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平野美宇の偉業

平野がアジア選手権の女子シングルスで優勝した。

報道では、日本女子として21年ぶりの優勝とあるが、21年前に優勝した「小山ちれ」とは、中国名「何智麗」であり、アジア選手権を1984年から3連覇しかつ1987年世界チャンピオンになったバケモノであり、中国で現役引退後は日本に帰化して「小山ちれ」となり、30歳でアジア競技大会で中国の不動のエース鄧亞萍をいてこまして優勝し、あげくに31歳でアジア選手権を制したという「やっぱりバケモノだった」というとんでもない選手なのだ。

よって、それはこの際カウントしてはならない。小山ちれを除くと、その前に日本人がアジア選手権に優勝したのは1974年の枝野とみえまで遡る。

ふふふ・・・43年ぶりだ。2倍以上の43年ぶりなのだ。わかるかこの意味が。

ちなみにその時の男子シングルスのチャンピオンは長谷川信彦だ。あの長谷川信彦がまだ現役のときなのだ! とんでもない昔だ。

卓球女子のアジアチャンピオンといったらあんた、世界チャンピオンと同じである。なぜそう言えるのかって?それはだなあ・・・現在は世界の女子卓球界は圧倒的にアジア勢優位なのであり、1955年世界チャンピオンのロゼアヌ(ルーマニア)が1956年世界選手権東京大会で田坂清子に負けて以来、62年もの間、世界チャンピオンはひとり残らずアジア人(日本、中国、韓国、北朝鮮)なのだ。

もっとも、アジア選手権で優勝してかつ世界選手権でも優勝するのは、これまたごく限られた選手だけなので(それだけ競争が激しい)、世界チャンピオンになる実力があるとは言えても、実際になるかどうかは別問題だ。

ちなみに、今のところ日本女子最後の世界チャンピオンは、1969年の小和田敏子だから、平野がデュッセルドルフで優勝したりすると48年ぶりのとーんでもない快挙となる。

ただし、史上最年少優勝にはならない。

1936年にアメリカのアーロンズが16歳で優勝しているし、1937年にはそのアーロンズとオーストリアのプリッツィが、ともに17歳で優勝しているからだ(制限時間内に勝負がつかず両者優勝)。さらに1975年には北朝鮮のパク・ヨンスンも17歳で優勝している。

ちなみに、女子世界チャンピオンの最年長は、1955年のロゼアヌの33歳だ。偉大なりロゼアヌ。

これは、私が歴代の世界選手権の開催日と全個人種目の優勝者全員の生年月日を調べ上げて作ったオリジナル資料だ。

 

ともかくだ。凄い。凄すぎるぞ平野美宇。

ああ、どんな言葉でも足りない。どう書いても今回の偉業を表現できないことがもどかしい。

卓球を始めて以来、こういう瞬間をいつかいつかと夢見て、結局生きている間に見ることなく亡くなっていった日本の卓球人がどれだけいたことか。1990年代前半に日本チームの監督だった野平孝雄が、インタビューで「世界選手権で日本人同士の決勝を見れたらその瞬間に俺は死んでもいい」と言っていたのが忘れられない。その野平も2013年に亡くなった。

43年とはそういう時間だ。

甚だしい間違い

卓球関連の知人から面白い話を聞いた。

息子がこの春、高校に入ったのだが、その入学式で校長が卓球に触れたという。

そこで語られたことが素晴らしい。

「リオ五輪に出られなかった平野早矢香選手が、その悔しさをバネにして世界チャンピオンになった」

と言ったのだという。なんと面白い間違いだろうか。

いっそのこと、リオ五輪ではなくてサラエボ五輪とか言ってくれると最高だった。卓球がまだ五輪に参加する前の、しかも冬季五輪なのだから、もう非の打ちどころのない間違いだったといえよう。