月別アーカイブ: 2月 2009

『なめこインサマー』吉田戦車著

何年か前に、マンガ家の吉田戦車のエッセイ集『なめこインサマー』を読んだ。吉田戦車は私の高校の同級生だ。クラスは違って直接見たことも話したこともないし、知りもしなかったが、ビックコミックスピリッツ誌で相原コージの『コージ苑』の後ガマとして始まった『伝染るんです』が大ヒットし、それが高校の同級生だと知ったとき、驚愕したものだった。

2年ほど前に同窓会があったときに、サインをもらおうと単行本を持参したが、残念ながら会うことはできなかった。彼と同じクラスだったまさひこによれば、無口だったが、ときどき面白いことを言う奴だったという。ああいう作品を描く男ならそうだろうなと、腑に落ちた。

上記の彼のエッセイ集の中に、高校時代の話が載っていた。彼が校舎の壁に卑猥な落書きをして、それが校長の目にとまり、全校集会で校長が激怒するのを彼は冷や汗をかきながら聞いたというものだ。この本には、明らかにウソとわかることもたくさん書いてあって、虚実ないまぜなのだが、この話だけは本当だ。

私はこの事件をはっきりと覚えているからだ。その全校集会で堀川校長が言ったことによれば、その日はどっかからの大事な来客があって、校長はそのお客さんを連れて校舎を案内していたのだという。ところが、あるところに大変卑猥な落書きがしてあり、大恥をかいたというのだ。それで、全校生徒の前で校長先生は泣きながら激怒したのだ。

どうして私がこれをよく覚えているかと言えば、私はそのときの校長先生の「私は悲しいっ!」というセリフを卓球部員の前でしばらく物マネをして大ウケしていたからなのだ。それにしても、そんな絵を校舎の壁に描いたバカは誰なんだろうと思ったものだが、何十年ぶりかにその犯人がわかり、それがかの「吉田戦車」だったというのだから感動的ではないか。

新しい卓球(倉木常夫著)

倉木常夫といえば、我々の世代にとっては独特の卓球理論家として知られている。講習会に行った後輩がすっかり洗脳されて帰ってきたので、信者もそれなりにいると思われる。

しかしこの本に載っている血液型と戦型の解説はいかがなものだろうか。いや、今こそもっとも世の中に受け入れられやすいのかもしれないな。

人形俳句写真『外套』『藤椅子』

今日、知人から人形俳句写真が好きだとメールが来たので、まだアップしていないものを載せておく。その知人は、特に俳句の意味がわからないところが深くて良いとのことだ。俳句は他人の作品なので義姉はちょっと複雑ではないだろうか。

5月にはどっかのギャラリーから依頼されて個展を開くことになったらしい。「それで、準備金として50万円が必要になります」ってなことじゃなければいいんだが。

唐辛子入りチョコレート

アメリカにはいろいろと珍しい味の食べ物があるが、菓子類でもそれは見られる。

私はチョコレートが大好きで、いろいろと食べ比べた結果、スイスのLintdというブランドがとても美味しいことがわかり、それ以来、これだけを買うことに決めている。

しかし、その中に、どうしてもまずくて食べられないのがある。唐辛子入りチョコレートだ。唐辛子とサクランボのジャムが入っているのだが、さすがにこれは美味しいとは思えなかった。まあ、韓国みたいにサナギが入っていないだけでもよしとしなければならないのだろうが、やはりこれはいただけない。

雑誌発売日の謎

小学生のころから疑問に思っていたことがある。

それは、どうして月刊誌は2月に3月号を発売するのだろうかということだ。これはどの雑誌も同じで、発売日と雑誌の表示が必ずズレている。そのズレは雑誌によっても違って、卓球レポートは2/20に発売するのは3月号だが、卓球王国は2/21に4月号を発売する。

こういうことをするメリットはなんだろうかと考えた結果、ある結論に達した。それは一冊でも多く売るための作戦だというものだ。2/20に2月号を発売したとすると、2月中に売切れればいいが、3月に入っても2月号が書店に並ぶことになる。そうなると、実際は最新号なのに古い号だという印象が出てしまって売れ残るリスクが大きくなる。もし2/20に3月号を出していれば、3/19に書店で3月号を見た消費者は、もう一日待てば最新号が手に入るとは気づかず、買ってくれるかもしれない。まして3/19に4月号がおいてあれば、まさかそれが2/20に発売されたものとは思わず、「これは入荷したばかりなんだな」となる。たくさん売れ残っていたりすると、いよいよ入荷したてのホヤホヤに見えて、まさか翌日返品される予定には見えないだろう。さすがに5月号や、思い切って来年号を置いたりするのは逆効果だ。

以上、雑誌の発売日と発売号がズレているのは「新しく見せかけて売るための作戦」というのが私の結論だ。同じような疑問は誰でも考えるものらしく、検索してみると、ちゃんと解説されていた。
http://homepage2.nifty.com/osiete/seito100.htm
ちょっとがっかりだ。

ところで、こんなことを雑誌のウエブサイトで書いていいのだろうか。

荻村伊智朗語録

4月発売号の原稿を書くために、昔の卓球雑誌を見ていたら、荻村伊智朗がニッタクニュースに書いた記事を見つけて見入ってしまった。

1983年東京大会直前に、当時世界2位の中国の蔡振華について荻村が書いた記事だ。以下に引用する。

「まずサービスはとてもよく切れている。対戦した井上(青卓会)が『荻村さんや田中さんの浮き上がって滑るカットサービスと同じです』と言っていた。ということはスイングの速さだけでなく、どのように第一バウンドさせてゆくか、という点でもあるレベルに達していると、私は見る。」
「打球点との出合いは、したがって体を静止させた状態での出合いではない。私や、田中や、木村興治らも得意とした跳躍軌道上の出合いなのである。」

自慢話というかホラ話というか、なんともはや強烈である。雑誌で記事を読むだけでもヒヤヒヤするのに、こんなことを真顔で面と向かって言われたらどうなるのだろうか。もちろん、荻村はじっとこっちの目を見据えて言うに決まっている。こんな人が日本卓球界のトップだったのだから、関係者はさぞかしスリリングな思いをしたことだろう。

『生物と無生物のあいだ』

福岡伸一という人の『生物と無生物のあいだ』という本を会社でみつけたので読んでみた。

その中に、長年知りたかったことが書いてあってとても興味深かった。

万物は原子からできていることは誰でも知っている。では、たとえば食物に含まれているある特定の炭素原子一個に着目した場合、それが体内に入ってどこでどのような動きをするのだろうか。あるものは細胞の一部となって体内にとどまるだろうし、あるものは呼気や排泄物となって対外に排出されるだろう。

理屈はそうに決まっているのだが、あまりにミクロなスケールのことなので、実感がわかなかった。こんなこと確かめようもないわけで、ただぼんやりと不思議がっていたのだった。これに実感を与える実験をすでにルドルフ・シェーンハイマーという人が1930年代にやっていたと知ってすっきりした。

シェーンハイマーは、ネズミの餌に、自然界にはほとんど存在しない通常の窒素原子よりちょっとだけ重い重窒素の入ったものを与え、何日かしてからネズミを解剖し、体内のどこにどれくらいそれが含まれているかを調べたという。シェーンハイマーの予想は、ほとんどの重窒素は体内に排出され、体内に取り込まれるのはほんの一部だというものだったが、結果はまったく違って、わずか3日後には重窒素はネズミの体の隅々の細胞にまで、与えた量の56%もいきわたっていたという。つまり、食物に含まれる原子は、驚くべき速さで体内に取り込まれて細胞になり、古い細胞とどんどん置き換えられているということがわかったのだ。

作者の福岡伸一は、生物とは動的平衡状態、つまり、原子が個体を次々と通り過ぎていく、その流れそのもののことだと書いている。

ダーウィン生誕200年

テイに念のため、信仰について聞いたところ「とても強く信仰している」と即答だった。「どうして俺が神を信じていると思う?」というから私は「キリスト教の家に生まれたからだろう。もし日本に生まれたら無神論になっていただろうし、イスラムに生まれたらイスラム教になっていたさ」と答えた。テイは「それはそうだ」とやけに素直だ。「お前が言いたかったことを続けてくれ」と言うと「祈れば何でも望みが叶うんだ」と言った。

テレビを見ていたら、ダーウィンの生誕200年ということで、進化論についてのアンケート結果を発表していた。それによると、アメリカで進化論を信じているのは38%、信じていないのは27%、残りはどちらでもいいそうだ。しかしここアラバマ州ではかなりの割合で進化論を否定している。

我が家の子供が通っている学校はクリスチャンスクールだが、理科の時間に「進化論は悪魔が信者をだまそうとして考えられたものだ」と教えているそうだ。なんとも凄いことだ。

わだかまり

テイと作業をしながらいろいろな話をした。テイはカレッジにいたときにバスケットをしており、コーチをしたこともあるほどの技量の持ち主だという。

私はかねてから黒人と話すときに人種差別を過剰に意識してしまって、文字の色を表すのにブラックと言うのでさえ口ごもってしまうようなところがあり、どうにもモヤモヤしたものがあった。もちろんこれは彼らの前でブラックと言うことが悪いような気がするためだが、そう思う方が失礼であることは言うまでもない。黒人を尊重し、黒人のプライドを認めるためには、黒いものは黒いと堂々と言えなくてはならないし、ときには黒人という言葉も普通に会話できなくてはならない。

どうせこちらはイエローなんだから、そのあたりのことを思い切って話してわだかまりを解消してみようと思い立った。

テイがバスケットの話をしたので、「偏見かもしれないが、黒人は全員がバスケットが上手なような気がする。バスケットできない人っているのか?」と言うとテイは「それは偏見じゃなくてステレオタイプっていうんだよ」と笑った。黒人の28%はバスケットボールはできないし、22%はリズム感が悪くて踊れないという。「そのパーセントはどこから来た?」というと「勘だ」と笑った。

それで、日本人は白人から見ればイエローモンキーだと話すと、それは聞いたことがないという。どうも日本人が思うほどイエローモンキーという言葉はポピュラーではないようだ。さらにテイは声をひそめて「モンキーは俺たちだ。白人は俺たちのことを陰でモンキーっていっているんだ」と言った。なるほど、確かにサルの皮膚は黒い。してみると、イエローモンキーという東洋人への侮蔑には、黒人をモンキーと表現する前提があったのかもしれない。テイは続ける。「モンキーならまだいい。本当はアライグマ(raccoon)と言われているんだ」と言った。私が「今やそのアライグマが大統領になってしまったわけだな」というと「それだよ!いい落ちだ!」と笑った。

打ち解けすぎて「今度友人たちに紹介する」と言われた。ちょっと踏み込みすぎたか。

『冬のソナタ』

今週は眠い。

ふとしたことから、また冬のソナタのDVDを1話から毎晩見ているからだ。さすがに早送りしながらだが、やはり面白い。考え抜かれた脚本と演出、俳優の魅力、映像、音楽とどれも素晴らしい。これらのどれかひとつでも欠けていたらこれほどのものにはならなかっただろう。

04年ころに、同僚の女性から勧められてテレビで見たのが最初だった。こういうものは愚劣に決まっているから、どれくらいくだらないか確かめてやろうと思って見始めたことまでは覚えているが、その回が終わるころには完全に虜になっていて、毎週見ないではいられなくなってしまっていた。あとでDVDで確認すると、そのとき見たのは第5話「罠」の後半15分だけであり、わずか15分でノックアウトされたのだった。しかし、もし1話から見ていたら途中でやめていただろう。1話はあまりにも恥ずかしくてちょっと見ていられない。もし1話で挫折した人がいたら我慢して見てほしい。たまたま5話から見て本当によかった。

当初、『冬のソナタ』をベルイマンの名作『秋のソナタ』と言い間違えて同僚に笑われていたが、今では逆のいい間違いをするようになった。サントラCDも買い集めた。

普通、冬ソナは女性の方が好きな人が多いと思うが、妻はまったく興味を示さない。子供たちも画面を見て「ペヨンジュンだ、ペヨンジュンだ」と大笑いするばかりだ。その中で私はヘッドフォンをして腕組みをして見ている。

孤独だ。

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