英語の発音

われわれ日本人にとって、英語の発音というのはどうしてこうも曖昧に聞こえるのだろうか。思いあまって「なんでお前らはそう不明瞭な発音をするんだ?」とアメリカ人に言った日本人がいたくらいである。彼はそのアメリカ人に対して、ethanとethyleneをもっと違いがわかるようにはっきり言えと説得をしたのである。しまいには、日本での通称である「エタン」「エチレン」と無理やりアメリカ人に言わせ、「この方が違いはがはっきりとわかるだろ?」と言っていた。たしかに違いはわかるが、もとの発音と違いすぎだ。無理やりカタカナを発音させられたグレッグ(別のグレッグである)の悲しそうな顔が忘れられない。

当然ながら、アメリカ人は不明瞭を意図して発音をしているはずがない。そんな言語があるわけがないのだ。われわれが聞き取れないだけである。

ところがこれを誤解して、アメリカ人風に不明瞭に発音すれば英語らしくなると思う日本人がときどきいるのである。そういう人は、なんだかわからないがとにかく不明瞭に発音すればよいとばかりに、単語のなかに「r」がなくてもめったやたらと「r」の発音を挟み込むのである。「r」音こそが日本人にとっての英語の発音の象徴だからだ。たとえばbecauseという単語や、冠詞のaを言うのにさえ「r」音を入れるわけである。ひどいのになると「松島」というのにさえmartsushimerという具合で、これが私が遭遇したもっともバカげた実例である。「r」どころかラ行さえ含まれていない、しかも日本語のいったいどこに「r」を入れる必然性があるのか。こんなのは「英語を知らない日本人からネイティブっぽく聞こえる」効果があるだけであって、アメリカ人にとってはランダムに変な音が入るわけのわからない音にすぎない。念のためにデビッドに「綴りにrがないのにr音を発音することがあるか」を聞いてみると、南部の田舎の兄ちゃんなどがそういう発音をすることがあるが、正しい英語ではそういうことはないとのことである。日本人でいえば田中邦衛の話し方のようなもんだろうか。

「r」音を入れすぎて田中邦衛になってしまうくらいなら、潔くカタカナ英語で話したほうが日本人らしくてよいのだ(上の例のように、アメリカ人にそれを共用するのは論外である)。私はどっちみちカタカナ英語しか話せないわけだが。