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夜のラスベガスをさまよう

ズーマニティが終わったのは0時頃だった。ここからタクシーでホテルに行けばよかったのだが、急に金が惜しくなってバスを使うことにした。結局わけのわからないバスに乗ってしまい、運転手に確認しようにも「話しかけないでください」と書かれていて防犯のため完全に隔離されていて聞くこともできない。ラスベガスの夜を満喫するのも面白かろうとそのまま乗っていたら、なんと終点のバスターミナルに着いてしまい、恐ろしくなった。何人かの運転手に聞いて別のバスを2台乗り継いでホテルに着いたのは2時頃だった。

こういう、脈絡なくケチになったり太っ腹になったりするところが、自分でも一貫性がなくてポイントがずれてるなあと思うのだが、仕事じゃないのだからどんなに的が外れていてもいいのだ(これが家族旅行だと大変である)。

ラスベガスは、タクシーどころかバスも24時間営業で、15分おきに走っている。中心地にあるホテルではすべて一階のフロアが巨大な賭博場になっていて、もちろん24時間やっている。日本で言えば、すべてのホテルの一階がパチンコ屋になっているようなものだ。ホテルの外見もみんな何事かと思うような大きさで、自由の女神やらローマ神やらピラミッドやらが闇雲に建てられていて煌々と照らされている。エネルギー問題を考えている様子は少しもない。

出だしからつまづく

まずドーサンからの飛行機が2時間遅れた。何の問題があるのかわからないが、機内でずーっと2時間待たされた。アトランタでの乗り継ぎ時間が2時間しかないからこれでは理論上は乗り継ぎ不可能だ。このフライトを逃すと、次のフライトはラスベガス着が10時過ぎになって、この日の予定である3つのショーを見られなくなる。

とはいえ、ドーサンからの飛行機が遅れたことを考慮して待っていてくれるかもしれないし、そっちはそっちで別の理由で遅れるかもしれないのだからチャンスはある。全力で走ってゲートに着くと、まだ飛行機は出ておらず、間に合った。「何とかなるもんだな」と喜んでいたがさっぱり飛行機が飛ばない。勝手ながら「俺が乗ったんだからすぐに飛んでくれ」と思ったが、結局1時間半遅れての出発になった。

当初の予定ではラスベガス着が6:15で、タクシーをすっとばして7時からのシルクドソレイユのビートルズLOVEを見ようと思っていたのだが、チケットをよく見るとラスベガス着は6:15ではなくて6:51であることが判明。もともとビートルズは見られなかったのだ。飛行機が遅れたことに対する悔しさは和らいだが、自分のマヌケさにやり場のない怒りを覚える(本当にやり場がない)。

まあ、どっちにしてもラスベガス着は8時半頃になるので、9時から見る予定だったマジックショーだけは確実に見るよう体勢を整えた。ラスベガス空港につくなりトイレでメガネを外してコンタクトレンズを入れ(よく見えるようにだ)、タクシーを飛ばして会場のホテルに向かったが、係員いわく「今日はやってません」がくっ。サイトにそんなこと書いてなかった・・。

じゃあ、ビートルズLOVEの10時からの公演を見ようと思い、係員がくれたラスベガス全体のショーのリストを見ると、ビートルズLOVEは今週は休演であることが判明。何時に来ようが明日来ようが見られなかったのだ。いやもう、悔しいどころかバカだよこれじゃ。

敗因は、私が情報を得たサイトは、通常の休演日などの情報は網羅していたが、個別の休演日については考慮をしていないサイトだったことだ。

初日に3つのショーを見るはずたったのが2つダメになったので、3つ目に見る予定だった10:30からのズーマニティを見ようとしたらそれは10:00からになっていた。これじゃ9時からのショーを見ていたら見られなかったじゃないかよ。破綻だ。完全に破綻している。

ともかく10:00からのズーマニティをやっと見ることができた。ズーマニティはシルクドソレイユがやっているショーで、サーカスやらトークやがら混じったショーだ。18歳以上の限定のショーなので、感想は書かない。コンタクトレンズの調子が悪くて途中から猛烈に痛くなって外したが、カバンをフロントにあずけていて入れ物がないのでずっと手に持っていた。まったくなんでコンタクトレンズをつまんだだままショーを見にゃならんのだ。

だいたい私はミュージカルや踊りがとても嫌いで、英語もよくわからないし、どうしたって面白くないはずなのだ。ギャンブルもしない。それどころか旅行自体があまり好きではない。それではいったい何しにラスベガスに来ているのかというと、グランドキャニオンを見るためであり、ショーと卓球クラブはそのついでなのだ。もっとも、大自然もあまり興味はないのだが、グランドキャニオンほど雄大なら感動するのではないかと思ったことと、もうアメリカには来ないだろうから、見ておいた方がいいのではないか、というような義務感で無理やりに来たのだ。あまり気が進まなかったくらいだ。

ちなみに、ラスベガスでは空港からすでにルーレットなどの賭博機器が置いてあった。さすがである。

ラスベガスに行った

金曜の午後から会社を早退してラスベガスに行ってきた。金曜の夕方6時にラスベガスに着いて、日曜の朝6時に発ってくる強行スケジュールだ。この日程で、グランドキャニオンの日帰りツアーに参加し、ショーを7つ見て卓球クラブも訪ねるというまさに分刻みの計画だ。これが遊びだからいいようなものの、仕事だったら会社を訴えているところだ。

さあ、このスケジュール通りいくだろうかと、あらかじめ同僚に計画を話して興奮を高めていたのだが、結果はまったく予定通りいかず、しかし期待していたのとは別の素晴らしい旅行になったのだった。

卓球選手のメガネ

今月号に、卓球選手のメガネという題で原稿を書いた。その中で日本最初の世界チャンピオン、佐藤博治がサングラスだったのではないかと書いたが、それが下の写真だ。他の写真も同様に暗めになっている。本当にサングラスだったのではないだろうか。だからどうだってわけではないが。

あと、中国の世界チャンピオン、邸鐘恵(61年)と葛新愛(79年)だ。原稿に書いたことの意味が分かるだろうか。

プロ卓球誕生は1953年

さらにKOさんから1953年の記事がきた。
それにしても、1968年の新聞にも日本初のプロ卓球とあるし、どうも、プロ卓球を始めるたびに過去のことを忘れて「日本初」としているようだ。

日本初のプロ卓球選手

松下浩二を「日本初のプロ卓球選手」と書いたら、マニアのKOさんからさっそく指摘を受けた。実は私も書くとき、ちょっと迷ったのだ。松下浩二がプロになる1993年をさかのぼることずーーーーっと前に、日本に卓球のプロ選手がいたのだ。藤井則和を筆頭に、卓球のプロとして日本各地を興行したが、利益は上がらず、しまいには誰だったかがお金を持ち逃げしたとかされたとかで、まさに日本卓球史の暗部としてあまり多くを語る人はいないアイテムなのだ。

で、そんなことはなかったかのように松下浩二を「日本初のプロ卓球選手」と紹介してしまえと思った書いたのだが、マニアの眼は厳しかった(笑)。

しかもこのKOさん、藤井則和、河原智、星野展弥、シュルベックらによるプロ卓球興行を当時、実際に見たというのだからゴージャスな話ではないか。さらに、もう一人のマニアである英国の獅子さんは、変則ルールによるプロ卓球のテレビ中継を幼時に見た記憶があるという。その様子をご本人の許可なく転載しよう。

1.プロレスと同じで、必ず日本vs外国勢という組み合わせ
2.主審が両国の国旗を両手に持っていて、1本毎に勝った方の国旗を揚げる
3.最後に挑戦者コーナーというのがあって、プロとアマチュアが対戦する。ハンデとしてアマチュアのコートは幅が狭くできている(テニスのシングルス用コートvsダブルス用コートのイメージ)
4.プロは、11本勝負位で4人勝ち抜いたが、最後にサウスポーの選手に負けた
もしかして、藤井とかバーグマンを私は見たのかもしれない。

ということだ。こちらもなんとも栄養過多な話だ。私がここに書いておかなければ永遠に歴史の彼方に消えるところだったので、書かせてもらった。すべての卓球マニアはこの情報を脳ミソに深く刻み付けるべし。どこかにこの映像はないのだろうか。

TSPの広告

卓球王国のTSPの広告ページに、講習会の宣伝が載っていた。

指導者は、日本が誇る最後の世界チャンピオン、小野誠治、日本初のプロ卓球選手で現TSP社長の松下浩二、そして・・・ラージボールのカリスマ、村上力だ。

今から25年前、一番弟子の戸田といっしょに、村上さんの卓球場で汗を流していたとき、村上さんと小野誠治の写真が一緒に載る日が来るとは夢にも思わなかった。なんとも感慨深い。

もっとも、村上さんの天才性はこの二人には決して劣らないと思う。村上さんは、他人の卓球をほとんど参考にせず、当時の卓球理論のほとんどすべてに背を向けて自分の卓球を完成させた人なのだ。

フォア前を左足前で取るなどという、当時の常識は知りもしなかったし、フリックは指でするものだと当時から言っていた。また、ボールの飛び方で回転量わからないことは、自分がスレイバーを日干しにして作ったアンチラバーを使っていたので、とっくに知っていた。

全日本の混合ダブルスで優勝したとき、村上さんのアンチのツッツキを日本代表クラスの選手たちがドライブをすると、フェンスにダイレクトにオーバーミスしたし、アンチのループドライブをすると、カットマンが台の下にカットミスをしたという。それほど大きな回転の差があれば、ボールの飛び方だって最大限に違ったはずなのに、それでも日本代表クラスの選手たちの誰もそれがわからなかったのだ。

村上さんの卓球は大変な邪道だが、彼の活躍からは、卓球技術を考える上で重要なさまざまな事実が見えてくるのだ。

ピータースのラバー

ピータースはカットマンなので、バック面はツブ高だが、フォア側はスピンアートを使っている。その前はテナジーだったそうだ。何でも過剰なピータースが、この2枚を使わないはずがないよな。