20人乗りくらいの飛行機でグランドキャニオンに向かった。
途中、下界にグランドキャニオンが現れたが、比較できる物がないのでその大きさがよくわからない。正直、小さく見えるので、あまり脅威を感じない。もっと低空飛行をして両側に崖が迫るほどなら良いのだろうが、そういうことはしないようだ。
ホテルにバンで迎えに来たツアーの人がいきなり日本語で「イトウジョウタさんですね」と話しかけてきたので驚いた。日本語ツアーはちょっと高かったのでケチって英語ツアーにしていたので、得したような気がした。
バンは6ヶ所くらいのホテルを回ってツアー客を乗せ、ラスベガスの中心地から30分ぐらい離れたボルダーと言う町の空港に向かう。そこからグランドキャニオンへの小型飛行機に乗るのだ。
私は最初にバンに乗ったので助手席に座ったため、運転手さんが「日本語を話すのは久しぶりで嬉しいです」としきりに話しかけてくる。この方の奥さんは白人でアメリカにはもう30年近く住んでいると言う。日本人男性と白人女性の結婚は珍しいので経緯を聞くと、もともとは日本の銀行のニューヨーク支店に赴任していたのだが、その職場で奥さんと知り合って結婚をし、帰任を命じられたのを期に退社して貿易関係の会社を作ったのだという。会社も軌道にのったので息子さんにやらせることにして53歳にして引退をしたという。毎日ゴルフとギャンブルをしていたがどうにもヒマでたまらず、知人がやっているこのツアーをヒマつぶしに手伝うことにしたという。日本人客が多いので、その担当らしい。この日も6ヶ所まわったうち、日本人客が3組だった。
このフジモトさんという運転手さんは熊本出身だという。私はアメリカに来てからなぜか九州の人に会うことが多い。先日のロサンゼルスの足立さん、スタンの奥さんである郁美さん、他にもブログを読んでメールをくれた九州の人が二人もいる。偶然に決まっているのだが、ちょっと面白い。私は東北出身だというと、実はこのフジモトさん、東北大に通っていたという。私が同窓であることを言うと「同窓のお客さんは初めてです」と非常に驚いていた。私も同窓の運転手さんは初めてだが、そもそも運転手さんと大学の話をしたことがないのだから当然だ。
もしかして卓球部の先輩だったりしないかと、クラブの話を振ってみたが、さすがにそれはなかった。そんな話をしているうちに、ボルダー空港に着いたのだった。
ホテルは、4つ星なのに$39という、破格の安値をインターネットで探して予約したのだったが、フロントで「コートヤードルーム」と案内されて愕然とする。コートヤードといえばアメリカ中にある、悪くもないけど良くもないただのホテルの名前だ。格安だという高級寿司屋に入ったらメニューに「セブンイレブン寿司パック」と書いてあったようなものだ。
一旦、建物を出て隣の建物に行けというので行ってみると、まるで合宿所のようなところで愕然とする。ドーサンのコートヤードよりみすぼらしい。$39なわけだ。そのくせ「サービス料」として一泊$16が加算されるというのだからわけがわからない。なんでそんな重要な情報をネットに書かない?安いと思って中心地から離れてタクシー代もかかるところにしたのに、もしかするとこれも的外れな節約だったのかもしれない。くよくよしたくなるが考えないことにする。
こんなホテルでも、本館にはちゃんと賭博場があった。
明日はグランドキャニオンに行くために4時起きなので、シャワーも浴びずにそのまま寝た。下着の替えも忘れてきたし、もうどうでもよい。
ズーマニティが終わったのは0時頃だった。ここからタクシーでホテルに行けばよかったのだが、急に金が惜しくなってバスを使うことにした。結局わけのわからないバスに乗ってしまい、運転手に確認しようにも「話しかけないでください」と書かれていて防犯のため完全に隔離されていて聞くこともできない。ラスベガスの夜を満喫するのも面白かろうとそのまま乗っていたら、なんと終点のバスターミナルに着いてしまい、恐ろしくなった。何人かの運転手に聞いて別のバスを2台乗り継いでホテルに着いたのは2時頃だった。
こういう、脈絡なくケチになったり太っ腹になったりするところが、自分でも一貫性がなくてポイントがずれてるなあと思うのだが、仕事じゃないのだからどんなに的が外れていてもいいのだ(これが家族旅行だと大変である)。
ラスベガスは、タクシーどころかバスも24時間営業で、15分おきに走っている。中心地にあるホテルではすべて一階のフロアが巨大な賭博場になっていて、もちろん24時間やっている。日本で言えば、すべてのホテルの一階がパチンコ屋になっているようなものだ。ホテルの外見もみんな何事かと思うような大きさで、自由の女神やらローマ神やらピラミッドやらが闇雲に建てられていて煌々と照らされている。エネルギー問題を考えている様子は少しもない。
金曜の午後から会社を早退してラスベガスに行ってきた。金曜の夕方6時にラスベガスに着いて、日曜の朝6時に発ってくる強行スケジュールだ。この日程で、グランドキャニオンの日帰りツアーに参加し、ショーを7つ見て卓球クラブも訪ねるというまさに分刻みの計画だ。これが遊びだからいいようなものの、仕事だったら会社を訴えているところだ。
さあ、このスケジュール通りいくだろうかと、あらかじめ同僚に計画を話して興奮を高めていたのだが、結果はまったく予定通りいかず、しかし期待していたのとは別の素晴らしい旅行になったのだった。
またピータースから卓球の誘いがあった。スタンは行くという。さすがに今回は泊まらないそうだ。私は申し訳ないが「気力がない」と断った。
松下浩二を「日本初のプロ卓球選手」と書いたら、マニアのKOさんからさっそく指摘を受けた。実は私も書くとき、ちょっと迷ったのだ。松下浩二がプロになる1993年をさかのぼることずーーーーっと前に、日本に卓球のプロ選手がいたのだ。藤井則和を筆頭に、卓球のプロとして日本各地を興行したが、利益は上がらず、しまいには誰だったかがお金を持ち逃げしたとかされたとかで、まさに日本卓球史の暗部としてあまり多くを語る人はいないアイテムなのだ。
で、そんなことはなかったかのように松下浩二を「日本初のプロ卓球選手」と紹介してしまえと思った書いたのだが、マニアの眼は厳しかった(笑)。
しかもこのKOさん、藤井則和、河原智、星野展弥、シュルベックらによるプロ卓球興行を当時、実際に見たというのだからゴージャスな話ではないか。さらに、もう一人のマニアである英国の獅子さんは、変則ルールによるプロ卓球のテレビ中継を幼時に見た記憶があるという。その様子をご本人の許可なく転載しよう。
1.プロレスと同じで、必ず日本vs外国勢という組み合わせ
2.主審が両国の国旗を両手に持っていて、1本毎に勝った方の国旗を揚げる
3.最後に挑戦者コーナーというのがあって、プロとアマチュアが対戦する。ハンデとしてアマチュアのコートは幅が狭くできている(テニスのシングルス用コートvsダブルス用コートのイメージ)
4.プロは、11本勝負位で4人勝ち抜いたが、最後にサウスポーの選手に負けた
もしかして、藤井とかバーグマンを私は見たのかもしれない。
ということだ。こちらもなんとも栄養過多な話だ。私がここに書いておかなければ永遠に歴史の彼方に消えるところだったので、書かせてもらった。すべての卓球マニアはこの情報を脳ミソに深く刻み付けるべし。どこかにこの映像はないのだろうか。