月別アーカイブ: 8月 2010

同窓の運転手

ホテルにバンで迎えに来たツアーの人がいきなり日本語で「イトウジョウタさんですね」と話しかけてきたので驚いた。日本語ツアーはちょっと高かったのでケチって英語ツアーにしていたので、得したような気がした。

バンは6ヶ所くらいのホテルを回ってツアー客を乗せ、ラスベガスの中心地から30分ぐらい離れたボルダーと言う町の空港に向かう。そこからグランドキャニオンへの小型飛行機に乗るのだ。

私は最初にバンに乗ったので助手席に座ったため、運転手さんが「日本語を話すのは久しぶりで嬉しいです」としきりに話しかけてくる。この方の奥さんは白人でアメリカにはもう30年近く住んでいると言う。日本人男性と白人女性の結婚は珍しいので経緯を聞くと、もともとは日本の銀行のニューヨーク支店に赴任していたのだが、その職場で奥さんと知り合って結婚をし、帰任を命じられたのを期に退社して貿易関係の会社を作ったのだという。会社も軌道にのったので息子さんにやらせることにして53歳にして引退をしたという。毎日ゴルフとギャンブルをしていたがどうにもヒマでたまらず、知人がやっているこのツアーをヒマつぶしに手伝うことにしたという。日本人客が多いので、その担当らしい。この日も6ヶ所まわったうち、日本人客が3組だった。

このフジモトさんという運転手さんは熊本出身だという。私はアメリカに来てからなぜか九州の人に会うことが多い。先日のロサンゼルスの足立さん、スタンの奥さんである郁美さん、他にもブログを読んでメールをくれた九州の人が二人もいる。偶然に決まっているのだが、ちょっと面白い。私は東北出身だというと、実はこのフジモトさん、東北大に通っていたという。私が同窓であることを言うと「同窓のお客さんは初めてです」と非常に驚いていた。私も同窓の運転手さんは初めてだが、そもそも運転手さんと大学の話をしたことがないのだから当然だ。

もしかして卓球部の先輩だったりしないかと、クラブの話を振ってみたが、さすがにそれはなかった。そんな話をしているうちに、ボルダー空港に着いたのだった。

ホテル

ホテルは、4つ星なのに$39という、破格の安値をインターネットで探して予約したのだったが、フロントで「コートヤードルーム」と案内されて愕然とする。コートヤードといえばアメリカ中にある、悪くもないけど良くもないただのホテルの名前だ。格安だという高級寿司屋に入ったらメニューに「セブンイレブン寿司パック」と書いてあったようなものだ。

一旦、建物を出て隣の建物に行けというので行ってみると、まるで合宿所のようなところで愕然とする。ドーサンのコートヤードよりみすぼらしい。$39なわけだ。そのくせ「サービス料」として一泊$16が加算されるというのだからわけがわからない。なんでそんな重要な情報をネットに書かない?安いと思って中心地から離れてタクシー代もかかるところにしたのに、もしかするとこれも的外れな節約だったのかもしれない。くよくよしたくなるが考えないことにする。

こんなホテルでも、本館にはちゃんと賭博場があった。

明日はグランドキャニオンに行くために4時起きなので、シャワーも浴びずにそのまま寝た。下着の替えも忘れてきたし、もうどうでもよい。

夜のラスベガスをさまよう

ズーマニティが終わったのは0時頃だった。ここからタクシーでホテルに行けばよかったのだが、急に金が惜しくなってバスを使うことにした。結局わけのわからないバスに乗ってしまい、運転手に確認しようにも「話しかけないでください」と書かれていて防犯のため完全に隔離されていて聞くこともできない。ラスベガスの夜を満喫するのも面白かろうとそのまま乗っていたら、なんと終点のバスターミナルに着いてしまい、恐ろしくなった。何人かの運転手に聞いて別のバスを2台乗り継いでホテルに着いたのは2時頃だった。

こういう、脈絡なくケチになったり太っ腹になったりするところが、自分でも一貫性がなくてポイントがずれてるなあと思うのだが、仕事じゃないのだからどんなに的が外れていてもいいのだ(これが家族旅行だと大変である)。

ラスベガスは、タクシーどころかバスも24時間営業で、15分おきに走っている。中心地にあるホテルではすべて一階のフロアが巨大な賭博場になっていて、もちろん24時間やっている。日本で言えば、すべてのホテルの一階がパチンコ屋になっているようなものだ。ホテルの外見もみんな何事かと思うような大きさで、自由の女神やらローマ神やらピラミッドやらが闇雲に建てられていて煌々と照らされている。エネルギー問題を考えている様子は少しもない。

ラスベガスに行った

金曜の午後から会社を早退してラスベガスに行ってきた。金曜の夕方6時にラスベガスに着いて、日曜の朝6時に発ってくる強行スケジュールだ。この日程で、グランドキャニオンの日帰りツアーに参加し、ショーを7つ見て卓球クラブも訪ねるというまさに分刻みの計画だ。これが遊びだからいいようなものの、仕事だったら会社を訴えているところだ。

さあ、このスケジュール通りいくだろうかと、あらかじめ同僚に計画を話して興奮を高めていたのだが、結果はまったく予定通りいかず、しかし期待していたのとは別の素晴らしい旅行になったのだった。

卓球選手のメガネ

今月号に、卓球選手のメガネという題で原稿を書いた。その中で日本最初の世界チャンピオン、佐藤博治がサングラスだったのではないかと書いたが、それが下の写真だ。他の写真も同様に暗めになっている。本当にサングラスだったのではないだろうか。だからどうだってわけではないが。

あと、中国の世界チャンピオン、邸鐘恵(61年)と葛新愛(79年)だ。原稿に書いたことの意味が分かるだろうか。

プロ卓球誕生は1953年

さらにKOさんから1953年の記事がきた。
それにしても、1968年の新聞にも日本初のプロ卓球とあるし、どうも、プロ卓球を始めるたびに過去のことを忘れて「日本初」としているようだ。

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