ラスベガス まとめ

グランドキャニオン見物、卓球、マジックショーを4つにシルクドソレイユのショーを3つの予定だったが、実際にはグランドキャニオンは雨で何も見えず、マジックショーが3つにシルクドソレイユのショーが1つ、そしてラスベガス卓球クラブでの貴重な出会い(+同窓の運転手)と、滞在時間が34時間だった割には書ききれないほどの実りある旅行だった(そもそも卓球クラブでの出会いがなかったら、旅行のこと自体、ブログに書くつもりはなかった)。迷ったら行ってみるものだ。

なお、食事の時間と費用を犠牲にしたので、すべて写真のような物の立ち食い状態であった。途中、誘惑に負けて1ドルだけギャンブルの機械に入れてみたが、操作方法が分からずにそのまま止めた。「やらなくて儲かった」と思うことにする。

ドーサン行きの飛行機の中で、心地よい疲労感に襲われる私。

ランス・バートンのマジックショー

結局、7時からのショーに20分遅れて会場に入り、ランス・バートンのショーを見た。

私はプロのマジシャンのステージを見るのは、小学5年生のときに水沢の町に来たショーを見て以来のことだ。しかもランス・バートンといえば、デビッド・カッパーフィールドと匹敵する超有名マジシャンである。このような一流マジシャンを一流たらしめているのは一体何なのかを見定めようと、私はステージを凝視した。

結果は、私の考えていた通りだった。というか、想像をはるかに超えて考え通りだった。ランス・バートンを超一流たらしめているのは、ステージでにじみ出る、彼の魅力的な人柄だった。紳士的でかみ締めるような優しい話し方としぐさ、客に本当に感謝している様子、マジックが好きでたまらない様子、ステージに上げた子供たちに対するユーモア溢れるアドリブとすべてを包み込むような溢れんばかりの優しさ。誰もがランスを好きにならずにいられない、そういう人柄を演出していた。

もちろん、本当はどういう人かはわからない。90分のショーを週に10回、年に500回、これを20年以上もやっているのだから、それらはすべて計算しつくされたものであることは当然である。しかし、それがわかっていてもなお「この人はたぶん本当に根っからこういう人なのだろう」と思わせる演出なのだ。

もちろんマジックも凄い。タネなどわからないし、どれもが見事である。しかし、タネの分からないマジックなど、手順を教えてもらえば誰でもできるものが多いし、おそらくランスのやったマジックの大半もそうだろう(マジックとはそういうものである)。不思議な現象を見せることができたところで、それはやっとラケットを買ってラバーを貼り終えたというだけのことであって、勝負はここからずーーーっと先にあるのだ。

卓球の勝利は、言うまでもなく相手より先に得点することである。これに対してマジックの勝利とは、人がお金を払ってまで見たいほどに喜ばせることだ。不思議な現象を見せられれば人は喜ぶだろうか。とんでもない。喜ぶどころか中には知的敗北感さえ感じて不快になる人さえいる。ここがマジックという芸術の特殊なところだ。

マジックは人を欺くことで成立している。しかし人に欺かれることは、本来、誰にとっても楽しいことではない。これを楽しく感じるためには「この人になら騙されてもいい、騙されてもいいどころか楽しい」と思えるような状況が必要である。そのために優秀なマジシャンは、徹底的に紳士的な振り舞をしたり、あるいは自分が低く見られるように道化を演じたり、あるいは思い切って超常的な力を持った人間の振りをする。その演出力があるレベルに達したときに、初めて不思議な現象の威力が生かされ、途方もない魅力となって人を喜ばせるのだ。子供といっしょに自動車ごとステージ上の空中で消え、客席後方の天井から子供をかかえてシャンデリアに乗って降りてくるのを客が総立ちになって大喜びするのは、客がランスに完全に魅了された前提の上で成り立つのだ。

「予想を超えて私の考えどおりだった」というのは、ランス・バートンのそのような魅力が予想以上であり、私は完全に魅了されたということである。もっとも、競争の厳しいラスベガスで何十年も勝ち抜いているランス・バートンをいきなり見たということは、いきなりボル対馬琳を見たようなものだから、腰が抜けるのも当然である。

もしも「マジックなんてどうせタネがあるんだろう」とか「不思議なだけで面白くもなんともない」という人がいたら、それは不幸にしてそういうマジックしか見たことがないための誤解である(往々にして素人が友達に見せるマジックはそういうものだ)。騙されたと思って一度、超一流のマジシャンのステージを見て欲しい。きっと楽しめるはずだ。彼らの勝負は「タネのわからない現象を見せる」のではなく「客を喜ばせる」ことなのだから。

ちなみに、3時から見たマック・キングという人のマジックはランスとは違ってコメディ調で、これもまた「この人はなんて素敵な人なんだろう」と思わせる演出だった。ショーの後に握手会があり、私は握手したい強烈な欲望に駆られたが「握手をしても、この素敵な人と友達になれるわけでもない」と思うと、それが虚しくてかえって握手をできずに足早にその場を立ち去った。それくらいに魅力的だった。

さらに9時からペン&テラーというコンビのマジックを見た。こちらは早口の台詞が演出のかなりの割合を占めたため、英語が聞き取れない私にとっては、先の二つほどではなかったが、それでも面白かった。観客はみんな苦しくて息もできないほどに笑っていた。

ショーはいずれも撮影禁止だったので、マック・キングとランス・バートンのショーが終わった後の写真を載せておく。

生贄(いけにえ)

ジャックが日本の卓球の練習の素晴らしさについて語ったとき、私は誇らしく思いながらも、中国には劣っていたことを話した。ジャックはそれもわかっていて、日本の練習が続ける練習が多いのに比べ、中国は3球目攻撃の練習ばかりでまったく続かない練習をしていた、しかし練習と試合の差がほとんどないのでより実戦的だったと語った。それでも日本選手のファンだったのは、出会ったタイミングと文化の影響があるのだろう。

当時の日本の練習の欠点は最近まで日本に残っていて、水谷と岸川がドイツで育つ前ぐらいまでは日本は低迷していたと言うと「弱いと言っても世界で10位なら強いじゃないか。アメリカは何位だと思う?」と言った。モスクワでは46位だったという。しかもそのメンバーの中で、純粋にアメリカで育った選手の最高位は200番以下だと現状を嘆いた。

「どう思うかね」と聞くので「それはひどいですね(terrible)」と言った。するとジャック、「”ひどい”とはずいぶんと丁寧な言い方だね」と言った。「じゃ、あなたはどう表現するのですか」と聞くと「・・生贄だね(victim)」と言った。

その後、この現状をどうやって打破するかの持論を聞かされた。ジャックは「ビデオなどを使って中国選手のプレーのすべてを詳細に分析してコピーすればいいと卓球協会に再三助言しているが聞き入れてもらえない」と語った。当然だろう。そのような方法に効果はないと私も思う。

卓球はあまりに複雑多様であるため、個々の選手にとって最適な動きはひとりひとりがまったく異なる。それを理論や模倣で探し当てることは、神ならぬ人間には無理である。人間がやれることは、打球と対応の要求水準を示し、それが必要となる練習を考えることであり、その要求を実現する動きの習得は選手自身の身体の自然習得能力に期待するしかないと思う。

ハセガワ

昨日、今日と、このブログのアクセスが通常の2倍ほどになっている。マニアックなことを書いたからといって読む人が急に増えるわけもないので、いつも見てくれているマニアの数人がカチカチとせわしなくクリックしてくれた結果だろう。

レイが言っていた事だが、同時のアメリカ人はみんなハセガワの卓球に憧れて、一本指しグリップを真似したのだそうだ。「でも今、そういうグリップの人、いませんね」と言うと「あれは全身の筋肉がないとできない難しい卓球で、誰も真似できなかったんだ」と語った。分かってるね。

偶然か必然か

今回のこの出会いを私は当然、奇跡的な偶然だと思った。

しかし世の中にそんなに上手い偶然はそうあるものではない。よく考えればそんなに不思議なことでもないのではないかと思い始めた。

まず、アメリカは卓球人口が少ない。彼らの年代で選手としてやっていた人がどれだけいただろう。しかも競技人口は西海岸とニューヨーク近辺に固まっている。また、元一流選手でも、卓球でメシが食えるわけでもないので、普通のクラブで趣味として続けるしかないだろう。だからそういう人が普通のクラブにいることは当たり前のことなのかもしれない。

しかしたまたま私が行った日のその時間にアメリカ代表が3人もいたのはやはり奇跡と言っていい幸運だろう(彼らが毎日ずーっといるのでなければだが)。さて、会うまではいいとして、そこから昔話になる確率はどれくらいあっただろうか。実は私は、これは100%の必然だったと思っている。

私だって自分から50年も前の話をしたりはしないが、思い返すと、私が「イトウ」と名乗ったときにジャックが伊藤繁雄のことを言ったことがきっかけだった。思うにこのジャック、常に誰かと自分を含めた昔の卓球の話をしたがっているのだろう。だから、偵察の意味で初対面の相手にそれらしい話を振るのだ。仮に私の名前がイトウでなくても、無理やりそれらしいキーワードを使って偵察してきたのに違いない。それで乗ってこなければ止めればいいだけだ。時々私のように見事に食いついて、あれよと言う間にピンポン外交の話まで突入するマニアが何年かに一人いるのに違いない。

いくら元アメリカ代表といっても、普段クラブに卓球をしに来ている20代、30代の若者たちにとっては何の興味もない対象だろう。昔話など誰も聞く耳持つまい。なにしろ日本でいえば昭和25年頃、私ですら生まれてもいない時代の話までするのだ。

まったく何のあてもなく無理やり気まずい思いまでしながら行ったラスベガス卓球クラブだったが、その結果はこの上ない貴重なものになった。

こういうことが度々あるのなら、神様を信じてもよいかもしれない(言ってみただけ。絶対に信じない)。

駐車場で河野満

クラブは6時で閉店だったはずが話が弾み、結局6時45分まで話し込んだ。

私は7時からのランス・バートンのマジックショーを見るため、会場に移動しなくてはならなかったのだが、ラスベガスではタクシーはホテルとか空港とか決まったところからしか乗ることはできないので、誰かに送ってほしいとお願いをした(メールをやりとりをした相手の人は「誰かが送ってくれますよ」なんて調子のよいことを書いてきていたのだ)。

すると急にジャックもレイもよそよそしくなり、二人でボソボソと話してお互いに押し付けあっているような感じになった。

やはり卓球は気まずいスポーツだ。

結局、レイが急にふっきれたような上機嫌になって私を送ってくれた。ついでに”プロフェッサー(教授)”河野満の歩き方も再現してもらった。

レイの車内は見たことがないほど物凄く乱れていた。試合での気合の入れ方もちょっと普通ではなかったしカジノに勤めているというし、本当はこの人は怖い人なのではないか思った。送ってもらっておいてなんだが。

ヒストリー・オブ・US・テーブル・テニス

次にジャックは、分厚い本を出して「見たことあるか」と言う。

ティム・ボーガンと言う人が書いた本で、なんとアメリカの卓球の歴史を11冊にまとめたのだと言う。11冊ってあんた、1冊が530ページもあるのだ。ジャックによると、とにかくアメリカの卓球のすべての記録が書かれているそうだ。どのくらいの「すべて」かは分からないが、大変な労作であることは間違いない。

見せられた本は1979年から1981年までの3年分(これが第10巻なのだ!いったいいつから書いてるのだ?)で、ジャックの当時の写真も載っていた。どうやらこれを見せたかったらしい。誰だ?って感じだ。

同様に、エロールの写真も載っていた。

それにしてもこの本、どう考えても採算はとれない。ティム・ボーガンという人は、採算を考えず趣味としてこの本を書いたのだ。情熱だけではなくて、時間とお金がなくてはこういうことはできない。そういう卓球狂がアメリカには多いような気がする。USTTのウエブサイトから買えるようになっているそうだが、さすがにこれは買わない。

と書いたが、ゲストブックに、これはUS卓球協会の事業としてやったことらしいという情報があった。訂正しておきます。

タカハシ

高橋浩が荘則棟に3回勝ったことも全員が知っていた。泣けてくる。

今まで私が卓球レポートなどを読んで聞いたことのあるエピソードをことごとく知っているのだ。まさか卓球レポートを読んだんじゃあるまいな。

トミタ

ジャックが「一枚ラバーのトミタも凄い選手だった」と言ったのには感激した。もちろん、1954年からの男子団体3連覇に貢献し、ダブルスでも優勝した天才サウスポー・富田芳雄のことだ。

荻村の言っていたことは本当だったんだな(失礼!)。