カテゴリー別アーカイブ: 未分類

卓球教室+学習塾

元卓球王国編集部員の小川勇気さんが、地元の諫早市で、ユニークな卓球場を開いた。卓球教室と学習塾を合わせたものらしい。

http://www.ogawa-ttss.com/index.html

実は私も似たようなことを妄想したことがあるのだが、実現する人がいるとは思わなかった。ぜひとも成功してほしい。

私は小川さんがまだ卓球王国にいたとき、全日本の会場で1,2分だけ立ち話をしたことがあるだけだが、誌面にはよく登場していたので、一方的に知り合いのような気がしている。機会があったらのぞきに行ってみたい。

マイクの写真

昨日、同僚のマイクがニヤニヤ笑いながら「これ何だかわかるか」と言って自分の携帯電話の液晶画面を私に見せた。

そこには、便器いっぱいの大便が写っていた。息子が送ってきたという。何歳の息子か聞いてみると、27歳だという。その息子は、自分でもびっくりするほどの量の大便が出たので、記念に撮影して送ってきたのだという。・・さすがアメリカ人だ。

牛、笑いすぎだ

同じスーパーで、おかしいチーズの缶詰を見つけた。

牛、お前、笑いすぎだ。

耳にこの製品のピアスだか鑑札だかをつけているところも中途半端にリアルでおかしい。牛のくせに眉毛もある。要するにこの絵、部分ごとのリアルさのバランスがとれていないところが味噌なのだ。

Complete Lunch Kit

土曜に近所のスーパーに買い物に行って、面白い物を見つけた。その名も「Complete Lunch Kit」つまり、完璧な昼食セットだ。

ビスケットにツナの缶詰に桃の缶詰がセットになっている。こんなもので昼食になるとはちょっと考えられないが、なにしろ完璧なセットだとして売っているのだから好きな人もいるのだろう。

いったいどんな味がするのかと面白いので買ってみた。値段は2.5ドル程度だった。

後で味見をしてみようと開封しないでおいたら、今朝、出掛けに妻から「はい弁当」とこれを手渡された。

「ええっ?これ?」

「当たり前でしょ」

ううむ・・当たり前・・だろうか。

というわけで、今日はこれを食べながらこのブログを書いているが、ツナが変に甘くて美味しくない。遭難した人たちのことを想像して食べた。ああ、食べるものがあって幸せだ。

停電

一昨日、ひさしぶりに停電だった。
こちらに来て3回目くらいだ。

私が小学生の頃は実家でときどき停電があったものだが、現代の日本ではめずらしいだろう。こちらではときどき起こるのだ。

夕方から11時ころまで停電だったので、蝋燭を買ってきて灯したが、子供たちが異様に興奮して、「ずっとこうならいいのに」なんて浅はかなことを言っていたのがまた楽しかった。

妻はススで壁が汚れるのを心配していた。無粋だ。

Big Otaku

同僚のボブの机に小さなロボットの人形が置いてあったので、もしやと思い話してみると、なんと日本のアニメオタクだという。ボブいわく、「I’m big Otaku」だそうだ。オタクを誇っているのだ。

すかさず携帯だかデジカメだかの画像を見せられた。特に好きなのがドラゴンボールEというので、日本語で「シニガミ」だの「カメ」だのとキーワードを口走った。作者の鳥山明の名も知っていたくらいだ。他にデスノートとかブリーチとか言っていた。

先月新しく日本から赴任してきたジュンくんが、これまたガンダムオタクなので、さぞ話が合うことだろう。私はアニメはさっぱりなので、少し寂しい。

とはいえ、ボブはアニメは好きだが、いわゆるマンガは全然知らないそうだ。そこで、日本のマンガ文化を知らしめるため、相原コージと竹熊健太郎の『サルでも描けるまんが教室』という歴史的大傑作の英語版(こんなこともあろうかと買っておいたのだ)を読ませることにした。果たして通じるだろうか。

何年か前、吉田戦車の『伝染るんです。』を英訳して「これが高度に進化した現代日本のマンガだ」とジョンに読ませたが、何本読ませても、ついにただのひとつも面白いと思わせることはできなかった。

たぶん今回も無理だとは思うのだが。

夢の話

明け方、あまりにリアルで奇妙な夢を見た。

なぜか私が田崎選手のベンチコーチをしているのだ。相手はなんと高島選手。田崎選手はすでに3ゲームを取られて後がない。私は田崎選手に、「レシーブをストップとかフリックとか無理しないで相手に先にドライブをさせるつもりで長く安全にツッツけ」とアドバイスをした。ところが相手の高島選手はカットマンなものだから、全然先に攻撃をしてくれない。トンチンカンなアドバイスをしたことに気がついて愕然とする。

0-8と離された田崎選手はどうしようもなくなり、サービスのときになにやら奇妙なフォームで、なんとご飯を盛った茶碗をサービスとしてテーブルに出したのだ(ダ洒落ではない)。その茶碗はゲームセンターのエアホッケーゲームのようにきれいにゆっくりと卓球台の上を滑ってネットも無視して高島さんのところに行ったが、高島さんはこれを丁寧に押し返した。高島さんはこの田崎選手の行動を見て、「田崎はしばらく休んだ方がいい」と言い、自分も現役時代、試合が来るのが怖くて時計をペンキで真っ黒に塗った話をした。それを聞いて感動する私。

テーブルを何往復かするうち、この茶碗はいつのまにか讃岐うどんになる。それでも押し返す高島さんを見て「高島さんはうどんは嫌いだったのか」と思い、それを食べる私。美味い。

すると高島さん、突然「232号室の安さんが今、亡くなりましたね」と予言。確かめに行った人が「生きてますよ」と言い、気まずくなる。
と、何もかもいかにも夢らしい辻褄の合わない話だが、ついさっきまで見ていたので、とにかくリアルだった。なお、私は田崎選手と面識はないし、サービスにご飯を出す話も時計を黒く塗る話もない。

doとdoes

先日、飲み会でビートルズの「涙の乗車券」を歌ったときに、ふと気がついたことがある。歌詞の最後にshe don’t careというフレーズがあるのだ。sheなのにどうしてdoesn’tではなくてdon’tなのだろうか。ボブに聞いてみると「別に意味はない。don’tの方が言いやすいからだ」と言った。アメリカ人にとっても、ときとしてdoとdoesの使い分けは面倒なことなのだという。

これは朗報だ。私は普段の会話で、いちいちdoとdoesの使い分けを気にして、間違うと言い直したりしていたが、わざわざ言い直すほどのことではなかったのだ。

また、ときどき気になるのが、なんでもかんでもmeということだ。Iというべき場合でもmeという人がいるような気がするので、私はつとめてIの方がふさわしいと思えるときにはIと言っている。それで、たまたま別の目的でhypercorrectionという単語を辞書で引く機会があったのだが、なんとそこには

hypercorrection
名U[言]過剰修正《意識過剰からくる発音や語法の誤り:between you and meをbetween you and Iとするなど;cf.than前用例》.

とあるではないか。あわわ、俺じゃないかこれは!

メリー・クリスマス!

最近、マークという同僚が(初めて書くマークだ。マークという人は社内にいくらでもいるのだ)、私に対してなにかとトンチンカンな挨拶をする。一度、私が彼と午後に会ったときに間違ってグッド・モーニングと言ったのがきっかけだ。それ以来、マークは私に会うと、わざとトンチンカンな挨拶をするようになったのだ。最初は、午後にグッド・モーニングと言ったり、朝にグッド・イーブニングと言ったりだったが、だんだんとエスカレートしてきて、ついに今日、打ち合わせが終わって別れ際に「メリー・クリスマス!」と言われた。こちらもそれに対抗して、「ハッピー・ニュー・イヤー」と言ってやった。

なんだか、『天才バカボン』を思い出して、十分に可笑しい。