古い卓球の本の蔵書を眺めて過ごしている。卓球本のコレクションはもう20年ほどやっているが、インターネットの登場によって、それ以前では考えられないほど貴重な本が手に入るようになった。
中には貴重とはいえないまでも、こういう味わい深いものもある。
しかしなんといっても、もっとも貴重なのは、卓球が日本に伝来した明治35年(1902年)に発行された、伊東卓夫の『ピンポン』だ。
題名が「卓球」ではなく「ピンポン」なのは、この時点ではまだ「卓球」という言葉がなかったからだ。卓球という言葉が考案されるのはこの16年後のことだ。したがって著者名が卓夫なのはまったくの偶然である。
なお、上の写真は大正9年に発売された第5版であり、私は明治35年の初版は持っていない。そこで国立国会図書館に申し込んでコピーを手に入れた。インターネットで申し込むと、誰にでも有料でコピーをして郵送までしてくれるのだ。なんと素晴らしいシステムだろうか。著者が亡くなって50年経っていないと、著者の許可がない場合には、全ページの半分まで、50年以上経っていると全頁のコピーをさせてもらえる。
そうやって手に入れた明治35年版のコピーが下の写真だ。
いろいろと興味深い記述があるので、これは卓球王国の記事にしようと思っている。
それから、日本で最初の全日本チャンピオン、鈴木貞雄の書いた「卓球術(How to play ping pong)大正10年」も貴重だ。
鈴木が優勝した全日本選手権は、実は今の全日本選手権とは違う。日本卓球界の黎明期には、卓球協会が乱立して互いに対立していたのだ。大正10年(1921年)に大阪に「大日本卓球協会」ができたのを始めとして、昭和2年(1927年)には、「大日本卓球協会」「大日本卓球連盟」「全国卓球連盟」「帝国卓球協会」の4つが乱立し、1930年には3つの団体が別々に全日本選手権を行っている。これではいかんということで、昭和6年(1931年)に文部省の斡旋によって既存団体がすべて解散させられ、ひとつに統一されたのが今の日本卓球協会の前身である「日本卓球会」なのである。
鈴木貞雄は、統一される前の日本で最初の団体である「大日本卓球協会」が主催する第一回全日本選手権(大正12年)の優勝者なのだ。だから、今の日本卓球協会の歴史のどこにも鈴木の名前は出てこない。しかし、鈴木は、オールロング打法の創始者である。明治35年に日本に伝来した卓球が、最初期には遊戯として普及し、その後20年を経て、ロング、ショート、カットが並立する近代スポーツの形を成した時代の最初の選手として、鈴木貞雄の名前は記録に残されるべきなのだ。
さて、こんな話おもしろいかな?