月別アーカイブ: 11月 2013

『卓球本悦楽主義』eBook発売!

ついに私の記事が電子書籍化された。『卓球本悦楽主義』だ。これは私の初めての雑誌連載であり、2004年1月号から2年間にわたって続いたものだ。

https://world-tt.com/ps_book/ebook.php?lst=2&sbct=D&dis=1&mcd=DZ005

連載までのいきさつはeBookの最後の「発刊にあたって」に詳しく書いたが、連載の第1回の号が書店に並んだ時のことはついこの前のことのように覚えている。2003年11月のことだからちょうど10年前だ。この連載のきっかけを作ってくれた故・藤井基男さんの出版記念パーティーに呼ばれて東京に行く日が発売日で、仙台駅の書店で手に取ったのだった。ティモ・ボルが表紙のかっこいい号だ。自分の名前が雑誌の執筆者のところに印刷されているのが信じられず、目次やら表紙やら何度も何度も眺めた。それまでの人生で嬉しかったことをいくつか思い出してみて、それらのどれよりも嬉しいことを確認した。「あ、これは一番だ」と思った。数時間後にもらえることがわかっているのにその場で買った。我慢できるわけがない。今もその書店に行くとそのときのことを思い出す。

この連載は、あろうことか卓球の指導書を一冊づつ紹介するという連載である。もちろんただの紹介ではない。わざと変なところだけを取り上げて皮肉交じりに論評をするという、マイナーにもほどがある連載だ。卓球の指導書は200冊以上もっているし、幸いにも卓球の指導書というのは「変なところ」だらけなので、ネタには困らずなんとも楽しい夢のような2年間だった。マニアックな内容なので、卓球に詳しくない人にはキツイかもしれないが、卓球マニアのハートをがっしりと鷲づかみにする内容になっていると自負している。自分では今の連載『奇天烈!逆も〜ション』よりも面白いと思っているくらいだ。

『卓球本悦楽主義』の連載を始めて2年が経った頃、担当の野中さんから次のようなメールが来た(原文)。

「卓球本悦楽主義の連載は、10月発売の12月号(24回目)をもって、一旦終了でお願いします。ただ、かなり人気の高いコーナーだったので、様子を見て、また違う形などでお願いするかもしれません。その時は、またご協力をお願いします。」

「ああ。これで夢の時間が終わる」と目の前が真っ暗になった。人気があるなら終わるはずがないし「違う形でのお願い」などあるわけがない。社交辞令なのだ。と落ち込んでいると、2週間後に今野編集長から

「さて、2年にわたり連載していただいた卓球本悦楽主義も終わりに近づいてきましたが、ひとつお願いがあります。卓球コラムニストとして、その時の世相や、卓球界のホットな話題、などを取り上げながら、伊藤さんの独特のタッチで新たなコラムをお願いできませんか。」

とメールが来たではないか(原文)。ひゃっほーう!本当だったんだ!と今度は有頂天になる、まったく起伏の激しい2週間だった(仕事どころではない)。もっとも、いざ書いてみたら「面白くないので書き直してください」と言われる一幕はあったものの、こうして2006年1月号から始まったのが今の『奇天烈!逆も〜ション』なのである。そちらは8年も経ってしまった。もはやライフワークのつもりで書かせてもらっている。次はこちらの書籍化が目標だ。

ポール・マッカートニーのライブ

11月21日に、ポール・マッカートニーのライブを見に東京ドームに行ってきた。中学生のころから慣れ親しんできたポール・マッカートニーをついに生で見る時がきた。

水道橋駅に降りると、道路のあちこちにポール・マッカートニーの文字が躍っていた。さすがポール、道端にまでバカでかい看板がある、と思っていたらトラックだった。クルーのトラックだろうか。こんなギリギリに会場入りするわけがないから宣伝カーだろうか。よくわからない。

かと思えば、これからポール・マッカートニーを見に行こうとしている私に「来月のエリック・クラプトンとディープ・パープルはいかがですかー」などと声をかけてくるバカ者がいる。なななな、なにがクラプトンだ!こっちは今からポールに会いに行くのだっ!ポールだっ!

東京ドームには初めて行ったのだが、ドームに近づくと、当日券を買う人たちの列が何重にもなっていてさっぱりドームにたどり着けなかった。おまけに、係員たちが「最後尾の方々は開演までに入れないかもしれませーん」などと脅しのような言い訳のようなことを言っていた。

会場に入るときに、係員からポールヘのサプライズだということで折ると赤く光る棒を渡された。アンコールで歌われる「イエスタディ」のときに振って会場を赤く染めてほしいという。なるほど。コンサートではこうやってみんな棒を振らされているのか。今や私がその仲間入りするわけだ。何とも言えない違和感がムラムラと湧いてくる。ムラムラ感の理由を考えてみると、私にとってのビートルズは、そういう聞き方をするものではないからだ。

席はステージから遠い2階席だった。チケットが公開になってすぐに買ったのにこの席だ。どうやったら近くの席にできたのか聞きたい。

初めて見る東京ドームは意外に小さく感じた。こんな中で野球ができるのかと思うほどだが、やっているのだからできるのだろう。野球の芝生のところ全面にカーペットが敷いてある。気が遠くなるような作業だ。私は裏方の人たちの苦労に感謝しようという魂胆でこう思うのではない。単純に自分だったらこんなことやるの嫌だなあと半ば恐怖心で思うだけだ。

20分ほどじらされたあと、ついにポールがステージに登場した。遠すぎて肉眼ではほぼ見えないので、ステージの両脇に表示されたモニターを見た。一曲目は「エイト・デイズ・ア・ウイーク」だ。やはり鳥肌が立つ。曲は忘れたが、次々とビートルズの初期の曲をやる。やっぱり良い。「夢の人」までやる。「アナザー・デイ」までやる。「ラヴリー・リタ」までやる。「エリナー・リグビー」までやる。くそーっ(涙)。

良いがしかし、CDやDVDでの感動と大きくは違わない。ボールが肉眼で見えないことと、会場の盛り上がりがそれほどでもないことで、コンサートならではの部分が少なかったからだろう。私の見える範囲では立って踊っている人が一人いただけで、あとはおとなしく座って聞いていた。

ポールの声はとても70歳とは思えない伸びだった。20年ほど前の日本公演のCDとまったく何も変わっていない感じがした。「オール・マイ・ラヴィング」のときに、ちょっとキーが低いように感じたので、私も歌ってみたがまったくでないほどの高音だった。いくら70とはいえ、プロとでは勝負にならなかった。「温泉卓球しかしたことのない素人が70歳の木村興治に卓球を挑んだようなものだな」というフレーズを思いついて満足した。

亡きジョン・レノンに捧げた「ヒア・トゥデイ」ではやはり激しく感動して全身に鳥肌が立った。その鳥肌があまりにも強烈で、いつまでも胸のところがジンジンすると思ったら携帯電話が震えていた。卓球王国編集長の今野さんからだ。昨夜「明日はポールのライブに行きます」と言っておいたのにもう忘れている。着信ボタンを押して無言で携帯電話をボールの方に向けてやった。満足してくれたことと思う。

私の隣には明らかに20代前半の青年が座っていて、ほぼ全曲に合わせて首を振っていた。こんな未来ある青年がポールなんかに熱中していていいのかと少し心配になった。

それにしても、アンコールからの選曲がたまらなかった。「デイ・トリッパー」「ハイ・ハイ・ハイ」「ゲット・バック」ときた。そしてこれが終わって帰ろうとするポールとそれを引き止めて説得するメンバーのジェスチャーの末に始まったのが、「イエスタデイ」「ヘルター・スケルター」「ゴールデンスランバー〜キャリー・ザット・ウエイト〜ジ・エンド メドレー」だ。

「イエスタデイ」では渡された棒をバキッと折って赤く光らせて私も嫌な集団の一員と化した。こんなの嫌だよなポール、嫌だと言ってくれ。くそーっ(泣)。

などということや、どこかに話のネタはないかとか、いろいろなことを考えすぎて楽しめなかった感があるのでぜひもう一回見たいが、それは無理なのだろうな。こんなことなら会社を辞めて毎日東京公演に行くのだった。くそっ。

深夜のマジックバトル

思えば、そのアメリカ人から「趣味は何ですか?」と聞かれたあたりから怪しかった。

私は最近、マジックにも凝っているので誰かに見せたい気持ちがあったのだが、そんなことを言ったら「やってみせて」と言われるに決まっているので、無難に「卓球です」と答えた。他にオカルト談義もあるが、こうして並べてみると、どれもこれも初対面の相手に普通に答えるのはちょっと憚られるようなものばかりだ。何が憚られるかというと、「共通の話題で話を広げるつもりはない」と宣言しているようなものだということだ。といってもまさかプロ野球とか自動車の話はできないので仕方がない。

思ったとおりそこから話は盛り上がらず、一般的な話をしていた。そのうち終電近くになって参加者の半分以上が帰ったころ、私は気が大きくなり「マジックをやってみせるよ」と言って、財布から硬化を取り出してテーブル貫通をやって見せた。成功だった。

ところが肝心のアメリカ人の様子がおかしい。なんか無表情だ。怖い。すると彼はいきなりどこからかトランプを取り出し、見事な手さばきで操り始めたではないか。マジック界のスタンダード、U.S.プレイング・カード社の「バイシクル」というカードだ。こ、こやつ、マジシャンだったのか!それで私に趣味は?と聞いたのだ。こちらが趣味を聞き返したらすかさずマジックをやろうとしていたのに違いない。マジックは披露する場を見極めるのが難しいのだ。見たくない人がいるかもしれないのにやるわけにはいかないからだ。

今、彼は私のコインマジックによって、その場を得たのだ。もうものすごい勢いで堰を切ったようにマジックをやり始めた。腕前はまあまあだが、ちゃんとマジックの技法をマスターしていた。私が「見事なアンビシャスカードですね」と言うと「おお、お前もわかってるか」という返事をした。もちろん、就職を祝われているはずの主人公他、その場の誰にも意味が分からない会話だ。

こうなったら私も黙ってみてはいられない。彼からカードを取り上げると、私もマジックを披露した。こんどは彼がカードを奪い取り続けざまに2つも3つもマジックをする。と、このようなマジックバトルが終電など無視して1時半まで続けられ、私と彼はすっかり満足をしたのだった。

私は、プロや大学の奇術クラブの人以外で、趣味でこのレベルのマジックをやる人に会ったのはこれが初めてであり、大いに興奮した次第だ。しかも彼はパンクロックも好きだということで、この後パンクを聞かせる店に飲みに行くと言う。私もついていこうとしたが、他の人から「迷惑なので遠慮した方がいい」と言われて止めた。

翌日、飲み会に参加した人が車で町を走っていると、たまたま自転車に乗っている彼を見かけたそうだ。腕のバーコードが見えたかどうかは定かではない。

バーコード付きアメリカ人

先週の金曜、元同僚の就職が決まったというので、お祝い会を開いた。その同僚の奥さんが二次会から参加をしたのだが、そこに連れてきた英会話教室の講師というアメリカ人が面白かった。なにしろ腕にバーコードの入れ墨をしているのだ。シールを貼っているだけではなくて本当の入れ墨だという。彼は生涯このバーコードとともに暮らしていくのだ。銭湯で入浴を断られるリスクを冒してでもこの冗談を貫きたかったということだろう。

彼は仙台にもう8年も住んでいて、日本をかなり気に入っているそうだ。「日本の女性が好きなんでしょう」というと、彼は待ってましたとばかりに解説をし出した。彼も日本に来たばかりのころは日本の女性がとてつもなく魅力的に見えて舞い上がってしまったという。英語ではこれを「イエロー・フィーバー」と言うのだそうだ。ところがそれは最初だけで、いざつきあってみると日本人の女性は「トテモ、メンドクサイ」とここだけ日本語で語った。

アメリカ人の女性もかなりいろいろと主義主張があってめんどうな部分があるが、彼女らは明確にそれを伝えてくるのだそうだ。いわば最初にルールブックが与えられるので、こちらはそれを守っていればよいので楽なのだという。ところが日本女性は決してルールブックを与えてはくれない。「なんでもいいよ」と言いながら決してなんでもよくはなく、しかもそれを彼に伝えないのでさっぱりわからないのだそうだ。だからわけもわからず不機嫌になられ、大変に難しいのだという。

うーむ。それでなくても難しいのに、バーコードの入れ墨ではなあ・・・。

日本の良いところを聞くと、多くの外国人が言うように、安全なところだという。たとえば仙台の国分町のような繁華街なら、アメリカだったら90%以上の確率で銃をつきつけれられて金を脅し取られるが、日本だと自分が外国人なのでむしろみんなが避けてくれるという(これ、良いことだろうか)。

嫌なところもあって、外国人であることがいちいち目立つことだという(やっぱりか)。友人に店に連れて行かれたりすると店の人などから「アメリカ人の友達がいるんですか?かっこいいー!」などという展開になり、そういうのはもううんざりだという。自分が単なるマスコットとして扱われているような感じがするそうだ。

実はこの夜、マスコットどころか彼は思わぬ本領を発揮することになる。

昔の手紙

先日、学生時代の友人と久しぶりに会った。彼とは大学を卒業してしばらくして2回ほど会っただけだから、まともに遊んだのは卒業して以来であり、28年ぶりということになる。

久しぶりに会うにあたって、お土産として、昔彼からもらった手紙をすべてコピーして持って行った。こいつは私の名前をいつも間違えて「丈太」と手紙にまで書いてくるのだ。

電子メールがなかったあの時代には、重要なことはもっぱら手紙でやり取りをしていた。こういうものが形で残っているのは楽しい。なにしろ肉筆はその人の肉体と精神が反映されたものだから、その情報量は到底電子メールのおよぶところではない。

この悪意を感じさせるほどの乱雑な文字と、愚劣の極みともいえるどうでもいい内容が、彼の人となりを物語っている。

なぜだか全文が英語の手紙をもらったこともある。もちろん日本に住んでいるのにだ。さすがにこのときばかりは気が狂ったのかと思ったものだった。英語とはいえ書いている人間の頭の中身は同じなので、その内容は”CATCH GIRLS”などという単語が散見される愚劣な物であることには変わりがない。おまけに夥しい数のスペルミスがあり、最後の段落の3行目からは突然、”SOREKARA HISABISANI KING CRIMSON GA KIKITAI”などとローマ字になっている。ここで急に力尽きたのだ(笑)。なんたる根気のなさ。なんたる計画性のなさ。そしてこんな不完全なものを友に送り付けて「良し」とする大らかさ。大物だ。

学生時代は教授に「君みたいな学生は見たことがない!」と罵倒され、およそまともなことは何もしなかった彼だが、卒業後はヨーロッパや南アフリカを転々とし、今では私の2倍以上もの高給取りだ。

つくづく、大物は学業の枠には収まらないのだなあと思う。

仮処分

高3の次男がテレビのニュースを見ながら「俺も仮処分すっかな」と言った。「何の仮処分よ?」と言うと、「いや、なんだかわからないけどカッコよくね?仮処分って」だと。ダメだ。いよいよ本格的だ。

これを聞いた双子の長男は「わかるわかる。カッコいい。お父さんわからない?」だって。ブルータス、お前もか!

ガシアンと劉南奎のテレフォンカード

先日、「テレフォンカードは必ず使い切る」と威勢のいいことを書いたが、大学時代の友人と会うためにその友人からもらった手紙を整理していたら、なんとガシアンと劉南奎の未使用のテレフォンカードが出てきた。面目ない。

いまさら公衆電話は使わないから、これはこのまま保管しようと思う。

ええと、まいったか!

ある麻酔科医のブログ

「奇天烈逆も〜ション」でネット検索をしていたら(恥ずかしながらこういう検索を私は結構するのだ)、あるウエブサイトがヒットした。

その名も『麻酔科パラダイス』といって、神戸市内の病院で麻酔科医をやっている方のブログであった。http://www.pat.hi-ho.ne.jp/masuika-paradise/muda.html

ブログの中で、このブログについて触れているところがあるのだが、それがすこぶる面白い。紹介してみよう。

このホームページを作る上で私がお手本にしたのは、「卓球王国」という雑誌が作ってるサイトの中の、「奇天烈逆も〜ション」というブログである。書いているのはある卓球愛好家で、有名選手でもなんでもなく、家電メーカーの技術系会社員である。このおやじが、卓球だけでなく宗教とか音楽とか、あらゆることに好奇心を向け、いかにも理系人間らしい合理主義をふりかざすものの、根本にあるのは卓球に対する不合理なまでの情熱と「どこかずれてて笑えるもの」への渇望であり、結果として毎回わけのわからないオチがつくのである。まことに奇天烈なブログである。ひそかに師と仰ぎ、わがホームページをそのレベルまで近づけたいと願うものの、いまだまったく足元にも及ばない。

なんと、こんなところに私の隠れ弟子が!と、最後のところはちょっと自慢のために引用をさせていただいた次第だが、ご容赦願いたい。ブログから得られる手がかりでは、この方は私より2、3歳年上のようで、つまりご自分も十二分に「おやじ」のようである。ともあれ、文章が面白い上に内容も医療の現場をユーモラスに表現していてなんとも興味深いブログである。しかも言葉遣いが私の文章とよく似ていて、とても親近感を覚える。「俺、こんなこと書いたかなあ?」という感じだ。

私も卓球という狭すぎる題材ではなくて、医療とかもう少し一般性のある部分が得意だったら、ひと山当て・・・おっと失礼。

『至高のバイオリン ストラディヴァリウスの謎』

昨夜、NHKの『至高のバイオリン ストラディヴァリウスの謎』を見た。

なんとも消化不良の感がする番組だった。世界中のバイオリン製作者がストラディヴァリウスの音を再現しようと日夜研究をしているというのだ。ある者はボディに塗られているニスに秘密があるのではないかと化学分析したり、ある放射線科医はバイオリンをCTスキャンして内部の構造を調べ、それを図面に落として自動加工で完璧に再現をしようとしたりで、いやはや大変な情熱である。それでもいまだにストラディヴァリウスの音を完全に再現できるバイオリンはできていないということのようだ。

当然だが、そこにはストラディヴァリウスの音の方が良い、少なくとも他のバイオリンと違う音が出ているという大前提がある。ところがである。専門家やバイオリン製作者たちがブラインドテストをすると、ストラディヴァリウスと現代のバイオリンを聞き比べてもさっぱり当たらないというのだ。正答率が20%から50%で、これまでにも同様の実験が行われてやはり同じような結果だという。

この番組の根幹にかかわる驚くべき結果だと思うのだが、掘り下げ方がなんともあっさりしている。どういう実験をしたのかその詳細の紹介がないので、このパーセンテージの持つ意味が分からないのだ。偶然による正答率が何%なのかわからないのでは判定のしようがない。

ともかく、番組では「専門家の耳さえも違いは捕えられない」という結論だった。普通なら「じゃ、違いはないんじゃないの」となるところだが、演奏者にはその違いがはっきりと分かるのだという。それなら、演奏者でこそブラインドテストをすればよさそうなものだが、それはやらないのだ(笑)。それをやらずに、無反響室でマイクを40本以上も設置して音の出方を測定をして違いが出たと言っている。何であっても測定をすれば違いが出るのは当たり前だ。問題はその違いが意味のある違いなのかどうかだ。これこそが科学であり、測定器を使うことが科学ではない。

測定結果では、ストラディヴァリウスの音には指向性があり、ある特定方向に偏っているのだという。これが会場の隅々まで響き渡る音の秘密かもしれないなどと言っている。「会場の隅々まで響き渡る」ことが「観客にはわからず演奏者にだけわかる」ということである。不思議な話もあるものだ。

打ったドライブの重さが、相手にはわからないけど打った本人にだけわかるラケットとでもいおうか。

「今のドライブ重かっただろ」

「いや、普通っすね」

「お前は気づかなかっただろうけど重いんだよ」

「は?」

「重いんだよ。ニッタクのバイオリンで打ってるんだから」

「・・・ちいーっす」

もっとも、演奏者にブラインドテストをして「違いがない」あるいは「現代のバイオリンの音の方が良い」なんて結果になったりしたら、何億円も出してバイオリンを買った人はその場で気が狂って慰謝料を請求されるかもしれないな。あと、世界中のストラデイヴァリウスのファンとか関連ビジネスの人たちからもどんな苦情が来るかわからないだろう。でも、それをやってこそ番組を作る意義があるのではないだろうか。でもまあ、わかる人にはわかる内容にはなっているから、これはこれでいいのかもしれない。

ストラディヴァリウス

先ほど、NHKスペシャルの宣伝を見た。1台がときに何億円もするストラディヴァリウスというバイオリンの秘密を探るという。

番組ではストラディバリウスと他のバイオリンの音を紹介していた。もちろん私にはその違いはまったくわからなかったが、なんと、専門家が聞き比べても違いはほとんどわからないのだという。二つのバイオリンでブラインドテストをすると、専門家でもその正答率は高い人で50%ぐらいなのだという。

これはすごい。二つにひとつの実験で正答率が50%ということは、まったく、少しもわからないということだ。それに、高い人で50%というのも不可解である。これは専門家の正答率が低い方に偏っているということであり、偶然以上の確率で、ストラディバリウスではない方のバイオリンをストラディバリウスだと誤認するということを示している。

もうこれは番組成立の根幹にかかわる大問題だと思うのだが、番組では平然と「バイオリンの出す音を科学的に調べてその秘密を探る」などと続けるのだ。違いがわかっても、それに何の意味もないという結論がとっくに出ているのに、測定をするのだ。しかも、普通はバイオリンの音は直接耳に入る音と、壁などに反射してから耳に入る音が混じって聞こえるが、それだと違いがわかりにくいので、反射音がない特殊な部屋で、マイクを8カ所に設置して、その音の出方を徹底分析するという。これは、ラバーを貼った状態ではラケットの違いがまったくわからないので、ラバーを剥がしてラケットの表面8カ所に振動計をつけて打球をして違いを測定するようなものだろう。

この実験で番組としていったいどんな結論を出すのか、本編を見るのが今から楽しみでならない。