代理店のKさん代理店のKさんという方と仕事でお会いし、車の中で2時間ほど話した。Kさんはすでに定年を過ぎているのだが、請われて働いているということだった。
人生の話になると、なんとKさん「私はもういつ死んでもいいんです」と言う。たいしたことをしてきたわけではないが、特に思い残すこともないし、楽に死ねるなら本当にいつ死んでもよいという。私はそこまで達観していないので、そんなことを言えるKさんに対して少々卑屈な気持ちになった。
「私はそこまで達観できません」と言うとKさんは「そりゃ伊藤さんはまだ48だからまだまだでしょ」と言う。そうだろうか。Kさんの65歳までたったの17年ではないか。17年の長さはどうかと17年前を振り返ってみれば、1995年で、天津で中国がスウェーデンの4連覇を阻止し、孔令輝と劉国梁が決勝を争ったときではないか。冗談ではない。ついこの前だ。あっという間ではないか。たったそれだけの時間を生きたらKさんのように達観できるだろうか。
そのような疑問をKさんにぶつけると、聞いたこともないような意外な話が返ってきた。「歳をとると時間は長く感じるんです」とのことだ。Kさんによれば、歳をとると、よっぽど特別な趣味や才能がある人を除けば、できることがどんどん少なくなってあまり活動をしないので、とにかく暇で時間が長く感じるのだという。だから、55歳あたりから現在まではとても長く感じ、もう沢山だという気持ちだという。
この感覚はKさん独特のもので、他の人には当てはまらないかもしれないが、たまたま私に当てはまるかもしれない。そのように考えるとちょっと気が楽になった。含蓄のある話を聞けてよかった。
Kさんの車には、電子機器マニアの同僚が頼みもしないのに勝手に社有車に取り付けた「余計なお世話」のカーナビだかレーダー探知機だかがついていて、交差点にさしかかる度に「事故が発生した場所です」と車が炎上する映像を流していた。「バカバカしい」とKさんは語った。