月別アーカイブ: 9月 2015

いびき対策

妻から私のいびきが大きくて寝られないと苦情を受けたので、さっそく薬局に行っていびき対策のグッズを買ってきた。

店員に紹介された3つの商品を問答無用で買った。こんなものはどうせそうそう効くわけがないから、可能性があるのはすべて試そうと思ったのだ。

1つは、なにやら喉の奥にスプレーするもので、ビタミンEが入っているという。商品名と絵と使用例が如何にもいびきを連想させるのに、効能書きのどこにも「いびき」と書いていない。意地でも書いていない。一言も書いていない。よほど効果に自信がないものと思われる。

それにこの製品名だと「いびきをかく人」という意味にとれなくもない。 次はマウスピースのようなもので、上下の奥歯をロックすることで口を開けないようにしていびきを防ぐものだという。歯科技工士が開発したもので特許も出願中だという。こんなシリコンで歯の側面を押さえつけるだけで口を開けられないほど歯がロックされるとはとても信じられないと思ったが、使ってみるとその印象通りの商品であった(笑)。

最後はもっと直接的に、唇に粘着テープを貼って口を開かなくするというものだ。店員に「これって、ガムテープ貼っても同じですよね?」と聞くと困ったような対応をしていた。私はヒゲも生えているし汗もかくのに、一晩中剥がれないでいられるものだろうか。

半信半疑でつけて寝てみたが、接着力は強力で、ちゃんと朝までくっついたままなのであった。

ともかく、喉奥スプレー、マウスピース、唇シールを3つとも実行して寝てみたのだが、肝心のいびきはどうだったのかというと、「かいてたよ」とのことだ。がっくり。

耳栓をしてもらうのが一番だという結論に落ち着いた。

若者は言葉をぼかす傾向があるのか?

何日か前のニュースで、最近の若者の言葉について「わたし的には・・・」などという言い回しが多く、断定することを避ける風潮が広がっているなどと解説していた。文化庁による国語に関する世論調査の結果だという。

若者に限らず、日本人はどの世代も断定を避けるのは同じである。「課長の方から」などと無意味な方角をつけるし、組織を代表する発言のわけがないのに「個人的にはこの味が好きですね」と言う。そんなものに個人的ではない発言があるのかと聞きたい。

仕事の場ではちょっと前まで「部分」が大流行りだった。「明日の会議では時間厳守といった部分で発表していただき、そう言った部分で・・・」などと、もう部分集合がひどく、まことに目に余る(耳にか?)状態だった。

最近では「ところで」がこれに変わり「明日の会議では時間厳守といったところで発表していただき、そういったところで・・・」と、ところところと、もはやところてん状態である。

こうやって、会話の中に余計な単語を挟んで意味をどんどん薄めてボカしていく。ボカすのは映像作品だけにしてもらいたい。

コンビニの店員が「1万円からお預かりします」と言うのも「いただく」と正直に言うのが嫌でボカしているからだ。1万円から一部を預かってさも後で返すとでも言わんばかりだが、もちろん返すようではその店員はクビだ。「1万円からいただきます」または「1万円をお預かりします」なら正しい。

以上のように、断定を避け、意味をボカしたいのはどの世代も共通であり、ただ世代によって流行が違うだけのことなのだ。新しい言葉を取り上げては、もっともらしい分析をして見せ、それらに違和感を持つ古い世代の溜飲を下げるわけだ。この手口もいつの時代もまったく変わらない。

恐るべき記憶力

長男が、大学の実習でかまぼこ工場に行ってきたのだが、そのレポートを書かなくてはならないという。

授業の内容と、工場見学で分かったことを4,000字程度にまとめるのだ。

ところが、工場見学について、どう書いたらよいさっぱりかわからず、しかたなく授業の内容とネットで調べたことだけでなんとか4,000字にしようと頑張っていた。

「働いている人の人数とか、服装とか使っている機械の大きさとか、見たことを何でも書けばいいじゃないか」と言っても何も思い出せないという。

我が子ながらなんとも情けない話だ。ところが、レポートを2,000字ほど書いたところで息子が「あっそうか!」と言った。

「その日は製造終わってて見れなかったんだ!そうだ、そうだった!」

・・・それじゃ思い出せないはずだ。

見ていないことすら忘れていたわけだ。なんとも恐ろしい記憶力である。

舌の根も乾かぬうちに執筆

休筆宣言をした舌の根も乾かぬうちに、今月発売の卓球王国で記事を書いてしまった(だって編集長が書けって言うんだもーん)。

以前このブログで書いた今野啓さんが全中を成功させるまでの経緯を、しつこくインタビューして書いたものだ。

今野さんといえば、卓球王国の編集長と同じ名字で紛らわしいので、私は彼を啓(けい)さんと呼んでいる。そのため、記事でもどうしても今野とは書きづらく、啓と表現している。まったくこちらの都合なのだが、かえって対象と筆者の距離が近いことを表現できてよかったのではないかと思っている。

本誌で採用されなかった関連写真を掲載しておく。この写真の意味は本誌をお楽しみに。

下の集合写真は写っているご本人たちのどなたの承諾も得ずに掲載していますので、困る方がいらしたらコメント欄にコメントください。すぐに削除します。

逆足の悲劇

またまた大友君の話だ。

大友くんは中学校のときはカットマンだったが、好きな選手はガシアンだった。卓球王国でガシアンの逆足のフォアハンドを見た大友くんは、カットマンだからちょうど良いとばかり、カットをしたまま常に逆足で思いっきり上体を捻って攻撃を繰り返し、入らなかったのはもちろんのこと、すっかり背筋を痛めたという。

その後、クレアンガ、カラカセビッチと大友くんのアイドルは変わり、今も背中が痛いという。カラカセビッチはともかく、クレアンガじゃなあ・・・。

中途半端な知識が生んだ悲劇である。

船乗りの人

出張のとき、毎晩のように同じ店に通っている。小さい店でいつも常連で埋まっており、ほとんどの人と顔見知りだが、必ずしも話すわけではなく、名前を知らない人も多い。

そういう常連客のひとりであるTさんと先日はじめてじっくりと話し、身の上話を聞いた。

Tさんは東京湾内で業者を運ぶ船乗りだという。船乗りも最近は厳しくて飲酒運転ができないが、つい6年ほど前まではおかまいなしだったという。本当だろうか。

ともかく、最近は厳しいし平日はあまり量を飲まないようにしていると言いながら、今日開けたという700mlの焼酎がすでに空っぽで、2本目を開けていた。この調子で毎晩飲んでいるとう。天候が悪ければ船は出せないので、そのあたりも計算に入れて、仕事がなさそうなときには思いっきり飲むらしい。

お父さんも船乗りで、あちこちで漁をしては各地の漁港に下す「モノホンの船乗り」で頭が上がらない。今まで3回遭難していて仲間は全員死んでいるのに助かった強者だという、なんだか恐ろしい話をサラッと語った。

お父さんも酒好きかと聞くと「まったくの下戸で、そのかわりコッチ専門」と言って小指を立てて見せた。船の上にはもちろんコッチなどいないわけだから、港や料理屋や宿屋のあたりでどうにかなるという話だ。

私から見ると、こういう言葉遣いや素ぶりがいかにも船乗りという感じで新鮮だった。

新幹線のアナウンス

ほぼ毎週東北新幹線に乗っているのだが、社内の英語でのアナウンスがとても気になる。駅名を言うときに、いかにも英語圏の人が言うように英語訛で言うのだ。そうした方が英語圏の人の耳に聞きやすいためだと思うが、そこまでサービスをする必要はないだろう。

そもそもサービスになっているかどうかさえも怪しい。日本に来る英語圏の人は、中途半端な西洋式のものよりもいかにも日本風のものを求めるものだ。西洋風のホテルよりは古い旅館を好むし、ロックよりは演歌や民謡を聞きたがるのだ。自分たちが外国に行った時のことを考えれば当然だろう。

純然たる日本語である駅名くらい普通に日本語で発音したらどうだろうか。

加えて、日本への旅行者は桁違いに韓国、中華圏の人が多いのだ。
http://www.jnto.go.jp/jpn/reference/tourism_data/visitor_trends/

もしサービスするなら「センタイ、センタイ」というように韓国訛あるいは中国訛にすべきだろう(ただし、表記はこれらの国々にとっても英語が共通のスタンダードになっているから英語でよい)。

ともかく、アナウンスで日本語を訛る必要はない。

尿ハネの研究

先日、NHKのテレビ『ためしてガッテン』で驚くべき研究成果が紹介された。

洋式トイレで男性が立小便をするときに、床に尿がハネることをどうしたら解決できるかというテーマだった。

結論を言えば、立ってする限りどんなに工夫しても床や便座などにハネるのであり、完全に防ぐ方法はなかった。尿を落とす位置によってはまわりの壁にまでハネるということが、色水の実験で明らかとなった。

私の場合は、ハネる以前の問題でそもそも方向が定まらないので、立ってやろうなどとは思いもよらないのでもともとハネる心配はないが、番組では一般人にインタビューして、どうしても立ってやりたいという夫と床を拭くのが大変だという妻の言い分を紹介していた。夫は尿をかける犬の子孫なのかもしれないが、夫の我がままのために小便を拭かせられる妻がなんとも気の毒であった。

番組ではさらに突っ込み、そもそも尿が便器に当たってハネる根本原因は何かを論じた。そして、それを研究しているアメリカの物理学者デビッド・トラスコット准教授とランディ・ハート研究員の成果を紹介した。この二人はなんと「Splash Lab」(尿ハネ研究所)というのを作って尿ハネの研究をしており、この度、驚くべき研究結果を発表し学会を騒然とさせているという(何の学会か知らんが)。

二人が発見した尿ハネの原因とは、なんと尿の表面張力であった。尿は放出されると、表面張力によって空中で球状に分離され、それが便器に当たり、球体が弾けることによってハネることがわかったのだ。実は放出直後には尿はまだ球になっておらず連続体になっていて、その状態で便器に当たるとまったく一滴もハネないということを理論と実験で明らかにしたのだ。

そして、そのハネないための限界距離は一定で、12cmだという。かなり近いが、ともかく放出口から12cm以内の距離で便器に当てれば、どんな角度でどんなに強く当たってもハネないのだ。

素晴らしい研究をする人がいるものだと久しぶりに感激した。

変形ラケットの終着駅

大友くんによれば、ハンドソウラケットには思わぬ効用があるという。

それはダブルスで異質の選手と組む場合だ。ラケット交換のときに、相手選手は必ずといっていいほどハンドソウラケットに注目してひとしきり盛り上がり、パートナーのラケットをろくに見ないのだという。それで、パートナーがアンチを貼っていたりすると試合が始まってもしばらくそれに気がつかず、ミスを連発するという。

ホントかいな。

大友くんはハンドソウ以外にも変形ラケットに興味を持っていて、いろいろと教えてもらった。

彭式ピストルグリップだ。中国で売られているという。しかし、ハンドソウが穴に中指を差し込むことで安定させるのに対して、このラケットは人差し指をかけるだけなので安定しないという。

「目くそ鼻くそ」という諺が浮かんだのは私だけだろうか。

もっと凄いのがこちら。いかにも絶望的なラケットたちだ。

「GBサイエンス・ブレード」とか銘打って何やら世界チャンピオンを出すのが夢だとかデカいことをハンガリーのウエブサイト www.gb-bladefamily.com で吹いていて、ゲルゲリーやらバトルフィやらが宣伝している。GBラケットだけの大会もあるようだ。何がトゥモロウなんだか。

ハンガリー、そんなことしてるから最近弱いのか!

極めつけはコレ。Brodmann Bladesだ。

手のひら感覚で打てるという気持ちはわかる。なんかYoutubeでかっこいいビデオまで作られているのだが、いかんせん、ルール違反に見えるのだがどうだろうか。

変形ラケットの終着駅であろう。使う場合はくれぐれも自己責任でお願いしたい。

もうひとつの演説

仙波の演説でもうひとつ有名なものがあったという。

「卓球やっててもモテるヤツはいる。しかし、卓球やってるからモテるというヤツはいない!」

つまり、野球部で逆転ホームランを打ったとか、サッカー部で大活躍したからモテるということはあっても卓球部のラストで勝ったからモテるということはないということだ。そもそも、そのシーンを見られないのだからモテようがないということかもしれないが、ともかく中学2年の仙波キャプテンはそのように力説したという。

「俺たちは卓球をやる以上、そういう幻想は捨てなくてはならない。お前たちにその覚悟はあるのか」

ということらしい。女子にモテるかどうかという一見極めて低俗なようでいて実は普遍的なテーマをこうまで力説されて部員たちはどう思っただろうか。あげくに全員異質。モテようがない。

ましてハンドソウ両面1枚(フォア面は回転系の一枚!)と聞くと、正直、近づかない方がよいのではと思うのが人情だが、本人に会うと好青年なので、そのギャップでとんでもなく素晴らしい青年に見えるという効果もあるかもしれない。

大友くんは、このブログのコメント欄を通してもうひとりのハンドソウラケットの使い手と知り合いになったので、そのうち全員ハンドソウのチームを作ることをもくろんでいるという。

かつて大友くんは、全員「大友」のチームを作って大会に出たという。さすがにこれはインチキの名前だったので主催者に怒られたという(やっぱり好青年じゃないかもしれない・・・)。

これに比べれば全員ハンドソウチームなどルール違反ではないのだから大手を振って作れるはずだ。くれぐれもその中に「本物の変人」「アブない人」がいないことを願うばかりだ。

ちなみにカリスマ仙波は、将来なりたい職業として「PTA会長」を上げていたという。式典で一番長く話すのだから一番偉いに違いないというのがその理由らしい。

演説の達人、革命家であったゲバラに対する尊敬と、中学生らしい稚拙さが入り混じったなんとも絶妙なチョイスであった。

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