ベトナム卓球の歴史

皆さんこんにちは。

最近日本ではチャイナプラスワン等で、これからの国としてベトナムが取り上げらる事が多いと聞きます。こちらに住んでいても日系企業の視察や進出が多くなっているのも肌で感じます。

日本ではベトナムというと、ベトナム戦争やベトナム料理などを思い浮かべられる方が多いと思いますが、せっかくなので今日はベトナムの卓球の歴史を少し紹介させていただきます。

写真は1950年代のものです。ベトナムは1957年(フィリピン)1958年(日本)で行われたアジア大会、団体戦で2連覇しているのです。主要なメンバー MAI VAN HOAさん、LE VAN TIETさんは、カットマンだったそうです。

そのころ日本には荻村さんと田中さんと2人の世界チャンピオンがおりその中で日本で開催された試合で優勝しているということは今のベトナムの現状を考えると信じられないことです。

2004年青年海外協力隊でホーチミンのコーチに赴任する前に松崎さん、長谷川さん、伊藤さんその他たくさんの方から、私たちの世代のベトナムの選手たちは、非常に強かった。もしベトナム戦争がなかったらベトナムは日本や中国と肩を並べる卓球大国だったはずだから、しっかり頑張ってベトナムの発展のお手伝いをしてきなさいと励ましのお言葉を頂きました。

まだまだ微力ですが今もその言葉を心に刻み頑張っております。

写真(左)はLE VAN TIETさん。東日本大震災の時行われたチャリティー大会に参加してくださいました。

 

About 富岡武侯

1974年生まれ、東京出身。小学校6年の時より狛江市少年卓球で卓球を始める。1997年、唐橋卓球㈱に入社。2004年4月から2006年8月まで、青年海外協力隊隊員としてベトナムホーチミン市ジュニア選抜チームコーチとし赴任。07年1月にバタフライ、ニッタク、TSP、ヤサカのベトナム輸入総代理店 Take.,Co Ltd設立。

ベトナム卓球の歴史” への 6 件のコメント

    1. トップ選手はグルーを使っていた時はブライス。今は64とサーディアスという海外用のバタフライのカーボンラケットを使っている選手が多いです。

  1. マイ・バンホアさんの話は私の師匠、荻村さんに幾度か聞きました。相当強い人だったようですね。

    1. マイバンホアさんもうなくなってしまいましたが、マイバンホアさんの兄弟の孫が今のベトナム女子のチャンピオンです。オリンピックアジア予選で平野さんと2回試合をした太目の選手です。やっぱり遺伝子が違うのかなと、思ってしまいます。

  2. なつかしい 選手

    ベトナムの 卓球選手 マイバンホー 選手を思い出しました、
    何故かというと サッカーJ1だった選手が ベトナムVリーグ でプレーしてる記事をネットでみてて急に ベトナム→卓球→ マイバンホーとおもいだしちゃったわけです。昭和33年春東京でのアジア大会卓球 では審判員やりましたが、 その時の ベトナムのカットマンのフットワークに魅了されました美しくてりずむがよくて 無駄に力が入ってない、、、

    やがて半年後 国体東京都予選の決勝であの有名な富田選手と対戦、この時初めてこのフットワークを真似しました、練習したこともなく  笑
    なんと勝ってしまっちゃったのです。 びっくりです。。。。。
    この年の代表は荻村選手と私と中央の小峰選手でした
    忘れられない名前です マイバンホー選手。 富田選手。荻村選手。

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