月別アーカイブ: 6月 2018

不愉快な奇跡

かねてから私が「不愉快な奇跡」と呼んでいる現象がある。

偶然にしてはあまりにもできすぎた不愉快な現象のことだ。

たとえば部屋で歩いていると天井からぶら下がっている電灯のヒモがメガネのレンズとツルの間に偶然にもすっぽり入り、歩いただけでメガネが吹っ飛んでしまうとかだ。そんなこと、わざとやるとしたら相当に大変なことで、どれだけ時間がかかるかわからない。

足の甲の毛が靴下で擦れて、いつのまにか団子結びになっていて痛くて悲鳴を上げたこともある。よじれていただけではなく、本当に結ばれていたのだ。こんなこと、あるか!

今日、またひとつ「不愉快な奇跡」が起こった。

自動車から降りるときに、助手席に置いていたリュックを取ろうとしたら、ベルトが何かにひっかかって取れない。よく見ると、ベルトの穴にドリンクホルダーの端が入っているではないか。

畜生、よくもこんなところに入ったものだと腹を立てながら抜くと、まだリュックがひっかかる。よく見ると、もう片方のベルトの穴に、シートレバーがすっぽりと入っているではないか。

ふ、ふざけるなっ!

こんな、わざとやろうとしたら何千回、何万回かかるかわからないようなことが、なぜよりによって今日、起きたのだ?

神様だの運命だのは私は全否定だが、これが偶然だとはどうしても思えない。まあ、自然淘汰によって人類ができたことを思えばどうってこともないが。

便利なノート

中総体は、勝った試合もあれば負けた試合もあり、まあまあの結果だった。

試合会場で中学教諭をしている大学の先輩に会ったら、手に見慣れないノートを持っていた。団体戦の試合結果を書き込むフォーマットなのだが、相手の戦型も書けるようになっているのだ。

そんな便利がノートがどこに売っているのかと聞くと、自分で印刷して製本して作ったオリジナルだという。指導をしている先生方の間では結構普通なのだそうだ。

ううむ、欲しい。誰か作ってくれないだろうか。

なぜ河童に会いに行かねばならんのだ

先週の土曜に、いつも中学生に卓球を教えている近所のコミュニティーセンターに、昨年まで教えていた卒業生が顔を出した。今春、高校に入ったのだが、嬉しいことに高校でも卓球部に入ったという。ところが顧問の先生と合わず、なんだかんだと不満を口にした。

ついにはその容姿にまで言及し「河童のようにハゲたオヤジなんです」と、うっかり口走ったものだから、その場にいた全員が私を見て笑った。私も河童のようなものだからだ。

そこまではよかったが、今年入ったばかりの怖いもの知らずの1年生が「伊藤さん、会いに行ったらどうなんですか?」と言ったのには笑った。

いかなる理由で私がその河童に挨拶しに行かにゃならんのだ。河童どうし話が合うとか、はたまた種が同じだから一緒にいるべきだとでも思ったのだろうか。

中学生を教えていると、こういう思いもよらぬ発言に出くわすのが面白い。ついこの前まで小学生だったという、半分神様のような存在なので、人間には予想がつかないようなことを言うのだ。

練習の後、中学生を家に送っている車の中で、翌日練習に来ない予定だというのでその理由を聞くと「めんどくさいからです」と答えられたことがあったし、大会で勝った生徒が「それほど勝ちたくもなかったけど審判をするのが嫌だから頑張りました」と言ったこともあった。

とにかく面白い。

本当に近くだった高速道路

インターハイ予選応援のついでに実家に寄ってきた。

「家のすぐ裏に高速道路の出口ができた」と聞いてはいたが、本当にすぐ裏だった。

左の正面に伸びているのが高速道路の出口で、写っている林が私の実家の雑木林だ。右端に見えているのはの実家の庭のビニールハウスだ。

なんと便利な高速道路だろうか。

ちなみに、この写真の右側には、知る人ぞ知るジャズ喫茶『ハーフノート』が鎮座ましましているのだ。田植えが終わったばかりの田んぼとのなんたるミスマッチ。素晴らしい。

ちなみに、これがハーフノートだ。10年前の写真だが。

悲願のインターハイ出場!

今日、母校の水沢高校が女子団体で悲願のインターハイ出場を果たした。

初めてかと思って念のため調べたら、なんと昭和27年にも出場していて、実に66年ぶりとなった。「ぶり」と言うことすら憚られる年数だ。そんなの時効だとでも言いたいくらいだ。

私は県予選を見に行ったのは30年ぶりくらいだが、今年は勝ちそうだからというので見に行ったのだ。昨年も優勝候補だったのが3位に終わったのだが、そのときの主力2人が2年生だったので、そのまま今年まで残っているので有望だという話だったのだが、行ってからよくよく聞くと、なんとそれは決勝の相手チームも同じで、優勝するのはかなり難しいとのことだった。

1番でこちらのエースがあまり勝ったことのない相手に運よく勝ち、2番は順当に取り、3番のダブルス勝負となった。2-0でリードしている状況だが、4番と5番はまず勝てないだろうということで、実質2-2のラストをやっているようなものなのだ。そのダブルスで、ゲームカウント2-1とリードし、10-8とマッチポイントを取ったところで私はたまらず得意のスマホを構えて優勝の瞬間を動画で撮影しようとした。しかしそこから逆転され、最終ゲームとなった。

たった1点とれば66年ぶりのインターハイ出場なのに、勝つことはなんと難しいのだろう。相手もたいしたものだ。「勝ったと思って撮影などするからだ」と、関係ないはずなのにやはり思ってしまう。「勝ったと思ったから負けたのだ、OBがそういう甘い考えだから選手もそうなのだ」と。さっきまで浮かれて「祝勝会の会場予約しろや」などと言い合っていた先輩たちもシュンとなり、貧乏ゆすりが激しくなる。

最終ゲームは序盤から突き放し、10-7となったところでまたスマホで動画撮影を始めたが、今度は11-8で優勝となった。

主力の2人は、勉強をしながら卓球も頑張ったというのは事実だが、実は水沢高校のOBたちが小学校低学年から卓球を教え込んでおり、中学時代にはすでに県のトップクラスだった選手たちだ。普通に中学校から卓球を始めた選手だけでインターハイに出るなどというのは、現実的ではないのだろう。

私の時代は、ほとんどの選手が中学校から卓球を始めていたので、そんなことはなかった。その中にあって私の代は、目標が「団体戦で県ベスト8」という恐ろしく低いものだったが、それすら達成できなかった。

悔しいというか情けないというか、やっぱり今でも悔しい。ダメだなあ俺はと思う。それは後輩が優勝してもなんら解消されない。

そういう悔しさも、料理の苦みや辛さと同じく、人生のスパイスなのだろうと思う。まあ、こうやって書ける程度なのだから大した悔しさでもないのだ。