年別アーカイブ: 2010

午後の卓球談義

卓球を終えた後、近くのファミリーレストランで4時間もあれこれ話した。

私の顔に白い線が入っているのを指摘されたが、なんとそれは汗が乾いた跡であり「気持ち悪い」と評判だったので記念に写真を撮ってもらった。

話題になったのは、インターハイに出るような人たちのフォアドライブの安定性とスピードを見ると、本当に楽に簡単に振っているように見え、どうして我々はそうできないのかという悔しさであった。陸上競技とか格闘技といったアスレチックな競技ならできないのも諦めがつくが、どうみても我々より力が弱い小学生でさえ我々より速くラケットを振れるのは納得がいかない。何か我々が見落としている、あるいは知らされていないコツがあるのではないか、という話になった。

杉浦君は朝、急に奥さんに「卓球に行ってくる」と言って出てきたので、かなり気まずい思いをしたので、ついでに米の精米をすることで体裁をつくろう作戦だったようだが、4時間もの無駄な時間を一体どう説明する気だろうか。しかもレストランを出たときにはまだ精米していないどころか、「精米所どこにあるか知ってるか?」と聞くレベルであった。

年末卓球

年末でヒマなので、午前中から卓球をした。

普段練習をしているコミュニティーセンターが閉まっているので、別の個人経営の卓球場『東部卓球センター』というところに行った。

ここは、鈴木晴巳さんという私と同年代の方が、数年前に会社を辞めて作った卓球場だが、鈴木さんはもともと卓球場を作るために長年働いていたという大変エライ人である。

ご覧のように、もともと倉庫だったところを安く買い、余計なところにお金をかけずに夢の卓球場を作ったという。

私はここで卓球をしたのは初めてだが、この日は今年最後の練習ということで、中学生たちが来ていた。その中にわざわざ隣の岩手県から泊りがけで来ていた中学生とご両親がいたのだが、話してみるとお母さんは偶然にも私の高校の卓球部の後輩であった。つくづく卓球界は狭い。抱えている雑誌は私がサインをした卓球王国だ。「サインなんて恥ずかしくてできませんよ」と言いながらもスラスラとしてしまったのが恥ずかしい。

フォークの使い方

学生時代、洋風レストランにあまり行ったことのなかった私が、ミルキーウエイというファミリーレストランで食事をした。すると、行き慣れている友人がフォークの背にご飯や野菜を乗せたりして食べているのを見て驚いたことがある。フォークの背だから、当然外側に凸になっていて、ものを乗せるのにこれほど不都合なものはない。しかしその友人はその不都合な形をした部分に器用に食べ物を乗せて口に運んでいた。マナーだかなんだか知らないが、こんな不便なことは到底受け入れるわけにはいかないので、私は彼とは反対の面を使って食べたものである。

その後、アメリカ赴任になって、レストランでステーキを食べるようになって、私の考えが浅かったことが分かった。フォークとナイフでステーキを食べるときには、左手でフォーク、右手にナイフを持つのだが、ステーキを切るのに力が要るので、どちらもシェークハンドのように持たねばならない。そのまま持ち変えずに他のものを食べると、当然、フォークは背を上にしたまま使うことになる。だから、背を使った方が持ち変える手間が省けるだけのことだったのだ。もしこれをペンホルダーのように持ち変えれば、問題なく食べ物を凹の側に乗せることができるわけで、実際、アメリカ人も普通にそうしていた。

要するにこんなことはどうでもよく、好きなようにすればよいだけだったのだ。ヨーロッパではどうか知らないが、ここは日本なのでそんなことを気にかける必要はない。

食事のマナー

先日、ネットで「お寿司を食べるときの正しいマナー」というものが紹介されていた。クイズ形式になっていて、①ネタをはがして醤油につけてからご飯の上に戻して食べる ②寿司を箸でつまみながら下方に左手を添えて口に運ぶ ③寿司を箸でつまみながら下方に左手でもった小皿を添えて口に運ぶ

正解は③だそうで、醤油が垂れるのを防ぐためだそうだ。こういうことを知らないと恥をかくそうだが、こんなクイズの問題になるような「マナー」を守らないからといって一体どこで恥をかくというのだろうか。まったく不思議な話もあるものだ。マナーにはすべてそれらしい理由があって、実用的なものもあれば、見た目の美しさという基準もある。小皿を持って寿司の下に位置させる動作は美しいとはとても思えないのだがいかがなものだろうか。

また、私が違和感を覚えるのが、爪楊枝を使うときに両手で口元を隠す動作だ。口を閉じられないほど歯が出ていて、そうしないとモロに食べ物カスをほじくっているのが見えてしまう人ならいざ知らず、普通の人でもそうするのがマナーだと思っている一派がいるようだ。しかし、さりげなく爪楊枝が唇の間に挿入されている様子を見て不快に思う人がどれだけいるだろうか。少なくとも私は、爪楊枝ごときに大げさに両手で作業をされるとなんとも居心地が悪くなってしまうが、これは各自の習慣からくる違いのなのでいかんともしがたい。

一方、私が気になる食事のマナーはただひとつ、クチャクチャと音を立てて食べることだ。近くでこれをやられるととても我慢ができず、席を立つしかない。なんでこんなに音を立てて食べるのかと、腹立ちまぎれにその口元を見ると、そもそも唇を閉じないまま食べ物を噛むために音がするのであるから、当然、咀嚼中の食べ物が見えることになり、余計にまた腹が立ってくる。

音に対する不愉快は、習慣とか形式とは関係がなく生理的なものであり絶対的なものだと自分の不快感を正当化していたのだが、考えてみると、犬とか猫、あるいは幼児が音を立てて食べるのを見て不快に思ったことはないし、物凄い出っ歯で絶対に口を閉じられない人とか、病気で鼻が詰まっていて息をするために口を開けなくてはならない人を想像すると腹は立たないので、やはりこれも後天的な不快感なのだろう。音を立てて食べるのが「美味しい」という意味で礼儀になっている国もあると聞くし。だから私は自ら席を立つしかないのであった。どうしても席を立てない場合は、犬とか猫とか幼児あるいは病気の人を思い浮かべて気を鎮めようとするのだが、うまくいったためしがない。

友人に、カレーライスを食べるときにカレーとご飯をあらかじめスプーンでカチャカチャとすべて均一にかき混ぜてから食べる男がいる。ビビンパなどそのようにして食べる料理もあるので、これを否定することは極めて難しいが、私が妻ならとても耐えられない所作である。

食事のマナーとは、不愉快に思うのも思われるのも、なんともやっかいなものである。

本屋の光景

昨日、近所の本屋に行ってきた。

その昔、卓球王国が創刊されたとき、発売日に手に汗握りながら(比喩ではなくて本当に汗をかいて)創刊号が置いてあるか、その後は売れ行きはどうかを見に通った同じ本屋だ。

卓球王国の2月号が一番目立つところに平積みされていて感無量だった。しかし、多すぎないか。これってもしかして、売れてないってことじゃ・・・いやいや、売れなければそもそもこんなに入荷するはずがないじゃないか、いや、単に返本し放題だから適当に入荷してるのかも、などとひとりジタバタしたのであった。

近くに「料理王国」「ワイン王国」なんて雑誌があったりして紛らわしい。

他にどんな雑誌があるかと思ったら「月刊カラオケファン」なんて雑誌がある。カラオケに関していったいどんな雑誌が成り立つというのだろうか。「イチオシソフト比較」とか「新発売のハード特集」なんてやるんだろうか。初心者のためのコーナーとかルール説明(あるのかそんなの)、メンタルを克服しよう、もちろん読者の投稿で「カラオケで家族の会話が多くなりました」とかあるんだろうなやっぱり・・。

踏み絵

下に紹介した石川のフットワークは、指導者にとってひとつの踏み絵になると思う。

以下のような見解が考えられる。

①完全な手打ち。こういうときでもきちんと腰を入れて打てるようにしないと世界チャンピオンへの道は遠い。基本練習が足りない(これで世界チャンピオンになっても俺は認めないぞ)。
②完全な手打ち。やむを得ず基本から外れたあくまで緊急対応の打ち方であるが現代卓球ではこういう打ち方も必要である。しかしこれはあくまで基本ができた上での応用形であるから、最初からこういう練習をしては基本が身につかないのでいけない。
③手打ちだがこの打法も現代卓球の基本そのものなので、初心者のときから将来この打法に発展できるような練習が必要。

私はもちろん③である。さて、皆さんはどうだろうか。

石川佳純の飛びつき

石川はとにかく絶対に交差歩を使わないことで有名だが(私の中で)、それではバックの深いところからフォアを突かれたら、一体どうやって飛びついているのかを調べて見た。

下の写真は両方とも同じラリーであり、右の写真は左の写真を左右反転させて右利きの選手がイメージしやすいようにしたものである。特徴は、とにかく近い方の足の踏み出しが大きいことである。全盛時の江加良の回り込みを彷彿とさせる。そのあとで、さらにその足をもう一歩踏み出しながら打球をしている。

腰はほとんど回っていないが、両肩のラインは30度ほど回っているので、ひざ関節ではなく、腰から上のねじりで肩を回していることがわかる。もっと時間の余裕がないときは恐らく肩を回さず腕だけのスイングになることが予想される。相手のボールが速ければ速いほど、こちらのスイングに許される時間は短くなるし、また相手のボールのスピードを利用できるのでスイングは遅くて構わないわけだから、それがリーズナブルである。

これを我々一般人が参考にしようとすると、思い当たるのは、前進回転を打ち返すのは楽だが、切れた下回転などでフォアに振られた場合に、この程度の動きでボールが持ち上がるのだろうかという不安だ。それで、そういうボールが来たらどうするのかを調べて見たのだが、驚いたことに、誰の試合でも、そういうボールは来ないのだ。フォアに来るボールは、台上か、または前進回転の速いボールだけであり、我々がよくやるような、長いツッツキはフォアにいっさい来ないのだ。少なくとも先に分析した王励勤対馬琳、王皓対王励勤の全11ゲームを通して、そういう場面は1球たりともなかった。考えてみれば恐ろしい話だ。

というわけで、今のところ、その情報を得られないでいる。

飛びつきと飛び回りこみ 左右のフットワーク

フォアに動きながら打球する練習は「フォアへの飛びつき練習」と言われて昔からあったじゃないか、なにを今さらと思う人もいるだろう。しかしそれは、「飛びつき練習」という言葉の示すとおり、1球だけ、よくて3、4球のセットでするものであって、あくまで左右のフットワークとは別のものとしてあったのである。

それに対して私の主張は、左右のフットワーク練習そのものを、従来の飛びつきのやり方、つまりボールの方向に移動しながら打球するやり方でやるべきだというものである。その時足を交差するか交差しないかはボールとの距離によるし、できるだけ交差しないで威力のあるボールを打つよう、その選択も練習の目的とするべきである。

従来の「飛びつき練習」がどうして定常的に左右のフットワーク練習としてやられなかったかといえば、動く範囲が大きくなってあまりに疲れて、続かないからだ。交差歩でフォアに飛びついた後にバックまで回りこみ、また交差歩で飛びつく、これがいかに疲れる練習か想像できると思う。しかし、これが実際の試合で起こることなのだ。疲れるからといって、試合で起こらない動きを作り出して練習をしたのでは本末転倒である。

バックへの回り込みも飛びつきと同様のことが言える。試合ではたいてい、バックに回り込みながら打球し、打った後は慣性でかなり余計にバック側に動いてしまう。また、それだけの強打をするからこそ回り込むのだ。従来のフットワーク練習のように、ボールが来る前に回りこみ終わって、フォア側へ右足を踏み出しながら打つなどということはカット打ちでぐらいしかあり得ない(余談だが、ある指導者が中国人指導者に、バックに回りこんでフォアに振られたらどうやって飛びつくのかと質問したところ、回り込むときは決めるときです。返される心配があるのにどうして回り込みますか、と言われたという。極端な表現ではあるが、フットワークといえば昔から長々とラリーを続ける我々日本人からすると、なんともハッとさせられる含蓄ある台詞ではないか)。したがって、バックへの回り込みも実戦と同じように、バックに移動しながら打球、すなわち「飛び回り込み」でするべきである。

以上、私の提案する新しい左右のフットワークは、実戦と同じく「飛びつき(交差歩かどうかはそのつど選択)」と「飛び回り込み」の連続でやるフットワーク練習である。ラリーを続けたいならボールを遅くするとか範囲を狭くするとか、いくらでもやりようがある。ただ、私の指導経験では、コースを決めるとどうしても先に動くようになり、飛びつき、飛び回り込みは自然にしなくなるのだ。だから結局はランダムコースが一番よいということになる。それでもラリーが続かないので練習にならないというなら、多球練習にすればよい。

そしてポイントは、この飛びつきと飛び回り込みフットワークを習得するのに、従来の「先動きフットワーク」は、その前段階の役割をなんら果たさないということだ。だから、それはいっさいやる必要がなく、初心者の段階からいきなり飛びつき飛び回り込みフットワーク練習をメインにやるべきである。

従来の選手たちが「先動きフットワーク」をやっていてそれでもちゃんと強くなったのは、もちろんそれとは別に飛びつき練習とかゲーム練習もしていたからだ。練習でさんざん「先動きフットワーク」をやって、試合でぶつけ本番で飛びつき飛び回り込みフットワークをやるのだから、さぞ効率が悪かったものと思われる。

市販のDVD付き卓球指導書のDVD9枚分のフットワークの部分を見てみた。思ったとおり、どの指導書も、基本のフットワークとして左右のフットワークをあげており、そのどれもが見事なまでに綺麗な「先動きフットワーク」であり、実戦で使う動きのフットワークを紹介していたのは、多田先生のDVDの後半の一部と、卓球王国『中国卓球の神髄』の一部「砕歩(細かい動き)」という項目で紹介されていたのみだった。

中国を含め、ほとんどの指導者の方々は、今も「先動き左右のフットワーク」を基本と考えており「飛びつき飛び回り込みフットワーク」はあくまでその応用と考えていることが伺われる。ここにも練習の進化のタネが転がっていると私は見る。

規則的フットワーク練習の落とし穴

交差歩フットワークの良し悪しについてはまずは置いておいて、今日は規則的コースのフットワーク練習の間違いについて書きたい。先月号の卓球王国に書いたことそのままだが、実例を使って示そうと思う。

言いたいことは、日本で昔からやられていて今も続いている規則的コースのフットワーク練習は、規則的であるがゆえに実戦で使わない動きになっていて、基本になっていないということである。実戦では、ボールが来た方向に動きながら打つのに対して、規則的コースの練習では、ボールがくる前に動き終わり、次の位置に移動しながら打つので、体の動きがまったく違うのだ。左右に動いてボールを打つという意味においては同じだが、やっていることがまるで違う。

もちろん、コースを決めていても実戦と同じように動けば練習になる。しかし、通常、コースを決めるということはその分だけ簡単なはずなので、したがってノーミスでラリーを続けることが練習のひとつの目標になるのだ。動きながら打ったのでは慣性のために余計に大きく動かなくてはならず、疲れすぎて続かないのだ。したがって先に動いて次の位置に戻りながら打つことで動く範囲を小さくし、長時間の練習に対応することになるのだ。

タマスから出ている柳承敏のビデオで彼の練習を確認したら、まさしく「次の位置に移動しながらのフットワーク」となっていた。フォア側への動きもバック側への動きも実戦ではまずあり得ない動きになっている。ただし、飛びつき練習だけは規則的だけれどもちゃんと実戦と同じ動きになっていた。交差歩だから当然である。
ビデオでは柳承敏はフットワーク練習を毎日1時間やると言っていたが、そのうち半分以上は実戦で使わない無駄な練習(実戦的な練習より効果が劣るという意味である)になっているので、彼にはそのままやらせておいて、そのスキに我が日本チームは100%実戦的な練習をしようではないか。

一方、同じくタマスから出ているボルの練習ビデオを見た。ボルの練習は柳承敏とはまったく違ってランダムコースの練習が多く、フォア側のボールをフォアに移動しながら打球する実戦そのもののフットワークであった。規則的な練習もあったが、その動きは柳承敏よりは実戦に近く、打球時に慣性で左足を送る打ち方だったが、それでもやはりランダムコース練習とはかなり違って、ボールが来る前に動き終わってテイクバックをする打ち方だった。

あの記事を書いてから編集部を初め何人もの卓球人と話したが、この「次の位置に移動しながら打つ練習は無意味だ(練習効果が少ない)」という結論はなかなか受け入れがたいもののようである。しかしどんなに歴史があろうとも、柳承敏がやっていようとも間違いは間違いだ。実戦とまったく違う動きは基本ではあり得ない。そのような練習は1本もする必要はなく、卓球を始めたその日から、動く練習はすべからくボールが来た方向に移動しながら打つ練習にしなくてはならないと私は考える。

交差歩フットワークの結論(わけが分からなくなってきた)

ここ数日、交差歩の回数を数えてきたが、先に書いたように、交差歩とそうではないフットワークは動く大きさの違いにすぎないのであって、その境目はあいまいなものであった。実際、交差歩かそうでないか迷うような中間のフットワークも見られた。だから、分類してみたことにどれほど意味があったのか分からなくなってきた。

さらに、交差歩をすると腰がフォアハンドの動きと逆に回るので不利なはずだとも書いたが、実際に自分でやってみると、交差した方が楽に肩が回るような気もする。なぜそうなのか考えてみるに、上半身を回すためには右足で床を蹴らなくてはならないので、右足を床につけておく必要があるからではないだろうか。しかし私が交差歩に慣れているからそう感じただけかもしれない。なにしろ今回やってみて初めて私は飛びつきは交差歩しかできないことがわかったのだ。交差しないで飛びつくのは大変にやりづらく疲れた。筋肉も痛いしドタバタして足の裏も急に痛くなって豆ができた。

私にとって交差しない飛びつきがこれほどやりにくいにもかかわらず、試合は有利に運べたのが驚きであった。具体的にどういう違いとなって現れたのか分からないので偶然かもしれないが、ともかくしばらくは続けてみたい。

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