促進ルールの解説のつづき。
先に紹介したエーリッヒとパネスの試合だが、この試合は、促進ルールが制定される前に開始された試合なので、促進ルールを適用することをエーリッヒが拒否した。しかし最初の一本を取られたパネスがガタガタと崩れ、結局3時間「しか」かからずに試合は終わったという。チームとしても5-0でポーランドの勝ちとなった。さて、ポーランドはその後、オーストリアと決勝を争ったが、その試合もまた粘りあいとなり、5-4でオーストリアが勝つまで合計11時間、三晩かかったという(試合は夜だけ行われた)。個人戦でも7時間戦っても勝負か決まらず、トスで勝敗を決めた試合もあったという。
これは戦型によっては現在でも起こり得るため、促進ルールは必要である。卓球は多様で自由度が大きい競技なので、いろんな戦術をとることができる。その中から勝つ可能性がもっとも高い作戦をとらなくてはならない競技であり、それを実行できるだけの技術の幅自体が実力のうちなのだ(他にもツブ高対策や左対策、表対策、ロビング対策など、多様な落とし穴が卓球には待ち構えていて、どれかに苦手なものがあると勝ち進むことはできない)。
それで思い出すのが、野球の松井秀樹が高校生のとき、甲子園で5打席連続敬遠された事件だ。私には野球ファンがどうしてこれを問題にするのかわからなかった。投手側はルールの範囲内で勝つために最良の作戦をとっただけであり、実際に勝ったのだ。非難されるとすればそれは松井以外の選手の打力が心もとなかったチームの方であり、まちがっても投手側が非難されるいわれはない。もし5打席敬遠すれば勝てることがわかっているのにあえて投手が勝負したら、それこそ手抜きの八百長試合ではないか。卓球で言えば粘れば勝てるとわかっている相手に、気持ちよくバンバン攻撃して負けるようなものだ。そんな知性のかけらもない勝負を見て楽しいのだろうか。
野球ファンは「松井の打つところを見たかった」という自分勝手な都合、つまりエゴで敬遠を非難していたのだ。正直にそう言うならまだわかる。エゴ自体は誰でもあるし悪いことでもない。それなら私は批判はしない。
問題は「敬遠させられた選手がかわいそうだ」「松井が可愛そうだ」という見せかけの思いやりや大義名分による敬遠非難だ。投手が好き勝手に松井と勝負して打たれて負けたら他のチームメイトや指導者はかわいそうではないのか。恣意的で浅はかな善意ほど性質の悪いものはない。
選手が勝つために全力を尽くしたときに見て面白くなくなるというなら、それは選手に問題があるのではなくてルールに問題があると考えなくてはならない。
野球も卓球と同じくいろんな要素が複雑に絡み合った総合的な実力を争う競技であり、だから面白いのではないのか(私はよくわからないが)。敬遠がそんなに不愉快なら、ルールを変える運動を起こすか、そうでなければ野球になど興味をもたないで、バッティングマシーンに対するホームラン競争とか遠投競技でもすればよい。