仕事から帰ったら女子の敗者復活2回戦が始まっていた。相手は香港。
強敵だ。勝つ可能性は3割ぐらいだろうか。なにしろ帖雅娜(WR10)がめっぽう強い。
1番、福岡と帖雅娜がやったが0-3で負けたらしい。サービスが効かなかったんだろう。効いてたら勝ったはずだ。
2番は福原が林菱に対して0-2から逆転勝ち。すげえ。
これで日本1-1香港。
仕事から帰ったら女子の敗者復活2回戦が始まっていた。相手は香港。
強敵だ。勝つ可能性は3割ぐらいだろうか。なにしろ帖雅娜(WR10)がめっぽう強い。
1番、福岡と帖雅娜がやったが0-3で負けたらしい。サービスが効かなかったんだろう。効いてたら勝ったはずだ。
2番は福原が林菱に対して0-2から逆転勝ち。すげえ。
これで日本1-1香港。
日本男子準決勝のドイツ戦のNHKでの放送が決まった。
BSで15:45から生放送、その後地上波で19:40から録画放送。1番弟子の戸田から「放送時間に間に合うように日本に帰って来い」とメールがきた。
ついにこの日がきた。この日をどれだけ待ったことか。卓球選手がどんなにスリリングで面白くて恐ろしいプレーをしていて、愛ちゃんがどんなにバラエティー番組に登場しても、卓球の真の姿は今まで一般人の目に触れる機会はなかったのだ。それが土曜の午後に生放送。クーッ(涙)。ゴールデンタイムに対ドイツ(涙)。
嬉しい嬉しい嬉しい。生放送の方は、こっちでは深夜1:45からだが、こんなときにどうして寝ていられようか。ITTFのライブスコアリングを見ながらあることないこと書き散らしてやる。今夜は祭りだ!
なお、真面目な速報はこちらをご覧ください。
http://www.world-tt.com/cgi-bin/rep0808/rep0808.cgi
オリンピックのためだと思うが、お盆にもかかわらずアクセスが急増している。これは私に何か書けということなのだろう。
しかし試合も見ないで何か書けるのだろうか。夜中にITTFのライブスコアリングを見ながら書いてみるか。ライブスコアリングを見ながらの実況なんて前代未聞代のバカバカしい行為だ。
リフレックス・スポーツのDVDを紹介しておく。いわゆるファインプレー集で、それぞれ内容が重複しているが、『Beyond Imagination』と『Wacky World』がお勧め。http://www.reflexsports.com/WebPages/TTVMainHighlightsPage.html
目を疑うプレーがそれぞれ120分間、60分間味わえる。
最後のオリンピック、2004年アテネでの神のプレー。
優勝候補を二人倒してベスト4に食い込んだ。
http://jp.youtube.com/watch?v=0f1_P8OzbQk&feature=related
相手は優勝した韓国の柳承敏。どの卓球選手も、この映像のワルドナーのようなプレーは想定していない。ゆえに反応できない。ワルドナーとてこんな練習をしていたはずもない。試合中に思いついてすぐできるのだ。だから天才だと言われる。
なんと。男子の準決勝、対ドイツ戦が日本時間15:30からだと?ってことはこっちの1:30からではないか!
ね・・寝られねえ!まったく、アメリカ人のことも少しは考えて欲しい(アメリカ人じゃねえけどな)。でも映像を見られるわけでもないし、明日仕事もあるので、やっぱり寝る。悔しい。
日本でテレビ放送をしたら私の分まで見て欲しい。しかし手ごわい。エースのボルは中国選手を全員倒して優勝する可能性さえある超怒級の本物。オフチャロフはそれよりわずかに劣るが間違いなくヨーロッパの次代のエース。ズースに至っては名前も変だし何をしでかすかわからない奴だ。
これらに19歳のエース水谷、帰化選手の韓陽、岸川がいったいどんなプレーを見せるのか。
万が一勝ったら銀メダルの嬉しさよりも、決勝の中国戦がどうなるか恐ろしくて震えがくるだろう。なんたってあんた、中国は、優勝するチームを3つも作れそうなほど強いんだから。
それにしても日本のマスコミは、これからとんでもない試合が始まることに気づいているのだろうか。まあ、ここ何年かで日本男子がもっと強くなって、一般人がその面白さに気づくことは時間の問題なのだから、それまでは卓球ファンだけでじっくりと楽しもう。そしてそのときが来たら「何を今さら」と余裕をかまそう。
下で紹介したリフレックス・スポーツの映像だが、なんだか異常なプレーに見えた人も多いだろうと思う。
それもそのはず、映っているのはスウェーデンの天才、卓球の神様に選ばれし男、ヤン・オベ・ワルドナーの特集だからだ。世界選手権に初めて登場した1983年以来、実に20年以上も世界のトップにい続けて5世代の中国選手と戦い、現代卓球を変えてしまった男。100年に一人の天才。つまりこれは普通の卓球選手の映像ではないのだ。
この男の卓球は他の誰とも違う。似た選手がいない。あれほど速いボールを打ち合っているというのに、まるで歩いているかにみえる予測能力と完全にリラックスしたフォーム。何もかもが違う。
もしワルドナーがビデオもフィルムもない時代に活躍した選手だったら、そのプレーを見た人がいくら説明しても「そんなプレーありえないだろ」と信じてもらえなかっただろう。我々は彼のプレーを映像でみることができるだけでなく、生で見ることさえできたのだ。こんな選手と同じ時代に生きられたことを本当に幸せに思う。
ゲストブックに北京オリンピックの日本男子の香港戦を見た感想をいただいた。カメラ位置はまだ高いが十分に迫力があったとのこと。
カメラ位置については、何度かテレビ局にアドバイスしたのだが、聞き入れてくれなかった。私が考える理想的なカメラ位置は、できるだけコートに近く(台の両サイドが放射状に見えるくらい)、ネットの上部と向こう側コートのエンドラインが重なって見えるくらい低い位置だ。アメリカのリフレックス・スポーツの映像を見ればわかる。
http://jp.youtube.com/watch?v=cWGVoT4L9DA
これはリフレックス・スポーツのDVD『More From Wonderful World of Table Tennis』の一部分だが、リフレックス・スポーツのGary Ruderman自身が撮影したものと、テレビ局から買ったものが混在して編集されている。Rudermanが撮影したものは、カメラ位置がコートに近くて低いのでひと目でわかる。そして、それらの映像の迫力が段違いなのは明らかだ。それに対してテレビ局の映像のひどいこと。高くて遠くから撮影しているので、ぜんぜん迫力がなく、選手も小さく、ボールの上下の軌道もわからない。その上、フロアからアップで撮影しているカメラはボールをいちいち追うので、スローが見づらいことこの上ない。卓球ではカメラは決してボールを追ってはいけないことも分かっていないのだ。よいスロー再生を見せたかったら、ボールを追わず、ボールが来そうなところにフレームを固定して待つしかないのだ。
日本男子の試合をリフレックス・スポーツのように撮影して放送してくれたらどれだけ凄いことになるんだろう。
それにしても、日本男子、香港に勝つとは凄い。しかも3-0。凄すぎる。
昨夜、家に帰ってからオリンピックのタイムテーブルを見ると、日本女子対スペイン戦をやってる時間だった。さっそくITTFのライブスコアリングを見ると、とんでもない試合になっている。4番の福岡なんて最終ゲームでジュースが5回も続き、17-15で敗れる大接戦だ。緊張で具合が悪くなる。広州のとき、私の速報を読んでいた人たちの気持ちがよくわかった。
ずっとパソコンに張り付いてせわしなくクリックするのもいい加減つかれるので(定期的な自動更新を待てないのでほぼ5秒おきにクリックするのだ)、ついには途中から見るのを止めた。後で見ると、5番の福原も最終ゲームまでもつれてやっと勝っていた。参考までに卓球王国速報ページの結果を載せておく。
日本 3-2 スペイン
福原 -7、6、-3、8、-3 ション・イェンフェイ○
○平野 8、11、-8、4 朱芳
○福岡/平野 5、1、4 ドボラク/朱芳
福岡 10、7、-7、-9、-15 ション・イェンフェイ○
○福原 6、6、-6、-7、7 ドボラク
勝ってくれる分には、見るている方は競れば競るほど面白い。なんてスリリングなのだろうか卓球は(見てもいないんだけど)。
今朝起きてみると、その後に行われた韓国戦は終わっていて、0-3で負けていた。この後、同メダル獲得トーナメントに回る。がんばってほしい。
北京オリンピックの話を少し書きたかったがさすがにアメリカにいたままでは何も思いつかないのであきらめた。
そこで古語の話だ。奈良時代には「はひふへほ」と書いて現代の「ぱぴぷぺぽ」と発音していたことをご存知だろうか。
私が不思議だったのは、研究者はいったいどうやってそんなことを知ったのかということだ。いくら当時の文献を見ても「はひふへほ」としか書いていないわけだから、直接当時の音を聞かない以上、そんなことは知りようがないはずではないか。
ところがその方法があったのだ。キリシタンなどの西洋人によってアルファベットで書かれた文献を研究したのだ。なんと巧妙なのだろう。
当時、「はひふへほ」を「papipupepo」と発音していたのは分かったとして、それでは「hahihuheho」はどう書いていたのだろう。当時の日本の言語体系にそういう音はなかったのかもしれない。そしてもちろん「ぱぴぷぺぽ」という文字もなかったんだろう。
ちなみにその後、平安時代には「はひふへほ」はfafifufefoに変わり、江戸時代に現在のhahihuhuhehoになったそうな。キリシタンも良いことをしてくれたものだ。
北京オリンピックと遠く離れた話でした。
肝心の俳句がないが、一応、同じシリーズということで。題は私が勝手につけてます。
「今の時代は閉塞感がある」という言い方がよくあるが、どうも私はこれが嫌いだ。昔の人が閉塞感が本当になかったのかもわからないし、「閉塞感」という言葉があるからそういえばそうだと思っているだけのような気もする。
また、以前は閉塞感よりも大変なことがあって、そんなことを問題にする必要がなかったのかもしれない。
そう思う理由は、今の方がなんでも好きにできる自由な時代だからだ。それでもなお、今の時代の方が閉塞感があると人々が感じるのが事実なら、それは、人は自由に耐えられないということだろう。自由であるがゆえにすべての結果の責任が自分にかかってきて、それがかえって窮屈なのだろう。昔なら身分のせいだとか、家のせいだとか言えたものが、今は基本的に機会は平等だから、結果はすべて自分のせいになる。自由がかえって窮屈だとは面白い理屈ではないか。
以上、人形俳句写真とは関係ありません。