月別アーカイブ: 8月 2010

予期せぬ出会い

ラスベガスで卓球をするという記録も作ったし勝ったのでもう止めようかな、と思ってソファに座って休んでいると、ひとりの老人がやってきて「やらないか」と言った。私が「My name is Jota Ito」と自己紹介をすると、その老人は「おお、キミが有名な世界チャンピオンのイトウか」と言って笑った。1969年にミュンヘンで優勝した伊藤繁雄のことだ。初対面でいきなりこの挨拶は凄い。マニアはマニアを呼ぶ。

私が「1969年ですね」と言って自分も詳しいことを示すと、彼は私のマニア度を測るかのように「その試合、どういう試合内容だったか知ってるか」と聞いてきた。ここぞとばかり私は「シェラーに0-2でリードされていて、3ゲーム目から別人のようになって逆転したんでしょう」と言った。田舛彦介著『卓球は血と魂だ』の一節そのままだ(さすがに「ゲームの合間にビタミン剤でも打ったのかと欧州勢から疑われるほど」という余計な描写は話がややこしくなるので割愛した)。すると彼はさらに詳しく「3ゲームめの19-19からのシェラーの難しいボールを、イトウはそれまで攻撃していたのを丁寧につないだんだ。そのときシェラーの顔つきが変わり、そこからイトウが逆転したんだ」と言うではないか。そんな話は初めて聞いたので「よくそんなこと知ってますね」と言うと、彼はその試合を現場で実際に見たと言う。「ドイツに行ったんですか!」と言うと「だって俺、アメリカ代表で試合に出てたんだもん」と言うではないか。

ななな、なんと、アメリカの代表選手だったのだ。私はすっかり興奮し「じゃあ、71年のピンポン外交のことを知ってますか」と言うと「ああ、中国に試合しに行ったよ」と言うではないか。どひゃあああっ!この人は、歴史上の選手だったのだ。強くはないから有名ではないが、ともかく歴史上の選手なのだ。マニアではなく、本物だったのだっ。

ラスベガス卓球クラブ

3時から、唯一の早い時間からのショーである、「マック・キング・マジックショー」というのを見てから、「ラスベガス卓球クラブ」に向かった。本当は4時から別のマジックショーを見てから行くつもりだったのだが、これも当日はやっておらず(しかもどっちみち3時からのショーが1時間半もあったので見られなかったのだ。つくづく破綻している計画だ)、その分だけ早めに卓球クラブに行った。この日は卓球クラブは6時までしかやっていなかったので、これでも1時間ちょっとしか卓球をする時間はなかった。

もともと卓球をしたい気持ちは全然なく、とにかく卓球マニアらしい足跡を残すことだけが目的だったので、たとえ10分しかできなくてもかまわなかったのだ。本当はカバンを持たずに手ぶらでラスベガスに来たかったのをわざわざラケットとシューズを持ってきたのだから、意地でも卓球はしなくてはならない。

行ってみると、ちゃんとLas Vegas Table Tennisと看板があった。偉い(もちろんタクシーの運転手は知らなかった)。ラスベガスではあるが、別に観光客のためにある卓球クラブではない。あくまで、ラスベガスに住んでいる卓球好きのためのクラブだ。http://www.lasvegastabletennis.com/

クラブには事前にメール連絡をしてあり、私と同じくらいの実力の人が来ることになっていたのだが、入ってみるとみんなよそよそしく、私と目を合わせない。もちろん気まずいが、こういう対応は大学の後輩によくされていたのでどうってことはない。卓球で気まずくなることには慣れているのだ。卓球は気まずいスポーツなのだ。

話しかけられるのを待ってあちこち覗き込んだりしていると、一人がたまりかねて「やりたいのか」と言ってきた。全然話が通じてない。これもアメリカではいつものことだ。

それで、卓球を始めて2年というインド人っぽい顔をした青年(両面テナジーだった)と試合をして、3-1でやっと勝った。負けてもどうってことはないのだが、勝つにこしたことはない。

ラスベガスの町並み

グランドキャニオンからラスベガスに戻ったのは1時頃だった。こうやって早く戻れるようにと早朝のツアーにしたのだ。

到着以来、初めて昼のラスベガスを見たわけだが、あらためて建物のムチャクチャな豪華さに笑った。エッフェル塔ありピラミッドあり、ともかくいちいちデカい。「お前らバカだろ?」と言いたくなるような景色だ。この豪華さが客をギャンブルをする気にさせるのだろう。本当はそれだけ客から金を吸い上げているということなのだが、客はピンとこないようになっているのだ。

雨のグランドキャニオン

グランドキャニオンには飛行場があって、そこで着陸をして今度はバスで移動をする。

マサーポイントと呼ばれる絶景のところがあり、そこで巨大な景色を見られるはずだったのだが、なんと雨が降っていて対岸が見えない。対岸まで39kmもあるという途方もない大きさの谷のはずなのだ。近くの下のほうは見えるのだが、視線を水平にすると何も見えない。なんとも残念だ。ちなみにグランドキャニオンの長さは400kmだというが、これはどうせ見渡すことはできない大きさなのだからどうでもよい。

本当はもう一ヶ所回るツアーだったのだが、雨のため危険な状態なので、この一ヶ所で2時間も過ごすことになった。過ごすといっても、写真の通りほとんど何も見えないので、土産物屋を見たりコーヒーを飲んだりして時間をつぶした。

日本から来た客の中には、ヘリコプターで谷を回るツアーに参加を予定していた人たちもいたが、それもすべて中止だった(料金は返すと言っていた)。その落胆に比べればマシだなと思うことにした。

そういうわけで、雨のグランドキャニオンはさっぱり面白くなかった。

いざグランドキャニオンへ

20人乗りくらいの飛行機でグランドキャニオンに向かった。

途中、下界にグランドキャニオンが現れたが、比較できる物がないのでその大きさがよくわからない。正直、小さく見えるので、あまり脅威を感じない。もっと低空飛行をして両側に崖が迫るほどなら良いのだろうが、そういうことはしないようだ。

同窓の運転手

ホテルにバンで迎えに来たツアーの人がいきなり日本語で「イトウジョウタさんですね」と話しかけてきたので驚いた。日本語ツアーはちょっと高かったのでケチって英語ツアーにしていたので、得したような気がした。

バンは6ヶ所くらいのホテルを回ってツアー客を乗せ、ラスベガスの中心地から30分ぐらい離れたボルダーと言う町の空港に向かう。そこからグランドキャニオンへの小型飛行機に乗るのだ。

私は最初にバンに乗ったので助手席に座ったため、運転手さんが「日本語を話すのは久しぶりで嬉しいです」としきりに話しかけてくる。この方の奥さんは白人でアメリカにはもう30年近く住んでいると言う。日本人男性と白人女性の結婚は珍しいので経緯を聞くと、もともとは日本の銀行のニューヨーク支店に赴任していたのだが、その職場で奥さんと知り合って結婚をし、帰任を命じられたのを期に退社して貿易関係の会社を作ったのだという。会社も軌道にのったので息子さんにやらせることにして53歳にして引退をしたという。毎日ゴルフとギャンブルをしていたがどうにもヒマでたまらず、知人がやっているこのツアーをヒマつぶしに手伝うことにしたという。日本人客が多いので、その担当らしい。この日も6ヶ所まわったうち、日本人客が3組だった。

このフジモトさんという運転手さんは熊本出身だという。私はアメリカに来てからなぜか九州の人に会うことが多い。先日のロサンゼルスの足立さん、スタンの奥さんである郁美さん、他にもブログを読んでメールをくれた九州の人が二人もいる。偶然に決まっているのだが、ちょっと面白い。私は東北出身だというと、実はこのフジモトさん、東北大に通っていたという。私が同窓であることを言うと「同窓のお客さんは初めてです」と非常に驚いていた。私も同窓の運転手さんは初めてだが、そもそも運転手さんと大学の話をしたことがないのだから当然だ。

もしかして卓球部の先輩だったりしないかと、クラブの話を振ってみたが、さすがにそれはなかった。そんな話をしているうちに、ボルダー空港に着いたのだった。

ホテル

ホテルは、4つ星なのに$39という、破格の安値をインターネットで探して予約したのだったが、フロントで「コートヤードルーム」と案内されて愕然とする。コートヤードといえばアメリカ中にある、悪くもないけど良くもないただのホテルの名前だ。格安だという高級寿司屋に入ったらメニューに「セブンイレブン寿司パック」と書いてあったようなものだ。

一旦、建物を出て隣の建物に行けというので行ってみると、まるで合宿所のようなところで愕然とする。ドーサンのコートヤードよりみすぼらしい。$39なわけだ。そのくせ「サービス料」として一泊$16が加算されるというのだからわけがわからない。なんでそんな重要な情報をネットに書かない?安いと思って中心地から離れてタクシー代もかかるところにしたのに、もしかするとこれも的外れな節約だったのかもしれない。くよくよしたくなるが考えないことにする。

こんなホテルでも、本館にはちゃんと賭博場があった。

明日はグランドキャニオンに行くために4時起きなので、シャワーも浴びずにそのまま寝た。下着の替えも忘れてきたし、もうどうでもよい。

夜のラスベガスをさまよう

ズーマニティが終わったのは0時頃だった。ここからタクシーでホテルに行けばよかったのだが、急に金が惜しくなってバスを使うことにした。結局わけのわからないバスに乗ってしまい、運転手に確認しようにも「話しかけないでください」と書かれていて防犯のため完全に隔離されていて聞くこともできない。ラスベガスの夜を満喫するのも面白かろうとそのまま乗っていたら、なんと終点のバスターミナルに着いてしまい、恐ろしくなった。何人かの運転手に聞いて別のバスを2台乗り継いでホテルに着いたのは2時頃だった。

こういう、脈絡なくケチになったり太っ腹になったりするところが、自分でも一貫性がなくてポイントがずれてるなあと思うのだが、仕事じゃないのだからどんなに的が外れていてもいいのだ(これが家族旅行だと大変である)。

ラスベガスは、タクシーどころかバスも24時間営業で、15分おきに走っている。中心地にあるホテルではすべて一階のフロアが巨大な賭博場になっていて、もちろん24時間やっている。日本で言えば、すべてのホテルの一階がパチンコ屋になっているようなものだ。ホテルの外見もみんな何事かと思うような大きさで、自由の女神やらローマ神やらピラミッドやらが闇雲に建てられていて煌々と照らされている。エネルギー問題を考えている様子は少しもない。

出だしからつまづく

まずドーサンからの飛行機が2時間遅れた。何の問題があるのかわからないが、機内でずーっと2時間待たされた。アトランタでの乗り継ぎ時間が2時間しかないからこれでは理論上は乗り継ぎ不可能だ。このフライトを逃すと、次のフライトはラスベガス着が10時過ぎになって、この日の予定である3つのショーを見られなくなる。

とはいえ、ドーサンからの飛行機が遅れたことを考慮して待っていてくれるかもしれないし、そっちはそっちで別の理由で遅れるかもしれないのだからチャンスはある。全力で走ってゲートに着くと、まだ飛行機は出ておらず、間に合った。「何とかなるもんだな」と喜んでいたがさっぱり飛行機が飛ばない。勝手ながら「俺が乗ったんだからすぐに飛んでくれ」と思ったが、結局1時間半遅れての出発になった。

当初の予定ではラスベガス着が6:15で、タクシーをすっとばして7時からのシルクドソレイユのビートルズLOVEを見ようと思っていたのだが、チケットをよく見るとラスベガス着は6:15ではなくて6:51であることが判明。もともとビートルズは見られなかったのだ。飛行機が遅れたことに対する悔しさは和らいだが、自分のマヌケさにやり場のない怒りを覚える(本当にやり場がない)。

まあ、どっちにしてもラスベガス着は8時半頃になるので、9時から見る予定だったマジックショーだけは確実に見るよう体勢を整えた。ラスベガス空港につくなりトイレでメガネを外してコンタクトレンズを入れ(よく見えるようにだ)、タクシーを飛ばして会場のホテルに向かったが、係員いわく「今日はやってません」がくっ。サイトにそんなこと書いてなかった・・。

じゃあ、ビートルズLOVEの10時からの公演を見ようと思い、係員がくれたラスベガス全体のショーのリストを見ると、ビートルズLOVEは今週は休演であることが判明。何時に来ようが明日来ようが見られなかったのだ。いやもう、悔しいどころかバカだよこれじゃ。

敗因は、私が情報を得たサイトは、通常の休演日などの情報は網羅していたが、個別の休演日については考慮をしていないサイトだったことだ。

初日に3つのショーを見るはずたったのが2つダメになったので、3つ目に見る予定だった10:30からのズーマニティを見ようとしたらそれは10:00からになっていた。これじゃ9時からのショーを見ていたら見られなかったじゃないかよ。破綻だ。完全に破綻している。

ともかく10:00からのズーマニティをやっと見ることができた。ズーマニティはシルクドソレイユがやっているショーで、サーカスやらトークやがら混じったショーだ。18歳以上の限定のショーなので、感想は書かない。コンタクトレンズの調子が悪くて途中から猛烈に痛くなって外したが、カバンをフロントにあずけていて入れ物がないのでずっと手に持っていた。まったくなんでコンタクトレンズをつまんだだままショーを見にゃならんのだ。

だいたい私はミュージカルや踊りがとても嫌いで、英語もよくわからないし、どうしたって面白くないはずなのだ。ギャンブルもしない。それどころか旅行自体があまり好きではない。それではいったい何しにラスベガスに来ているのかというと、グランドキャニオンを見るためであり、ショーと卓球クラブはそのついでなのだ。もっとも、大自然もあまり興味はないのだが、グランドキャニオンほど雄大なら感動するのではないかと思ったことと、もうアメリカには来ないだろうから、見ておいた方がいいのではないか、というような義務感で無理やりに来たのだ。あまり気が進まなかったくらいだ。

ちなみに、ラスベガスでは空港からすでにルーレットなどの賭博機器が置いてあった。さすがである。

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