月別アーカイブ: 6月 2009

海水浴

ここ最近、ドーサン近辺では日中の気温が40℃を超えている。これだけ暑いと海水浴に行ってもいつまでも寒くならずに延々と海に入っていられる。私が育った東北ではそういうことはめったになくて、すぐに唇が紫色になって震えるのが常だったから、これが嬉しい。

ドーサンから車で2時間ほど走るとフロリダ州の海岸に着くので、そこで海水浴をしてきた。一昨年は油断をして、強い日差しで頭皮を日焼けして不愉快な思いをしたので(2007/10/5参照)、今年は終始、帽子をかぶって日焼けを防いだ。結果、青森で発見された土偶のような姿で泳ぐことになってしまった。

幻惑度100!

先日紹介したノイバウアーのラバーだが、JUICのカタログにも載っていた。普通、卓球用具メーカーはラバーの性能の指標として「スピード」「スピン」「コントロール」の3つをよく使うのだが、『アンチスペシャル』に限っては、「スピード」「スピン」そして「幻惑度」というのだから凄い。そしてこのラバーは幻惑度が100なのだ。素晴らしい。

同じカタログに載っているノイバウアーのラケットには、当たり前のように5万円以上の値段がついている。桁を間違えたのかと思ったが、本当だ。ラージボールにも使えるとも書いているのだが、確かに使えるとは思う・・・。

このラケットにアンチスペシャルを貼ったらいったいどんなボールが打てるのだろうか。考えるだけで楽しい。

このカタログ、とにかく商品名のインパクトが凄い。ちょっと拾ってみると「ゴリラ」「グリズリー」「モンスタークラシック」「ピストル」「ブルドーザー」「バリケード・ディフェンシング」「ハイテクノロジープラス」「スペシャル」「ドライバスマッシュ」「パチスマ」(パチスロじゃないぞ)と、名前を並べるだけで楽しくなってくる。

また、気になるのが「バンブーショット」というラケットだ。カタログには「竹のしなやかさをあなたのプレーに」とは書いているものの、不思議なことに、どこにも竹材を使用しているとは書いていない。調べてみると、ちゃんと使用しているようだ。http://www.iruiru.com/bh/index02.htmlなんという余裕だろうか。

卓球のラケットの材料は、厚みの85%以上は木材とルールで決まっているので、あまり自由度はないのだが、木の種類を選べると思えば、それはそれで結構楽しい。寿司屋でいろんな魚の味を楽しめるように、木材もいろいろ味わいが違うのだ(でも、竹製とは初めて聞いた)。

卓球は本当に楽しい。

姓名判断

以前、職場の同僚が、子供に名前をつけるのに姓名判断にもとづいて画数を検討していると言った。「そんなの信じてるんですか?」と言うと「別に信じちゃいないけど、悪いって言われてる名前をわざわざつけなくてもいいでしょ」と言われた。

私も小学生のころは、大人がすることは正しいことだと思っていたし、まさか本にウソが書いてあるとは少しも思っていなかったから、占いも完全に信じていた。しかし、問題だったのはそのメカニズムだ。

名前の画数が運命に影響する原因にはどんなことが考えられるだろうか。たとえば、自分の名前を書くときに、指を何回動かすか、あるいは他人が自分の名前を書くときに指を何回動かすかが、何かその人の運命に影響するなどの原理があって、偉い人がそれを突き止めたんだろうと思っていた。「名前の画数」と「運勢」の間を埋めるものはそれぐらいしか考えられないからだ。

突き止めるためには当然、膨大な統計が必要になる。不幸な目に合った人と、幸運に会った人の名前を調べ上げてなんらかの傾向をつかみ、作り上げたのが姓名判断なのに違いないと思った。画数が運命に影響を与える本当のメカニズムは分からないにしても、統計的にそのような事実があるのなら、認めるしかない。

易者が箸みたいな棒をまぜて占うのも同様だ。棒を混ぜるといっても、実際に混ぜているのは神様ではなくて占い師なので、占う相手の運勢が占い師の指先に何らかの原理で伝わって、うまい具合に箸を混ぜ合わせて、相手の運勢を表現できる結果になるのだろう、世の中にはこんなに不思議で面白いことがあるのだな、と思っていた。

現実には、私の大前提が間違っていたことが後で分かった。つまり、世の中には平気でウソやデタラメを書く大人がいくらでもいて、そのような原理も統計も何一つなく、すべてはただの戯言だったのだ。

金字塔

マイケル・ジャクソンの死亡記事に「ポピュラーミュージックの金字塔」と書いてあった。

この金字塔って何のことだかご存知だろうか。これはピラミッドのことなのだ。金という字に似ている形の建物なので金字塔というのだ。転じて、ピラミッドのように永久に残る偉大な業績の意味で使われるようになった言葉なのだ。英語でも「これはポピュラーミュージックのピラミッドだ」という表現があるかどうかは知らない。

ハダカデバネズミとは

風呂上りの義姉が似ているといわれるハダカデバネズミを調べてみたら、生物学的・進化論的に重要な動物らしい。

哺乳類にほとんどいない、真社会性をもつ動物だという。http://ja.wikipedia.org/wiki/ハダカデバネズミ

真社会性とは、蜂や蟻などのように、不妊の階級を持つ社会構造のことで、女王などのように特定の個体だけが子孫を残すものだという。これがどうして重要かといえば、進化論は自然淘汰による遺伝子の選別がそのメカニズムだから、不妊の階級の進化を説明できなくなってしまうからだ。

それにしても、義姉の娘はなんでこんな動物を知っているのだろうか。まさか進化論に興味があるわけでもあるまいに。

でも、この動物に似てるって・・・

義姉からは『全然似てませんとフォローしておいて』とメールがきたが、そういうことは私は書かないことになっているのだ。

マイケル・ジャクソン死去

夕方の5時頃、職場でTimが「マイケル・ジャクソンが死んだ」と言った。さっそくネットで検索してみると、2007年に死んだ同姓同名のマイケル・ジャクソンばかりが出てきてさっぱり見つからなかったが、とうとうネットにも書かれ始めた。

当然職場では、マイケルが黒人なのに白人になろうとして整形手術を繰り返した愚か者だという話題になった。もちろん、その場にいたのは白人だけだった。

私はマイケルのファンではないが、何度かネットで関連記事を読んでいて、彼の皮膚が白いのは尋常性白斑という病気のためであることを知っていたので(http://ja.wikipedia.org/wiki/マイケル・ジャクソンの外観)、そのことを言うと、「違う、わざとだ」とかたくなに否定された。家に帰ると、息子の友達の白人も同じことを言っていたそうだ。

とにかく「黒人のくせに白人になろうとしたバカ」だと思いたいようである。現代の医学では、全身の皮膚を白くする方法などないというのに。

ゲルマニウム

ゲルマニウムブレスレットに科学的根拠がないというニュースを見た。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090625-00000964-yom-soci

それはそうだろうと思うが、ちょっと補足したい。血液型性格判断など、こういうオカルトを否定する場合、よく「科学的根拠がない」と言うが、これは誤解を生むと思う。「根拠」という言葉の概念が「理由」「原因」に似ているため、あたかも「科学者が原理がわからないから否定している」ように聞こえてしまうのだ。

当然、信者は「事実を認めようとしない科学者は頭が固い」「科学は万能ではない」などとトンチンカンなことを言って、ますますその信念を強固なものにするわけだ(科学は何よりも事実が最優先されるし、現代の科学が万能だと思っている科学者などいない)。

現実には、原理はともかく、事実そのものが認められないから否定しているわけで、それを含めて「根拠がない」と表現しているのだ。

「科学的根拠がない」よりは、現実にそのような効果がないことを平易に書いたほうが良いと思うのだがどうだろうか。「根拠がない」じゃなくて「効果がない」にした方がよっぽど分かりやすいと思う。

まあでも、人は信じたいものしか信じないので、目にうろこが飛び込んでしまった人には何を言っても無駄だとは思うが。

恐るべしノイバウアー

今月号の卓球王国が届いたが、ノイバウアーから発売されたものすごいラバーが紹介されている。

曲がらないほどのカチンカチンのアンチラバーで、鉛直な面で相手ドライブに当てるとストンと真下に落ちるらしく、いったいどうやったら入るのか分からないという。

用具マニアならなんとしても一度打ってみたいラバーだろう。

しかもほとんど1万円という気が狂ったような値段。素晴らしい。エリートアカデミーの有望選手にこれをハンドソーラケットに貼ってやらせてみてはどうだろう。

ハダカデバネズミ (『父消えて』)

義姉がメールで、風呂上りに高3の娘から「ハダカデバネズミ(メキシコ産の毛のないネズミ)みたい」と言われたと書いてよこした。

添付ファイルがついていたものだから、てっきりその「ハダカデバネズミ」が写っているものと思ってドキドキしながらファイルを開いたら人形俳句写真の新作だった。

紛らわしい。

初仕事

いよいよ義姉が、ある劇団からパンフレットの写真を依頼されたという。「劇団ユニット体温」という劇団で、「親の顔が見たい」という劇らしい。http://www.unit-taion.com/index.php
何から何まで怪しい感じだ。

他人から依頼された初の仕事ということで、義姉はかなり興奮しているようだ。

私が卓球王国で連載を始めたときのことを思い出す。発売日がちょうど故・藤井基男さんの出版記念パーティーの日で、東京に向かう途中、仙台駅の本屋で初めて自分の記事が載っている号を手に取ったのだった。雑誌はあとで送られてくるのに、それを買い、何度も何度も何度もそのページを見た(今でもときどき見るぞ)。

連載を始めたのは、手紙をやりとりしていた藤井さんが編集部に紹介してくれたのが縁だった。たった5年前のことなのに、その藤井さんはもういなくなってしまった。

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