私のビートルズ体験

ビートルズを知ったのは中二のとき、1977年だった。新聞のテレビ欄で「今世紀最初で最後の日本公演再放送」という宣伝を見たのだ。1966年の日本公演をなぜだか今世紀中にはたったの一度しか再放送できない、それが今夜だというのだ。当時の私にとって「今世紀」という言葉は「永遠」と同じ長さだった。私は音楽といえばテレビドラマ『赤いシリーズ』のピアノ曲から影響を受けてラジオのクラシックを録音して聞たりしていたがロックは興味がなかった。
新聞の宣伝につられて、とにかく凄いんだろうということで、テレビの前にモノラルラジカセをおいて録音をした。そのときは特に良いとも思えなかったが、後々聞いているうちに段々とよくなってきた。

それで、隣町に一軒だけあったレコード屋にレコードを買いに行ったが、ビートルズのレコードがなかなか見つからない。店員が「何を探しているのか」と聞くので「ビートルズです」と答えると、店員はクラシックのピアニストがビートルズの曲を演奏したレコードをいくつか紹介した。そこはクラシックのコーナーだったので、店員は当然私がそういうものを探していると思ったのだろう。
あきれたことに私はそのうちのひとつを買ってしまい、家に帰って解説を読んで初めてそれがビートルズのレコードではないことに気がついたのである。なんという不注意。私は自分の情けなさの腹いせに、その間違って買ってしまったピアニスト「フランソワ・グロリュー」へ腹を立てたものだった。

中学生の卓球の指導をしたときに、「自分で考えてみな」とか「これくらいのことは気づかないといけない」などと言ったりしたが、私自身の中学生時代を思うと、本当に何か夢を見ているようなわけの分からない状態だったと思う。どこをどう間違えればピアニストのレコードを買ってしまうんだろう。情けない。

何日か後に「今度こそ本物のビートルズを買う」とレベルの低い決意をしてレコード屋に行った。ビートルズが置いてあるコーナーを店員に聞いて、やっとビートルズのレコードを見つけたが、アルバムどころか実は曲名さえ知らない。やみくもにレコードを見ていると「ペイパーバック・ライター」という聞き覚えのある単語が目に入った。これだ!あれはPaperback Writerと歌っているのだ!と狂喜した。それでこのシングル盤を買ったのだが、その解説を書いていたのが、誰あろう日本のロック評論史を変えたカリスマ、渋谷陽一だったのだ。その短い解説の中には名盤『ラバー・ソウル』のことが意味深に紹介されていた。
それで『ラバー・ソウル』を買ってみると、そこでも渋谷陽一が解説をぶちかましていた。そこにはメンバーの個性、舞台裏とともに、『リボルバー』だの『サージェントペパー』だのという目くるめく名作の単語が踊り、ビートルズというものが単なる音楽にとどまらず、のめり込むにふさわしい深遠な世界がこの先に広がっていることが暗示されていたのだった。私がビートルズにのめり込むことはもう決まったようなものだった。

それから30年が経ち、永遠に感じられた20世紀も終わったが、信じがたいことにまだビートルズに飽きていない。それどころか当時は見れなかったビデオが当たり前になり、CDが出てDVDが出てインターネットができて、未発表曲やら未公開映像やら研究本やらが次々と出てきて、ますますその楽しみは増すばかりだ。楽しい人生である。