荻村が書いた正反対の文章も当然載せておかなくてはならないだろう。
『私のスタンディングオベーション』(日本卓球株式会社刊)の冒頭にそれはある。
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天才に錬金術はない。
ダイヤモンドの原石を持った人だけが、その才能を磨いて、磨いて、磨き抜いて、輝かしい光を競いあうことを許される。その場が世界選手権大会なのだ。
「一たび球界にゲーテいずれば、いかに多くの選手たちが無名の詩を綴らねばならぬことか。」と竹内孟は彼の小説に詠った。高校生の私は、その言葉に慄然としたことを覚えている。
さあ、誰でも努力すれば世界チャンピオンになれるというのと、才能がある人しか世界チャンピオンにはなれないというののどちらが真実だろうか。おそらく後者なのだろう。しかし、肝心の才能が何を指すのか誰にもわからないのだから(わかると思い込んでいる人はともかく)、その有り無しも当然わかるわけがなく、まあ、意味のない議論ということになろう。