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ストロング・ラーメン

アメリカの生活でもっとも恋しくなる食べ物はラーメンだろう。日本ではしょっちゅうラーメンを食べていたのに、ここにはラーメン屋などないのだ。

ところが日本料理店のKYOTOのメニューになんとramyanと称するラーメンがあるのだ。これは実は韓国製のインスタントラーメンなのだが、ないよりはマシなのでときどき食べる。かつてある日本人赴任者が、「こんなのラーメンじゃない」と文句をつけて以来、しばらくは日本人がこれを注文すると必ず「今日は切らしている」と断られるのが続いたのだが、最近はほとぼりが冷めたようで、普通に出してくれる。

ただし問題がある。スープが薄いのだ。それもそのはず、器が「鍋焼きうどん」用の大きな鉄鍋なので、湯の量が、どうみてもインスタントラーメンの基準である180ccをはるかに超えているからなのだ。そのくせやけに辛いので(だから韓国製だと思ってるのだが)、辛味を別に入れていると思った人が「マイルドにしてくれ」と注文をしたら、それでなくても薄いスープに思いっきりお湯を入れられ、目も当てられない、ほとんどお湯のように薄いスープのラーメンが出てきたことがある。

そういう失敗談があるので、恐る恐る「スープを濃くしてくれ」と注文を出したのだが、それをどうしても伝えれらない。「塩をいれればいいのか」などと言う。そんなことされてたまるか。「高い濃度」という意味でhigh concentration などといっても首を傾げるばかりだ。そこで濃いコーヒーのことをストロングコーヒーと言うことを思い出し、strong soupと言ったらすぐに通じた。意味は伝わったものの、今度は「スープの袋だけ2倍使うわけにはいかない(やっぱりインスタントだった)、あまったラーメンをどうするのだ」ときた。「入れる湯を半分にしてくれ」と言ってやっとわかってもらえた。すると、ひとまわり小さい器に適量の湯が入れられた美味しいラーメン(インスタント)がやってきて大満足であった。

以来、Strong Ramyanと注文すれば、すぐに濃いスープ(普通なんだが)のラーメンが食べられるようになった。ストロング・ラーメンなんて、知らない人が聞いたら、スタミナラーメンのもの凄いやつでどんなに精力がつくのか、と思うかもしれないが、ただのインスタントラーメンである。

このブログに載せるために、「日本風を装ってるが何かが違う店内」を撮影していたら、店員がやって来て「撮ってやる」と言われたので、迫力に押されおとなしく記念撮影をされてしまった。

回転寿司

これまでいろいろとレストランの話を書いたが、実はドーサンで日本人がもっとも多く行くレストランは中華料理店である。美味しいということと、ほとんどの店がバイキングスタイル(こちらではバフェという)なので、注文する必要がなく楽なのである。このような店がドーサン市内だけで4軒あるし、デルビルにも1軒あり、我が家では、土日のどちらかは必ず行っている。

このバイキングスタイルを妻は「食い放題」と解釈して、限界まで食べることを毎週楽しみにしている。いつも6皿も食べて、店を出るときは体をまっすぐにして歩けないほどである。この日のために平日はほとんど食べないようにしているので太る心配はないという(ただしビールは毎晩1.5リットル飲んでいる)。

余談だが、二番弟子の田村が学生時代、「条太さん!300円で食い放題の店があります」と言うからついて行ったらミルキーウエイのサラダバーだった。さすが2番弟子。

妻のもっとも好きな食べ物は寿司である。パソコンの背景は寿司だし、三男の名前は、『寿司』から一字とったぐらいだ。食べ物の名前を息子につけた人は妻ぐらいのものだろう。そのためか三男は妻と同じく異常な寿司好きである。

妻が寿司の中でももっとも好きなのが回転寿司である。「回っていないと食う気がしない」とまでいっている。その回転寿司がドーサンにはないのだが、どうしても食べたい妻は昨日、ついにアトランタに回転寿司屋があることをネットでつきとめた。『FUNE』というのだが多分『舟』だろう。『東京』とか『京都』ではないところはさすがである。車で片道4時間かかるのだが、近々行くことになりそうである。

卓球のマンガ

何年か前、中学校のときに描いたマンガが実家から出てきた。描いた内容はまったく覚えていなかったので、初めて読むような気持ちで読めた。面白いとか面白くないという以前に、卓球マニアであることがわかる内容で、自分ながら「好ましい中学生がいたものだ」と思った。

当時、私は、卓球を扱った少女マンガが昔あったという噂を聞いたことがあるだけで、卓球のマンガは一度も見たことがなかった。卓球がマンガに取り上げられたらどんなにいいだろうと思い、自分で描いたのである。ちょっと後に『ダッシュ勝平』というバスケットマンガで主人公が短期間、卓球勝負をするところがとても嬉しかったものだ。もし中学生の私が松本大洋の『ピンポン』なんか見たら泣いて喜んだことだろう。

私の描いたマンガに出てくる選手名や打球のフォームを見ると、すべて荻村伊智朗の『卓球世界のプレー』を参考にしていることがわかる。その本の中ではスウェーデンのステラン・ベンクソンが大きく取り上げられていたので、その憧れのベンクソンをマンガに登場させて主人公と試合をさせたりしている。

憧れているものになりたい、なれないなら自分のところまで引きずり落としたいという願望は当時からあったようである(覚えていないので想像だ)。

他にも、美術の授業の木板に浮き彫りをする工作で、ベンクソンのフォアへの飛びつきの様子を彫った覚えがあるのだが、残念ながらその作品は見つからない。『卓球世界のプレー』のモデルにした写真に、鉛筆で6分割して構図を測定した跡が残っているだけである。

ファーストフード

この町でもハンバーガー屋が繁盛している。マクドナルド、バーガーキング、チェッカーズ、ソニック、アービス、チキンフィレなど、多数ある。

すごいのがドリンクのサイズである。S、M、L、スーパーラージとあるのだが、一番小さいはずのS(左の写真)が、どうみても日本のLサイズである。ちなみにスーパーラージが右の写真だ。

しかもこれ、店内でいくらでも汲めるので飲み放題である。それなのに容器によって値段が違うのだが、なぜかというと、店を出るときに再び一杯にしてもっていくので、そのときの量が違うためだという。とても正気とは思えない飲量である。

子供から年寄りまでコーラが好きで、上司の年配のデビッドもなにかというとピーナッツを食いながらコーラをグビグビ飲んでは「ゲフーッ、エスキュズミ」なんて言いながら仕事をしている。

中には肥満に気を使ってダイエットコークにこだわって飲んでいる奴もいるが、1リットルも飲んで健康もクソもないと思うのだが。

ビートルズ6

もうしばらくビートルズを続けさせてもらいたい。今回は、マニア好みのアメリカ盤である。

ビートルズがその現役時代に発売したのは、13枚のアルバムと22枚のシングル、1つのEPセットだけである。彼らは、ファンに二度買いさせることを嫌ったのと、いくらでも曲が書けたということから、どんなに売れそうな曲でも、シングルとアルバムの曲がなるべく重複しないように発表していた。『ヘイ・ジュード』ほどの大ヒット曲をアルバムには入れなかったし、『イエスタディ』ほどの名曲はシングルカットされず単なるアルバムの一曲である。とんでもないグループなのだビートルズというのは。

ところが当時はアーティストよりもレコード会社の権力が強く、ビートルズでさえもイギリス以外の国では、自分たちの好きなようにはレコードを発売できなかったのである。どういうことかというと、各国のレコード会社が勝手に曲を組み合わせてアルバムを作って乱発していたのだ。結果的に、アナログ盤時代には50枚以上のアルバムと数え切れないほどのシングル盤が存在していたのである。特にひどいのはアメリカで、オリジナルアルバムの曲を減らして、2枚のアルバムから3枚のアルバムを作るという荒業をやっていたり、2年間で14枚ものシングルをメチャクチャに出して、結果、ヒットチャートの1位から5位までビートルズが独占したりした。日本でもなんと64,65年の2年間に27枚のシングルが発売された。すべてレコード会社の仕業なのだ。

80年代後半にCD化されるときになってこの状況が初めて整理され、CDになってからはイギリスオリジナル盤以外のものはなくなった。その結果、今ではアナログ盤時代のアメリカ盤が貴重なコレクターズアイテムになっている。

ここに紹介するのはそのアメリカ盤のひとつ『ヘイ・ジュード』。アメリカのレコード会社が大ヒットシングルをタイトルにつけて勝手に出したアルバムである。
さて、ビートルズごっこであるが、有名でもないし特徴もないジャケットなので、解説がないと一体何のつもりで写真を撮っているのか、もはや誰にも分かるまい。後向きで石膏像の役をやっているのは例によって弟である。誰に撮影してもらったかが思い出せないが、友人の数は限られているので、母か祖母あたりに頼んだ可能性が高い。それでブレているのだと思う。悔しい。

ステーキ対焼肉

ドーサンにはとても美味しいステーキ屋がある。ある人によれば、ニューヨークでもこんなに美味い店はないというぐらいである。しかも高くても30ドルぐらいのものだから、日本で同じものを食べることに比べれば値段も安い。

たしかに慣れると美味いのだが、最初の頃は、なんだかもったいないような気がした。私は韓国の焼肉が最高の肉料理だと思っているので、ステーキのような分厚い肉を見ると「これを薄く切ったらどれほどの焼肉ができるだろう」と考えてしまうのだ。そこで、2回目の出張に来るときに、贅沢の限りを尽くした焼肉のタレを3種類買い込んで来たのである。それは確か「しょうが味」「にんにく味」「味噌味」の3つだったと思う。何が「贅沢の限り」かといえば、これを一気に3つも買ったところが贅沢なのである。2つまではありがちだと思うが、3つというのはなかなかできることではない。

それで、ドーサンについてすぐにステーキ屋に入り、分厚いステーキを韓国焼肉風に薄くスライスした。店員がいなくなったところでカバンから焼肉のタレを3瓶取り出し、これを順番にかけて食ってみたのである。と、どうしたことだろう。まずいことはないが、それほど美味くない。出されたステーキの塩コショウの方が美味いのだ。やはりステーキにはステーキ屋の味付けが一番なようである。プロの仕事にケチをつけるものではないなあと思った。以来、ステーキに焼肉のタレをかけたいという欲望はすっかりなくなり、おとなしく出されたステーキを美味しくいただいている。

雑誌『卓球人』

昭和22年発行の雑誌『卓球人』は、私の卓球王国での連載につながった特別な意味がある古本である。これを入手したときに、なつかしく読んで喜んでもらえそうな人ということで、『卓球物語』を書いた藤井基男さんに、読みたかった送るという趣旨の手紙をニッタク・ニュース付けに出したのである(藤井さんはニッタク・ニュースで連載していたからだ)。もちろん知り合いでもなんでもないのだが、さっそく返事が来て、これを貸したところ大変喜んでくれて、わざわざ仙台まで返しに来てくれた。以来、手紙のやりとりをさせていただくようになったのである。

何年かしたあるとき、仙台に来るというので昼食をご一緒することになった。そこで、「卓球本のコレクションがあるんだからこれを世の中に紹介することは卓球界のためになる。そういう連載をしたらどうか。その気があるなら雑誌に紹介する。」という話をいただいた。藤井さんへの手紙はいつも面白く書くように努めていた甲斐があったわけである。私は以前から卓球雑誌などで「特別寄稿」などという記事を見ると、「どうしてこんな人のが載るのに俺の文章が載る機会はないのか」と勝手な憤りを感じていたぐらいなので(当たり前なんだが)、願ってもない話であった。ところがその反面、締め切りに追われて連載を続ける自信はなかったのだから情ない話である。それで、喜んだものの断腸の思いで「仕事もあるので書く時間がとれず続ける自信がない」と断ってしまった。すると藤井さんが「伊藤さんね、物書きはヒマがあるから書くんじゃないんですよ」と言った。これはキツかった。私はすぐに考えが甘かったことに気づき「やります」と言ったのだった。それで卓球王国に紹介してもらい(編集部にはすでにいろいろな物を送りつけて断られている仲だったので少々気まずかったが)、連載にこぎつけたのである。

後日、藤井さんに「今野さん(卓球王国の編集長)、伊藤さんのこと知ってたよ。だいぶ有名みたいだね。」と言われて恥ずかしかった。人生、何がきっかけになるか分からないものである。

ともあれ、この『卓球人』は面白い。昭和22年発行なのに「あの頃を語る」とさらに昔を語ったり、卓球小説、卓球川柳などとにかく可笑しい。これを毎日1ページずつ紹介したいぐらいである。「電光石火」「意表を突く」とあるが、意表を突かれたのはこっちだって。

『根性の発見』

私が収集した卓球本で、特に気に入っているものは、いくつかの分野に分けられる。まず、荻村伊智朗のもの、次に古いもの、そしていわゆるトンデモ系のものである。

その中のもっとも極端な例がここに紹介する2冊である。なにしろ「根性の発見 人生と職場に活かす卓球観」である。説明不要だろう。素晴らしすぎる。

もう一冊が「女子卓球新指導」である。これも味わい深い書名である。ネットの古書店でこれを見つけたとき、私は飛び上がって喜んだのだが、なんと13,500円である。普通の卓球本が高くても3000円ぐらいなのに対して、これはないだろう。店主は完全に戦略を見誤っている。昭和初期の卓球の古本を買う奴など、どうせ日本に私しかいないのだ。こんな只でも要らないようなものにこんな値段をつけてどうする。さっそくその店にメールを出して「相場は3000円ほどではないでしょうか」と反省を促したのだが(相場などないのだが)、断られてしまった。まあ、放っておいてもどうせ誰も買わないのだから、そのうち値段を下げるだろうと考え、しばらく気長に様子を見ることにした。店主との我慢比べである。

で、3ヶ月で私が負けたのであった。これが今まで買ったうちでもっとも高価な卓球本である。

卓球本コレクション

私が卓球の本の収集を始めたのは、かれこれ15年ぐらい前になろうか。ある大きな古本屋で卓球の指導書が5冊も並んでいたのを見て「これを買ったら家のをあわせると10冊ぐらいになって壮観だろうな」と思ったことだった。それ以来、電話帳で調べて仙台市内の古本屋を一軒残らず回り、卓球専門店も周り、出張や旅行で古本屋を見つけると必ず入って古本を収集した。99年にインターネットをやるようになってからは収集効率が飛躍的に上がり、それがなければ一生買えなかったであろう本が買えるようになった。ネットの古本屋はもちろん、全国の大学や県立、市立の図書館にアクセスして、どんな本が発売されていたのかを調べ、場合によっては全ページコピーをしてもらったりして(著作権の問題があり、半分までしかコピーをさせてもらえないのだが、3番弟子の小室を使って二人がかりで申し込んだ)本を収集した。ただこの一点だけをもっても、私にとってインターネットは素晴らしいものである。

今では日本で発売された卓球関係の単行本のほとんどを持っている。年に1、2回、見たことがない古本が出てくるのがひそかな楽しみである。

恐怖の韓国雑貨店

ドーサンから車で40分ぐらい走った隣町のデルビルというところに、韓国人の経営する雑貨店がある。ここには、数多くの日本食品が常備してあるので、ドーサンに住む日本人にとってなくてはならない店である。ところがこの店、ひとつだけ問題がある。賞味期限である。いくら日本人が必要としているとはいえ、このあたりに日本人などほとんどいないのだから、どうしても商品の回転が悪くなる。そのため、おいてある品物の多くが賞味期限切れなのである。始めの頃は賞味期限以内のものしか買わなかったのだが、カップヌードルやスナックなど、賞味期限が過ぎたからと言って急に腐るわけもないので、数ヶ月ぐらいなら全然気にしないで買うようになった。

2000年に出張にきたあるとき、箱の色がすっかり薄くなったハウスのカレールーを見つけたのだが、なんと賞味期限が2年も前に切れている。こりゃひでえ、と面白がって手にとって「88年か」などと見ていたら、よく考えるとそれは2年前ではなくて12年前であることに気がついた。12年前に賞味期限が切れているカレールーなのである。これにはあきれてしまった。

このように、賞味期限がわかるものは実はまだいいほうである。1/3ぐらいの商品はことごとく賞味期限のところにシールが貼ってあって、わからないようになっているのだ。この12年前のカレールーをみてからは、わからないものは買わないことに決めた。

それにしても置いてある商品の怪しげなことよ。日本のメーカーのものも結構あるのだが、ちゃんとアメリカ用にデザイン、味とも改良(改悪?)されていて、微妙に変な味がする。それでもやはり我々日本人には他のものよりは口に合うのである。ほかにも、柿とかナツメとかの、わけのわからない缶ジュースが置いてある。かたっぱしから飲んでみたが、さすがの私も二度と飲んではいない。

これでも我々赴任者の間では「使い方さえ間違えなければ役に立つ店」という位置づけで重宝しているのである。