月別アーカイブ: 2月 2012

世界ろう者卓球選手権

近々日本で世界ろう者卓球選手権が開催されるが、それに出場する上田選手の特集番組を見た。

アンテナの調子が悪く、画面が乱れてわけがわからなかったが、幸い字幕が出ていたのでなんとか意味がわかった。

西村監督はあいかわらず卓球のボールの初速が時速200kmとか言っている。自分で測定したわけはないからどこかで聞いた話なのだろう。ビデオでコマ送りしてみれば卓球のボールはその半分以下の速度であることがすぐにわかる。まったく、どこの誰がこんなデタラメを流布したのだろうか。

「ペンホルダーにこだわる」ってのも違和感がある。本人にしてみれば、今さら選択の余地がないわけだから「こだわる」も何もないような気がするんだが。もう少しこう、卓球をしている人が見ても違和感のないような番組にできないもんだろうか。

「小野誠治」という名前

定期購読をしている『卓球人』という季刊誌が届いた。
その中で、神奈川県の生田高校の先生である田辺武夫さんという方がとても感動的な文章を紹介してくれている。
拉致被害者の蓮池薫氏が新調社の『波』に自伝を連載しているのだが、そこに、なんと79年ピョンヤン大会の話が出てくるのだ。蓮池氏はおそらく史上初のテレビ生中継の卓球の試合を見るよう指示されたという。パク・ヨンスンの三連覇を見よ、ということだったらしい。
以下は蓮池氏の文章だ。

小野の優勝が決まったとき、平壌体育館は凍りつき、わたしはテレビの前でひとり歓声をあげた。うれしく、得体の知れない力が込み上げた。小野誠治という名は、今もわたしの胸に一生忘れられないアスリートとして刻まれている。
<1月号第21回>

これを読んで私はあわや落涙しそうになった。拉致されたという筆舌に尽くしがたい苦難と、そこで見た祖国の人の活躍、そしてそれがなんと小野誠治。すばらしいではないか。
素晴らしい記事を紹介してくれた田辺氏に感謝したい。

アジア選手権

auのニュースで、アジア選手権で日本男子が韓国に勝って決勝に進んだことが出ていた。決勝は今夜8時から中国とだ。かなり厳しい戦いだとは思うが頑張ってほしい。

送別会

一昨日の夜は、3月1日からシンガポールに赴任するモガミくんの送別会だった。
会の後半にプレゼントが贈られたのだが、目も当てられないふざけたパンツが贈られた。こんなもの、どう使うのか見当もつかない。もちろんこれは冗談で、この後でちゃんとしたプレゼントが贈られたのだった。

二次会のカラオケでは、先日のカラオケで味をしめた私は、クイーンとU2の曲を力のかぎり熱唱してやった。もう周りの空気は気にすまい。

佐田介石

パオロ・マッツァリーノの『日本史漫談』という本を読んだ。この人の本は面白くて、私はすべて持っている。世にはびこる社会学者たちのデタラメな主張をデータに基づいて片っ端から暴いていく大変に痛快な人なのだ。たとえば、少年犯罪は年々減り続けているのにマスコミや教育学者たちはそれを隠してか知らずか「最近は悪質な少年犯罪が多い」という間違った前提のもとにその原因を追究しているとかだ。前提が間違っているのだから、ゲームとか食品の欧米化などといった「原因」と推定されていたものはすべてもくろみとは逆に、少年犯罪が減る原因だったということになる。そうでなければ単に気に入らないものを悪者にしているだけの恣意的なデタラメな議論だということになる。

今回読んだ本の中で笑ったのは、佐田介石という人についてだ。佐田は幕末から明治初頭にかけての浄土真宗本願寺派(晩年は天台宗)の僧侶らしい。この人、ランプが日本を滅ぼすと本気で主張する『ランプ亡国論』を展開していたという。ランプで日本が滅ぶ理由が16もあるとして、次のように並べ立てた。
1.毎夜金貨大減の害
2.国産の品を廃物となすの害
3.金貨の融通を妨げるの害
4.農や工の職業を妨げるの害
5.材木の値上げさするの害
6.洋銀をますます広むるの害
7.舶来のこやしを入るる道を開くの害
8.消防の術も及ばざるの害
9.人を焼死さするの害
10.全国ついに火災を免れざるの害
11.火もとを殖やし増すの害
12.市街村落ついに荒土となすの害
13.五盗ますます増し殖やすの害
14.罪人をますます増すの害
15.眼力を損し傷むるの害
16.家宅品物及び人の鼻目までくするぶるの害

ということだ。とにかく自分が気にいらないものにいろいろと理屈をつけて悪にしたてあげる昨今の社会学者たちの手法がすでに確立していることにパオロは感心している。

その佐田とはどんな人物かというと「インキンタムシの治療と称し、酢を入れた鍋をコンロにかけて、そこに金玉をひたして温めていた」そうだ。これはいったい・・・・? どんな姿勢でそんなことができたのだろうか。

本を読んだ後でネットで佐田介石について調べてみたら、地動説が仏教の経典と矛盾するため、仏教が滅ぶと心配をして「仏教天文学」を研究していたという。とにかく困った人だったようである。

睡眠時無呼吸検査の結果

人間ドックの結果が来た。睡眠時無呼吸の結果は、呼吸が止まったのが1時間に1回30秒ほどで、判定は「正常」だった。正常で安心したが、一方で、もし異常があれば治療をすればもっと快適な目覚めで昼も眠くなくなると期待していたのでちょっとがっかりだ。ただの怠けグセだということが明らかになってしまった。

反論

一番弟子の戸田から反論がきた。

「やさしい甘さ」の反対は「無慈悲な甘さ」あるいは「血も涙もない甘さ」だろう。

とのことだ。一方、同僚からは「喉が焼けるような甘さってのはどう?」と言われた。
どうでもいいと思うが。

「下品で厳しい甘さ」とは

ミルクティーを買った。上品でやさしい甘さだということだ。つまり、あまり甘くないということなんだろう。
「下品で厳しい甘さ」というのもぜひとも味わってみたいものだ。きっとそっちの方が美味いと思う。

「卒業」じゃなきゃダメなの?

私の勤めている会社では、ここ数年、退職する人のことを退職といわずに「卒業」と表現する。もちろん、正式文書ではまさか卒業などとは書いてはいまい。あくまで送別会の案内や式当日でのスピーチでの話だ。一回や二回ならまだしも、ある時期からすべての案内が「ご卒業」となりひとつの例外もなくなった。

「退職」や「辞職」という言葉があるのになぜわざわざ卒業などと表現しなくてはならないのか。アイドルグループじゃあるまいし、まったく苦々しい限りだ。別に、卒業という言葉が嫌いなわけではないし、何かの意図を感じるわけでもない。ただ、流行しているからというだけの理由で、何も考えずに無意味な言い替えをするのが嫌なのだ。

まだ先があるという意味を込めてでもいるのだろうか。退職だって先はあるではないか。この分ではそのうち葬式でも「人生をご卒業され」などと言いかねない。卒業後は幽霊にでもなるっていうことか。

まったく、正常な感覚の人は残っていないのだろうかと思う。

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