年別アーカイブ: 2009

卓球メーカーブランドのパンツ

横浜でキラー・スピンのTシャツを入手したのだが、義母にえらく気に入られたので、勢いであげてしまった。卓球メーカーのTシャツが卓球に興味のない人に気に入られたのだから、喜ばないわけにはいかない。

それで、自分用にさらに色違いで3着を購入し、昨日届いたところだ。背中に金色に輝くtable tennisの文字とシルエット。素晴らしい。大満足だ。普段はTシャツの上に長袖シャツを着ているので、他人に見せるわけではない。卓球をプレーする情熱はとっくにないが、自分は卓球が好きであり、それに身を捧げているのだという証のために着ているのだ(私は隙あらばどこにでも卓球のユニフォームやジャージを着て行こうとするので家族にはすこぶる不評だ)。

同じことが下着のパンツにも言える。残念なことに卓球メーカープランドのパンツなど売ってはいないが、もしキラースピンブランドのブリーフやDONICブランドのトランクス、あるいはブライス印のパンツが売っていたら買わない理由がない。すべてのブランドのパンツを揃えて、自分は『全身卓球家』であることを確認しながら毎日悦に入ることだろう。

無謀だとは思うが、どこかの卓球メーカーが死んだ気になって作ってくれないものだろうか。デザインなんか関係なく、卓球ブランドなら無条件で買う卓球狂が相当数いると思うのだが。もっとも、それによってブランドのイメージがどうなるかは知らないが・・・。

死者の顧問

宮沢賢治の実弟の宮沢清六の本を見た。

著者紹介のところで驚愕した。彼は死者の身でありながら宮沢賢治学会の顧問をいまだに務めているらしい。さすが宮沢賢治の弟だ。

アメリカの食事

ときどきドーサンのインチキ日本食を紹介してきたが、意外にアメリカの食事は紹介していないことに気がついた。

普段、ドーサンのアメリカ人がどんな食事をしているのか、この写真を見てもらえばわかるだろう。なんとも脂ぎった食事。毒々しい色の菓子パン。こりゃあ太るわけである。しかしステーキだけはとても美味しい。

傍点、憎し

映画を見ていたら、またまた傍点の乱発に出くわした。「タール」や「絵画」がいったいどうしたってんだ?

ここまでくると悪意すら疑われる。

インターハイ

卓球王国のサイトを見ていると、インターハイの記事が目につく。日本に住んでいたときはわざわざインターハイを見に行ったことはなかったが、帰国したら行ってみたくなった。

それとはまったく関係ないが、インド食料品店で、めずらしいドリンクを買った。なんとグリーン・マンゴーのカレー風味。さすがにまずくて誰も飲めず。

川端康成『雪国』

演歌の世界で思い出したのが川端康成の『雪国』だ。私は小説というものをほとんど読まない。読まなくてはならないと思うのだが、結論にたどりつくまでの途中を楽しめないし、いつも他のことを考えてしまって話に入っていけないのだ。

人類の英知の鉱脈である『文学』というものを味わわなければ損だと思い、アメリカに赴任するときに古本屋で名作文学の文庫本を何冊か買った。そのひとつが、ノーベル文学賞を受賞した川端康成の『雪国』だ。

「夜の底が白くなった」などというフレーズに代表される表現は面白いと思ったが、いかんせん、話が全然面白くない。妻子ある主人公と芸者だか舞子だかのグダグダしたつき合いを描いたものだが、話のどこにも共感を呼ぶところがなく、それは面白いぐらいであった。

私は文学は一生理解できないのだろう。

それに、『雪国』というタイトルを見ると、学生時代に聞いた「女性は、出身地を聞かれたら東北の県名を言うよりは北国ですと言ったほうが感じがいい」という、週刊誌のバカげた記事を思い出して不愉快になる。九州や沖縄の出身の場合、やはり南国と言ったほうがいいのだろうか(笑)。

演歌の世界

昼食を食べていたらふと、小学校の頃に流行した「殿さまキングス」(すごい芸名だ!)の演歌『なみだの操』のフレーズが頭の中で鳴っていた。あなた~のために~守りとおした女の操~という歌だ。好きなわけではないのだが、なにしろ多感な頃に散々聞かされたので(父がうなっていた)無意識にときどき思い出してしまうのだ。

それで、前々から疑問に思っていたことを思い出した。それは演歌の歌詞の世界だ。どうも歌詞を聞いていると、いつも飲み屋の客商売の女の歌らしい。たしかに世の中にはそういう女性がいて、悲しい色恋沙汰があるとは思うが、なぜよりによって飲み屋の女の歌ばかりなのだろう。一般人が経験する色恋沙汰とかけ離れたそういう世界に、ある世代の人はファンタジーを抱くのだろうか。あるいは単に作詞家が自分が銀座の高級バーなどへしょっちゅう行くもんだから、自然とそういう歌になるのだろうか。

大人になったらそういう世界と親しみが持てるようになるのかと思ったら、全然だ。居酒屋へ行ってもせいぜい店員に「以上でご注文よろしかったですか?」と不思議な過去形で言われるくらいのものだ。行く店が悪いのだろうか。

墓をまたぐ

私が仕事中にくしゃみをすると、同僚のティムがいつものように「bless you」と言った。これはGod bless youの省略で、「神のご加護を」とでもいう意味で、まあ、おきまりの台詞だ。

私が「日本ではくしゃみをすると誰かがその人の噂をしているという言い方がある」と説明した。面白いことにアメリカでも似たような言い方があるという。くしゃみをすると「誰かが墓をまたいだ」というものだ。まだ生きているので墓はないのだが、将来、自分の墓になるはずのその地面を誰かがまたいだという解釈だという。なかなか遠近感のある気が利いた面白い言い方ではないか。

思ってる、思ってる・・

仕事でよくパワーポイントというソフトで作った資料を見せられる機会がある。そこでときどき気になるのが、吹き出しの形だ。

パワーポイントでは吹き出しの形がいろいろあって選べるようになってるが、気になるのはそれらの中で、雲形に楕円が連なっている形のものだ。なぜかといえば、これは日本のマンガの文法の中では、「心の中で思っているセリフ」を表すものだからだ。この吹き出しを見ると自動的に「あ、思ってるな」と感じてしまう。そのように刷り込まれているので仕方がない。

仕事のプレゼンテーションで「思っている」ことを表現する必要などないのだから、この吹き出しはそもそもオプションとして不要である。どうしてこんな吹き出しがついているかといえば、パワーポイントは、日本人ほどマンガを読まないアメリカ人が作ったソフトだからだろう。

アメリカ人ならともかく、日本人なのにこの「思っている」吹き出しを使う人がしばしばいるのは不思議なことだ。マンガを読んだことがなくて吹き出しの文法を知らないのだろうと思う。

仕事でこの吹き出しを見せられるたびに「ああ、思ってる、思ってる」と思ってしまう。