月別アーカイブ: 1月 2009

外山恒一

Youtubeで面白い人を発見した。すでに、ある世界では有名な人のようなので、今さら、と思う人もいるかもしれない。

東京都知事選に立候補した、外山恒一(とやまこういち)という人だ。
とにかく面白いのでその政権放送を聞いて欲しい。
http://www.youtube.com/watch?v=l2C9lv5t0yQ

都知事選の候補演説で政府転覆を訴えるというところが凄い。自分たちを少数派だと称し、「選挙なんか我々少数派にとっては何の意味もない。所詮、多数派のお祭りに過ぎない。多数決なんだから多数派が勝つに決まってる」となかなか面白いことを言う。最後に、「もし私が当選したら、奴らはビビる!・・・私もビビる」と締めくくっている。

別の映像をいろいろと見ると、普段の外山はこの演説とは違って極めて温厚でユーモアのわかる人だ。そしてこの演説を持ちネタにしており、街頭で一字一句違わない演説をしてみせて客を喜ばせたり不安がらせたりしている。このパフォーマンスは、途中で興奮して声が裏返るところまで演出で、何度も練習したのだという。

さて、ここまで書くと、この人は悪ふざけのすぎるコメディアンなのかと思うだろうが、さらに凄いのは、実はこの人、主張そのものは完全に本気のようなのだ。ここが恐ろしいところだ。面白い人だと思ってうっかり投票しようものなら、どうなるかわからない人なのだ。

外山恒一、この名前を覚えていても損はないだろう。

神様の話

ニックネームのことで思い出した。大学時代、所属していた卓球同好会に(卓球部と両方入っていた)、『神様』というあだ名の先輩がいた。もう日常的にトランプや麻雀や卓球をやりながら『神様見なかった?』などと普通に言っているのだ。ときどきふっと我に返りながら「それにしても異常なあだ名だな」と思ったものだ。

なぜ『神様』なのかというと、あろうことか留年の神様なのだ。私の大学では、卒業までに4回まで留年が許されるのだが、その先輩はすでにその制限を一杯まで使っていて、大学院に進んだわけでもないのにもう7年だか8年大学にいる人だったのだ。それでいつしか後輩たちから(同輩たちはとっくに卒業している)留年の神様と呼ばれるようになり、それで『神様』になったのだ。

まさか就職したときに会社で「神様って呼んでください」とは言っていないと思うが。

ニックネーム

今週からテイラーという新入社員と働いている。ニッサンの工場で4年間働いた後、今月、私のいる会社に入社してきたのだ。彼は自己紹介のときに「テイと呼んでくれ」と言った。Taylor(テイラー)だからTaye(テイ)がニックネームだという。

こういう話は他にもある。アメリカではロバート(Robert)のあだ名はボブ(Bob)だし、ウイリアム(William)のあだ名はビル(Bill)というように決まっている。もちろんニックネームをつけない人もいるし、本名がボブやビルの人もいる。

これらに比べればテイラーがテイとは簡単だ。またひとつ覚えたと思って、この話をティム:本名ティモシーにしてみると、そんなニックネームは聞いたことがないという。「さてはあいつ、勝手に自分で考えたんだな」と私が喜んでいると、ティムは急に真顔になって「それは本人に言わない方がいい。それは異文化を揶揄することになり、彼らは差別に敏感だから」という。テイは黒人なのだ。

それはさておき、ティムは得意の長話でアメリカ人のニックネームについて語ってくれた。一般に女性はニックネームを持たない傾向があり、もっぱら男性がニックネームを使うという(そういえば日本人と同様、女性の名前は短い)。ニックネームで名乗るのは、大人の男になったような誇らしい気持ちがあるという。ティムは小さい頃は本名のティモシーと呼ばれていたが、成長期に「俺は男だ」という感じで「ティム」と名乗り始めたという。だが両親には未だにティモシーと呼ばれて「子ども扱い」されていて、それはボブもビルもそうだろうとのことだ。会社には大人でもロバートと名乗っている人がいるが、彼はボブと名乗るきっかけがなかったか、知人にボブという人がすでにいて、自分の独自性を出すためにあえてロバートのままにしたか、そんな理由だろうとティムは語った。

彼らにとって短縮形のニックネームは親しみの象徴ではなくて、大人の男の象徴なのだ。これは日本人の感覚だと逆のような感じがする。ただし免許証や賞状などでは当然、正式名が書かれる。

もうひとつ日本人と大きな違いがある。それは、日本人は普通、ニックネームを自分では決められない、仮に決めても相手がそう呼んでくれる保証がないということだ。もちろん中にはハッシーだのアッシーだのと自分で名乗って成功している人も私の周りにいるが、それは少数派であり、たいていはカジヤンとかズンズとか、必ずしも呼ばれたくもないあだ名で呼ばれるのが一般的だろう。

これをティムに言うと、それはアメリカ人にはありえないという。もし自分が誰かにティモシーと呼ばれたら「ノー、俺はティムだ」と必ず訂正するし、それでもティモシーと呼ばれるようならその人とは話をしないという。日本人がこれをやったら「ちょっと我が強い人」という印象になるだろう。こんなところにも個を優先するアメリカ人の考え方が出ていて面白かった。

ところでテイのことだが、後でアキラくんに話すと、なんのことはない、テイはニッサンにいたときに日本人からテイとニックネームをつけられ、それが気に入ってそのまま名乗っているだけなのだという。黒人文化とは何の関係もなかったのだ。ちなみにテイも私の会社のアメリカ人がそうだったように電子メールに自分の名前をTaye-sanと書いてきた。アメリカ人が自分の名前にMrやMsをつける習慣からくる誤解だ。日本語では自分の名前に「さん」はつけないということを、ニッサンで4年間いても教えられなかったものらしい。すぐに教えてやった。

日本食レストラン『KOBE』

昨夜は、日本から新しく赴任してきた二人の歓迎会が近くの日本食レストラン『KOBE』であった。『KOBE』といっても神戸牛が出るわけではない。アメリカによくある寿司と鉄板焼きがメインの日本食屋だ。ここのオーナーは日系2世の人で、顔はすっかり日本人だが、日本語はあまり得意ではない。ある程度は話せるのだが、宮根さんによると、帰り際に深々と礼をしながら「じゃあね」と言ったという。

トイレの表示もおかしい。アルファベットとはいえ、せっかく日本語らしきものを書いているのに、男も女も間違っている。こんな短い単語を間違えないように書くことがそんなにむずかしいのだろうか。

ちなみに赴任してきたうちのひとりはなんと小学校で卓球をやっていたという人で、今からその実力を楽しみにしている。

脱力広告

雑誌『ムー』からの脱力する広告を紹介する。

宝くじまで当たる幸運のペンダントだそうだ。なんとも凄いことで。

また、変な「気」の写真が取れるというおじいさんも凄い。「私たちは科学一辺倒の中で眼に映るものだけが全てであると思いがちですが」とある。そんなことを思っている人はどこにもいないと思うんだが。電波も音波も眼に見えないし。気を出すおじいさんの反り返った姿勢がグッドだ。

心霊写真もそうだが、こういう人たちはカメラを霊の映る魔法の箱だとでも思っているのだろう。

『ムー』新刊

日本からの出張者がオカルト雑誌『ムー』をお土産に持ってきてくれた。いくら私がオカルト好きを否定しても、わざと買ってくるのだ。

今月も頭の痛くなる記事が満載だ。
いきなり表紙から「金星に人工構造物発見!!」とある。記事を読んでみると「太陽に近い分だけ受け取るエネルギーも多いから、惑星としての進化も速く、地球よりずっと前に生命が誕生し、加速度的に進化して知的生命体が出現、金星文明まで発祥したかもしれない」そうだ。受け取るエネルギーが多すぎればすべて焼き尽くされることは思いつかないようだ。

UFOにさらわれたひとたちの話もあいかわらずだ。記事によれば「アメリカ人の約5人にひとりが、夜中にだれか知らない人、あるいは何らかの存在が部屋にいるのを感じ、金縛りあったように目覚めた体験をもつという驚くべき実態が判明」したそうだ。驚くほどのことではないと思うが。

さらに「成人のアメリカ人のうち、8人に1人に近い割合で、なぜだかは思い出せないが、1時間以上にわたって迷子になったことがある」「10人に1人が、なぜか、どうやってかはわからないが、実際に空を飛んだ経験があると感じている」そうだ。たぶん空港で迷子になって飛行機で空を飛んだんだろうと思う(笑)。

「初めて地球にUFOや異星人がやってきたのは、いったいいつのことだろうか」というコラムもあるが、「いつか」を考える前に、本当に来ているかどうかを確かめるのが先だと思うがどうだろう。

読者からの投稿コーナーもそれらしいイラストや破格の体験談で埋め尽くされている。それにしてもスピリチュアルアイドルってのが妙に気になる。可愛いんだが、やっぱり気ィ狂ったような話するんだろうなこの顔で。

卓球の戦型

先日、ふと大学の後輩が所属している卓球サークルのウエブサイトを覗いてみた。

そこのメンバー紹介を見ると、それぞれの戦型が書いてあった。それを見てつくづく思うのは、卓球って本当にいろいろ戦型があってマニアックな競技だなあということだ。そこに紹介されていたメンバーの戦型は以下のようなものだ。

「シェーク異質攻撃型」「ペン表ソフト攻撃型」「シェーク両裏ドライブ型」「シェーク異質オールラウンド型」「左シェードラ」「ペンドライブ型」「ペン両裏ドライブ型」「ペン異質反転型」「カット型」「シェーク裏ツブ」「シェーク裏裏ドライブ型」

この中には同じ意味でダブっているものもあるが、ともかくそのサイトの表現をそのまま転記した。卓球をしていない人から見ればまるで意味の分からない呪文のような表現だろうが、この意味がすべて解る自分がちょっと嬉しい(卓球をしている人なら誰でも解るんだけど)。

それにしてもこのクラブ、ちょっと戦型がバラエティに富みすぎている。ないのはシェーク両面表ぐらいじゃないか(実は私はそれなのだ)。大丈夫か五十嵐。

促進ルール つづき

促進ルールの解説のつづき。

先に紹介したエーリッヒとパネスの試合だが、この試合は、促進ルールが制定される前に開始された試合なので、促進ルールを適用することをエーリッヒが拒否した。しかし最初の一本を取られたパネスがガタガタと崩れ、結局3時間「しか」かからずに試合は終わったという。チームとしても5-0でポーランドの勝ちとなった。さて、ポーランドはその後、オーストリアと決勝を争ったが、その試合もまた粘りあいとなり、5-4でオーストリアが勝つまで合計11時間、三晩かかったという(試合は夜だけ行われた)。個人戦でも7時間戦っても勝負か決まらず、トスで勝敗を決めた試合もあったという。

これは戦型によっては現在でも起こり得るため、促進ルールは必要である。卓球は多様で自由度が大きい競技なので、いろんな戦術をとることができる。その中から勝つ可能性がもっとも高い作戦をとらなくてはならない競技であり、それを実行できるだけの技術の幅自体が実力のうちなのだ(他にもツブ高対策や左対策、表対策、ロビング対策など、多様な落とし穴が卓球には待ち構えていて、どれかに苦手なものがあると勝ち進むことはできない)。

それで思い出すのが、野球の松井秀樹が高校生のとき、甲子園で5打席連続敬遠された事件だ。私には野球ファンがどうしてこれを問題にするのかわからなかった。投手側はルールの範囲内で勝つために最良の作戦をとっただけであり、実際に勝ったのだ。非難されるとすればそれは松井以外の選手の打力が心もとなかったチームの方であり、まちがっても投手側が非難されるいわれはない。もし5打席敬遠すれば勝てることがわかっているのにあえて投手が勝負したら、それこそ手抜きの八百長試合ではないか。卓球で言えば粘れば勝てるとわかっている相手に、気持ちよくバンバン攻撃して負けるようなものだ。そんな知性のかけらもない勝負を見て楽しいのだろうか。

野球ファンは「松井の打つところを見たかった」という自分勝手な都合、つまりエゴで敬遠を非難していたのだ。正直にそう言うならまだわかる。エゴ自体は誰でもあるし悪いことでもない。それなら私は批判はしない。

問題は「敬遠させられた選手がかわいそうだ」「松井が可愛そうだ」という見せかけの思いやりや大義名分による敬遠非難だ。投手が好き勝手に松井と勝負して打たれて負けたら他のチームメイトや指導者はかわいそうではないのか。恣意的で浅はかな善意ほど性質の悪いものはない。

選手が勝つために全力を尽くしたときに見て面白くなくなるというなら、それは選手に問題があるのではなくてルールに問題があると考えなくてはならない。

野球も卓球と同じくいろんな要素が複雑に絡み合った総合的な実力を争う競技であり、だから面白いのではないのか(私はよくわからないが)。敬遠がそんなに不愉快なら、ルールを変える運動を起こすか、そうでなければ野球になど興味をもたないで、バッティングマシーンに対するホームラン競争とか遠投競技でもすればよい。

「促進ルール」って?

ゲストブックに平野と王の決勝試合に関して「促進ルールって何?」とコメントがあったので、得意のくどい口調で説明しよう。

その昔、卓球は今とはくらべものにならないほどラリーが続いた。ネットが今より2cmほど高かったことと、ラケットも弾まず、さらに選手の考え方自体も、リスクのある攻撃は避ける傾向にあったのだ。1936年の世界選手権で、ポーランドのエーリッヒとルーマニアのパネスの試合の最初のラリーが2時間12分続いたことがあった(時間については諸説あるが、もっとも短い時間を書いた)。0-0から1-0になるまで2時間12分だ。その間、首を振ってボールの往復を見ていた審判は首がつり、3人が交代した(この話を友人にしたとき「審判が首を吊った」と聞き違われ「責任とってか?」と驚かれたことがある)。この選手ふたりは、まったく攻撃できないわけではないが、作戦としてそういう粘り作戦で試合に臨んで、お互いに意地になったためらしい。

これでは試合にならないので、そのラリー中にルール委員会で制限時間のルールを検討することになった。ルール委員会をやろうとすると7人いるはずのルール委員がひとり足りないと思ったら、当の試合をしているエーリッヒだったという(ホントかよこの話)。それでエーリッヒ抜きでルール委員会を開こうとするとエーリッヒは「ダメだ」といったらしく、試合をしている台の横でラリー中のエーリッヒを入れてルール委員会が開かれたというおおらかな話だ。

そこで決まったルールが「ゲームが始まって1時間たったらリードしている方の勝ち。もし同点だったらそこから5分間の一本勝負。その5分間でも勝負がつかなかったら両者失格」というものだ。

そして悲劇は起こった。翌1937年の世界選手権女子シングル決勝はアーロンズ(アメリカ)とプリッツィ(オーストリア)で争われたが、先の「促進ルール」によって両者失格となってしまったのだ(それにしても聞き分けの悪い選手たちだ)。これが世界卓球選手権史上、唯一の優勝者なしの記録だ。2001年、国際卓球連盟は、このときのルールが間違っていたと認め、64年ぶりに両者を優勝とする措置をして両者の名誉の回復をはかった。

このような悲劇をさけるため、その後、促進ルールは幾度かの改正を経て、現在のルールでは、1ゲームが10分を越したら「ラリーが13往復続いたら自動的にレシーバーの得点とする」促進ルールに移行することになっている。サーバーは、13往復する前にダメでもともとの捨て身の攻撃をしかけざるをえないわけで、当然、攻撃力のある選手が有利となる。13往復というのは、キリスト教における不吉な数字から来ているのだろう。『ゴルゴ13』の13と同じことだ。攻撃選手の多い現在では促進ルールが適用されることは稀だが、ときどき守備選手がからんだときに促進ルールになることがあるので、審判はストップウォッチが必携だ。今回の場合、平野は攻撃選手なので、促進ルールになることは通常ではほとんどありえないケースだ。いかに平野が異常な粘りを示したか(当然、ラケットを下に振るカットより、上に振るドライブの方が疲れる)、また、平野にそういう異常な作戦を取る以外に勝ちがないと判断させた王の守備の尋常ではない実力がしのばれる。こういう場合、攻撃選手は打ってしまった方がどれだけ楽かわからない。真剣勝負の緊張に耐えながら40往復も50往復もノーミスでドライブをし続けるなど常人にはとても耐えられない所作だ。

なお、促進ルールは、両選手の合意があれば、試合開始から適用することもできる。守備どうしで粘り合いが予想される場合には途中で変えられるより最初からやった方が選手が楽だからだ。よく両方がカットマンだと、選手や審判が試合前に「促進にしませんか?」などと相談する光景が日本中の試合で見られる。守備選手は、普段の練習に「促進ルール対策」を組み入れていることもまた当然のことだ。

促進ルールは、卓球に、回転という要素があるために未だに守備主戦という戦型が存在し、競技領域が小さくボールも軽いために、打法によってはいくらでもラリーを続けることが可能である故に存在し続ける、まさに卓球ならではのルールなのだ。

卓球の進化

斉藤清が偉大な選手だということを踏まえつつ、あらためて感じるのは、卓球は進化しているということだ。

なぜかあまりいわれることはないが、この20年で日本の卓球が選手の技術面でもっとも進化したと思うのはブロックである。それは革命だったと言ってもよい。

中国は80年代初頭からこのブロック技術が抜きん出ていて、各国選手のドライブをことごとくブロックで跳ね返していた。それは相手にコート全面にランダムにドライブを打ち込んでもらってブロックする練習をしていたからという、実に単純なことだったのだが、他国は、それはあまりに難しいこととして練習をしていなかったのだ。

それにまず気がついたのがスウェーデンだ。その練習を始めたとき、選手たちにとってはそれはあまりに難しく、ほとんど一球も反応できずノータッチばかりだったという。それが「中国ができるなら俺たちもできないはずがない」と練習を何ヶ月か続けるうちに、1球、2球と返せるようになり、ついには自分たちが中国人と同じように前陣で相手の全力ドライブに反応できることに気がついたと言う。それに体の大きさを活かしたオールラウンドなプレーを加えて中国を破ったのが1989年。

これに対して日本がそれらと同等のブロック技術を身につけるようになるのはかなり遅かった。90年当時の全日本決勝を見て痛感したのは、世界とのブロック力の差だった。決勝を争ったのは斉藤清と渡辺武弘。ともにペンドライブだったが、二人ともフォアドライブが主戦であり、ラリー中のバックブロックに難があった。バックにボールがくると、ゼッケンをひらつかせながら飛び上がってバックブロックをしていたのだ。グリップに問題があって、飛び上がって打球点を相対的に体の下方にズラすことでしか角度が出せなかったのだ。

お互いにバックブロックが苦手なので、打球点を落としてでもドライブをした方が得なわけで、グリップ、スタンスなどがますますフォア重視となってブロックを難しくしていくという悪循環だった。世界ではもっと速いボールでラリーが続いているのに、全日本ではボールが遅いのにラリーが続かない。これは二重の差だと思って見ていたものだった。

もちろんこれは斉藤や渡辺を貶めているのではない。私は彼らとほとんど同世代であり、ランダムに打ち込んでもらってブロックする練習などしたことはなかったし、まして失うものが大きい一流選手たちが、成功する保障のない新しいことに挑戦するのは容易なことではない。日本卓球界全体がそういう技術の時代だったということだ。それは指導者も同じだ。誰かがその改革をもっと早くやればよかったのだが、残念ながら日本には、それを実行できる知性と度胸のある人がいなかったのが事実なのだ。

その後、だんだんと日本選手もラリー中のブロックができるようになって現在に至っている。おそらく今の日本の選手たちがそのまま80年代末の選手と対戦したら、世界レベルになれるだろう。つまり、物理的、才能的にはそういうチャンスはあるということだ。問題はいかに他国より先にそういう技術革新をするかにある。あと20年もしたら、日本の選手も今の馬琳や王皓と同じくらいの実力になるかもしれないが、そのときには中国はもっと先を行っているのでそれでは遅い。20年後にできることをどうやったら来年できるようになるのかを考えなくてはならない。

そういうことを強く思った斉藤清の100勝だった。

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