。「どちらがより張本智和に対抗できるプレースタイルか」ということだ。

 一方、中国女子は落選確実と見られた朱雨玲が『地表最強12人』を制し、一発逆転の代表入り。押し出される形で王曼昱が代表から外れ、孫穎莎は初の代表入りを果たした。五輪と世界選手権団体戦では試合方式が異なり、世界選手権団体戦はダブルスが行われないが、東京五輪を見据えた今大会の中国女子のオーダーは要注目だ。中国チームは1月12〜18日まで、北京郊外で恒例の軍事訓練を行い、春節(旧正月)返上でフィジカル強化に主眼を置いた集合訓練に入っている。
  • 林高遠、代表入りは確実と見られていたが……

  • 初の世界団体出場となる王楚欽、出場停止期間は「本当に孤独だった」そうです