昨日、卓球本の自慢をしたところ、卓球本は羨ましくないが、こんなに無駄なスペースを使えるほど部屋が広いことが羨ましいという思わぬコメントをいただいた。
そういえばそうかもしれない。
会社に入ったころ、上司に「家を建てるときはデザインなど気にせずにとにかく大きく建てること」と自分の失敗談を例にあげて力説された。
結婚したばかりで子供もいないときは小さい家でいいと思うが、将来、必ず狭いと感じるようになる、それから増築などしたら大変なお金がかかる、外見など住んでしまえば忘れるからどうでもいいことだ、騙されたと思って絶対に大きく建てろとのことだ。
家は、凹凸があるほど割高になるから、上から見て長方形で一階と二階が同じ面積のいわゆる「総二階」が絶対に良いとのことだった。
これほど納得できる明快な指針を与えられたら従わないわけにはいかない。その何年か後に家を建てるとき、私は忠実にこれを守り、完全に間取りが決まっている大きい倉庫のような家を安い粗悪品で有名な建設会社に頼んで建てたのだ。これはまったく正しい判断で、この一点だけは今でもその上司に感謝している。
おかげで3人の息子に個室を与えてもなお2部屋余り、誰も使わない卓球台は物置と仮している。
家人が必ずしも納得していないことが辛いところだが・・・人は何かを得れば何かを失うのだなあ。
そうでしょう、そうでしょう(笑)。それが幸福というものです。その上、人があまり羨ましがらない(と思われる?)未整理の卓球本の山に満足しているのだから、言うことありませんね。
追伸:昨日、高校の卓球部OB・OG会が開催され、「最近の卓球について」のパネルディスカッションに出演したので、「日本一の卓球コラムニスト伊藤条太」のコラムを紹介させていただきました。