年別アーカイブ: 2013

古い卓球の本

古い卓球の本の蔵書を眺めて過ごしている。卓球本のコレクションはもう20年ほどやっているが、インターネットの登場によって、それ以前では考えられないほど貴重な本が手に入るようになった。

中には貴重とはいえないまでも、こういう味わい深いものもある。

しかしなんといっても、もっとも貴重なのは、卓球が日本に伝来した明治35年(1902年)に発行された、伊東卓夫の『ピンポン』だ。

題名が「卓球」ではなく「ピンポン」なのは、この時点ではまだ「卓球」という言葉がなかったからだ。卓球という言葉が考案されるのはこの16年後のことだ。したがって著者名が卓夫なのはまったくの偶然である。

なお、上の写真は大正9年に発売された第5版であり、私は明治35年の初版は持っていない。そこで国立国会図書館に申し込んでコピーを手に入れた。インターネットで申し込むと、誰にでも有料でコピーをして郵送までしてくれるのだ。なんと素晴らしいシステムだろうか。著者が亡くなって50年経っていないと、著者の許可がない場合には、全ページの半分まで、50年以上経っていると全頁のコピーをさせてもらえる。

そうやって手に入れた明治35年版のコピーが下の写真だ。

いろいろと興味深い記述があるので、これは卓球王国の記事にしようと思っている。

それから、日本で最初の全日本チャンピオン、鈴木貞雄の書いた「卓球術(How to play ping pong)大正10年」も貴重だ。

鈴木が優勝した全日本選手権は、実は今の全日本選手権とは違う。日本卓球界の黎明期には、卓球協会が乱立して互いに対立していたのだ。大正10年(1921年)に大阪に「大日本卓球協会」ができたのを始めとして、昭和2年(1927年)には、「大日本卓球協会」「大日本卓球連盟」「全国卓球連盟」「帝国卓球協会」の4つが乱立し、1930年には3つの団体が別々に全日本選手権を行っている。これではいかんということで、昭和6年(1931年)に文部省の斡旋によって既存団体がすべて解散させられ、ひとつに統一されたのが今の日本卓球協会の前身である「日本卓球会」なのである。

鈴木貞雄は、統一される前の日本で最初の団体である「大日本卓球協会」が主催する第一回全日本選手権(大正12年)の優勝者なのだ。だから、今の日本卓球協会の歴史のどこにも鈴木の名前は出てこない。しかし、鈴木は、オールロング打法の創始者である。明治35年に日本に伝来した卓球が、最初期には遊戯として普及し、その後20年を経て、ロング、ショート、カットが並立する近代スポーツの形を成した時代の最初の選手として、鈴木貞雄の名前は記録に残されるべきなのだ。

さて、こんな話おもしろいかな?

荻村伊智朗の眼力

かつての1980年代、日本には『卓球日本』という日本卓球協会の機関誌があった。そこで荻村伊智朗が毎月、昔話に筆を振るっていたのだ。

1980年12月号では、「世界で最も強かった男」と言われたチェコスロバキアのバーニヤという選手の眼力について書いている。荻村は小学校のときから人を正視する訓練をいやというほど受けていたので、バーニヤの眼力を見て只者ではないことがわかったという話だ。私など生前の荻村に会ったら、一体なんと言われたのだろうか。いろんな意味で恐ろしい(すべてを見透かされても嫌だし、まったく的外れなことを言われて気まずくなるのもまた恐ろしい)。

こうやって面白がりながらも、最後にある、次のような文章には感動で身を震わせてしまう。私にとって荻村伊智朗とはそういう人なのだ。

「勝つ時は誰でも精神が高揚していて、その姿はみごとであり、雰囲気は輝いており、絵になるものだ。負ける時にその精神がいつまでも記憶され、その姿が絵になる選手は本当のチャンピオンと言えよう。世界のチャンピオンでなくともよい。県の、市の、村の、クラスの、たった二人の間のチャンピオンでもよい。ローカルチャンピオンであっても同じである。やがて、だれでもそのチャンピオンの座を降りる時がくる。そのような時、私たちがどのように振るまうかが大切なことなのだ、と私はバーニヤから学んだのであった。」

荻村伊智朗の記事

年末の休みでゆっくりしているので、普段見ないような蔵書を眺めている。そこで目についたのは、以前、大宅壮一文庫に注文をしてコピーを手に入れた荻村伊智朗関係の記事だ。

1991年6月7日の週刊朝日には次のような記事が載った。荻村が亡くなる3年前で、統一コリアチームの女子が中国の8連覇を阻んで大成功に終わった世界選手権幕張大会の翌月の記事だ。

「国際政治のバックステージでロングドライブを放つ五十八歳の信念 荻村伊智朗」だそうだ。

記事ではIOC委員の岡野俊一郎という人の荻村についてのコメントが載っていた。

「とにかく、酒が強くてタフなことに驚きます。北京のアジア大会のときでも、パーティーを終えて、二次会、三次会の後、ホテルの僕の部屋で三時すぎまで飲み続けて、ウィスキーをぐいぐいと一本以上飲んだんじゃないかな。それでいて、今日北京にいたと思ったら、次の週には平壌にいて、翌週はヨーロッパにいる。俊敏ですね。先日もサマランチ会長とある席をともにしたんですが、彼は芸者の踊りや小唄の意味をその場で通訳したり、なぜ日本が海外派兵できないかを、明治憲法から説き起こして説明していた。『彼は百科事典だ』といったらサマランチさんもうなずいていましたよ」

明治憲法からか・・・それは敵わんなあ。最後には荻村自身の言葉として次のような文章が載っていた。

「われわれの卓球ニッポンのころの実力をいまと比べるのはナンセンスです。ラケットなどがハイテクになって、機材が全然違うから。ただ、私は二年前に沖縄国体の優勝者に、一ゲームだけですが勝ちましたよ。もちろん、そのときは関節はガタガタになって、もうトーナメントでは駄目ですね。しかし、六十歳近い人間が勝てるってことはどういうことかってことですね。いまだって自信がありますよ。世界チャンピオンになった人間はだれだってね。」

だそうだ。いったい、何を言いたかったのだろうか。この荻村に負けた国体優勝者が誰なのか、どうやって負けたのかぜひとも知りたいものだ。

昔の自分に言いたいこと

昨夜は、職場関係のメンバーと今年何度目かの忘年会をした。

参加をしたTさんは、最近テレビだかネットだかで見た「同性の俳優の顔になれるとしたら誰になりたいか」というアンケート結果の話をした。その結果、1位になったのは男性は福山雅治で、女性では北川景子だったという。このとき女性の名前がなかなか思い出せず、オーダーをとりに来た女性店員に「○○のコマーシャルに出ている人、なんていう名前でしたっけ?」と聞いて、その店員に話しかける機会を作るという、高度な技術まで披露した。

さて、自分なら誰になりたいかという話になったが、Tさんも私も「自分以外の誰にもなりたくない」というものであった。そこから幼少時代の話になった。

Tさんは子供の頃、何をやっても他人よりうまくできず、自信のないもんもんとした少年だったという。異性を意識するようになる中学生時代にはそれがさらに極端になり、大学時代にはその反動で「ポパイ」などを読み漁って「こうすればモテる」という記事を本気にして自分に合わないことをやっていたのだという。女性とデートをしたときに車のトランクから薔薇の花束を出して引かれたり(もちろん付き合ってもいないのにだ)、思い出すとギャッと言いたくなるようなことをしていたそうだ。

最近、そういうことを思い出すにつけ、子供のころの自分に会って「自分らしくあれ」と言ってやりたいという。

一見、月並みな台詞だがこれは私にも響いた。思えば私も大学生の頃はアイビールックに身を包み、革靴などを履いたり、ときには襟なしシャツなどを着たりしたものだ。ところが、それらの施策が実を結んだと実感したことは一度もなかった。何事も自分に合わないことをやってもダメなのだ。そのようなことに気づいたのはずっと後のことだった。

私も若い頃の自分に言いたい。「似合わないことは止めろ、そんなことをしても無駄だから別のことをがんばれ」って。

タクシー・ドライバー

私の好きな映画の中に『タクシー・ドライバー』というのがある。

それとは関係がないが、最近乗ったタクシーの運転手が変わっていた。こちらが「次を右に曲がってください」などと道案内をすると、曲がるたびに「はい、右に曲がりましたー」と言うのだ。何の確認のつもりか知らないが、こちらが泥酔しているわけでもないのにいちいち状況を説明するのだ。私はこういう、口癖のようなものがとても気になるタイプなのでもう二度と聞きたくない気持ちになった。それで、家の近くに来て立て続けに曲がる場所にきたとき、「はい曲がりましたー」と言わせないように矢継ぎ早に指示を出してそれを防ぐことに成功した。

しかし最後に止めてもらったとき「はい街灯の下です」と言われてしまった。くそー。

不必要な確認といえば、コンビニの店員だ。支払いをしようとカードを出すと「カードからでよろしかったですか」ときたもんだ。カードを出しておいて実は紙幣で払いたいなどという可能性があると思っているのだろうか。

今野編集長の災難

今野さんから気の毒な話を聞いた。大阪で行われていた世界選手権代表選考会の帰り、男子ナショナルチーム監督の倉嶋洋介氏を乗せて車で東京まで帰ってきたらしいのだが、車中、倉嶋氏が「フライデー読みましたよ」と言ったという。

「何のこと?」と今野さん。「とぼけないでくださいよ。アレ、今野さんでしょ?」と倉嶋氏。詳しく聞いてみると、12/20発売の写真週刊誌フライデーに、ユース五輪の選考をめぐる揉め事の記事が載っていて、その中に「卓球専門誌記者」のコメントが出てくるのだという。それがかなり協会に批判的なコメントなのだが、卓球王国のウエブや雑誌で今野さんがこの問題を何度か書いていることから、これは今野さんだと思われているというのだ。

思い返してみると、今回の取材中、協会の人たちがどことなくよそよそしかったという。なんとも気の毒な話だが、正直、面白い。卓球専門誌といえばメーカー誌以外には卓球王国ぐらいしかないのだから「この記事を読んだら自分でも俺だと思うよな」と今野さん。「卓球界の90%以上はこれ今野さんだと思ってますよ」と倉嶋氏。

実際は、今野さんは、週刊誌の取材はすべて断っているという。昔は、何か有名になるような気がして喜んで取材を受けていたのだが、結局、悪い発言ばかり取り上げられてロクなことがないことがわかったので、断ることにしているという(しかも名前も「金野」などと間違われる始末らしい)。

それにしても、取材を受けた「卓球専門誌記者」とは誰なのだろう。といって、それほどひどいコメントをしているわけでもないので、まあ騒ぐほどのことでもない。

ただ、今野さんは「俺じゃないって!」ということなので、代わりに私がこんなところでひっそりと書いてあげる次第だ。

超能力者と幽霊

年末の恒例番組、ビートたけしの超常現象スペシャルを見た。まあまあだったが、超能力パフォーマーとして出てきたウェイン・ホフマンという人には困った。超能力者という触れ込みなのだが、やったのはすべてマジックだった。テレビ番組のやらせを問題にされることがあるが、ああいうものをマジックだと注釈をつけずに放送したらかなりの人が「超能力ってあるんだ」と思うだろう。そして、それを食い物にする商売のカモになってしまうのだ。信じるのは自分の責任だとはいっても、嘘の情報を流しておいて自己責任とはあまりにもひどいと思う。これは一種の詐欺である。実害があるという点で、ブラックタイガーを車海老だと偽装するよりも性質が悪いと私は思う。

こういう明白な嘘を意図して放送したら罰則を設けるぐらいの規制が必要だろうと思う。

幽霊が映った映像というのもひどかった。肉眼では見えない幽霊がカメラに映ることを不思議に思わない人がいるようだが、人間の網膜とカメラの撮像部分に像が映るメカニズムはまったく同じなのだからそんなことはあり得ない。仮に霊魂が直接電子回路に働きかけて自分の姿を映したと考えると、その霊魂はデジタル記録にかかわる電子回路やプログラムに精通していなくてはならない。生前、さぞ優秀なエンジニアだったか、あるいは霊界で教育でも受けたのだろう(笑)。

幽霊のくせに眼鏡をかけているのもいたから、おそらく眼鏡にも霊があるのだろう。もちろん衣類にもだ。もともと生きていない鉱物や化学繊維にも霊魂があるというのだから豪華な話である。

ゲストたちが幽霊の映像とやらを見てはきゃーきゃー騒いでいたが、いい大人が何を怖がっているのだろう。霊魂があるならこれほど結構なことはない。死を恐れなくて済むからだ。運悪く幽霊に呪い殺されたとしても霊魂があるのなら自分も幽霊となって死後の世界を楽しめばよいだけではないか。

どう考えたって幽霊がいないことの方が底なしに恐ろしい。だれか早く幽霊がいることの間違いのない証拠を見つけてほしい。

キラ星の如く

先日、NHKで和食関係の番組を見ていたらとても興味深い場面に出くわした。

登場した料理人が、尊敬する人たちのことを「キラ星のような人たち」と表現をした。これは誤用である。世の中にキラ星などというものはない。キラとは綺羅、つまり綺麗な衣装のことなのだ。綺麗な衣装をまとった人たちが星のように大勢いる様が「綺羅、星の如し」である。この誤用はもはや誤用とは言えないほどに定着しているので、料理人が間違えるのは仕方がない。

面白かったのは、料理人がこの誤用をしたちょっと後に、ナレーターがまったく正しい用法で「綺羅、星の如し」と言ったことだ。これは「スタッフはちゃんとわかってるよ」というNHKの表明であるに違いない。さすがに料理人に「それ、誤用なので言い直してください」とは言えないし、かといって放置すれば、うるさい視聴者(私はやりません)から「間違った日本語を放送するな!」と苦情が来るかもしれない。これを巧妙に回避するために文脈上不要なのに、わざわざこの台詞を使ったのだ。

いろいろと気をつかっているなあとニヤリとさせられた。

忘年会

昨夜は仕事関係の忘年会だった。ありがたいことに、このブログを毎日チェックしているという方もいて、マメに更新しないとダメだなあと思った次第だ。

忘年会では、この日のために新しく用意をした手品の新ネタでイリュージョンをぶちかまし、これまでで最高のウケをいただき、大満足であった。

また、私ではないが、忘年会にありがちな股間からイリュージョンを発揮している男もいて、そちらも大盛り上がりを見せた。女性もいたが喜んでいたのでセクハラではないだろう。

私は二次会ではマジックのために用意したカツラをかぶってスターリンとルースターズを熱唱。いい時代になったものだ。

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