最近ネットで、卓球台がブルーになった理由が書かれていた。
http://news.aol.jp/2015/09/07/tamori/
あるテレビ番組の内容が紹介されているのだがそれによると「1980年代後半の、『笑っていいとも!』という番組にミュージシャン・織田哲郎が出たときに、タモリが、”あれって根暗だよねー”という一言を言ったのがキッカケで中学生の卓球部に入部する人数が激減するいう事件が起き、そのためにメーカーが台の色を変えた」のだそうだ。
これはかなり事実と違う。
まず、タモリが卓球を暗いと言い出したのは1980年代前半だ。遅くとも1984年には教職を取るために教育実習に行った卓球同好会の同輩が、女子中学生から「なんで先生は卓球なんて暗いスポーツをやってるんですか?」と理不尽な嘲笑を浴びて帰ってきている。
このため1980年代半ばには卓球部員の激減が起こり、その対策として日本卓球協会が「卓球発展計画プロジェクト」を発足し、改革に乗り出したことがテレビで報じられたのが1987年だ。その年の12月の全日本選手権の会場で、オレンジのボールにブルーや白の卓球台が披露されている。
これに対して『笑っていいとも』に織田哲郎が出たのは1988年8月26日。タモリはそこで卓球を暗いと言いつつも、過去に自分がその発言で叱られたことをネタにすると同時に、卓球協会が行っている改革を紹介しているのだ。
よって、テレビで放送された内容のうち「卓球台の色がブルーになったのがタモリのせいだ」というのは本当だが、それ以外の詳細がデタラメなのだ。
私はそれらの関係映像をすべて持っているので間違いない。
ちなみに、卓球台の色についてはもっと面白いウンチクがある。長い間日本の卓球台が暗緑色だったのは、国際ルールの原文にあるdark colourを「暗い色」と誤解したからだ。dark colourは「濃い色」と言う意味で、暗い色ではなかったのだ。だからヨーロッパではやけに明るい緑の卓球台があったのだが、誰もそれには疑問を持たなかったのだ。
日本卓球協会が卓球の改革に乗り出すにあたり、ルールを変えようとして国際卓球連盟の用具委員長ラフォード・ハリソン(ハリソン・フォードじゃないぞ)と話したときに「日本ではなぜもっと明るい色にしないのか」と逆に聞かれて初めて誤訳が明らかになったというエピソードがある。
なお、1902年に日本で初めて発売された卓球の本「ピンポン(伊藤卓夫)」および1924年の「卓球術(鈴木貞雄)」には卓球台の色は「濃緑色」と書かれている。ところが1941年の「卓球その本質と方法(今孝)」では国際ルールとして「無反射暗色」、日本ルールとして「暗色ただし濃緑色を標準とす」となっている。
ここから状況を推測すると、この時期にルールの原文dark colourを見た人が、それまでの濃緑色が誤訳だと思い、気を利かせたつもりで暗色と訳し直した。しかし国内ではすでに濃緑色に定着しているので、国内だけは両方の表現を入れた。
当時の国際ルールの英語の表現がどうなっていたかわからないので、確実なことは言えないが、一つの可能性としてこのようなことが考えられるのではないだろうか。