スマホ版に
戻る

中国リポート

トップニュース中国リポート
 2008中国卓球クラブ超級リーグの登録メンバーが発表された。例年、参戦するクラブやスポンサーがめまぐるしく変わる超級リーグだが、男子は遼寧錦州万通が錦州銀行へ改称した他は、ニューフェースは甲Aリーグから昇格した上海冠生園のみ。北京五輪という一大事業があったせいか、ストーブリーグも比較的平穏だったようだ。昨シーズンの最終成績は下記のとおり。

★07中国超級リーグ男子 最終成績
1. 寧波北侖海天  (12勝6敗)
2. 浙商銀行    (12勝6敗)
3. 四川全興    (11勝7敗)
4. 八一工商銀行  (11勝7敗)
5. 遼寧錦州万通  (10勝8敗)
6. 海寧皮革城鵬翔 (9勝9敗)
7. 江蘇江南電纜  (8勝10敗)
8. 天山万杰隆   (8勝10敗)
9. 魯能中超電纜  (7勝11敗)
10. 江蘇華都琥珀  (2勝16敗)

それでは今シーズンの男子登録10チームを、3回に分けてご紹介したい。 ※★印は外国籍選手

■浙商銀行(ジェシャン インハン/浙江省)
監督:陳健(チェン・ジェン)
選手:馬琳(マ・リン/WR2/08北京五輪シングルス金メダリスト)
   張超(チャン・チャオ/07世界選手権混合複ベスト16)
   魏炎涛(ウェイ・イェンタオ/05全中国運動会ベスト16)
   ★水谷隼(日本/WR22/07世界選手権複ベスト8)
   ★ヤン・ツー(シンガポール/WR29/07プロツアーファイナルベスト8)

 全日本チャンピオン水谷隼の加入が最大のトピックス。国内ではクラブ名の「杭州尼瑞」が移籍先として報道されているが、超級リーグでは昨年同様、スポンサーの浙商銀行がチーム名として登録されるようだ。世界ランキングを22位まで上げている水谷でも、まずは五分の戦績を残すことが現実的な目標か。
 チームの強みは、なんといっても超級リーグの優勝請負人こと馬琳の存在。4シーズン連続でチームを優勝へ導いた実績はダテではない。2番手の張超とは05年全中国運動会2位の名コンビで、馬琳/張超ペアでダブルス勝負のオーダーを組むこともできる。実現の可能性は低いが、日本のファンにとっては水谷/馬琳というダブルスもぜひ見てみたいところ。優勝候補筆頭は間違いなくこのチームだ。

■寧波北侖海天(ニンポォ ベイルンハイティエン/浙江省)
監督:劉国棟(リウ・グオトン/シンガポール女子監督)
選手:馬龍(マ・ロン/WR3/08アジアカップ優勝)
   李虎(リ・フゥ/03世界ジュニア優勝)
   呉ハオ(瀬の「束」が「景」)(ウ・ハオ/06世界ジュニア複優勝)
   崔慶磊(ツイ・チンレイ/07アジアジュニア準優勝)
   ★呉尚垠(オ・サンウン-韓国/WR10/05世界選手権3位)

 スポンサーの海天国際集団は、中国最大級のプラスチック成型機メーカー。昨年は後半戦でエース馬琳が大爆発し、浙商銀行をギリギリでかわして優勝を飾った。しかし、今年はエース馬琳と2番手の李静が移籍するなど、なんとメンバー全員が総入れ替え。四川全興から移籍した馬龍はもともと北京の選手で、北京市が超級リーグから降格して以来、「さすらいの助っ人エース」となっている。北京五輪で健闘した呉尚垠のプレーが、チームの浮沈のカギを握りそうだ。3番手以降の層の薄さが弱点か。

Photo上:水谷隼、そのオールラウンドプレーで観衆を魅了するか。体調管理もポイントだ。
Photo中:水谷と3・4番手の座を争うことになるヤン・ツー
Photo下:寧波北侖海天の新エース・馬龍
 北京五輪の団体・シングルスで金メダルを獲得し、ついに「無冠の帝王」を返上した馬琳。中国が生んだ歴代のチャンピオンたちの中でも、これほど辛酸をなめ尽くしたチャンピオンはいるまい。99年世界選手権決勝の劉国梁戦、03年世界選手権準々決勝の朱世赫戦、04年アテネ五輪4回戦のワルドナー戦、05年世界選手権決勝の王励勤戦、そして07年世界選手権決勝、ゲームカウント3-1の7-1から逆転された王励勤戦…。思い出されるのは、あるいはタイトルまであと一歩と迫りながら、あるいは期待を裏切って早いラウンドで、敗れ去っていく馬琳の姿だ。

 そして五輪からしばらくは、馬琳も金メダリストとして中国全土を飛び回る忙しい日々が続いている。9月4日に広東省仙頭(スワトウ)市を訪れた馬琳は、翌日母校である仙頭卓球学校を4年ぶりに訪問し、熱烈な歓迎を受けた。翌9月6日には、仙頭市政府が北京五輪の選手表彰式を開催。馬琳は女子バスケットボールの宋暁雲らとともに表彰を受け、100万元(1500万円)という破格の報奨金を受けた。
 馬琳は93年11月に遼寧省瀋陽市から、仙頭卓球学校に転校。この年に仙頭市で開催されたジュニア大会で、劉銘水コーチがその才能を見抜いた。当時の仙頭卓球学校のチームメイトは、現在国家男子チームのコーチである劉国正と、北京五輪でベスト8に入った譚瑞午。この3人はともに99年世界選手権アイントホーヘン大会に中国代表として出場している。

 出身地である瀋陽市でも、馬琳フィーバーは続いている。馬琳の通っていた小学校、順通小学校はなんと「順通馬琳卓球学校」への校名改称を計画中。もともと卓球の盛んな学校で、これまでに十数名の選手を国家チームへ送り込んでいるそうで、馬琳がシングルスで金メダルを獲得したあと、学校には「子どもをそちらの学校に入学させたい」という問い合わせが相次いでいる。

 機を見るに敏な中国の人々。時の人にあやかろうと、この「馬琳フィーバー」はしばらく続くことになりそうだ。

Photo:五輪団体準決勝で呉尚垠を下した馬琳。吠える、吠える!
 これまで五輪・卓球競技のシングルスで、連覇を達成した選手というのはふたりしかいない。92・96年大会優勝のトウ亜萍と、04・08年大会の張怡寧。3連覇した選手はひとりもいない。2012年のロンドン五輪時に張怡寧が現役で、代表に選ばれていたら3連覇のチャンスがあるが、もし達成できたとしたら前人未到の偉業と言えるだろう。
 ところが、今月6日に開幕した北京パラリンピックで、なんと3連覇はおろか、6連覇に挑戦した選手がいる。その選手の名前は張小玲(チャン・シャオリン)。立位クラス8のプレーヤーである張は現在51歳で、北京残奥会(パラリンピックは中国語で「残疾人奥運会」略して残奥会)中国選手団の最年長。19歳の時に仕事中に右脚を負傷したのがもとで義足となりながら、これまで13回義足を取り替えたというほどの猛練習を積み、右ペンホルダー表ソフトの強力な速攻を身につけた。

 なにしろこの張小玲女士、88年ソウルパラリンピックでシングルスと団体戦で優勝したのを皮切りに、04年アテネパラリンピックまで団体とシングルスで5連覇。シングルスでは8つのクラス分けがなされているとはいえ、5大会で一度も負けることなく、10個の金メダルを獲得してきたというのだから、全く空いた口がふさがらないほどの強さ。どうも中国という国は、時として偉大な女傑を生むお国柄のようだ。

 しかし、卓球競技第4日目、午前10時45分スタートの女子クラス8準決勝。今大会は団体にエントリーせず、シングルス一本に絞ってきた偉大な女王に、ついに敗戦の瞬間がやってきた。スウェーデンの28歳・アブラハムソンに対し、第1ゲームをものの3分とかからずに11-1で奪ったものの、ゲームカウント2-1とリードしてからやや守りに入り、アブラハムソンの攻撃力にゲームオール9本で屈した。中国国内ではすぐに「今回のパラリンピックで最大の番狂わせ」という報道が流れた。
 百戦錬磨の張小玲にしても、地元開催のプレッシャーがわずかにプレーを狂わせたのだろう。2012年のロンドンパラリンピックに出場できるかは微妙なところ。常に変わらぬ圧倒的な存在感で、中国ではワルドナーと並び「常緑樹」と称されてきた張小玲。「これまで引退を考えたことは一度もない」と言うが、4年後に向けて闘志を保ち続けることができるか。

 9月3日、広東省深セン市を訪問中の国家卓球チームは、広東省政府、不動産業大手の京基集団と合同で「一切為了災区孩子(すべては被災地の子どもたちのために)」と題したチャリティオークションを開催した。

 四川大地震で被害に遭った子どもたちへ、義援金を募る目的で開催されたこのオークションには、北京五輪で金メダルを獲得した馬琳や張怡寧もサイン入りラケットを出品。馬琳のサイン入りラケットには11万元(約165万円)という高値がついた。その他にも男子選手3人、女子選手3人のサイン入りラケット、そして代表6選手全員のサイン入りラケットも出品され、オークションは次第に白熱。6選手全員のサイン入りラケットはなんと120万元(1,800万円)で落札された。落札者は開会式で聖火の最終点火者を務め、宙に舞った「体操王子」こと李寧氏だ。

 そしてオークションのクライマックスは、各国の選手やコーチのサインが入った、北京五輪の決勝で使用された卓球台の出品。60万元からスタートしたプライスは10万元の単位で瞬く間に跳ね上がり、結局330万元(約4,950万円)で「香港の玩具王」として有名な実業家の蔡志明氏が落札した。

 中国卓球チームは世界選手権などのビッグゲームの後で、たびたび今回のようなチャリティオークションを行っており、卓球選手が福祉活動、慈善活動に登場する場面も非常に多い。もちろん、選手一人ひとりが自発的に行っているケースは少ないだろう。しかし、そのような活動を続けていくことが、選手たちの心の中に「国を代表して戦う」意識が育つ一因になるのかもしれない。
 この夜だけで集まった1220万元、1億8千万円あまりの義援金は、四川大地震で大きな被害を受けた甘粛(かんしゅく)省の被災地で、学校の建設費に充てられる予定となっている。

Photo:自身のサイン入りラケット、落札額を「1万元くらい」と予想していた馬琳。実際はその11倍の値段で落札された
 王楠のプレースタイルは、なかなかひと言では表現しづらい。コース・打球点ともに厳しく、ミスのないバックハンド。抜群の切り替えの早さと崩れないボディバランス。打球点を自在に調節できる懐の深さも特徴的だった。その全面的なテクニックが、幾多の逆転勝ちを演出した強靭なメンタルによって発揮されていった。先代のトウ亜萍を「無敵の女王」とするならば、王楠は「不敗の女王」。ぬるりぬるりと接戦に持ち込み、とにかく最後には勝ってしまう全盛期の強さには、得体の知れないスケールの大きさを感じた。

 それにしても王楠、長い現役生活だった。王楠のいない卓球界を想像することは難しく、その喪失感はしばらく女子卓球界を包むかもしれない。そして同時に、中国女子の若手が本格的に国際舞台に登場してくるだろう。すでに世界トップクラスの李暁霞に加え、曹臻、彭陸洋、劉詩ブン、丁寧、饒静文とタレントは豊富。張怡寧の引退の時期が現時点では読みにくいが、中国女子もここ1~2年で世代交代が一気に進みそうだ。

 さて、まだ現役引退後の進路については明言していない王楠。一体どのような進路を歩むのか。考えられる選択肢は多数ある。
1. 夫である郭斌さんの仕事である不動産業で、新たな事業を始める
2. 自身の名を冠したスポーツブランドを立ち上げ、女社長の座に就く
3. 共産党全国代表大会に2大会連続で選ばれた実績をもとに政治家へ転身する
4. コーチ兼選手という路線を引き継いで、国家チームの指導者への道を歩む。

 …ちなみに本人曰く「専業主婦には絶対ならない」そうだ。どの道を進むにしても、この女傑はどうやら卓球界という枠には収まりそうにない。前述の『ピンパン世界』05年6月号のインタビューでは、卓球界の人脈を重視しながらも、「卓球の他にも実はいろいろなことに興味があるんですよ。ファッションやインテリア、料理とか。私は自分の能力を信じてますし、もし何かをやるとしても、きっとうまくいくと思いますよ」と述べている。

 来月末には、郭斌さんの故郷である山東省威海市で船上結婚式を挙げる王楠。入籍からはや2年、王楠にとっては待ち焦がれたウェディングドレスではないだろうか。

Photo上:ボーイフレンドの郭斌さんから、1万1本のバラのプレゼント(05年上海大会/画像提供『ピンパン世界』)。上海大会では失意の3回戦敗退だったが、北京五輪後にこの年甲状腺にガンが見つかり、切除する手術を受けていたことを明かした
Photo下:卓球王国01年5月号の表紙も飾ってくれました
 北京五輪を最後に現役を引退すると明言していた王楠が、五輪終了後に正式に引退を発表した。北京五輪では女子団体で金メダル、女子シングルスで銀メダルを獲得。2枚のメダルを胸にかけ、見事に引退の花道を飾った。

 1978年10月23日生まれ、今年10月で30歳になる王楠は、「石炭の街」として有名な遼寧省撫順市の出身。7歳で卓球をはじめ、92年に14歳で遼寧省チーム入り。94年に新潟で行われたアジアジュニア選手権で王励勤とともに優勝し、95年に国家チームに選ばれると、世界選手権天津大会代表に抜擢され、いきなりベスト8に入って注目を集めた。

 97年世界選手権団体メンバーとして初のタイトルを獲得してからは、それまで女王として君臨していたトウ亜萍の後を継ぎ、金メダル街道をばく進。北京五輪団体優勝が、世界選手権・オリンピック・ワールドカップ(チームカップ含む)で獲得した24個目のタイトルだった。99・01・03年世界選手権3連覇、03年パリ大会(個人戦)と04年ドーハ大会(団体)では4種目すべてを制して4冠王に輝いている。中国では男女を通じて、断トツNo.1のタイトルホルダーだ。また、あまり報道されることはないが、世界選手権のシングルスで優勝した初めての「サウスポーの」中国選手でもある(五輪では88年ソウル五輪優勝の陳静がいる)。

 同時に王楠は、明らかに全盛期を過ぎてなお、中国代表であることを許された初めての女子選手だろう。分厚い選手層を誇る中国女子にあって、通例なら王楠は04年アテネ五輪、もしくは05年世界上海大会で引退するはずの選手であり、五輪アジア大陸予選への出場に当たっては「李暁霞などの若手を起用すべき」という批判も少なくなかった。実際に王楠も、05年上海大会後のインタビューに対して「きっとこれが最後の世界選手権になるでしょう。ビッグゲームに参加する機会は若い選手たちに与えられるべき」と答えている(『ピンパン世界』05年6月号)。
 実力が同レベルなら常に若手を起用する中国が、あえて王楠を北京五輪まで引っ張ったのはなぜか。それは本人の意思というよりも、国家の意志による一種のヒロイン創出政策ではなかったか。北京五輪という歴史的な舞台で、「偉大な女王」「不世出のタイトルホルダー」という“王楠神話”を完結させようとしたのだ。

 現役生活の終盤は「元女王」という肩書きがついて回り、まさに満身創痍の状態。しかし、最後の大舞台で見せた勝負強さはさすがに女王の貫禄だった。

~その2に続く

Photo上:最後の気力を振り絞った北京五輪団体戦
Photo下:鉄壁のバックハンド、フリーハンドはいつも「4」だった
 8月29日の午前11時、五輪金メダリスト63名を含む総勢93名の中国選手団が、専用機で香港国際空港に到着。バスで宿舎となるインターコンチネンタル香港に到着した一行は、香港市民の熱烈な歓迎を受けた。午後3時半から行われた記者会見で、選手団団長で国家体育総局局長の劉鵬氏は「選手たちの金メダル一枚一枚に、香港の同胞たちから注がれた心血が凝縮されている」と感謝の念を述べた。北京五輪の施設建設に当たっては、香港からも多額の寄付金が寄せられており、今回の香港訪問もその「お礼行脚(あんぎゃ)」という意味合いが強いようだ。

 30日の午前10時半からは、北京五輪アジア大陸予選の会場だった石キップ(石+鋏の右側)尾公園体育館で、中国チームと中国香港チームによるエキシビションマッチを開催。馬琳と高礼澤による男子シングルス、王楠・郭躍と姜華君・于國詩による女子ダブルス、王励勤・郭躍と李静・于國詩による混合ダブルスなどが行われ、トリは何といっても王皓/王励勤と、04年アテネ五輪銀メダリストの李静/高礼澤による男子ダブルス対決。両ペアともロビングを連発して、会場を埋め尽くした1,000人を超える観客を大いに盛り上げた。さらに会場から抽選で選ばれた卓球ファン10名に対して、張怡寧や馬琳らが即席卓球教室を開催した。

 30日夜には4万人収容の香港スタジアムで、訪問選手団によるエキシビションも行われ、卓球選手団はこちらにも参加。馬琳vs王皓、張怡寧vs王楠と北京五輪決勝の対戦カードが再現された。王励勤は香港の人気俳優・古巨基(レオ・クー)らとともに電気自動車に乗り込み、会場を巡りながら見事な歌声を披露したとのこと。

 翌日夜に厦門に移動する強行スケジュールの中で、選手たちに与えられた自由時間はわずか2時間半。香港のマスコミが伝えたところによると、ここぞとばかりに街へ買い物に繰り出した選手たちの中で、「買い物チャンピオン」の称号を手にしたのは馬琳。ホテル近くのルイ・ヴィトンのショップを訪れ、あっという間に手提げや包みを持ちきれないほど抱えて店から出てきた。ガールフレンドや母親へのプレゼントということだが、さすがに金メダリストだけあって景気が良いようだ…。

Photo上:香港の名ダブルス、エキシビションに登場した李静/高礼澤
Photo下:ヴィトンを相手に得意の速攻を見せた馬琳
 五輪・卓球競技の男子シングルス表彰式で、初めて五星紅旗を3枚並べてみせた馬琳・王皓・王励勤。大会前、最も番狂わせが起きやすい種目と言われていた男子シングルスでも、三人の強さは揺るがなかった。

 父親の馬輝さんから「挑戦自我、戦勝自我(自らに挑戦し、自らに打ち勝て)」というメールを受け取り、決勝に臨んだという馬琳。アテネの雪辱を期す王皓を一蹴し、あまりに遠かったビッグタイトルをその手に掴んだ。
 今年5月のフォルクスワーゲンオープン荻村杯決勝でも対戦していた馬琳と王皓。筆者はこの試合の第6ゲーム9-6から、馬琳が10-6とマッチポイントを掴んだ回り込みパワードライブに、彼の心理面の変化を見ていた(彼の優勝後に言っても信頼性がないかもしれないが…)。馬琳はついに「戦勝自我」を果たすことができたのだろう
 これで優勝の呪縛から解き放たれた馬琳が、ビッグゲームで今後も強さを発揮するかもしれない。「自分の年齢、プレースタイルから言っても、次のロンドン五輪に出場するのはかなり難しいこと。でも、僕は自分の競技生活をもっと延ばしていきたい。今後の練習と試合の中で、自らの潜在能力を探り出していきたい」と試合後の会見で語っている。世界選手権のシングルス以外にはすべてのタイトルを獲得し、「大満貫」に王手をかけた馬琳。09年世界選手権横浜大会での優勝が当面の、そして最大の目標となる。

 04年アテネ五輪に続き、2大会連続銀メダルに終わった王皓。準決勝までの圧倒的な強さと、決勝での淡白な試合ぶりは、相手が外国選手から同士討ちに変わったとはいえ、前回大会のリプレイのような内容ではなかったか。
「4年前の敗戦は受け入れがたいものだったけど、今回の敗戦は冷静に受け止めている。大会全体を通して、団体戦でもシングルスでも良いプレーができていた。今後とも努力は続けていくし、決して諦めたりしない。2012年のロンドンで、きっとチャンスはある(王皓)」。ここ1年間の国際大会での強さは際立っていた王皓だが、馬琳ら先輩たちの引退を待たねば、戴冠の時はやってこないのか。

 アテネ五輪と同じく準決勝の同士討ちに沈んだのは、現世界チャンピオンの王励勤。アテネ五輪準決勝の王皓戦、柳承敏に圧倒的に分が良い王皓を決勝に進出させるため、勝敗操作で王励勤が敗れたのは公然の事実だが、今回の馬琳戦はまさにガチンコ勝負。しかし、第1ゲーム0-0(ラブオール)でバック面のラバーを破損し、スペアラケットでのプレーを余儀なくされた。不運と言えば不運。しかし厳しい見方をするならば、それだけ出足で緊張していた王励勤のメンタルは、やはり五輪での栄冠を勝ち取るには物足りないとも言える。
 それでも3位決定戦でパーソンに完勝し、中国勢のメダル独占を決定づけた王励勤。試合後の会見で次のようにコメントした。「試合前に自分自身に言い聞かせました。『これがこの大会で最後の試合、しかも相手は外国選手。外国選手に負けないことが自分の第一の目標だ』。3位決定戦であっても、私は全力で戦いました(王励勤)」。中国卓球選手で史上最高齢の五輪メダリストとなった男に、ロンドンはやはり遠い。

Photo:8月18日の男子団体表彰。5日後の男子シングルス最終日、3人の明暗ははっきりと分かれた
 北京五輪で男女団体にオールストレートで優勝し、男女シングルスでは金・銀・銅を独占した中国。中国代表の6選手は、同士討ち以外ではついに一度も敗れることはなかった。まさに完全勝利、まったく呆れるほどの強さを見せた。
 中国は96年アトランタ五輪でダブルス金・銀を独占し、男子シングルスで金と銀、女子シングルスで金と銅を獲得しているが、今回の勝ちっぷりはそれを遥かにしのぐものだ。大会後、中国のマスコミに対して、選手たちが発した言葉を紹介しよう。

 女子シングルスと団体戦で優勝し、トウ亜萍と王楠に並ぶ五輪4枚目の金メダルを獲得した張怡寧。準々決勝の馮天薇戦で太ももが肉離れに近い状態になり、痛み止めの薬を飲んで決勝戦に臨んだと伝えられている。
 現在27歳と引退も考えられる年齢の張怡寧だが、今後現役を続行するかについては明言していない。「将来的には勉強をしたいと思っています。いろいろなことを学んで自分自身を充実させたい(張怡寧)」。会見で「王楠のように結婚してからも選手を続けますか?」と聞かれると、笑顔で「それはずっと先の話ですよ、私はまだひとりですし」。

 女子団体戦で単複全勝、シングルス準優勝と見事な成績を収めた王楠は、大会後に正式に引退を表明した。「一球でも多くボールを打ちたい、それだけを思っていました。そうすれば自分の競技人生を、少しでも延ばす事ができるから(王楠)」。この姿勢が高い集中力を生み、今回の好成績につながったのだろう。
「今はただ、しばらく休みを取りたい。来月結婚式をする予定です。場所は威海(山東省)。結婚式のことはすべて、夫とその友人たちが決めてくれますから、私のすることはドレスの心配だけ。日取りも知らないくらいなんですが、船の上でやることだけは知っています。とてもロマンチックですね(王楠)」。

 今大会シングルス銅メダルの郭躍は、間違いなく2012年ロンドン五輪の主役になるだろう。「女子シングルスに出場したのは今大会が初めてだったので、一試合に勝利するたびに自己新記録ということ。これからも私は新記録を更新していくことができるでしょう(郭躍)」。やや世代交代が送れている男子に比べ、女子はこの郭躍に加えて李暁霞、劉詩ブン、丁寧、姚彦に彭陸洋とタレントが豊富。郭躍と李暁霞がロンドン五輪の主力になりそうだが、他には誰が飛び出してくるのか。

Photo:それにしても強かった今回の女子チーム。表彰式を控えて笑顔
 8月17日に行われた北京五輪・卓球競技の女子団体決勝で、中国に0-3で敗れ、銀メダル獲得となったシンガポール。中国から1点を奪うことはできなかったものの、世界ランキングのトップ10に入る選手を3人揃え、前評判どおりの実力を見せた。
 シンガポール女子が獲得した銀メダルは、シンガポールが1965年に独立して以来、五輪で獲得した初めてのメダル。1960年ローマ五輪の重量挙げライト級で陳浩亮が銀メダルを獲得しているが、この時はまだイギリス領シンガポールとしての参加だった。

 この慶事に、シンガポール全土は大いに沸いているようだ。この女子団体決勝と時を同じくして、シンガポールではリー・シェンロン首相による独立記念演説が行われていた(独立記念日は8月9日)。リー首相は「国民が女子団体決勝をテレビ観戦できるように」と、17日午後8時から行われる予定だった英語による演説のテレビ放送(生中継)を、18日夜に録画で放送することを決定。7時半から女子団体決勝が放送され、街中のテレビというテレビでその模様が伝えられた。国家の方針や政策について述べる、重要な行事の放送が延期されるのは、極めてまれなことだそうだ。

 演説の最中になんと携帯のメールで結果を知ったリー首相は、演説を一時中断。「我々のチームは敗れた、0-3です」と銀メダル獲得のニュースを伝え、「選手たちのプレーを誇りに思う。彼女たちにおめでとうを言うべきだ」と観衆に訴えた。演説の終わり近くには、シンガポール五輪選手団の陳英梁団長との電話が会場につながり、陳団長は「チームは金まであと一歩というところで中国に敗れました。しかし、我々の女子チームは最後まで精一杯戦った。見事なプレーでした」と語った。観衆からは大歓声が沸き上がったという。
 今年3月に世界選手権団体戦で準優勝し、帰国した際には空港で3人しか出迎える人がおらず、チームのメンバーをがっかりさせているが、今回は超・熱烈な歓迎を受けることになりそうだ。

 なお、シンガポールのリー首相はこの演説の際、シンガポールが「外国人の専門家や労働者を積極的に受け入れ、経済成長を達成した」と発言。同様にスポーツ界も、「海外からの移住選手がシンガポールチームをより強大にする」と述べ、海外からの選手の受け入れに肯定的な考えを示した。帰化選手の増加が問題になっている国際卓球界の潮流に逆行するような発言だが、これも人口400万人の都市国家ゆえか。しかもシンガポールは住民の75%を華人(中華系)が占める。他の国から見れば安易な強化に見える中国選手の流入も、シンガポールにとっては積極的な移民受け入れ政策の一環に過ぎないのだ。所変われば事情も変わる…、と素直に納得できない部分もあるが。

Photo上・中:団体決勝進出を決め、歓喜するシンガポール女子チーム
Photo下:この人の補強も大きい。日本リーグでもプレーした馮天薇