月別アーカイブ: 8月 2009

大学スポーツの恐るべき目標

今月発売のニッタクニュースを読んでいたら面白い記事を見つけた。

東京富士大学の西村卓二監督のコメントが載っていたのだが、それが凄かった。彼によると、大学スポーツの最終的な目的は、卓球を通じて「良い母親になる力を養う」ことだそうだ。オリンピックや世界選手権に出るのでさえ、「良い母親になる」ための要素だという。なんと。卓球は「良い母親」になるための手段にすぎなかったのだ!

そして「良い母親」の要素は具体的には「優しい性格、知識、健康」だという(卓球をしない方が良いような気がする・・)。

す、す、素晴らしいっ!こういう人がアテネオリンピックで女子監督をやったおかげで福原愛がベスト8に入ったのだっ!

それにしても、卓球の指導にそんな目的があったとは。やっぱり張怡寧は世界一良い母親の力を身につけているのだろうか。

西村卓二、恐るべし。

卓球用品名入りパンツ

妄想はとどまるところを知らない。

思い切ってパンツに『タキネス』とか『スレイバー』とか書くのはどうだろう。ただし『ビヨーン』や「テンション系」などは誤解を招くので注意が必要だ。ましてや「皮付き」をや。

卓球メーカーブランドのパンツ

横浜でキラー・スピンのTシャツを入手したのだが、義母にえらく気に入られたので、勢いであげてしまった。卓球メーカーのTシャツが卓球に興味のない人に気に入られたのだから、喜ばないわけにはいかない。

それで、自分用にさらに色違いで3着を購入し、昨日届いたところだ。背中に金色に輝くtable tennisの文字とシルエット。素晴らしい。大満足だ。普段はTシャツの上に長袖シャツを着ているので、他人に見せるわけではない。卓球をプレーする情熱はとっくにないが、自分は卓球が好きであり、それに身を捧げているのだという証のために着ているのだ(私は隙あらばどこにでも卓球のユニフォームやジャージを着て行こうとするので家族にはすこぶる不評だ)。

同じことが下着のパンツにも言える。残念なことに卓球メーカープランドのパンツなど売ってはいないが、もしキラースピンブランドのブリーフやDONICブランドのトランクス、あるいはブライス印のパンツが売っていたら買わない理由がない。すべてのブランドのパンツを揃えて、自分は『全身卓球家』であることを確認しながら毎日悦に入ることだろう。

無謀だとは思うが、どこかの卓球メーカーが死んだ気になって作ってくれないものだろうか。デザインなんか関係なく、卓球ブランドなら無条件で買う卓球狂が相当数いると思うのだが。もっとも、それによってブランドのイメージがどうなるかは知らないが・・・。

死者の顧問

宮沢賢治の実弟の宮沢清六の本を見た。

著者紹介のところで驚愕した。彼は死者の身でありながら宮沢賢治学会の顧問をいまだに務めているらしい。さすが宮沢賢治の弟だ。

アメリカの食事

ときどきドーサンのインチキ日本食を紹介してきたが、意外にアメリカの食事は紹介していないことに気がついた。

普段、ドーサンのアメリカ人がどんな食事をしているのか、この写真を見てもらえばわかるだろう。なんとも脂ぎった食事。毒々しい色の菓子パン。こりゃあ太るわけである。しかしステーキだけはとても美味しい。

傍点、憎し

映画を見ていたら、またまた傍点の乱発に出くわした。「タール」や「絵画」がいったいどうしたってんだ?

ここまでくると悪意すら疑われる。

インターハイ

卓球王国のサイトを見ていると、インターハイの記事が目につく。日本に住んでいたときはわざわざインターハイを見に行ったことはなかったが、帰国したら行ってみたくなった。

それとはまったく関係ないが、インド食料品店で、めずらしいドリンクを買った。なんとグリーン・マンゴーのカレー風味。さすがにまずくて誰も飲めず。

川端康成『雪国』

演歌の世界で思い出したのが川端康成の『雪国』だ。私は小説というものをほとんど読まない。読まなくてはならないと思うのだが、結論にたどりつくまでの途中を楽しめないし、いつも他のことを考えてしまって話に入っていけないのだ。

人類の英知の鉱脈である『文学』というものを味わわなければ損だと思い、アメリカに赴任するときに古本屋で名作文学の文庫本を何冊か買った。そのひとつが、ノーベル文学賞を受賞した川端康成の『雪国』だ。

「夜の底が白くなった」などというフレーズに代表される表現は面白いと思ったが、いかんせん、話が全然面白くない。妻子ある主人公と芸者だか舞子だかのグダグダしたつき合いを描いたものだが、話のどこにも共感を呼ぶところがなく、それは面白いぐらいであった。

私は文学は一生理解できないのだろう。

それに、『雪国』というタイトルを見ると、学生時代に聞いた「女性は、出身地を聞かれたら東北の県名を言うよりは北国ですと言ったほうが感じがいい」という、週刊誌のバカげた記事を思い出して不愉快になる。九州や沖縄の出身の場合、やはり南国と言ったほうがいいのだろうか(笑)。

演歌の世界

昼食を食べていたらふと、小学校の頃に流行した「殿さまキングス」(すごい芸名だ!)の演歌『なみだの操』のフレーズが頭の中で鳴っていた。あなた~のために~守りとおした女の操~という歌だ。好きなわけではないのだが、なにしろ多感な頃に散々聞かされたので(父がうなっていた)無意識にときどき思い出してしまうのだ。

それで、前々から疑問に思っていたことを思い出した。それは演歌の歌詞の世界だ。どうも歌詞を聞いていると、いつも飲み屋の客商売の女の歌らしい。たしかに世の中にはそういう女性がいて、悲しい色恋沙汰があるとは思うが、なぜよりによって飲み屋の女の歌ばかりなのだろう。一般人が経験する色恋沙汰とかけ離れたそういう世界に、ある世代の人はファンタジーを抱くのだろうか。あるいは単に作詞家が自分が銀座の高級バーなどへしょっちゅう行くもんだから、自然とそういう歌になるのだろうか。

大人になったらそういう世界と親しみが持てるようになるのかと思ったら、全然だ。居酒屋へ行ってもせいぜい店員に「以上でご注文よろしかったですか?」と不思議な過去形で言われるくらいのものだ。行く店が悪いのだろうか。

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