人間能力の限界のフェアプレー

卓球界には語り継がれるべきフェアプレーがいくつもある。

私を文筆業に導いてくれた恩人でもある藤井基男さんの『元気が湧く43の話』(日本卓球株式会社刊)から紹介する。

それは1979年世界選手権ピョンヤン大会でのことだった。男子団体で準決勝進出をかけて日本とスウェーデンが激突した。力は互角だった。

勝負を分けたのは、前原正浩vsステラン・ベンクソン。第1ゲームで前原が19-17とリードした場面で、前原の強打がオーバーミスとなり、19-18となった。すると、ベンクソンは前原のボールがエッジで入ったことを審判にアピールし、スコアは20-17となり、ベンクソンは敗れ、結果、スウェーデンは3-5で日本に敗れたのだった。

後年の1998年に、藤井さんはベンクソンにそのときの話をすると「15歳のとき、大会でシェル・ヨハンソンを見て感動した。そこで私はフェアプレーがどれほど大切なものであるかを学んだ。前原と対戦したときも、学んだとおりにやった」と語った。

そのヨハンソンのフェアプレーとは次のようなものだ。

1967世界選手権ストックホルム大会で、ヨハンソンは男子シングルス1回戦でソ連のゴモスコフと対戦した。ゲームカウントが2-0でゴモスコフのリードとなり、3ゲームめも20-19でゴモスコフがマッチポイントを握った。

次のボールがエッジなのか微妙なボールとなったが、審判はヨハンソンの得点として20-20となった。ところがヨハンソンは「今のは自分の得点ではない」とアピールし、握手を求めてゴモスコフに歩み寄った。敗れたヨハンソンにはスタンドから割れんばかりの拍手が沸き起こり、ユネスコから国際フェアプレー賞が贈られた。

これが、荻村伊智朗が朝日新聞の世界選手権観戦手記に「人間能力の限界の風格を持つ」と紹介されたシェル・ヨハンソンである。この大げさな比喩も素晴らしいがたしかにこれは人間能力の限界と言えるフェアプレーだろうと思う。

指導している選手がそういう試合をしたら「せっかく得点したのにバカッ!」と怒らずに「立派だ」と褒めることができるだろうか。たぶん私はできないだろう。

同じく1967年にモントリオールで開かれた国際大会のとき、優勝争いのリーグで、高橋浩、福島萬治、エバハルト・シェラー(西ドイツ)の首位争いとなった。高橋と福島の試合が最後に残ったが、高橋はすでに優勝の見込みはない一方、福島は高橋から1ゲームとれば優勝が決まる。高橋は2-0で勝っても0-2で負けてもどのみち3位だ。おまけに高橋と福島は同じシチズンの同僚なのだ。

誰もが福島の優勝を確信したが、高橋は全力でプレーして福島を2-0で破り、シェラーの優勝が決まった。高橋のプレーに感動したのはシェラーだけではなかった。

「読み返しているうちに、なぜか涙が出てしばし止まらなくなった」と藤井さんは結んでいる。私も書いてて目頭が熱くなった。

人間能力の限界のフェアプレー” への 4 件のコメント

  1. 自分もフェアプレーについて調べていたところ、前回の10-0のシーンについて個人的に最高のプレーを見つけることができました
    2002年スーパーサーキットでのキムテクス対サムソノフ戦でサムソノフが10-0でサービスをミスしたのですが、キムはそれに対し両手を挙げて声を出しながらガッツポーズしたのです 会場にも笑いと拍手が起こり、一転いい雰囲気になっていました
    しかもその試合はキムが勝利、これが最適解とは必ずしもなりませんが、ある意味情けのような点に気まずさをまったく感じさせずプレーするキム選手に感銘を受けました

    1. 素晴らしい話なので、来月発売の逆も~ションで紹介させていただきます。

    2. 私も動画を見た記憶があり,この時探したのですが見つかりませんでした.先日偶々見つけました.
      ttps://www.youtube.com/watch?v=9lvw2Xzp4dU
      の03:05くらいからです.

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