凄い人って、大体変わってるじゃないですか?
武田さんはまさにそのパターンだと思います。
武田さんって、変わってるんですよ。普通の人じゃない。つまり変人。
つまり、凄い人。
ブラジルはサンパウロにある、イタインケイコ卓球クラブでエリートクラスの子供たちのコーチをしています。
武田さんの何が凄いって?
①日本人初のブラジル代表コーチ
(2012,2013年ホープス それ以降はクラブとの兼ね合いで辞退している)
②ブラジル代表総監督のリンコン・安田さんへのアドバイス
代表選考や代表合宿の練習メニュー作成の助言。
③レベルを問わず子供たちに慕われている
卓球の技術のみならず学校でのこと親とのことを、ブラジル人の他のコーチではなく武田さんに相談するそうです。
④技術を教える時の説明がわかりやすい
例えばシュートドライブをある選手に教える時に「この技術を覚えると、試合でこういう風に使える。それができると今あるこの技術が生きてくる。
そうなると試合で使える戦術がこれだけ増える。そのために今この練習をする」というような説明をするため、選手はイメージがし易く、やる気も出て上達が早いのだとか。
フリーハンドが後ろに行ってしまう癖を、ボールを使って直している様子。
⑤何人もの選手をブラジル代表にし、南米チャンピオン、ラテンアメリカチャンピオンも育てた
2013年の南米大会で、教え子のドゥドゥ(エドゥアルド・トモイケ)にアドバイスをしている様子(もちろんポルトガル語)
選手はもちろん、ブラジル人コーチにも多大な影響を持つ武田さん。
その彼が、リオデジャネイロオリンピックの後、日本に帰国することに決めたそうです。
帰国の主な理由については
1、物価の急激な上昇で生活が苦しいこと
2、お金が無いと医者にも思うようにかかれないこと
3、ここ数年、周りの知人が何人か急に亡くなり「ブラジルでは死にたくない」と思ったから
「俺みたいに『選手』として名前がないとコーチをするのは難しいよ」と武田さんは言っていましたが、私はこんなコーチをあまり見たことがありません。
武田さんが日本に帰ると、イタインケイコ卓球クラブに与える影響は膨大。
ブラジル卓球界に与える影響も少なくありません。
もちろん、日本でも結果を出しています。
2000年、全日本卓球選手権大会でダブルス優勝!
鬼頭明選手・野平直孝選手
その武田さんが「日本に帰国する」と言っているのですから、当然コーチをすると思いきや、日本に帰ってからの仕事はまだ決めていないそうです。
料理はセミプロ級、子供が大好き、頭がイイ、兄貴肌、世話好き、気が利く、昔は相当モテた(らしい)、リーダーシップがあり、歌も上手い。
武田さんならきっと何でもできるんだろうけど、やっぱり卓球のコーチをやって欲しいと思うのは私だけじゃないはず。
武田さん 中年フリーターなんて言ってないで、卓球のコーチ続けてくださいよー!
でも居酒屋の大将やパティシエ、学校の先生や保父さん、普通のサラリーマンにホスト、何をやっても武田さんならハマりそう。
広大な可能性を秘めた武田さん。恐るべし。
昨年の2015年2月6日のブログにも武田さんの事を書いています。合わせて読んでみてください。
ブラジル ~武田俊夫コーチ~
2016年今年の写真。私ったら、去年と同じTシャツ着てる!
武田さんは去年と変わっていませんね。
武田さんに用事があってメールのやり取りをしていたら、イタインケイコと書いていたところにツッコミが入りました。
→ちなみにイタインケイコーです
稽古ではなく蛍光灯のことなのよ
……知らなかった。ずっとイタインケイコだと思っていたけど、イタインケイコーだったのね。みなさん、ここはテストに出ますよ。