年別アーカイブ: 2011

仙台特派員

「スタッフになった覚えはない」といえば、今野編集長から「条太さん、卓球王国の仙台特派員として写真撮って記事も書いてください。6月号に載せるのでイベント終わったらすぐにね」とメールが来た。仙台特派員になった覚えはないのだが。

いっそのこと今から書いたるか。見込みで。

「見事に空は晴れわたり、予想以上の観客数に協和発酵キリンのメンバーもいやがうえに力が入った」なんて。

準備万端

明日はまず間違いなく晴れるだろうということで、会場の準備に余念がない。

震災で泥に埋まっていたテニスコートは、重機によってすっかりきれいに掃除されていたはずだが、月曜の大雨で、隣のゲートボール場から流れ込んできた砂で覆われてしまっていた。それで早朝から掃除である。

情報によれば、けっこうな観客が来そうなので、卓球台も4台出すことにした。
卓球王国からのバックナンバーやらキリンからの飲料、スープの素なども大量に届き、気分が盛り上がっている。

準備作業は私の息のかかったスタッフでやっているのだが、例によって田村は「朝6時半からじゃなきゃやらない」だの「スタッフになった覚えはない」だのわけのわからんことを言う。「そんなこと言うと、木方のサーブ受けさせてやんねえぞ」と言って、やっと事態を飲み込ませた。

当日の計画

イベント当日は、雨が降っていなければ10時くらいにはテニスコートに卓球台を出し、ボールを打ちながら卓球ができる風速かどうかを調べることになる。雨が降っていたらさすがにそれから晴れても地面が乾かないだろうから、屋外は諦めて「東部卓球センター」で開催することに決めようと思う。

問題は晴れていても風がある場合だ。これは、なかなか判断がつかないと思うので、13:30ギリギリまでボールを打ってみて判断することになる。まあ、協和発酵のメンバーは普通の人ではないのだから、たとえかなり強い風でも対応できるものと思われる。それどころか、風さえも利用して有り得ないプレーを見せてくるかもしれない。

イベント内容

イベント内容について木方選手と電話で打ち合わせをした。
その結果、だいたい以下のような内容になりそうである。

【模範試合ショー】4人で1台を使って交代しながらの、笑いあり驚嘆ありの卓球ショー。高い技術に裏打ちされた曲芸ショーだ。スマッシュ対ロビングをどんどんフォアクロスにきつく打っていってネットと平行になり、ついには台を入れ替わったりする。
【サービス体験コーナー】希望者全員に5本ぐらいづつサービスを受けてもらう。普通の大学の卓球部クラスだとまず1本も返せないはずだ。
【初心者ラリーコーナー】卓球未経験者を対象に楽しい体験ラリー
【模範試合】地域の代表選手数名が協和発酵の選手に1ゲームづつ挑戦!

だいたいこのような感じなので、卓球をしている人はもちろん、卓球をしていない人でも楽しめること間違いなしだ。ラケットがある人は持ってきて欲しい。

金曜の飲み会で私にからんだ彼もぜひ参加をして卓球に対する誤解を解いてもらいたいものだ。

イベント詳細はこちら
http://www.world-tt.com/topics/TTevent.pdf

古市さん来訪

今回のイベントを取り仕切っている日本卓球協会の古市智子さんという方が、下見に訪れた。「雨が降っているから見るだけになりますね」と私は言ったのだが「気にしないでボールを打ちましょう」と、あれよと言う間にユニフォーム姿になってしまった。私がオモチャのラケットを貸そうとすると「大丈夫」と言ってご自分のペンのラケットを取り出した。

そういうわけで、生まれて初めて雨の中で卓球をするハメになった。古市さんは「ボール、落ちますね」と言うが、当たり前だと思うのだが。ちょっとの湿気でも落ちるのに、雨の中なのだから落ちるどころではない。

その後は、雨天の場合の開催場所を提供してくれることになっている『東部卓球センター』に挨拶をしに行った。古市さんはそこでも汗を掻きながら卓球。とにかく卓球をしたいようなのだ。

話を聞くと、古市さんは旧姓を下山さんと言い、専修大学卓球部のOGで、現役時代にはなんと全日本と全日本学生のダブルスで優勝しているつわものであった。パートナーは後に世界チャンピオンになった森沢幸子。ちなみに、昭和40年にはその森沢さんとシングルスで全日本の決勝を争ったそうだ。準々決勝では現役の世界チャンピオンだった深津尚子を破っている。つ、強すぎるだろそれは。

それを知った子供たちは色紙にサインを求めたが、古市さんはこれを固く辞退。その横で私は平然と卓球王国にサインをしたのだった。

イエス様の降臨

飲み会ではもう一つ可笑しいことがあった。

飲み会の目的は、職場異動や退職をする人たちの送別会だったのだが、送別される本人が飲むとすぐに寝る人で、飲み会が始まって間もなく完全に意識を失ってしまった。

最後の記念品贈呈のときもまったく起きる様子がなく、ついには本人の意識がないままに床に寝せて記念品贈呈と記念写真を撮ったのだった。記念写真をとるためにみんなに囲まれた様子が、まるでゴルゴダの丘から運び降ろされたイエス・キリスト様のようで可笑しくてしかたがなかった。

この彼は、飲み会では毎回これで、本人は飲み始めたところまでしか記憶がないのが常だという。さらに、家でも毎晩酒を飲んでこのような状態になっているのだという。なんとも凄まじい人だ。これも、日本全国いたるところで繰り広げられる心温まる光景だ。

職場の飲み会で卓球談義

昨夜は職場で飲み会があったのだが、とても奇妙な体験をした。

卓球のことはほとんど知らないという同僚が「日本の卓球はなぜ中国に勝てないのか」と私にからんできたのだ。彼が言うには、卓球は四角いのと丸いののたった2種類のラケットしかない。ラバーも赤と黒しかない単純なゲームなのになぜ返せないのだとのことだ。

ロッテルダムで福原が中国のカットマンに負けた試合について「カットなんてのは俺が中学校の頃から卓球部のやつらが言っていたことだ。それを未だに返せないとは卓球の戦術は進歩していないじゃないか」などと言う。

なにしろベロンベロンに酔っ払っていて、なおかつ根本的に卓球を理解していないので、彼の力説ぶりがとても可笑しかった。

感心なのは、彼の高校生の娘さんは卓球をやっていないのに卓球ファンであり、日本だけが「後加工禁止ルール」を守って損をしているなどと踏み込んだ話をするのだそうだ。偉い女子高生もいたものである。

彼は別に卓球に文句をつけようとしているわけではない。ロッテルダムで岸川・福原組が銅メダルを獲ったときは家族で祝杯を上げたというほどの熱い男なのだが、根本的に卓球を知らないだけなのだ(それで熱くなれるというのも不思議だが)。

さてこの宴会でくだを巻く大人の姿、まだお酒を飲んだことのない青少年のみなさんから見て、楽しそうで羨ましいのか醜悪なのかどちらだろうか。なお、彼はこの後、2次会を前にして猛烈に具合が悪くなり、姿を消してしまった。

日本全国いたるところで繰り広げられる心温まる光景だ。

オバマ大統領とキャメロン首相が卓球

今日、仕事をしていたら今野編集長から電話がかかってきた。
「条太さん、ヤフーのトップニュース見た?」
なにやら緊急のようだ。
「見てませんけど、何ですか?」
「いや、自分で見てください。ビッグニュースですよ!」
胸騒ぎがする。蔡振華が脱税で捕まって自殺したとか、はたまた米国大リーグの最終戦を仙台での卓球勝負に決定したとか、何か途方もないことが起きたのだろうか。

「今、パソコンを見れないんで、教えてください」
「ダメ。自分で見てください。びっくりしますよ。」
「待てませんよそんなの!ぜーったい今教えてください!」
「しょうがないなー。あのね、ヤフーのトップニュースでね、オバマ大統領とキャメロン首相が卓球してるんですよ」
「ああ、そうですか。それで・・ええっと・・何ですか?」
「いや、それだけなんだけど。卓球は国境を越えたってことで。ガシアン、シーラ以来の左左のペアだし。」
「あー・・。そうですか。あー。」
「何そのガッカリした感じ。なんかムッとするんだけど」

というようなやり取りがあったのだった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110525-00000802-reu-int

ともかく、英国を訪問したオバマ大統領がキャメロン首相と卓球をしたようである。

「スーッ」

今朝、会社に入るときに、守衛さんたちが「おはようございまーす」と挨拶をしているのに対して、社員たちがどのように返事をしているか耳を澄ましてみた。

一番多いのは「おはようございます」を省略して、その最後の音だけを「スーッ」と発音する人だ。

以前、アメリカから長期出張に来ていた人に「スーッてどういう意味なんだ?」と聞かれたことがある。そこで私は、真面目ぶって「あれは19世紀の産業革命の象徴である蒸気機関の、蒸気が漏れる音を再現しているんだ。自分が朝からエネルギーに満ちていることを表現しているんだよ」とデタラメを教えてやったものだった。

今朝、そのことを思い出して、よくもそんなバカバカしいことを言ったもんだとニヤニヤしながら歩いた。どこにいるよそんな奴。だいたい漏れちゃダメだろ蒸気。

もちろん私は普通に「おはようございます」と言う。

急ピッチの仮設住宅

仮設住宅がここ数日で物すごい速さで完成しつつある。なんだか電柱まで立ててすでに電気まで来ているようだ。興味本位で中をのぞいてみたいが、さすがに気が引ける。私は関東の人からは被災者として扱われるが、実は私自身はたいした被害を受けておらず、どこか他人事の気持ちがあるのだ。これは外国から見れば日本人全体が被災者として扱われ、被災していない地域の人が「がんばって」と言われてちょっとムズムズするのと同じ状況だ(想像)。

私の立場を逆に被災者側にシフトして考えると、避難所暮らしの人たちの間でも、家族が亡くなった人と全員無事だった人で感覚が違うだろうし、家族を亡くした人でも、生き残った人が亡くなった人に対して感じる感覚にもまた同様のズレがあるだろう。立場が違う人の感覚は想像はできても本当には感じることは難しいのだと思う。