金曜は、アメリカから出張にきたスティーブの歓迎会だった。スティーブは、私がアメリカに赴任していたときに同じ工場にいた同僚で、今はメキシコとの国境近くの工場に転勤になっていて、そこから日本に出張に来たのだ。およそ1年半ぶりの再会だった。
飲み会では私はスティーブの正面の席だったのでいろいろ話したが、宗教について聞いてみた。私はアメリカにいたときには何人もの同僚に同じことを聞いてきたのだが、いつも答えは同じで、強烈なクリスチャンばかりだった。南部だから仕方がないとはいえ、100%そうなのだ。一人ぐらい「俺は神なんか信じない」という人がいてもよさそうなものだが、今までそういう人は一人もいなかった。
スティーブにもあまり期待せずに「クリスチャンだよね」と聞くと「ノウ」と言うではないか。「じゃ何教?」と聞くと「宗教は持っていない。無神論者だ。日本人と同じだ」と言うではないか。私は嬉しい驚きで、そういう人は初めてだと言うと「俺は正直なんだ」と言う。スティーブによれば、南部であっても実は心の底から神様を信じている人ばかりではくて半信半疑の人もいるが、「信じていない」と言うと、万が一神様がいるときにそれを神様が見ていて地獄に落とされる可能性があるので、それを恐れて「信じている」と言うのだそうだ。神様が本当にいるのなら、口に出して言おうが言うまいが心の中もわかるわけだから、そんなことは問題にならなそうなものだが、さすが、イエス・キリストという実在の人間を神様扱いしているだけあって、神様をリアルな存在としてとらえているのだろう。
スティーブは、聖書とか神様なんてどう考えたって有り得ない、そんなもの信じる奴はバカだと、stupidとbull shitを連発していた。私が、特に強烈な信仰心を表明していたかつての同僚たちの名を上げると「そりゃあいつらは特別バカだもの」と語った。実際にはバカな人ばかりではないところが難しいところだが、まあ小さい頃から教え込まれたことを否定するのは難しいものだろう。どんなに矛盾があろうともそれらを見て見ぬふりをして信じたいことだけを信じられるのが人間なのだ。
居酒屋で出されたお通しは、タコの刺身に小豆が混じったものだった。アメリカ人にとっては悪夢のような組み合わせだ。スティーブは意を決して食べていた。