ストラディヴァリウス〜魔性の楽器 300年の物語

昨晩、NHKスペシャルでストラディヴァリウスの番組を見た。昨年11月に放送された58分の『ストラディヴァリウスの謎』に、未公開映像を追加して作った89分の豪華版だ。

これがとても面白く久しぶりに知的興奮を覚えた。何が面白いって、前回よりも科学的な計測やヴァイオリン製作者やヴァイオリニストが沢山でてきていろいろと調べたりストラディヴァリウスへの愛情を語ったのだが、前回このブログでも取り上げた「ヴァイオリン製作者と専門家がストラディヴァリウスと他のヴァイオリンのブラインドテストをしてもさっぱり当たらない」という、もっとも重要な、ストラディヴァリウスの謎の根幹にかかわる部分がすっぱりと削除されていたことだ。こんなに面白いことがあろうか。

新たに加えられていた映像にも素晴らしい話があった。「希代の天才ヴァイオリニスト」と言われるマキシム・ヴェンゲーロフという人の話だ。彼はストラディヴァリウスを使っているのだが、あるコンサートのときに愛器の音が思ったような音が出なくて苦労したという。ところが休憩時間に母親がその愛器に何かを囁きかけると、驚くべきことに後半は最高の音を出したのだという。囁きかけて楽器の状態が変わるはずはないので、彼の弾き方が変わったのか、あるいは出ている音は同じなのに彼の感じ方が変わったということである。同じ日に同じ楽器を弾いて楽器に対する評価が変わるのだから、演奏の再現性がないにせよ音の感じ方の再現性がないにせよ、いずれにしても、彼には「楽器の微妙な違い」を認識する能力がないことを明確に示している。したがって、そういう人がストラディヴァリウスの音を絶賛してもほとんど意味がないということになる。

前回の放送と合わせて考えると、ストラディヴァリウスの謎はとっくに解けている。ストラディヴァリウスと他のバイオリンに違いなどない。実態のない違いの正体を追い求めているために、いくら科学的研究をしても答えが見つからないのだ。これが謎の正体である。バミューダ三角海域やナスカの地上絵、ミステリーサークルと同じく、謎などないのに、あると思いたい人たちとあると都合がよい人たちがあることにしているだけなのだ。

それにしても、興味深いのはNHKの人たちがどういう考えで前回と今回の番組を作ったのかだ。彼らは「専門家でもブラインドテストで違いが判らない」という取材をした段階で「音の違いはないんだな」と思ったはずである。この場面を掘り下げると「音の違いがないのだからストラディヴァリウスに謎などない」という結論になってしまって番組が成り立たない。かといって削除してしまうのは良心が咎めるので、「わかる人にはわかる」ようにこの場面をあまり掘り下げずにあっさりと流し、なおかつ「わからない人」には「専門家でも音の違いがわからない」ことすら謎のひとつに印象付けるという、いわば「両面待ち」の考え方で製作をしたのではないだろうか。

そんな秀逸な判断で前回の58分版に入れたこの場面を、今回の89分版から削除したのは、この5か月の間に何事かを考え(笑)、誤った印象を流布しないという良心よりも、作品の面白さを優先する決断をした結果なのだろう。そのかわりに採用されているヴェンゲーロフのオカルト話が、わずかな良心の痕跡ということだろうか。

あるいはそもそもここに書いたような理屈がピンとこない人たちばかりで、なんとなーく気分次第で作った結果なのだろうか。それはそれで愉快な話ではあるが、さすがにNHKに入る人たちでそれはないだろう。すべてわかった上で、良心と作品の面白さの狭間で逡巡した結果だろうと思う。

そういうことを考えさせられた面白いNHKスペシャルであった。

ストラディヴァリウス〜魔性の楽器 300年の物語” への 6 件のコメント

  1. 卓球王国 6月号のようこそ卓球地獄へのコラム まさにその通り!とニヤニヤしながら読み終えました。気がつけば 私も6~7年経ってましたね。(笑) 最近では技術向上を用具に頼ろうとジタバタ 悪足掻きは無駄を実感! ’楽しく 楽しく’と自分に言い聞かせながらやってます。

  2. >もっとも重要な、ストラディヴァリウスの謎の根幹にかかわる部分がすっぱりと削除されていたことだ。こんなに面白いことがあろうか。

    前回と今回では番組タイトルから「謎」が消えているように,
    力点が全く違います.
    ブラインドテストには,全く触れなかったし,
    音の飛び方に違いが出た,という部分もあっさり流してます.
    前回は「違い」に力点を置いてたのに対し,今回は謎を探る試みや人々をたくさん紹介し,違い(というより偏愛)はヴァイオリニスト達に存分に語らせています.
    NHKスペシャルがETV特集に場を変えたので,このような変化は予期していましたが,楽器改変の事実にも触れていたのがよかったと思います.200年以上以前に作られたヴァイオリンで現在使われているものは,普通は改造されていて元のままではないのです.

    お書きになっていることで,
    >ストラディヴァリウスと他のバイオリンに違いなどない。

    というのはどうでしょうか?
    音の飛び方の違いが何を意味するのかわからない,というのが現状だと思います.「ブラインドテストで違いが出ないのだから,
    そんな違いは意味がない」ということでしょうか?

    1. おしゃるとおり、力点が変わっています。
      その結果、「誤った印象を流布しない」という良心よりも、作品としての面白さを優先したことになっているのです。

      専門家がブラインドテストで違いが判らない音の違いには何の意味もありません。
      よい音を出すと思われているからこそ人々を魅了しているのであり、良い音を出す原因が謎であるわけなので。
      ところがブラインドテストの結果は、正答率は20~50%であり、むしろストラディバリウスの方が
      音が悪いと判定された可能性さえあるのです。
      となるとこれ以上の分析をするということは、ストラディバリウスの方が音が悪い理由を探すことになりますが、
      そんなことに意味がないのは言うまでもないでしょう。

  3. 結局、いい楽器だといい音がするに違いない、というオカルトなだけですな。
    それを真面目に取り上げるとこういう破綻した番組になるので、
    「いい音を信じる人の物語」にしてしまうしかないと。
    いい楽器という定義も単に有名な人が作ったとか有名な人が演奏したとか、
    結局そういうことでしょう。
    最初に結論があって、それに合わせて物語を作るのです。

    1. 違いなどないのに壮大な思い込みにもとづいて人生をかけて研究している人たちがいる、という物語でも十分に面白いと思うんですけどね。
      大衆に真実を知らせるという啓蒙の意味もありますし。
      ただ、このバイオリンにまつわる経済効果とか今後の音楽家との関係上、立場が悪くなるとかそういう判断をして作品の「力点」を変えたのかもしれませんね。
      「前回の内容ではまずい」と。

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