カテゴリー別アーカイブ: 青森山田高校時代

吉田安夫先生

吉田安夫先生が亡くなったという悲報は、吉田先生に直接お世話になっていない人にも大きなショックを与えたのではないでしょうか。

 

私は青森山田高校出身。

 

吉田先生は男子の監督だったので、女子が直接アドバイスを受けることはほとんどありませんでした。

 

しかし、私は何度かアドバイスを頂く事があり、身が引き締まる思いでそのアドバイスを聞いていたのを覚えています。

 

ある男子が「先生に質問したら『オメーはそんな事も分からねぇのか!』と殴られたことがある」と言っており、背筋が凍り付きましたが、青森県から東京までの飛行機の席が隣になった時「これはチャンス!」とばかりに、こんな質問をしたことがあります。

 

「卓球が強くなるには何が一番必要ですか?」

 

すると、このような答えが返ってきました。

 

「先ずは、素直じゃないとダメだな」

 

「なるほど」と、妙に納得し、何かあるごとにこの言葉を思い出して物事に励むようになりました。

 

吉田安夫先生のご冥福を心からお祈りいたします。

我ら青森山田学園、青森山田高校時代の写真

前回のブログの更新後、原雅彦の奥さん、つまり私の大学の後輩、ちーぼーからこんなメッセージが届きました。

 

 「西田さんブログに原の名前ありがとうございました。

お礼に、と言ってはなんですが……。坂本竜介さんいないけど(笑)」

 

こっ、この写真はっ! 我ら青森山田学園、青森山田高校時代の写真ではないですかっ!!!

 

この写真を送りつけるって事は、これは「この写真を使って次のブログを書いて下さい」と言っているに違いない! 書くよ、書きますとも!

 

「いえ、西田さん! 私、そんなつもりで写真送ったんじゃないです!」というちーぼーの声が聞こえてきますが、その話はここに置いといて、と。

 

左からライオンの赤ちゃんのような顔をした森田有城、

ゲームが大好きだという原雅彦、

高校生の時からファンが多かった高木和健一、

青森山田高校時代、女子寮でウサギを一時保護していた時、ウサギの耳を掴んで持ち上げ、私をハラハラさせた張良、

そして「出っ歯野郎」、「左のペンの奴」、「投げ上げサービスの奴」等と(恐らく)呼ばれていた、肌がとても白いこの女の子は誰?

持ち前の出っ歯を口をキュッと閉めて隠し、柴犬のようなクリクリとした目でこちらを見ている肌がとても白いこの女の子は誰?

当時は練習で髪を切りに行く時間も無かったため、卓球部の女子は自分で自分の髪の毛を切っていたので、写真に写っている女の子のような結構短めな前髪になるのはいつものこと。っていうか、しつこいようだけど、肌がとても白いこの女の子は誰?

 

あぁ、これは……、私かな? 肌が白いって、そりゃそうだ。外に出て日差しを浴びる事なんて高校3年間無かったですもん。

 

毎日毎日、

女子寮 → 食堂() → 学校 → 食堂() → 卓球場 → 食堂() → ジャスコ → 女子寮 

の行き来のみ。

特にジャスコには「ジャスコなんて、もういいよ!」っていうくらい毎日足しげく通ってました。それはそれは健気に。食べ物とか飲み物を買いに。あ、ジャスコって言うのは青森県で唯一の心のより所、大型スーパーのジャスコのことです。しばらくして近くにイトーヨーカドーも出来ましたが、ジャスコの方が私は行きやすかったです。

 

毎朝「朝練」と称して卓球部女子全員でランニングもしていましたが、朝の6時からでしたから、太陽の日差しなんて微々たるもの。

 

現在はグアテマラ滞在4年、ペルー2年半の月日が流れ、私の肌は東北出身のようなつるつるスベスベの「ゆで卵肌」から、なんとも表現しがたい「ドス黒い肌色」へと変化したのでした。

 

「なによりすごいのが、西田さん15年前と全然変わってないです」

 

と、後輩は気を遣ってかこんなコメントをくれましたが、さて、それはどうかな?

 

おまけ。

吉田安夫監督も写っておられます。

日本の中目黒で坂本竜介によるバタフライ主催の「ロゼナ」の試打会に対抗致しまして、ペルーにて、(勝手に)ラケットの試打会

坂本竜介によるバタフライ主催の新ラバー「ロゼナ」の試打会が行われた。と、ヒラヤマユウジさんのブログに書かれていましたね。

ロゼナか……。私の父もロゼナを使っているけど、なんか上手く使いこなせていないような気がすr、、、、あれ? 使いこなすというか、そもそも父の卓球のレベルが、、、、

そもそも「ロゼナ」を使ったところで、坂本竜介みたいに卓球が上手くなれば苦労しないですよ!

 

え? 「さっきからアンタ、坂本竜介、坂本竜介って、呼び捨てにしてんじゃないわよ!」ですか? まぁまぁ、餅ついて餅ついて(落ち着いて落ち着いて)

 

彼とは青森山田高校で同級生、3年間ずっと同じクラスだったんです。ま、彼はドイツに行ってたり遠征や試合でほとんど学校には来ていませんでしたけどね。

 

同じクラスの異性の名前を呼ぶ時は、大体「呼び捨て」だったでしょう?

 

クラスメイトと言えば、他にも去年マスターズ30代で優勝した高木和健一、ライオンの赤ちゃんみたいな顔をしている森田有城、私の大学の後輩と結婚した原雅彦、当時貴重だったペンホルダーの木村くん、阿部恵ちゃんと結婚した張良らも一緒でした。

 

つまり、我々女子が男子の話をしている時は大体「坂本竜介ってさ~」とか「森田有城が~」とか「原の~」とかそういう風に話をしていた訳ですよ。

なぜか木村くんの時だけ「キム」でしたけどね。

 

彼等が我々女子の話をしていたとは考えられませんが、もし話していたとするならば、私は「あの左のペンのヤツ」とか、「出っ歯野郎」、「投げ上げサーブのヤツ」とか呼ばれてたんでしょうね。勝手な想像ですけどね。って、「出っ歯野郎」はちょっと酷くない()

 

日本の中目黒で試打会が行われている頃、ペルーでも、渡辺拓也くんと、JICAボランティアの松山新之介くん(もうすぐ帰国!)、私と旦那レンソの参加者4人で「勝手にラケットラバーの試打会」が行われていたのを、あなたはご存知?

会場は我が家。

なんと、「会場にいる全員と、好きなラケットを、好きなだけ試打することが出来る」夢の特権付き!

 

会場は大いに盛り上がりました。

メンバー紹介。左から渡辺拓也くん、レンソ、松山新之介くん。

 

試打会が終わると、何故かレンソがお気に入りのおもちゃ「けん玉」を取り出し始めました。おもちゃを手に、ご機嫌なレンソ。けん玉大会も行われました。

 

 

判って出来ないより判らなくとも出来た方がいい

前回のブログ「踵スペシャリスト (または踵マスター)」に対し、皆様から素敵なコメントを沢山頂きました。それにしても、さすが「卓球ブログ」

卓球ネタに関する反応が高い!

確かに、私の髪型が「こけし」だろうが「金太郎」だろうが、皆さんには全然関係のない話ですもんね。

よーし! 皆さんの「卓球ネタ」に対する反応もわかったことだし、これからはガンガン「卓球ネタ」で攻めて行きますよ~!

早速ですが、前回のブログを読み返してみて下さい。この部分です。

『そうか……。私は、出来る子だったんだ!

私が言いたい事はつまり、「自分自身では知らなかったけど、実は出来ていた」という事実です。

このブログを読んで下さっている方の中で、「どうしたら卓球が上手くなれるのか?」と四六時中考えている人がいらっしゃると思います。

高校生~大学生時代の私がそうでした。常に卓球が強くなるためのアンテナを張っており、授業中でも「あ! これは卓球にも通じる所があるな」とか、「この考え方は卓球にも使えそうだぞ」等と情報をキャッチしていました。

さて、インカレで配られたパンフレットに記載されていた祝辞に、こんな素晴らしい事が書かれていました。

「卓球という学問は、結果が全てです。判って出来ないより判らなくとも出来た方がいいのです」と。

すげー。「判らなくとも出来た方がいいのです」だって!

本当にその通りだなー、と思いました。東京都卓球連盟森武会長からの祝辞でした。

え? 「どうして物覚えの悪いアンタが、なんでここまで詳しく覚えているんだよ?」 ですか? ふふふふふ。それはね……

メモに残しておいたからですよ。そしてそのメモは今、グアテマラの私の手元にあります。

このメモ帳には今読み返しても「ほほぅ!」と納得する事ばかり書かれており、メモを残してくれた高校生~大学生の自分に心から感謝している次第です。

話を戻しますが、私は踵を存分に使って動いていて、それは「それが判らなくても出来てしまっていた」んですね。

う~ん、さすが、踵スペシャリスト! (または踵マスター!)

卓球王国さんからカラー連載依頼が来るのを、今か、今かとわくわくしながら待っています。

さて、「うぬぼれ気分」はここまで。

実際に私が自分自身の事を「出来る選手、出来る人間」とは全く思っていませんからね。今回「出来る子」風に書いたのは、ネタですから。お間違えのないように。