月別アーカイブ: 7月 2015

今野啓という男

昨夜は、今後のネタのための取材という名目で、宮城県中体連卓球専門部委員長の今野啓(けい)さんと逆モーションでも取り上げた大学の先輩の青山さんと深酒をした。啓さんは、かつては情熱的な指導者であったが今では卓球大会を主催することに生きがいを見出しており、来月宮城県で行われる全中の大会責任者として、昨年10月から授業を持たずに大会の準備に専念している中学教師だ。

啓さんとはこれまでにも飲んでいるが、今回は、今後の原稿のネタに啓さんが「こうなってしまった」いきさつを根掘り葉掘り聞かせてもらう趣旨で夕方7時から飲んだが、あまりにも面白くてあっという間に7時間半が過ぎた。仕事なら1日分だ。

詳しくはいつか原稿に書くとして、簡単に書くと、

【出生】

1975年3月宮城県加美郡色麻(しかま)町に兼業農家の息子として生まれる。

【色麻中学時代】

・将来なりたい職業は「総理大臣」「東北放送のアナウンサー」「中学教師」という、バランス感覚も加減もわからない中学生であった。

・卓球レポートも知らない田舎の中学で、カーボンラケットにゴクウスラバーを貼り、最後の大会では4つの中学校で県大会出場を争ったが決勝で負けて午前中いっぱい号泣し、午後の個人戦では団体で勝った初心者の1年生に5-21で負けて引退。相手はバック面に「何やらフサフサしたラバーを貼っていた」という。

【古川高校時代】

・卓球部に入りたかったが片道18キロの自転車通学で「卓球部になど入ったら落第する」と激怒した父に殴られて断念、かわりに生徒会に入る。

・男子校だけあって、もっともヒドい下ネタ仮装をやると票が入ると言われる生徒会長立候補演説で、「ケツワリバシ」「チチクリマンボウ」という演目(なぜ立候補演説に演目があるのか不明)をやった対立候補を、ぶっちぎりの下ネタ(とてもここに書けない)で破って当選、生徒会長となる。

・文化祭前のパレードでは生徒会執行部としてノーパンにタイツ姿で駅前を練り歩き警察に「ズボンを穿け」と注意される。ちなみに吹奏楽部は女子用スクール水着、スキー部は全裸に股間ガムテープ一本で歩く。ウイットと下品の区別がつかない悲しいレベルだ。大丈夫か古川高校(当時の)!

【宮城教育大学時代】

・自分が卓球が下手であることを初めて知る。世の中に卓球の雑誌があることに驚く。東北大の西村雅裕を尊敬し、その持論「構えたときから相手に嫌な気持ちを起こさせて試合を有利に運ぶ」を曲解し、舌を出して構えたりするが勝てず。すっかり卓球が嫌になる。

・3年の夏から英国のエセックス大学に留学したが、たまたまやってみた卓球が卓球部のメンバー(限りなく素人の可能性大)より上手くエースとなり、英国大学卓球ランキング44位となる。自分に足りなかったのは自信だった、とすっかり上達したものと思い込んでいたが、帰国後まったく上達していないことを発見し愕然とする。あらためて卓球が嫌になる。

【中学教員〜現在】

・なりゆきで卓球部の顧問となり、いっちょ揉んでやろうと思って生徒と試合をして負ける。卓球レポートと卓球王国を買って理論武装し熱狂的な指導者となる。中学から卓球を始めた部員だけで宮城県で2位のチームを作った。

・宮城県中体連卓球専門部の委員長となり大会運営に軸足を移す。2011年3月11日の東日本大震災で県大会実現のため奔走した(ここの話を聞きながら私は何度となく涙が滲み、落涙を我慢した。私は冷たい人間のためか、震災だろうが何だろうが他人のことで涙が出たことなどなく、こんなに感動したのは初めてだ)

・公認審判員として世界選手権東京大会、上海ジュニアで審判を務める。世界ではイエローカードを出されるまで違反をするのが普通であり、審判も戦っており試合を作っていることを知る。「大学時代に英国留学したのも結局、将来国際審判をやれってことだったんだと思う」と不可解な確信を持つに至る。

以上のようなあまりにも実り多いインタビューであり、これで原稿を3本は書けそうである。よくもこんな特異な男が身近にいたものだ。恐らく全国には私の知らないこういう人がたくさんいるのだろう。なんとかして会いたいものである。

帰り際、我々の話を何時間も黙って聞いていた店員さんが「実はバイトの店員に卓球の猛者がいるんです」と告白。よく考えるとどうでもいい話だが、酔っているし、なんだか無性に嬉しくて写真を撮ってもらった。

理想の職場

昨日、都内の卓球関連の会社を訪問した。

そこは理想の職場だった。なにしろアナタ、SANEIの卓球台兼事務机が所狭しと置いてあるのだ!

ここまで気の利いた卓球オブジェと心躍る職場は見たことがない。まったく素晴らしい。

そもそもテーブルがないサッカーや野球やテニスではこうはいくまい。

せいぜいがサッカーボールを模した消しゴムやバットの形をしたペン、テニスラケットで茹でたスパゲッティの湯切りをしてして気持ちを鎮めることぐらいが関の山である。

ところが我が卓球はどうだ。白昼堂々とネットまで貼った卓球台の上で真面目くさった顔で仕事をするふりができるのだ。ワハハハ、まいったか!

いや、素晴らしい。いやくも卓球マニアなら家中職場中をこの卓球台で埋め尽くすぐらいの忠誠心が求められるところだ。

私は・・・いろいろあってやらない。

絶対に客を覚えないホテル

出張のときに泊まるホテルでは、チェックインのときに「当ホテルのご利用は初めてでしょうか?」と聞かれる。このホテルでは歯ブラシやガウンといった備品が、各部屋ではなくてフロントの近くに置いてあるので、その説明をしてくれるのだ。

ところが私は、この1年半というもの毎週のように東京に出張していて、同じホテルに泊まっているのだ。当然、こちらはフロント係の全員の顔を覚えているのだが、いまだに「当ホテルのご利用は・・・」と聞かれる。

いったいいつになったら覚えてくれるのだろうか。

花屋さんの人生

昨夜、いきつけの飲み屋で、以前、このブログ(2015年4月8日)で紹介した花屋の清水さんという方と話した。

清水さんは、私がこのブログに書いたご自身の半生がよくまとまっていると気に入ってくれ、ぜひ私ともう一度話したいということで、昨夜は他の店を含め4時から酒を飲んで待っていたという(私は一昨日もこの店に行ったので、昨夜も来ることは店主がわかっていた)。私が店に行ったのは9時前だからすでに5時間飲んでいたことになる。

というわけで、昨夜はさらに踏み込んだ話を聞いたのだった。

清水さんは30代で独身だが、実は10代に一度、花屋の同僚と結婚し、ほどなく離婚した経験があるという。岐阜と東京の別居状態になったことがきっかけで喧嘩になり、若気の至りで離婚してしまったという。

娘もひとりいるのだが、生後9ヶ月で会ったのが最後で「当然かわいかった」そうだ。その後は前妻と連絡がつかなくなり会う方法もない。娘は順調に育っていれば今16歳ぐらいだ。会える見込みはないものの、万が一娘が会いに来ても会えないような惨めな状況だけは脱しなければと必死で働いた日々だったという。

独立して最初の3年間は年商が500万円程度で利益はわずか数万円だった。貯金を取り崩しても家賃も払えなくなって事務所兼住居を転々とした。どういうツテなのか弁当屋に住まわせてもらったこともある。

その苦しい時を脱し、なんとか利益が出るようになってこうして飲み屋で酒が飲めるようになったが、それでも清水さんは「起業なんてするもんじゃない」という考えに変わりはなく「花屋での実績を認めてもらって誰かが雇ってくれないか」と今も本気で思っているという。

そのためにも「勉強して大学には行っておけ」と若者には言いたいという。

売り上げと信用を維持するためには365日注文を受けざるを得ず、基本的に休日はない。土日が休みでキャンプに行ったりするという、勤め人が当たり前にできることが自分には一生できないと考えると本当に絶望的な気持ちになるそうだ。毎週土日に卓球をしては「入らない」と悩んでいる我々は幸せなのだろう。

清水さんにはひと回り下の妹がいるのだが、昨年、子供ができて結婚したという。相手は職場の同僚で、なんと20歳も年上で、したがって清水さんより10歳ほど上だという。お父さんはすでに亡くなっているので、兄である自分が妹の保護者のような気持でいるのだが、結婚前に子供まで作っておいて挨拶にも来なかったのが不満だという。

もっとも、清水さんは兄弟の中で最もデキがわるく普通ではない生活をしており、妹は清水さんが電話をしても「さっぱり出ない」というから、全然保護者だと思われていないのだろうとも語った。

そういう話をしているときに清水さんの携帯電話が鳴った。なんと妹夫婦からで、二人目の子供ができたという報告だった。

清水さんはひときわ嬉しそうに笑った。

台湾の菓子

台湾にはファミリーマートとかセブンイレブンがあちこちにある。

セブンイレブンに寄ってみると、日本で売っているものとほとんど違わない感じのものが置いてある。

濃烈とはまたすごい表現だが、実際にはあずきのゆで汁のように薄いコーヒーで、中学か高校時代に飲んだ缶コーヒーを思い出した。台湾の基準濃度はかなり薄いものと思われる。

モロに日本語が書いてあるものもあったが、紛れもなく台湾製だった。とりあえず日本語を書いておくと美味そうに見えるということなのだろう。

謎の絵画

台湾で泊まったホテルのフロントに、とても大きな絵画が飾ってあったのだが、その異様さが嫌がうえにも目を引いた。

明るい日差しの中で家族だか友人だかがピクニックをしている絵なのだが、さっぱり楽しそうではないのだ。楽しそうではないどころかむしろ悲しそうである。

写実的でもないし細かく描き込んでいるわけでもなく、楽しくも美しくもない。手前の犬など色が人物のズボンと同じ色で見づらいし、女性の胸の膨らみの陰の黒味もなんだか汚い感じで陰に見えない。

といって、私は絵画を見る眼があるわけではないのでこの絵が素人のデタラメなものなのか、プロの傑作なのかを判断する力はない。

そこでフロントの人に聞いてみた。

「これは何の絵ですか?」

「ピクニックです」

「それはわかりますが、なぜこんなに悲しそうなのですか」

「わかりません」

「これは、有名な画家の絵なのですか?」

「はい。台湾の有名なリという人の作品です」

とのことだ。

ピクニックと言えば、楽しいことがほとんどだろう。ネットで「ピクニック」「絵画」で検索をすると、下のような楽しげな絵ばかりが出てくる。

リさんの「ピクニック」という作品が一体いかなる目的で描かれ、どこを鑑賞すればよいのか、今後、突き止めたいものだ。

台湾バナナ

今週も台湾に行って来た。台湾赴任の人と夕食を食べたとき、その人は、いかに台湾の果物が美味いかを力説した。たとえばバナナであれば、日本で食べられるバナナは青い状態でもいで、輸送中に黄色くなるのに対して、台湾では熟れた状態でもぐので恐ろしく美味いという。

また、マンゴーなど他の果物についても同様で、彼は日本に帰るときにスーツケースにたくさんの果物を詰め込んで空港で果物犬(そういうのがいるらしい)につかまったことがあるほどだという。農作物の勝手な輸入は禁止されているのだ。

そのときは、枝がついたままのライチをバッグに入れており、空港の人に「枝がついてますが」と言われて「いやこれ、味が全然違うんです」と無意味な言い訳をしたという。「あいつら絶対後で食ったはずだ」と悔しさを隠せないようである。

私は泊まっているホテルの部屋においてあったバナナはすでに食べてみたのだが、美味いことは美味いが驚くほどではなかったと言うと「それはフィリピンから輸入した物に違いない」と言う。

そこまで言われては台湾バナナを食べてみないわけにはいかない。レストランで腹いっぱい食べてホテルに帰った後、ひとりで夜の町に繰り出し、ホテルの人に聞いた「頂好Welcome」というスーパーで、間違いなく台湾産のバナナとマンゴーとキウイを買ってきた。

結果、たしかにべらぼうに甘くて美味かった。こんなものが自然になっていたら人間がダメになるだろうと思った。バナナは普通だったが、マンゴーとキウイはとても柔らかく、ナイフで切っている最中から蜜が皿にたまるほどで、両手と顔を果汁でべちゃべちゃにしながらかぶりついたのであった。

しかし私は、こういうものは日本で売っているものでも十分に美味いので、空港で違法行為をしたり高い金を出したりするほどのことではないと思った。

スーパーでは一番安いものを買ったが、2倍以上もの値段のものもあったので、どれだけ甘いのか次回試してみようと思う。意外と虜になってしまったりして。糖尿病にならないかが心配だ。