月別アーカイブ: 9月 2024

「おーよしよし、ひとりで来たの? すごいねぇ!」

卓球王国『YOUはどうして海外に?』の記事の最後に載ってあった、「まとめ 卓球の在り方はワールドワイド」での一言、

 

「海外に行きたいけど勇気が出ない」について考察します。

 

 

もしかしたら「海外に行ってみたい」という人がこのブログを読んだら、

 

ダダダダーン! ダ・ダ・ダ・ダーン! (ベートーベン「運命」)

「このようにして運命は扉を叩くのだ」

 

てゆー、ベートーベンの「運命」とかね、流すなら今だ! って感じでね、盛大に頭の中で流れるかもしれません。

 

 

「勇気が出ない」っていうのは言葉が通じなくて大変そうだ、とか、治安が悪そうだとか、トラブルに巻き込まれたらどうしよう、そもそもコネが無い、向こうに知り合いがいない、仕事、学校、家族、お金、住む場所、食事、文化の違い……あげれば幾らでも出てきますね。

 

それに比べて日本は日本語通じるし、治安良いし、きれいだし、ご飯は美味しいし。

 

だから……ぶっちゃけ、別に無理して海外に行かなくても良いと思います。

 

だって、大変そうじゃん、いろいろ。

 

っていうか、海外に行って何がしたいの?

 

 

これね、知らない人には人生のワンポイントアドバイスになっちゃうけど、よく聞いて。

 

海外に住んでいるからって、別に凄くも、偉くもなんともない。

 

 

でも、行きたいのなら行けばいい。誰もあなたを止めない。

 

今回の5人のケース、ちゃんと読みました?

 

全員が「海外に行ってみたい」って言っていて、本当に海外に行ってるんですよ。

 

「小腹が空いたから、ちょっくらコンビニまで行ってくるわ」ぐらいの勢いで。

 

「海外に行くことに不安はなかった」って、口を揃えて言ってるんですよ。

 

「コンビニでおにぎり買いに行くだけなのに、どうして不安なんかあるの? おにぎりが無ければ納豆巻きとか、菓子パンにすればいいだけじゃん」的な。

 

 

そもそも本当に海外に行きたいんだったら「手段」を考えるはずであって、「行けない言い訳」は探さない。例えば、「勇気が出ない」みたいな。

 

「勇気が出ないから行けない」んじゃない。「行きたくないから言い訳して行かない」だけだ! そういう人は「変わりたくない」という自らの決意があるのだ!

 

って、アドラー先生が言っていましたよ。

 

 

でももし行こうか迷っている人がいるならば、私は海外に行くことをお勧めします。理由は以下の通りです。

 

・海外に行くことによって日本の良さを改めて知ることが出来る。特に安全面。

・日本の悪いところも見えてくる。型にはまっていないと白い目で見られる、とか。

・日本食が最高すぎることが分かる。特に納豆と白米。

・外国語の習得ができて、外国の友達も出来る。

・異文化を知れて面白い。考え方や食事、動物やフルーツなど。

・価値観が広がる。

・多様性が身に着く。 Etc,,,,

 

以上のことがメリットですが、もちろん海外に行くことでデメリットもあります。

 

当たり前ですが、海外にいる間は日本で出来ることが出来ません。友達や家族と会ったり。コンビニの美味しいお菓子食べたり、日本で体験、経験できることが海外にいると出来なくなります。野良犬に噛まれるかもしれません。事故に巻き込まれたり、不衛生から病気になったり、私のようにデング熱に罹るかもしれません。

 

それでも海外に行ってみたいという人はどうぞ。私は応援します! がんばれー!

 

意を決して海外に挑戦した人には、「おーよしよし、ひとりで来たの? すごいねぇ! 頑張ったねぇ!」って頭の一つでも撫でさせてください。田舎のおばあちゃんみたいに。

 

 

次回の卓球王国の『YOUはどうして海外に?』の主人公は、あなたかもしれませんね。

40年間隠し持った私の私なりのインタビュー

卓球王国の『YOUはどうして海外に?』のケース1から5まで拝見させていただきました。

 

大学の時にスウェーデンリーグでプレーしていて、現在はアメリカで選手兼コーチとしてプレーしている中野優さん。

 

ケニアでNGOの教師をし、クラウドファンディングで卓球場を作り、目標は1000人のケニア人を雇いたい佐藤孝祐さん。

 

4か国でコーチを経験し、卓球と教育をセットで考えており、教え子をオリンピックに行かせたい森部淳さん。

 

アメリカで全米カデットチャンピオンのコーチを務め、現在はイギリスでオンライン卓球ショップとコーチ、英会話レッスンをしているコンスタンティヌ彩能さん。

 

なぬ? ねぇなんか、すげくね? 皆さん揃いも揃って、「凄い」を通り越してもうね、

 

尊い。

 

で、ケース2の人なんですけど。つまり、私なんですけど。

 

ひそかにね、一度は、インタビュー受けたいと思ってた。

もうね、大人だもの。

そろそろ私もインタビューの おめがねにね、かなう年頃かなって。

そして、ついに、来るときは来た。

 

40年間隠し持った私の私なりのインタビューを披露する時が、ついに来た。

さあ、来なさい、と。お手並み拝見致しましょうぞ。

 

 

最初の質問「秋田銀行を退職し、海外協力隊としてグアテマラに行きました。きっかけはなんだったのでしょう?」

 

自分でも驚くぐらい素直に、インタビュアーさんは何かの魔法でも使っているんじゃないかくらいの勢いで「銀行員時代に業務がうまくこなせず、多くの人に迷惑をかけていました」って言ってました。

 

「バカ正直」という言葉を使うなら今だ!

正直にも程がある。えそれ、言わなくても良くない? 黙っていれば、バレなくない?

 

フハハハハハ! 間抜けは見つかったようだな!

 

 

そもそも息子に髪の毛を引っ張られている状態で、嘘が全くつけないという特技が判明。

 

これがあのバルスかな? ってくらい、息子に髪を引っ張れていたんです。

目がー目がーって、なるくらい顔をくちゃくちゃにされてたんです。

 

なのに、もう自分の素直さが憎い。インタビューされるがままに答えてましたからね。

 

もう社交界デビューできる。色んなインタビューとか積極的に受けていきたい。

なんつーの、私もついにインタビューとか たしなむ歳になったというか。

やっぱりインタビューは大人として避けては通れないというか。

これからもチャンスがあれば、どんどん受けていくし。

髪の毛とか思いっ切り引っ張られてるのに、白鳥かってくらい優雅に言ったよね、「銀行員時代に業務がうまくこなせず、多くの人に迷惑をかけていました」って。

 

しかも、私の口から出るインタビューの答えがすばしっこくって。

 

「卓球王国さん、言葉が今そっちに行っているので捕まえてくださいっ! 私はこっちでなんとかしますっ!」

「私が押さえておくので、そっち頼みます!」つって卓球王国さんと私でチームを組んで必死に言葉を袋小路に追いつめた。

そんなこんなで、無事、インタビューはクリアし、お遊びの時間は終わった……。

 

そして本番はここから。私のインタビューが卓球王国の記事になって載ってやがる。全国の本屋さんに置かれてやがる。

 

 

……両親がこの記事を見たら何て言うだろう?

お母さんに「私の育て方が悪かったのかしら?」って、涙を溜めさせたりしないだろうか?

 

義理のお兄さんに、卓球王国にインタビューの記事が載った話しをしたら

 

「じゃあ買っておくね☆」つって。

 

いやそれ買わなくていいし。

 

そりゃね、素晴らしい人達のインタビューなんかがね、随所に散りばめられていますので、それはね、もちろん買って読んで欲しいんですけど。雑誌は買っても良いけど、ケース2の人の記事だけは読まないで欲しいっていうか。

 

「べっぴんさん、べっぴんさん、一人飛ばして、べっぴんさん」のように、私の記事は飛ばして欲しい。

 

最近卓球を始めたという可愛い姪っ子たちは、叔母さんの昔の出来損ないの話しの記事を読んで、何て思う?

 

記事を読んでも、今まで通り澄んだ瞳で「いっちゃん」って呼んでくれる?

 

今は5歳の息子もやがて大きくなり、年頃になった時にこの記事をたまたま目にし、母の昔の出来損ないの話しの記事を読んで、何て思う?

 

「お母さん」と呼んでくれるだろうか?

 

反抗期は長引かないだろうか?

 

「クソババア! 銀行の仕事も出来なかったくせに、偉そうに俺に指図すんじゃねーぞ!」っつって、壁に穴を開けられないだろうか?

 

卓球王国さん、すみませんが、最初に書いてある「銀行員時代に業務がうまくこなせず、多くの人に迷惑をかけていました」っていう記事、ちょっと変えてもらえませんかね?

 

例えばそうだなぁ、

「銀行員時代に、私の居場所はここではないと悟った。私は出発しなければならない。ここではない、何処かへ……」みたいな。

 

結局、仕事が出来なかったのはその通りなんですけど、あまりにも正直すぎませんか、「銀行員時代に業務がうまくこなせず、多くの人に迷惑をかけていました」なんて!

 

こんなの、たとえ息子に髪の毛を引っ張られていようが、口が滑ろうが、インタビュアーさんの魔法がかかっていようが、恥ずかしくて誰にも言えませんよっ!

 

 

バルスッ!

いつから田んぼの中になったの?

「名前を間違えられた」って、巷ではちょくちょくあるらしいじゃないですか。

 

私も例に漏れず、割と間違えられることが多くて。

 

ちょっとした「泉」(いずみ)っていう名前なんですけど、大学時代に中国人の後輩から「ネズミ先輩」と言い間違えられ、グアテマラでは「カスミ」と呼ばれ、ペルーでは皆さん『ズ』と発音できないため「イスミ」とか「イッツミ」とか呼ばれ……

 

母にはいつも名前を間違えられました。

三姉妹なので、「梓! 泉! 渚!」と、とりあえず誰かの名前を言っておけばいいだろうという、母の得意技「数打ちゃ当たる戦法」。

 

昔、そんな我々西田三姉妹と、姉が飼っていたバカ犬の「ゆず」で散歩していたんだけど、「ゆず」が絵に描いたようなバカ犬で。でっぷりと太ったパグだったんですけど。

散歩しているのにあっちこっち行きやがって。しびれを切らした飼い主の姉が、

 

「コラッ! なぎっ!」っつって大声で犬に向かって叱りつけていたのを思い出しました。

 

「なぎ、犬じゃないんだけど。ちゃんと歩いてるんだけど……」と言った妹の顔が忘れられません。

 

 

で、今回のブログのテーマなんですけど。先日わたくし、生まれて初めて名字を間違えられました。

 

西田っていう名字なんですけど、まぁ、普通は間違えられない。

 

青森山田高校の時、青森県出身の後輩から「にしたさん、にしたさん」と呼ばれていました。青森県では「田」を「た」と発音するのだとか。

同じく、高校時代、「石田さん」という食堂のおばちゃんがいたのですが、名前を聞かれ「西田です」と答えたら耳が遠くてよく聞こえなかったのか「あら、おばちゃんと同じ名字だね」っつって、石田のおばちゃんからは「石田」と呼ばれ、可愛がってもらっていました。

 

それ以来、名字を間違えられることは無かったんです。

 

外国人から名前を間違えられたり、青森県の人から名字を間違えられるのは許せる範囲ですが、この前、日本人の卓球王国の方からメールで

 

「田中さま」

 

と、ご挨拶を承りました。

 

 

えっ?

 

っつって。

 

ちょ、おまっ! ……あれ私って、いつ改名したの?

 

って、本当にドキッとしました。

 

あれ? 私は確か、西の田んぼじゃなかったっけ? ほら、西の方の田んぼ。そうそう、そこら辺。

 

……いつから田んぼの中になったの?

 

ちょっと、聞いてないんですけど!

 

そういうの、変更とかあったらちゃんと連絡してくれないと困るんですけど。

 

あれでも待って? 名字って、普通変わらないんじゃないの? 結婚したり、家庭裁判所に申し立てをして許可を得ない限り。

 

ちなみにわたくし結婚していますが、名字は変わりませんでした。

 

いつかは「福山」という名字になるんだと疑いもしませんでしたが、結婚しても「福山」の名字は勝ち取れず、結婚しても西田のまま。

 

そんな割と頑固な「西田」が、いつの間にか「田中」になっとるー!

 

で、よく考えたんですけど、卓球王国の人のメールがコピペしていたという事が判明。

 

卓球王国の日本を飛び出した卓球人に聞いた!「YOUはどうして海外に?」ケース5に、コンスタンティヌ彩能(旧姓・田中)さんがおり、その方と間違えたのかと。

 

時差もあるだろうに、外国に住む5人もの卓球人を同時期にインタビューし、記事を書き、メールでやり取りしていれば、そりゃ、田中と西田を間違えるわな。

 

つーか「田んぼ」というくくりで分けたら同じカテゴリー。違ってない。むしろ、同じ。

 

 

ちなみに田中彩能さんは私の妹の高校、大学の後輩で、よく妹が「彩能が~」と言って話題に出していたので「彩能ちゃん」には親近感があります。まぁ、実際に会って話したことはありませんが。

 

 

そんな彩能ちゃんのメールには「西田さま」と間違えて挨拶されていて、彩能ちゃんがビックリしていたりして。

 

「今の私の名字は『コンスタンティヌ』。なんか『西の田んぼ』と間違われてるんですけどっ! ちなみに高校、大学で先輩だった西田先輩のお姉さんが今回の卓球王国の『YOUはどうして海外に?』のケース2で紹介されてるらしいよ。西田先輩はよく『お姉ちゃんが~』って話題に出していたから、西田先輩の『お姉ちゃん』には親近感が沸くというか。まぁ、実際に会って話したことないけど」

「YOUはどうして海外に?」

皆さん、卓球王国11号、見ました? それとも読みました?

 

卓球王国の日本を飛び出した卓球人に聞いた!「YOUはどうして海外に?」に、僭越ながら西田泉、載らせていただきました。

 

ある日突然、卓球王国と名乗る方から取材依頼のメールが来ました。

 

なんていうか冥途の土産っていうか、

「私も昔、卓球王国にインタビューされたことがあってね。全カラーでね、半ページも使ってもらってね……」みたいなイイ思い出話ができたと。

 

人生初のインタビューを受けたわけですが。

 

 

ズームでの取材でしたので、慣れないパソコン操作と、初めてのインタビューという二大イベントが同時にやってきたので、おめかし用のジャージに着替えることもすっかり忘れ、普段着のいつものジャージで参戦。

 

インタビュー中、5歳の息子は何故かテンション高めで「千円チャーシュー! 千円チャーシュー!」と叫びながら私の顔や髪を引っ張り続けていたので、インタビューを受けているのにインタビュアーの質問が聞き取れないというハプニングに遭遇。アレクサ! 対処法を教えて!

 

「パソコンに写っている人に僕のママを取られた」と思ったのか、息子の、「ママ! ママ! 僕のママ! ママは僕だけを構ってくれれば良い!」みたいな謎のグイグイが凄くて。

 

息子があまりにもしつこいので、優しそうな爽やか青年のインタビュアーの方でさえも、あれよあれよと引いていくのが見えました。

 

息子の「千円チャーシュー!」、私の変顔、質問が聞こえない、という困難を見事に乗り越え、最後までインタビューし切った卓球王国のインタビュアーさんに心からの拍手を。

 

普通の人だったら「今日はちょっとアレなんで、また日にちを改めて……」なんつー考えも浮かんでくるはずですが、

お互い善戦しましたね。

 

私なんか顔を思いっ切り引っ張られ、40年間誰にも見せたことが無かった変顔をさらしつつインタビューを受け続けた。

 

嫌だなあ、恥ずかしいなあって思ったけどね、なんか「やれやれ」みたいな能力者の主人公みたいな気持ちも若干あって。

 

全てをさらけ出しましたよ。もうね、持って行けと。私の全てを。

 

私の全てを出しました。人間のアレで言うところの快便。

 

マラソンで言う、42.195キロを走り切った。

 

ボクシングに至っては、完全燃焼……。

 

インタビューを終えて、パソコンの電源を切った時、なんか、階段登った感あった。
どこか誇らしい気持ちと、私なんかまだまだなんだなっていう気持ちと。

そして、ついに、初・体・験……しちゃったなって。

必要のないアラームはOFFにして

横井選手と坂本くんがペルー料理、いや、パスタとスプライトを召された翌日。

 

旦那の車でお二人をホテルから空港までお送りすることになりました。

 

月曜日の朝でしたので、息子の登園の準備などをしなければなりませんでしたが、今回はお義母さんにお願いし、私はレンソと同行。やっぱり、持つべきものは義母よね。

 

月曜日から金曜日まで、息子がいつも起きる7時45分に携帯電話でアラームをセットしてあります。

 

あれって便利ですよね。いちいち前日にアラームをセットしなくても、月曜日から金曜日まで目覚まし時計が勝手に作動するんですから。

 

しかし馬鹿の一つ覚えのように、それはもう「コケコッコー! コケコッコー!」つって、すっげーうるさいので、

 

今回はそのアラームをあらかじめOFFにしておきました。

 

鶏に邪魔されることなく、今は横井選手と坂本くんとの会話に励みたい。

 

これって自分で言っちゃダメなんでしょうけど、

 

私って結構気が利くっていうか。

 

必要のないアラームをOFFにして、会話に集中できるように気配りをする人なんて、このブログを読んでくださっている中にどれくらいいますかねまぁいないでしょうね。

 

「さり気ない気配り」とでも言うんでしょうか?

 

「能ある鷹は爪を隠す」って言いますけど、私の場合、その爪、全然隠れてない。

隠しきれてない。ねぇ見てよ、このあふれんばかりのKI☆KU☆BA☆RI☆

 

まぁ40年も生きていれば、おのずとそういう風格、生き様って言うのが出てきてしまうのでしょうね。そういう星の下に生まれてきたのだからしょうがないんでしょうけど。

 

ちなみに横井選手はこれからオマーンに行って試合だそうです。ちなみに横井選手はそこで優勝されました! おめでとうございます!

 

その後はカザフスタン、その次の週はブルガリア。そしたら3日後にTリーグに出場して、5日後にアジア選手権でまたカザフスタンへ。なんじゃこのスケジュール。

 

移動、試合、移動、試合、移動、試合……。

 

ザ・プロ。

 

これぞ、プロ選手。そしてプロコーチ。

 

本人たちには何度も言いました。言い過ぎて彼女の耳にタコを付けさせてしまったことはもちろんこの通り、反省していますよ。ほらね。

 

 

でも、

 

私は「頑張ってください! 応援しています!」としか言えません。

 

それだけしか言えませんし、それだけしか言いません。

 

なので、

 

是非、

 

聞いてください。

 

西田泉、渾身の一言。はりきってどうぞ!

 

 

「頑張ってください! 応援しています!」

 

 

 

翌日の火曜日。

 

「ん~、良く寝たぁ」と気持ちよく目覚めてふと時計を見たら朝の9時。

 

息子の登園時間は8時半。

 

目覚まし時計のアラームをONにし忘れていました。

 

おいっ、鶏っ! 焼き鳥にすっぞ!

目玉が飛び出るくらい驚いた

人の話しを聴くっていうのはなんて楽しいことなのでしょう。

 

小学校低学年までは世界は自分のものだと思っていたし、しばらくは世界は自分中心に回っていると信じて疑わなかった。

 

中学生になると「それは違うかもしれない」と気付き始め、高校生、大学生、社会人になってようやく「世界にはいろんな人がいて色んな考え、価値観がある」と分かったものの、人と会う時は自分の話しを聞いてほしくて、自分の事しか考えていなかったと思います。

 

卓球選手を終え、卓球のコーチになり、ペルー人と結婚して息子が生まれしばらく経ちましたが、「自分が! 自分が!」という今までの考えから「あなたの考えはどうなんですか?」と素直に聞けるようになりました。

 

自分の視点からは見えなかった、気づかなかった、知らなかった話しや考えを聞くということは本当に楽しいです。

 

あの西田も、大人になったなぁ(遠い目)。

 

皆さんは知らないと思いますよ。

昔は短パンをグイと胸の位置まで上げて「足だけ星人~!」と練習場で走り回ったり、おにぎりを持って試合会場で「おにぎりマン~!」と走り回っていたことを。

 

それは伝説となり私の中で語り継がれていますが、こんな事ブログにでも書かない限り、誰にも知られることは無いでしょう。

 

さぁ、茶番はここまでよっ!

 

今からが本番よっ!

 

つまり私が言いたいのは西田泉が確実に、そして着実に大人の階段を登っていること。

 

それを声を大にして伝えたい。聞いてる?

 

皆さん、ちゃんと付いてきてくださいね。ノコノコしていると、置いていきますよっ!(キリッ!)

 

 

横井選手にラバーをどのくらいの期間で替えているのか、とか、何時間練習していたの? とか聞いたんですけど、

 

「えっ?」つって。

 

私ってこんなに目を丸くできたんだ、え知らなかったぁ。っていうくらい、目を真ん丸にして驚きましたよ。私か、それとも猫バスかっつーくらい。たぶん私の方が勝ってた。

 

こんなにビックリしたのは半年前の「神奈川オープン」の団体戦で、2試合目だと思ってのんびりしてたら「ペルーチームは至急第三コートにお入りください」と放送を聞いて飛び上がった時以来。

 

いやー、あん時ほど「バルス!」っつー呪文を唱えたことはなかったですね。なにも起きなかったけど。発音が悪かったのかな。

 

あの時は「こんなにビックリすることはここ数十年、そうそう無いだろう」と思っていましたが、まさか半年後に来るなんて。

 

で、ラバーをどのくらいの期間で替えているのか、何時間練習していたのか、の答えを聞きたい方は直接横井選手に聞くか、もしくは私に聞いてみて下さい。

 

マジで目ん玉飛び出ますよ。

ペルーでペルー料理じゃない料理に舌鼓を打つ

大藤沙月選手と吉田春香コーチには最後のご挨拶は出来なかったものの、横井咲桜選手と坂本竜介くんに「ブタの散歩」というネタを提供できたことでプラマイゼロに帳尻合わせしておきました。

 

その足でペルー料理が食べられるレストランへ。

 

私「夜ご飯が遅くなってしまい、ごめんなさい」

 

横井選手「も~、お腹ペコペコです!」

 

 

横井咲桜選手はかなりの偏食。と、坂本くんが教えてくれました。

 

「チチャ・モラーダ」というペルーを代表する飲み物(紫トウモロコシを煮出したジュース)と一緒に乾杯する写真だけ撮った後、横井選手は頼んでおいたスプライトを美味しそうに飲んでいました。

 

そもそも肝心のチチャ・モラーダを味見したのか、してないのか、見そびれてしまいましたが、横井選手、一口だけでも飲みました?

 

生の魚も食べられないんですって。ペルーを代表する料理がまさに「セビッチェ」という生魚のピリ辛のマリネみたいなやつなんですけど。

 

で、横井選手は辛いのもダメなんですって。

 

もう、全然ペルー料理ダメじゃん(泣)。

 

ペルーを代表とする飲み物「チチャ・モラーダ」、ペルーを代表とする食べ物「セビッチェ」、横井選手のご機嫌を全然取れてない。お前ら、出直してこい!

 

とりあえず、ペルーを代表する料理を頼んでみました。

紫トウモロコシのジュース、チチャ・モラーダ。

ザ・ペルー料理、生魚のマリネ。セビッチェ。

森薗政崇選手のお気に入りだったペルー版コロッケ、パパ・レジェーナ。

ペルー版ポテトサラダ、カウサ。

ペルー定番のお通し、カリカリのトウモロコシ。

カレーっぽい味がする、レンソがいつも頼む、アヒデ・ガジーナ。

 

 

そんな横井選手と坂本くんが頼んだ料理がコチラ。

 

 

「エビのクリームパスタ」

 

 

全っ然ペルー料理じゃない(泣)

 

どこからどう見ても、全然ペルー料理じゃない(泣)

 

「目には歯を、歯には目を」っていうくらい、違う。

 

ブレーキとアクセルを一緒に踏んじゃうくらい、なんか違う。

 

「なるほど、そういうことだったんですね!」と膝じゃなくて肘をポンするくらい、違う。

 

でも、いいの。それでいいんよ。「蓼食う虫も好き好き」っていう諺があるじゃないですか。

「タデの辛い葉を食う虫もあるように、人の好みはさまざまである」ということ。

 

そもそもペルーでペルー料理以外のものを食べて、一体何が悪いんですか?

 

っていうかあなたねぇ、さっきから言わせておけば、好き勝手なこと言ってんじゃないわよ! ねぇ、ちょっと聞いてる? おーい!

 

つべこべ言っておりますが、お二人はクリームパスタを「美味しい」と言って食べていました。確かに、クリーミーなホワイトソースがエビとパスタに絶妙に絡み合っている。彩色を気にしてか、シェフの粋な計らいでグリーンピースまで入っていました。そういうのを「お洒落」っていうんですかね。知らんけど。

「サービスでいつもより多めに入れてあげるね」って、シェフがウィンクしているのが頭をよぎりましたよ。

坂本くんは「美味しい」と言いながらグリーンピースを丁寧に丁寧に、他のお皿に取り除いていました。つまり残していました。

 

横井選手に至ってはエビを数匹残しつつ、スプライトでお口直ししていました。

 

 

私「どれが一番美味しかったですか?」

 

横井選手「ん~。これ、ですかね☆」

 

スプライト殿、あなたをペルーで一番美味しいペルー料理として認定し、表彰致します! この度は大変おめでとうござんした!

 

え? 私が一番好きなペルー料理ですか?

 

そんなのスプライトに決まってるじゃないですか! ふざけないでくださいよ!