月別アーカイブ: 1月 2018

卓球ライター始動!

初めて卓球王国以外の媒体に記事を書いた。

一般の方々向けの内容で、卓球をしている人から見ると言わずもがなの内容で少し恥ずかしいが、一般の方々にわかりやすく説明することは意義があると思うので、ご覧いただきたい。

  『伊藤美誠と張本智和 圧倒的強さの理由』

  『卓球人気にオールドファンは夢心地』

タイトルは編集部による。

ガイスラーのフェアプレー

フェアプレーということでは、1969年世界選手権ミュンヘン大会のとき、荻村伊智朗が朝日新聞で紹介した試合がある。

引用しよう。

「しかし敗れたとはいえ、ガイスラー(東ドイツ)の試合ぶりは見事というほかない。審判のミスによる得点に際して、つぎの点をわざと相手に与えるのは卓球競技の伝統的な美風だが、自分のスポーツ生涯の二度とないもっとも大事な場面で、ガイスラーはこの美風を発揮した。しかも、その直後の思い切りのよい攻撃。この数分間はこの大会のもっとも美しく、感激的な場面であった。国は分かれていても、このような高いスポーツ精神にあふれる同胞をもったことを、西ドイツの人々は誇らずにはいられまい。」(1969年4月29日付)

詳細を調べてみたら、これは女子シングルス決勝で、相手は日本の小和田敏子だった。1ゲーム目の18-16で小和田がリードしたところで、小和田がネット際のボールをスマッシュして入ったのだが、審判はこれをムーブドテーブル、つまり卓球台を動かしたとして、ガイスラーの得点にしたのだ。台に触れたかもしれないが、とても動かしたとは思えないほどの量で、少なくとも日本でなら絶対にミスをとられない状況だった。「ガイスラーは、この大事な場面、勝ちたい場面で、わざとサーブミス。万雷の拍手」と当時の卓球レポートは伝えている。

ガイスラーはこのフェアプレーの直後、なんとこのゲームを逆転で取っている。結果的に3-1で小和田に敗れたとはいえ、凄い選手がいたものだ。卓球ファンはガイスラーの名を忘れてはならない。

左から小和田、ガイスラー、浜田、アレキサンドル。

別の意味のアンフェアプレー

相手の面子をつぶさないようにと10-0からわざとサービスミスをするのはマナーとも言えないような異常な行動だと思うが、相手にわざととは悟られないようにミスをする場合はどうだろうか。

たとえば私は、部活の先輩に、異常にプライドが高くて「この人に大差で勝ったら後々面倒なことになる」と思わせる人がいた。だからその人と試合をする場合は、適当に手を抜いて点を取らせることがままあった。しかし、万が一にもそれがバレたら、相手のプライドを刺激するからそれこそ大変なことになる。だからこれは絶対に悟られないようにしなくてはならない。

すなわち、ミスをした後にことらさ激しく「なにやってるバカ!」などと自分を叱咤することで、真剣にやっている演技をするのだ。なんで俺はこんなことをしているのだろうと思うが、せざるを得ないのだ。

相手の面子を潰さないようにするには、これくらい入念にしなくてはならないと思うのだがどうだろうか。ちなみに、その先輩と試合をする後輩たちはのきなみ、心なしか自分を叱咤する声がやけに大きかったことをつけくわえておく。

さてこれは、手を抜くという点ではアンフェアプレーだが、相手の面子を潰さないという点ではフェアプレーということになる。しかしなんといっても、後輩たちにそんな気を遣わせるこの先輩の存在こそがアンフェアプレーだったといえるのではないだろうか。

究極のアンフェアプレー

自分のミスが審判に聞き入れられなかったときに自らサービスミスをするのがフェアプレーなら、これまで聞いた中で最高のアンフェアプレーが次の話だ。

現ヴィクタスで、元五輪選手の仲村錦治郎さんから聞いた話だが、彼が現役のとき、アメリカで大会に参加したという。参加人数が多いためか大らかなのか、審判は選手同士による相互審判だった。一緒に参加したMという日本選手が、勝ったはずの試合がなぜか記録では負けたことになっていたので、あわてて訂正を申し出ると、なんと試合をした相手が「俺が勝った」と言って譲らない。

その選手は、他に目撃者がいないのをいいことに、自分が勝ったと公然と嘘をついたのだ。さすがにここまでずうずうしい話は聞いたことがない。

そこで、どちらが言っていることが正しいのかを見るために、審判長の前で試しにもう一度試合をして見せることになり、M選手は21-2でコテンパンにしてやったという。さすがにこれで嘘つき青年の主張に無理があることがわかり、無事にM選手の勝ちとなった。

究極のアンフェアプレーといえよう。さすがアメリカだ。

壮絶!マニア合戦

全日本の最中、会場の近くの居酒屋で、特別濃い卓球マニアの方々と会合を持った。

左から、今大会副委員長だった日本卓球協会常務理事の沖さん、私、膨大な試合結果が頭に入っていてしばしば卓球王国に間違いを指摘する岡本さん、そして昨夏、マニアにもほどがある大著『卓球アンソロジー』を出版された田辺さんだ。

大会運営の苦労、インパクトでボールを見ることの真偽、卓球の起源など、話はバカみたいにあちこちに飛び、あっという間に4時間が過ぎ去った。

中でも印象深かったのは、田辺氏の深読み能力だ。女子シングルス決勝で伊藤美誠が10-0からサービスミスをした直後、平野美宇がネットインでボールを入れたのは、サービスミスへの返礼として、わざとネットミスをしてこのゲームを終わらせようとして間違って入った結果ではないかと言うのだ。これは思いつかなかった。

他にも映画『ミックス。』の話で、私が「主人公カップルが工事現場に来たときに、建設作業員がいきなり放水車で二人に水をかけるのはあまりにも不自然だし、ましてその場面を写真に撮っているわけがないのに、後でその写真が出てくるのはおかしい、脚本の辻褄合わせの手抜きだ」と言うと、田辺さんは「私はごく自然に思いました」と言う。

田辺さんの解釈では、新垣結衣があまりにいい女なので、水をかけてびしょ濡れにしてその場面を写真に撮るは当然で、建設作業員はそれを楽しんだのに違いないと言う。ホントかよ。そんな恐ろしい脚本だったのか。深読みと言おうかパンクと言おうか、私の想像力の未熟さを感じさせられた一件であった。

なお、隣のテーブルには、男子シングルス決勝で主審を務めた今野啓さんが偶然入ってきて別メンバーとともに陣取ってジャッジ論について唾を飛ばしており、狭い部屋が卓球一色に染まったことをつけ加えておく。

壮絶!フェアプレー合戦

フェアプレーのことを書いていたら、以前思いついて原稿を書くのを忘れていたネタを思い出した。その名も「壮絶!フェアプレー合戦」だ。

フェアプレーで名高いサムソノフとボルが、メダル獲得の可能性が消えたあと、どうせならと密かにフェアプレー賞を狙って対峙した。

思った通り、ボルのボールがエッジかサイドか微妙な判定となったが、互いに一歩も譲らす「自分のミスだ」と主張し、ついにはサービスミスをし合うという話だ。

当然制限時間の10分を越えて促進ルールが適用されても無力だ。なにしろお互いに延々とサービスミスをするものだからジュースの繰り返しとなり、促進ルールなど屁のつっぱりにもならない。

最後に、サムソノフが奥の手を思いつく。バッドマナーでレッドカードをもらって失格になることでボルに勝ちを譲るのだ。突然、口ぎたない言葉で罵りそこら中に唾を吐きかけてレッドカードを狙うサムソノフ。サムソノフの悪だくみに気がついて負けじと短パンを脱ぎ始めるボル。

しかしとき遅く、一足先にマナーを悪くしたサムソノフが見事レッドカードを食らい失格となり、ボルの勝利となった。

フェアプレー賞どころか、両者とも6ヶ月の国際試合停止の謹慎処分を受けたことは言うまでもない。

「フェアプレーとは何か」という根源的なことを問いかけるふりをした単なるバカ話だ。そのうち雑誌に書くのでお楽しみに。

人間能力の限界のフェアプレー

卓球界には語り継がれるべきフェアプレーがいくつもある。

私を文筆業に導いてくれた恩人でもある藤井基男さんの『元気が湧く43の話』(日本卓球株式会社刊)から紹介する。

それは1979年世界選手権ピョンヤン大会でのことだった。男子団体で準決勝進出をかけて日本とスウェーデンが激突した。力は互角だった。

勝負を分けたのは、前原正浩vsステラン・ベンクソン。第1ゲームで前原が19-17とリードした場面で、前原の強打がオーバーミスとなり、19-18となった。すると、ベンクソンは前原のボールがエッジで入ったことを審判にアピールし、スコアは20-17となり、ベンクソンは敗れ、結果、スウェーデンは3-5で日本に敗れたのだった。

後年の1998年に、藤井さんはベンクソンにそのときの話をすると「15歳のとき、大会でシェル・ヨハンソンを見て感動した。そこで私はフェアプレーがどれほど大切なものであるかを学んだ。前原と対戦したときも、学んだとおりにやった」と語った。

そのヨハンソンのフェアプレーとは次のようなものだ。

1967世界選手権ストックホルム大会で、ヨハンソンは男子シングルス1回戦でソ連のゴモスコフと対戦した。ゲームカウントが2-0でゴモスコフのリードとなり、3ゲームめも20-19でゴモスコフがマッチポイントを握った。

次のボールがエッジなのか微妙なボールとなったが、審判はヨハンソンの得点として20-20となった。ところがヨハンソンは「今のは自分の得点ではない」とアピールし、握手を求めてゴモスコフに歩み寄った。敗れたヨハンソンにはスタンドから割れんばかりの拍手が沸き起こり、ユネスコから国際フェアプレー賞が贈られた。

これが、荻村伊智朗が朝日新聞の世界選手権観戦手記に「人間能力の限界の風格を持つ」と紹介されたシェル・ヨハンソンである。この大げさな比喩も素晴らしいがたしかにこれは人間能力の限界と言えるフェアプレーだろうと思う。

指導している選手がそういう試合をしたら「せっかく得点したのにバカッ!」と怒らずに「立派だ」と褒めることができるだろうか。たぶん私はできないだろう。

同じく1967年にモントリオールで開かれた国際大会のとき、優勝争いのリーグで、高橋浩、福島萬治、エバハルト・シェラー(西ドイツ)の首位争いとなった。高橋と福島の試合が最後に残ったが、高橋はすでに優勝の見込みはない一方、福島は高橋から1ゲームとれば優勝が決まる。高橋は2-0で勝っても0-2で負けてもどのみち3位だ。おまけに高橋と福島は同じシチズンの同僚なのだ。

誰もが福島の優勝を確信したが、高橋は全力でプレーして福島を2-0で破り、シェラーの優勝が決まった。高橋のプレーに感動したのはシェラーだけではなかった。

「読み返しているうちに、なぜか涙が出てしばし止まらなくなった」と藤井さんは結んでいる。私も書いてて目頭が熱くなった。

不要なマナー

昨日終わった全日本の女子シングルスの決勝の3ゲーム目で、非常に奇妙なマナーが見られた。

伊藤が大量にリードして、スコアが10-0になって、あわやラブゲームになりそうなところで伊藤のサービスになった。ここで私は、最近テレビで取り上げられる卓球のトリビア「ラブゲームで勝ってはいけないという暗黙のルール」を思い出し、やるんだろうなあと思った。隣にいた佐藤祐も「さあどうする」とつぶやいたので同じことを思ったのだろう。

直後、伊藤はサービスミスをして、会場に拍手が沸き起こった。

なんだろうこれは。そもそも卓球界にそんな「暗黙のルール」はない。暗黙であるかぎりルールではあり得ないから、言うとすれば「暗黙のマナー」だろう。

しかしこれのどこがマナーだろうか。もちろんこんなマナーは前からあるものではない。スポーツである以上は、どんな状況であっても全力で点を取りに行くことこそが相手を尊重することでありマナーであるに決まっている。

それをいつの間にか中国選手がやるようになっただけのことだ。0点で勝って相手の面子を潰さないようにとの配慮らしい。しかし誰にでも故意とわかるサービスミスをしてもらって、ほんの少しでも面子が保たれるだろうか。

文化の違う中国人はそう考えるのかもしれないが、日本人の感覚ではそうではあるまい。むしろ絶対に逆転されないという慢心の表れとも言えるから話は逆のはずだ。もしも、10-0になった途端、勝っている方がレシーブからロビングを上げたら、相手はバカにされていると思うだろう。故意のサービスミスやレシーブミスは問答無用で相手に点を与えるのだからそれより酷いのだ。

記録に残るスコアが11-0では可哀そうだというなら、中国国内リーグだけ1-1から試合を始めればよいだけだ。

世界一強い中国選手がやるからといって、不合理なマナーに日本人が付き合う理由はどこにもない。

ましてそれをトリビアだなどといって「タオルで汗を拭くのが6本毎」と同じレベルで「0点で勝ってはいけない」とテレビで宣伝するなどとんでもないことだ。

おかげで観客は拍手をして伊藤のサービスミスを讃えた。しかし、讃える理由などない。10-0から1点を与えても伊藤には何のリスクもないし、暗黙のルールだと思っているから機械的にやっただけだ。

逆に、男子シングルス決勝の4ゲームめ、10-1からのラリーで張本のサービスがレットとなった。このとき張本は、ボールが自分の顔に当たったことを自ら審判にアピールし、審判はこれを受け入れてスコアを10-2に訂正した。フェアだ。しかし、ここで観客はまったくの無反応だったのだ。

静まり返った会場で、審判の声「レット、10-1・・・・・10-2」という声も聞こえていて完全に状況はわかっているはずなのにだ。これこそ賞賛されるべきなのに。

恐らく観客の伊藤への拍手は、マナーを讃えたのではなく、テレビで見たトリビアの実演を目撃できたことが嬉しかったことの表れなのだろう。

卓球界のマナーとして昔からあるのは、審判のミスによって自分に点が入り、それを審判にアピールしても受け入れられなかったとき、次のボールをわざとミスするというものだ。やる人もいればやらない人もいるが、勝負を決する大事な場面でこれをやる者は、万雷の拍手を受ける。

誰だった忘れたが(ボルだったかサムソノフだったか)、マッチポイントを握られている状態で、相手のボールがオーバーし、審判はその選手に点を入れた。しかしその選手だけは相手のボールがエッジで入ったことがわかっており、静かに相手に歩み寄り握手を求めたのだった。

どんなことをしても勝ちたい勝負がかかった場面でのこのような行動こそが讃えられるべきなのだ。ほとんどの選手はこんなことはできないだろう。しかし、だからこそ人を感動させるしいつまでも讃えられるのだ。

そのわりに名前を忘れたが。

ナマコをかじった男

DVD『ザ・ファイナル2018』の撮影に今週から東京に来ている。

ついでに、前に勤めていた会社の同僚と食事をした。

嫌いな食べ物の話になり、私がナマコが嫌いであることを話すと、釣りが趣味だというTさんは、なんと海で釣りのついでにナマコをつかまえてかじってみたことがあるという。

「あまり旨くなかったね」

とTさんは語るが、泳いでいるところをいきなりかじっておいて「旨くない」とはなんと失礼な話だろうか。食べるなら切るとか味をつけるとかにしてからにしてほしいものだ。

それをいきなりかじって「旨くない」だ。

この話には、さんざん食い散らかした料理の残骸の写真がふさわしいだろう(本当は撮影を思いついたのが遅かっただけだが)。

誰もインパクトを見ていなかった

それは『天下の達人!4本勝負』というテレビ番組だった。日付ははっきりしないが、調べてみると、1992年4月4日から1993年3月27日まで放送された番組(ウィキペディアは便利だ)のようなので、TSPトピックスでの論争からさほど時間が経っていないと思われる。

その番組で、元世界チャンピオンの長谷川信彦が卓球の達人として取り上げられたのだ。長谷川のロビングや3球目ドライブなど、まさに達人といえる技が紹介されたのだが、その中で、ラリー中の長谷川の顔がアップになる場面があった。

当然私は録画をしてあったので、その場面を使って、長谷川がインパクトを見ているかどうかを、その視線で確かめることを思いついた。

1コマずつ送りながら、私はテレビの前で「あーっ!」と声を上げた。

本当に声を上げた。

長谷川は、ボールがネットを超える当たりまでは確かに顔の正面でボールを見ているようだが、その後は、顔だけがボールを追い、視線はネット付近に固定されたままだったのだ。

長谷川は、卓球界では自他ともに認める基本に忠実な選手であった。「私は咳をするときでもゴホンゴホンではなくキホンキホンと咳をすると揶揄される」と自分で言うほど基本に忠実であることを自認していた。当然、顔の正面でインパクトを見ることの必要性を誰よりも強く主張していた。ほとんど後ろを見ているほどの首の動きにその意識が明瞭に表れている。

その長谷川がボールを見ていないのだ。しかもこれは実戦ではない。ワンコースのピッチ60回/分の緩いフォア打ちで連続して何本もこの目の動きなのだ。

それは、私がそれまで漠然と感じていた不安が現実のものになった瞬間だった。

実は私はそれまでも、卓球選手がインパクトを見ている写真がないことには気がついていた。にもかかわらず、なぜインパクトを見ることが正しいと思えたかといえば、撮影タイミングの問題があったのだ。

静止画で撮影する場合、ちょうどインパクトをとらえることはかなり難しい。しかもそれがわかるのは現像しプリントしてからなのだ。そのため、インパクトの瞬間をとらえた写真はほとんどなく、インパクト直前か直後であることがほとんどだったのだ。

よって、それらの写真の視線が前方を見ていたとしても、旧来の常識を信じたい私は「これはインパクトではないからだ、インパクトの瞬間にはきちんとインパクトを見ていたはずだ」と考え、常識を疑うことを避けていたのだ。

「人は自分が見たいことだけを見る」心理が働いていたわけだ。

動画をコマ送りして、長谷川がインパクトを見ていないことがわかると私はすぐさま200冊を超える蔵書のインパクト付近で視線がわかる写真をかたっぱしから調べた。

当の荻村伊智朗を始め、インパクトを見ている写真は皆無だった。

そう、卓球界では大昔から、インパクトを見ている選手はいなかったのだ。

そこで私は、自分がどうなのかを撮影してみて愕然とした。私はインパクトを完全に見ていた。これは自慢ではない。才能がないということなのだ。

一流選手たちは「インパクトを見よう」という意識さえも裏切って「インパクトを見ていては卓球などできない」ことを体が判断し、現代と同じ実用的な目の使い方をしていたのだ。

それを言葉通りに真に受け、愚直にも実行していたということが才能がないということなのだ。

この顛末を私はかなり前の『奇天烈逆も~ション』に書いた。さして話題にもならなかったが、これが「卓球選手は大昔からインパクトを見ていない」と活字にした日本で最初である。

2回目はそれを書籍化した『ようこそ卓球地獄へ』だから、ほとんどの卓球人は未だに間違った伝説を信じているものと思われる。

「インパクトを見る」ということを論じるのなら、最低でもこれくらいのことは調査してからにしてほしいものだ。そりゃ無理か。

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